第三章 - 第7話 都内、鹿野迷宮邸④
鈴の音、女の声が聴こえ、女の姿も見えていた者:
鹿野、不田房、宍戸、檀野、鬼、和水(推定)
鈴の音、女の声が聴こえていた者:
鈴井、穂崎
鈴の音だけが聴こえていた者:
窪田
どういう線引きが行われているのか、鹿野にはまるで分からなかった。宍戸は意識を取り戻した和水芹香に病院へ行くかどうかを尋ねたが、「絶対に行きたくない」と訴えられ、
「じゃあ仕方ない。……稲荷神社を頼る」
と和水に肩を貸して立ち上がらせる。
「稲荷神社?」
訝しげに尋ねるのは檀野創子だ。
「さっきの変な女……ナントカ神社がどうとかって言ってるように聞こえたけど」
「檀野さんも、もし良ければマネージャーさんと一緒に来てください。事情を、多少は説明できると思う」
「うちも行ってええですか?」
と鬼優華が挙手をし、
「わたしも行っていいかな」
と穂崎星座が真剣な面差しで続けた。
宍戸は軽く頷き、「鹿野」と呼びかける。
「はい!」
「申し訳ないんだけど、床に落ちてるお札適当に拾って、迷宮さんに見せてくれないか?」
「お札を……ですか? 分かりました」
お札とは先ほどの奇怪な女が現れた際、宍戸が鞄の中から掴み出した大量の紙のことだ。「ひとりで家に帰るのはさすがにちょっと怖い」という窪田広紀も宍戸に同行することになり、
稲荷神社(?)に向かう者:
宍戸、和水、檀野、鬼、穂崎、窪田
鹿野迷宮邸に向かう者:
鹿野、不田房、鈴井
このような形で、解散した。
父親のファンだと公言する鈴井世奈を実家に連れ込むことに鹿野素直としては多少の抵抗はあったが、不田房も一緒だしどうにかなるだろう、と思いながら3人で稽古場の最寄り駅まで向かい電車に乗った。それに鈴井は稽古場の床いっぱいにばら撒かれたお札の回収も手伝ってくれた。悪いことにはならないと信じたい。
「ただいまぁ」
「素直? 今日は早いな……」
玄関の鍵を開けながら、迷宮が言う。言われてみて気付く。まだ橙色の夕陽が残っている。
「なんじゃ、また来たんか、不田房さん」
「いや、今日は緊急事態なんですよ」
「なーにを訳の分からんことを……おん? そっちは?」
素直の背後で身を縮めていた鈴井世奈に気付いた様子で、迷宮が小首を傾げる。マスクの下を紅潮させた鈴井は猫背をピンと真っ直ぐにし、
「す、鈴井、鈴井と申します! 迷宮先生の……ファンです!」
「……なんならぁ」
迷宮が眼鏡の奥の瞳を大きく瞬かせて、絶句する。
公演予定地であるシアター・ルチア専属の舞台監督で、民俗学の学者である鹿野迷宮のファンボーイこと鈴井世奈の紹介を、なぜか鹿野がすることになった。今日初めて言葉を交わした間柄だというのに。目をキラキラさせながら視線を送ってくる鈴井を困り果てた様子で眺める迷宮は「刺さんでくれよ……」と小さく呻く。迷宮は、過去熱狂的なファンに刃物で刺されて入院したことがある。
「さっ、刺しませんっ、そんなっ!」
「鈴井さん、声、声抑えて」
不田房に注意された鈴井がハッと青褪め、マスクの上から口を押さえて「すみません……」と蚊の鳴くような声で応じる。極端すぎる。
「まあ、まあ刺さんでくれるならそれでええわ。ほいで素直、今日はどがぁな事件が起こったんじゃ」
「それなんじゃけど」
宍戸がいてくれれば話はもっと早かった。だが宍戸には、宍戸にしかできない任務がある。「これ見て」と父親に声をかけた素直は、リビングの丸テーブルの上に置いたバッグの中から白い紙を無造作に掴み出す。「お茶淹れてきま〜す」と不田房がキッチンに消えて行き、鈴井はその場に立ち尽くしていて、迷宮の愛犬・チョッパーだけが元気だった。
