勇者が選ばなかった道
その遺跡は、地図に×がついていた。
危険、ではない。
触れるな、という意味の×だ。
石造りの回廊は崩れかけていて、壁には古い壁画が残っていた。剣を掲げる人物、逃げる人々、空から落ちる光。
どれも、どこかで見た構図だった。
「ここは……」
僕が言いかけると、刀が遮った。
「来るな」
珍しい言い方だった。
遺跡の奥に、人がいた。
年老いた女で、旅装でも研究者でもない。
ただ、待っている人の立ち方だった。
「……まだ、残っていたのね」
女は、刀を見て言った。
僕じゃない。
刀を、見ていた。
「それを持っているということは」
女は一歩近づき、確かめるように呟いた。
「あなたは、ガルドを連れている」
空気が、止まった。
刀が、鳴らなかった。
否定もしない。
「……知ってるんですか」
僕の声は、思ったより冷静だった。
「ええ」
女は、壁画に手を置いた。
「彼は、ここで選ばなかった」
壁画には、分かれ道が描かれていた。
一方には人々。
一方には、深い闇。
「最後の門を閉じるには、勇者が残る必要があった」
女は、淡々と語る。
「戻れないと分かっていても」
僕は、刀を握った。
「でも、彼は戻った」
「ええ。人を置いて」
責める口調じゃなかった。
ただ、事実だった。
「それで、世界は延命された。終わりは先延ばしにされただけ」
女は、こちらを見た。
「あなたは、それを知っている顔をしている」
僕は答えなかった。
沈黙の中で、ようやく刀が言った。
「……俺は、間違えた」
低く、重い声だった。
「残れば、確かに終わった。だが、誰も救われなかった」
女は首を振った。
「救われなかったのは、あなた自身でしょう」
刀は、反論しなかった。
「名前を呼んでもいい?」
女が聞いた。
刀は、一瞬だけ、ためらった。
「……好きにしろ」
女は、静かに言った。
「ガルド」
名前は、刃よりも重かった。
壁画の中の勇者が、初めて人に見えた。
「彼は、逃げた勇者じゃない」
女は続けた。
「選んだ勇者よ。
救いを、世界より先に人に渡した」
それが、正しいかどうかは言わなかった。
遺跡を出る時、外は夕暮れだった。
「……名前、出ちまったな」
ガルドが言った。
「うん」
「後悔してるか」
僕は首を振った。
「知れてよかった」
ガルドは、少し笑った気がした。
「なら、いい」
道は続いている。
終わりは、まだ先だ。
だが今、
僕の隣には、名前を持った勇者がいる。
それだけで、旅は少し重く、
少しだけ、確かになった。




