最終章 - 第3話 年明け、シアター・ルチア、場当たり、ゲネプロ
年が明ける。鬼仙介邸での忘年会を終える頃には、既に日付が変わっていた。不田房と鹿野は鬼邸を辞し、そのまま鹿野迷宮邸へとなだれ込んだ。例年ならば初詣に行くという案もあったのだが、今年は、どうしてもそういう気持ちにはなれなかった。野上神社。既に存在しない神社の、取り残された神と戦いながら舞台を構築した昨年。そして本番を行わねばならない今年。呑気に他所の神様に手を合わせている場合ではない。いい感じに酔っ払った不田房と「もう寝る」と連呼しながら現れた娘の素直を、迷宮は呆れ顔で家に入れた。その後、和水芹香と彼女のマネージャーである元家崙を自宅に送り届けた宍戸クサリも、少し遅れて鹿野迷宮邸に合流した。時刻は午前3時。鹿野素直は寝ていたが、不田房と迷宮は麻雀アプリで対局をしていた。宍戸もごくごく自然にそこに加わり、素直が目を覚ました頃には成人男性が三人リビングで潰れているというなかなかの惨状が広がっていた。
迷宮が取り寄せていたおせち料理に、宍戸が作った雑煮を食べながら元旦を過ごす。「初詣には行かんのか」と尋ねる迷宮に、三人三様で微妙な表情を返す。「さよか」と応じた迷宮はチョッパーを連れて出かけ、小一時間ほどで帰ってきた。鹿野迷宮邸の近所には小さな神社がある。
不田房、鹿野は三が日を鹿野迷宮邸に引きこもって過ごした。宍戸は元旦の午前中に帰路に着いた。家で猫が待っているからだ。
一月四日。不田房と鹿野は連れ立ってシアター・ルチアに出勤する。今日から三日かけて場当たり。更に二日続けてゲネプロ。二日目の方にはマスコミの取材も入るため、気合を入れてかからなければならない。
「あれ? ……おはようございまーす! あけましておめでとうです!」
「ああ、不田房さんか。どうも、あけましておめでとう」
シアター・ルチアのロビーに置かれたソファには、刑事の小燕と、それに煤原が腰を下ろしていた。警備員がいなくなってしまう年末、小燕と彼の部下たちがシアター・ルチア内外の警備を行ってくれるという話は聞いていたが──
「えっ、もしかして、ずっと……?」
「自分は年明けからですが、小燕さんは」
「何も言うな煤原」
ええ〜! と不田房が大声を上げる。
「じゃあ、忘年会も新年会もなしですか!? そんな! つらい!」
「それほどつらくはない。落ち着いてください不田房さん」
「何かおかしなことは起きたりしましたか?」
呆れ顔の小燕に鹿野が尋ねると、
「幸か不幸か、何も。静かなもんでしたよ」
「そうですか、それなら良かった……」
良かった、のだろうか。本当に?
小燕も煤原も、まさか奈落には降りていないだろう。締め切られた奈落の中で、何か妙な出来事が起きていたとして──気付かない可能性は大いにある。
「不田房さん……」
「さー鹿野! 場当たりだっ! 泉堂さんが衣裳持ってもうすぐ到着するって!」
「あっそうだ、泉堂さんの稽古場に預けてたの忘れてた! お礼言わなくちゃ」
刑事たちが「何も起きていない」と言うのなら、一旦はそれを信じるしかない。『花々の興亡』チームにはもう時間がない。開幕の日は、刻一刻と近付いてくる。
シアター・ルチア専属の照明技師・六野あずさと、音響技師・戸坂柚が劇場入りする。少し遅れて、泉堂一郎が運転する軽トラックがシアター・ルチアの前に滑り込み、衣裳を下ろし、「ここ駐車場ないんだよな、その辺のコインパーキングに停めてくる!」と言い残して去って行った。
俳優陣も続々と劇場入りする。和水芹香、鬼優華、窪田広紀、澄田ウグイス、それに──檀野創子。宍戸クサリもやって来た。シアター・ルチアの舞台監督であった鈴井世奈は今も病院に収容されている。現在の宍戸は、舞台監督補佐ではない。舞台監督そのものだ。アンサンブルキャストを率いた穂崎星座も「あけましておめでとう、頑張りましょうね!」と明るい笑顔で登場する。
小道具として新しいウィッグや、その他色々、鬼仙介邸での忘年会の際に出た案に必要なものを抱えた大道具担当薄原カンジと、彼が率いる『ススキ大道具株式会社』の社員たちも現れる。
「いよいよ」
鬼優華が言った。
「いよいよや」
「ですね」
「長かったなぁ、なんか」
「ほんとに」
まるでこれですべてが終わるかのような台詞だが、残念ながら、今の時点では始まってすらいない。衣裳を纏い、メイクを終えた優華が舞台袖に仁王立ちになっている。
「初日、どないなるんやろな」
「それは……」
「若者たち、心配しなくても大丈夫だよ。だって俺らもうここまで来たじゃん」
窪田だ。自警団のリーダーらしいかっちりとした制服に身を包んだ窪田が、鹿野と優華の後ろに立っていた。
「ここまで来れば、開けない幕はないっ!」
「……っすね」
「窪田さんがたまにまともなこと言うと、別人なんかな? って思うわぁ」
「何それ!」
準備いいっすか! と客席から声がする。不田房だ。