「……お札、か? ……市岡神社か。狐の」
「前にも思うたんじゃけど、お父さんよう知っとるな、市岡神社のこと」
「そらまあ。こういう仕事しちょったらどうしたって関わる羽目になる神社よな。祝と厄の代表みたいな神社よ。ほじゃけど、なんで刺青のあんちゃんが、市岡の……」
「け、稽古場、にっ」
鈴井が唐突に声を放った。不田房に注意されたことをきちんと守り、裏声にはなっていたが大声ではなかった。
迷宮が片眉をピクリと跳ね上げる。
「何か出た?」
「はいっ」
「……何が、出た?」
「の、のが、野上神社のっ、巫女ですっ」
鈴井の震え声に、迷宮だけでなく素直も、それにキッチンから4人分のティーカップを持って戻ってきた不田房もぎょっとした顔をしていた。
野上神社。その響きは確かに耳にした。異様に間伸びしていて、不気味な響きであったけれど。
だが、あの女が、巫女だったとは。
「巫女? マジで? 化け物かと思った」
テーブルの上にティーカップを並べながら、不田房が軽口を叩く。だが目は笑っていない。素直は鈴井に席を譲り、小首を傾げた迷宮が正面に座る。
「鈴井くん、ち、言うたか」
「は、はいっ」
「野上神社についてはの、わしも調べとったんじゃ。うちの娘に妙な話をようけ聞かされて、個人的に気になって……」
「え、SNSで、つぶ、つぶやき、を」
「……見とるんかい」
紅茶に角砂糖を投げ込みながら迷宮が苦く笑う。鈴井はカクカクと頷き、
「『理不尽に居場所を追われた神の話』──」
涙目がいつの間にか、乾いていた。
「野上、神社の話、ですよね」
「……なして? 俺はそがなことひとっつも書いとらんよね」
「僕の──仕事場の、渋谷、シアター、ルチア。あそこも、昔は、野上神社でした」
迷宮が何かを言いたそうに口を開き、すぐに閉じた。代わりに「素直」と呼び付けられ、
「はいはい」
「こん札は……刺青のあんちゃんが」
「そう。稽古場になんか知らん変なのが出て、それで、このお札を──」
「欠けとるのぉ」
「はえ?」
「欠けとる」
お札を一枚摘み上げた迷宮が、唸るように言った。
たしかに、欠けていた。
素直は迷宮ほど『お札』というものに詳しくないし、接する機会もなかったが、父が言うように稲荷神社──市岡神社のお札はまるで虫食いのような状態になっていた。
本来ならば、
『市岡神社守護之攸』
と書かれているはずが、テーブルの上に乱雑に並べたほとんどすべてのお札が、
『_ 岡神社守_ 之攸』
となっている。
「無事な札は?」
「ちょっと、待って……ええぇ、全部虫食いじゃあ……」
「あんた、鈴井さん──とか言うたか」
お札をひっくり返したり電灯に翳したりする素直と不田房を他所に、迷宮が鈴井をじっと見据える。
「怒らんから、知っとることを言うてくれ。野上神社の八月踊り。俺もここまでは辿り着いた。じゃけど」
と、漢字の欠けたお札をひらりと揺らし、
「こいつはもう、神様とは呼べんじゃろ」
「その、通りだと、僕も思います……」
俯きがちに応じた鈴井が、静かに黒いマスクを外す。
薄いくちびるの左端から──耳の下に至るまで。一閃、引き裂かれたかのようなケロイド、傷跡が残っている。
「野上の神様は、怒っている。すごく。とても。その話を、僕は、ずっと誰かに、聞いて、ほしくて」
訥々と、鈴井が語り始める。




