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第一章 - 第2話 パリ、アパッシュ

 『花々の興亡』はフランスの劇作家、アドン・デュボアのデビュー作である。現在のデュボアはフランスのみならず各国の演劇界に於いて一目置かれる存在だが、デビュー当時はまったく注目をされていなかった。『花々』が戯曲として稚拙であったという点もあるし、それ以前に、


「これはねえ、シェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』の翻案作品なんですよ。デュボア氏本人も認めてるから言っちゃうと、細かいディテールも含めると正直オマージュ通り越してコラージュ(おこな)っちゃってるレベル」


 宍戸によってようやく飲酒を許可された不田房が、丸テーブルの上に置いた仮チラシを指先でトントンと叩きながら言った。仮チラシ──とは読んで字の如く公演を予定している舞台についてのざっくりとした情報を掲載したチラシであり、タイトルと出演者、それに演出家を含むスタッフの名前といった必要最低限の内容が印刷されている。白くつるりとした紙の上に大きく書かれた『花々の興亡』というタイトル。それを撫でながら、不田房は溜息混じりに続けた。


「宍戸さんは知ってるでしょ?」

「ああ、まあ」


 宍戸クサリはフリーの舞台監督を名乗りつつ、普段は宮内(みやうち)くり子という名のベテラン女性演出家/俳優とコンビを組んで仕事をしている。宮内はフランス語に堪能で、アドン・デュボアという作家に日本で最初に目を付けたのも彼女だった。当時まだ然程注目されていなかったデュボアに自ら連絡を取り、その作品の上演権を買い付ける。戯曲の翻訳も宮内本人が行った。現在、日本国内に流通・上演されているデュボアの戯曲はほぼすべて、宮内の翻訳によるものだ。デビュー作『花々の興亡』についても、宮内とともに仕事をしている宍戸は内容やデュボア自身の執筆意図などをある程度認識しているようだった。


「タイタス・アンドロニカスって、シェイクスピア作品の中でもなかなかの鬼っ子ですよね」


 ライチソーダを片手に鹿野が尋ねる。シェイクスピアが残した多くの作品の中でも、かなり初期に描かれた悲劇の物語。流れる血の多さと暴力描写が原因で、上演される機会も未だ多くはないと聞く。

 復讐の物語だ。

 軽く頷いた宍戸は、


「ローマ帝国との戦いに敗れて奴隷となり、三人いた息子のうちの長男を生贄にされたとある部族の女王・タモーラが、即位したばかりのローマの新皇帝に見初められて妃となる。開幕早々奴隷から女王陛下に立場が逆転するんだね。そして息子を生贄として殺害した武将──これがタイタス・アンドロニカスというタイトルにもなっている男性の名前なんだが、この男に復讐をするために女王は動き出し、一方、女王によって家族を次々に殺害されていくタイタスもまた復讐に目覚めるという……」

「改めて聞くと、本当にいっぱい人が死ぬ話ですねぇ……タイタス自体も滅多に上演されるもんじゃないのに、なんでまた、翻案を、デュボアさんは」


 不田房が大学の講師であった頃、大学構内の図書室にあったシェイクスピアの戯曲を片っ端から読んだ学生時代を思い出しながら鹿野は唸る。個人的には、この手の血みどろの話は嫌いではない。戯曲作家としての不田房栄治のことはもちろん好きだし、彼の作品にも共感できる点は多いが、不田房は『タイタス・アンドロニカス』ほどに流血の多い作品を書かない。どちらかというとメンタルで殴ってくる。


「これは俺んとこの宮内さんがデュボアから直接聞き出した話なんだが、デュボアも『花々の興亡』を書いた頃はまだ学生で。イチから戯曲を書くつもりで、参考資料として手に取ったタイタスに思考を乗っ取られた、とすら言ってたそうだ」

「はーあ……まあ分かる気はしますけどね。さすが天下のシェイクスピア大先生」

「その大先生がよぉ」


 紹興酒の入ったグラスを置いた不田房が、煙草に火を点けている。つられて宍戸、鹿野も自身の紙巻きを取り出しライターを鳴らし、半個室の中は一瞬紫煙と沈黙に包まれた。


「デュボアさんに影響与えるからさぁ……なんじゃこの戯曲はと俺は……」

「ま、『花々の興亡』は実際妙な戯曲だよな。登場人物も最後まで生き残るのはひとりだけだし」


 不田房と宍戸の会話にいまいち追い付けずにいる鹿野は眉根を寄せて、


「タイタスの翻案なら、人がいっぱい死ぬんは別におかしくないんじゃないですか?」

「人がいっぱい死ぬ()()なんだよ」

「はいぃ?」


 予想していない回答だった。目を大きく見開く鹿野に、宍戸が紫煙を吐きながら続ける。


「デュボアの翻案では──まず、舞台は1900年代のフランス。タモーラ率いる一族は、パリ市内に拠点を置いて暴れ回った不良集団、『()()()()()』に置換されている」

「そうそれ、アパッシュ」

「アパッシュ……なんか、ギャングとか、マフィア的な?」


 重ねて問いかける鹿野に宍戸は再び軽く頷き、


「ギャングやマフィアだと違う国の言葉になるからな。フランスが舞台だから、彼らは()()()()()だ」

「はあ……それで、アパッシュ同士の抗争で人がいっぱい死ぬんですか? それとも、アパッシュと警察官が揉める?」

「揉める相手は警察じゃなくて()()()だね」


 不田房が口を挟んだ。


「オープニングは、パリの街を荒らし回るアパッシュと自警団の抗争。最初に勝つのは自警団で、アパッシュの一員──女性リーダーの弟が見せしめに殺害される」

「自警団、突然乱暴じゃないですか!? 話し合いは!?」

「乱暴をさせるために自警団って設定にしたんだと思う。いくら舞台とはいえ警察が開幕いきなり人を殺したらまずいだろうし、終盤に第三の勢力として──これは本家タイタスも同じ流れだから鹿野は知ってると思うけど──警察が出てくる流れになってるから」

「なるほど」

「で、アパッシュの女性メンバーが自警団のリーダーの愛人になるんだけど、そこから復讐劇が始まるっていう──歌劇!」

「いやそれ……」


 元ネタがシェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』であるということは理解できた。19世紀フランスを跋扈していたのがギャングでもマフィアでもなくアパッシュという集団だということも。あまりにも元ネタをそのまま利用した翻案だったから『花々の興亡』が大きな評価を得られなかった、という点についても納得した。


 だが、『歌劇』とは、なんだ。


「ミュージカルになるんですか? 歌って踊って人殺す?」

「そうね……そうなるね……でも、ミュージカルほど歌のターンは多くない。ダンスも、踊れる子が入れば不自然にならない程度には入れるつもりだけど……まあそんなこんなで無理やりではあるけど、ジャンルを『歌劇』に落とし込んでる」


 鹿野は未だ、今回の公演の全貌を理解していない。台本すら見ていないのだ。ただ大きな疑問に感じているのは、──なぜ歌や踊りが必要になる舞台の演出に不田房栄治を抜擢した? 彼はストレートプレイを主戦場とする演出家だ。あまりにも、無理があるのでは?

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