「場当たり始めます! 1回目は結構止めながらいくんで、俳優陣各位、ご自身の導線や立ち位置の確認しっかりしてください!」
オッケー、とか、了解、という声があちこちから響く。調整室には泉堂一郎もいるし、大丈夫、何も問題は起きない。
──三日連続の場当たり。無事に完了。
引き続き、ゲネプロに突入。
檀野創子が提案した、「自身の手首と共に美しい髪を献上する」という演出が予想以上に映えた。彫りの深い端正な顔立ちの檀野扮するレネが、左手を失い、屈辱と絶望に顔を歪めながら不器用な手付きで自身の髪を一房、一房切り落としていく。また、献上品として左手首と髪の束を受け取った、檀野/レネのけもののような美しさとは正反対の美貌──女王然とした艶やかな輝きを放つ和水/ジェルメーヌが「こんなもの」と鼻で笑うシーンも凄絶だった。手首をしげしげと眺め「奴隷にでも食わせておきなさい」と言い放った直後、「こんなもの、何の価値もない」と髪の束を客席に向けて放り投げる。拾って帰る観客がいるかどうかは微妙なところだったが、
「こんな縁起の悪そうな銀テ、俺だったら要らないな……」
「不田房さん、銀テじゃないです。ウィッグにも銀テにも失礼ですよそれ」
本当にこればかりは客を入れてみなければ分からない。観客の反応次第では、演出を更に変更する可能性も出てきていた。
マスコミを入れてのゲネプロは、恐ろしいほどに盛り上がった。株式会社イナンナ、そしてシアター・ルチアとその周りで起きていた出来事は、おそらく、それほど外には漏れていない。だが野上葉月から澄田ウグイスへのキャスト変更はそれなりに大きな事件として受け止められていたし、未だはっきりとは明言されていないとはいえ、イナンナの前社長・内海清蔵の急逝を嗅ぎ付けているメディアも少なからず存在していた。
熱気に包まれたゲネプロを終え、そのままロビーに場所を移して記者会見へ。檀野、和水、鬼、澄田、窪田、更には不田房が加わり、多くのマイクとカメラを向けられる。質問は、『花々の興亡』には直接関係のないものが多かった。宍戸、泉堂とともに側で会見を眺めている鹿野がハラハラするほどに、インタビュアーたちは「イナンナの前社長・内海清蔵の急逝は事実なのか」と繰り返し問い掛けた。和水はうんざりとした表情を隠さず、鬼は苦笑い、窪田に至っては大欠伸をしている。澄田ウグイスは明後日の方向を見ている。
「あの、ちょっといいですか」
声を上げた者がいた。檀野だ。檀野創子が、マイクを無視して声を張り上げた。
現在の檀野は栗色の髪をベリーショートにし、更にブリーチを繰り返してほぼ白に近い金髪になっている。だが今や彼女の髪型自体も演出のひとつとなっているので、記者会見にはウィッグを被った状態で参加していた。
「もうすぐ内海真琴が来ますから」
「現社長が、ということですか!?」
わっと盛り上がる記者たちの期待に答えるように、ルチアの扉が開いた。紺色のスーツ姿、小脇に黒いコートを抱えた長身の男性が立っていた。株式会社イナンナの現社長──内海真琴だ。
「遅くなってしまい申し訳ありません。檀野さん、今……?」
「ちょうどあんたの爺さんが死んだかどうかを訊かれてたとこ」
「祖父の話ですか。……祖父は、はい、まだ詳しくお話しすることはできませんが、昨年末急逝いたしました。元々体調を崩し入退院を繰り返していたため──」
「ということは、この公演は前社長の追悼公演という意味も持つのでしょうか?」
記者の問い掛けに、檀野が鋭く舌打ちをした。もはや壁の花と化していた不田房が大きく両目を見開いている。
「マイク貸して」
檀野が手を差し出し、会見用のマイクを窪田が恭しく献上する。
「今回の公演は、私、檀野創子の最後の公演です」
「い、引退ということですか!?」
会場が激しくざわつく。檀野は唇の端を大きく歪め、
「いいえ? 引退なんてするわけないでしょ。移籍するんです。トコハルプロダクションに!」
「ちょっと檀野さん! それ最終日に言おうって決めてたじゃん!!」
和水が呆れ声を上げ「いいの!」と檀野が言い捨てる。
「だってこのままじゃ勝手に前社長の追悼公演扱いにされるんだよ? 鬱陶しい!」
「だ、檀野……移籍? 本気で言ってるのか?」
と檀野の腕を掴もうとする内海真琴の手を、和水芹香が引っ叩く。
「ちょっと! 大学の同期だかなんだか知らないけど檀野さんに触らないで! あーもう取材のみなさんもうるさーい! そうですそうです、檀野さんは移籍します! トコハルで私の同僚になりまーす!」
「イナンナの檀野は今回が最後になります。見に来てくださいね」
ウィンクとともに指先でハートマークを作って見せる檀野、「冗談だろ」とその場に座り込む内海真琴、そして「俺もトコハルに所属したいな」とどうでもいいことを呟く窪田──会見はすべて生中継されていて、スマートフォンのSNSアプリを確認する宍戸が「これはチケット完売するな」と満足げな声を上げている。




