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第二章 - 第3話 都内、鹿野迷宮邸①

「──ほいで結局、どうなったんじゃ」


 和水(なごみ)芹香(せりか)がスタジオを早退した翌日。稽古そのものが休みとなった。週末だった。土曜日。鹿野素直は実家にいた。

 自宅から然程遠くにあるわけではない実家では、父親の迷宮と、彼の愛犬のチョッパーが慎ましく生活している。あの日──『花々の興亡』の制作会見を見たテレビの前に置かれたソファに寝転がる娘・素直を見下ろしながら、父・迷宮は尋ねた。

 胸の上に置いた台本をチェックしながら、素直は小さく首を傾げる。


「和水さんを降板させる、いうんは現実的やないよ。チケットも、和水さんのファンクラブと檀野(だんの)さん──株式会社イナンナ先行予約って形で売り始めたんじゃし。制作会見でも、うちは覚えとらんけど、和水さんと檀野さんのダブル主演っちゅう形でやります、て不田房さんは言うたらしいし……」


 とにかく、和水芹香本人が何か決定的な問題を抱えているというわけでもないのに降板させるというのは不可能だ。和水自身も降板なんて望んでいない。ただ、彼女には()()()()()。この世のものではないものが。それに加えて、信頼しているマネージャーが交通事故に巻き込まれて病院に搬送され、しばらくスタジオへの送迎もできなくなってしまったという。とにかく、和水に非があるわけではない問題が多すぎる。和水に同情はしても「精神的に無理なら降りろ」とは素直はこれっぽっちも思わない。


「おれも、和水芹香のタモーラじゃったら見てみたいもんなぁ」


 テレビのリモコンを片手に、迷宮が呟いた。ソファから跳ね起きた素直は、


「じゃろ!? ……ああ、今回はタイタス・アンドロニカスじゃのうてその翻案『花々の興亡』じゃけえ、和水さんの役名はタモーラじゃないんじゃけど……」


 和水芹香はアパッシュの女性リーダー・ジェルメーヌ。檀野(だんの)創子(つくるこ)は自警団の女性幹部・レネ。それぞれの役名は、1900年代を意識した少し古めの響きが採用されている。


「タイタス──将軍役も女の俳優で、タモーラの息子役も女の子なんか。翻案したアドン・デュボアじゃっけ? 何がしたかったんじゃろうな」

「それは……」


 売れっ子覆面劇作家、アドン・デュボアのデビュー作にしてまったく評価されなかった戯曲、それが『花々の興亡』だ。素直も、はじめはなぜこの作品を現代日本で上演する必要があるのかと疑問に思っていた。だが、演出助手ではなくゲストとしてではあるが、連日稽古場に通い詰めるうちになんとなくは理解できてきた。デュボアが『花々の興亡』を発表した当時は「女性同士の争いを描きたいだけ」「劇中の有害な男性性を女性に転嫁して何の意味があるのか」と散々な評価を受けていたそうなのだが──


(逆だろう)


 今の素直はそう考えている。本来ならばデュボアは、今作では窪田広紀が演じるローマ皇帝/自警団のリーダー役や、ゴート族の女王タモーラ/アパッシュの女性リーダー・ジェルメーヌの愛人、エアロン/シリル役も女性俳優に演じさせたかったのではないだろうか。女性たちの手で作り上げ、女性たちの手で破壊される世界。原案、タイタス・アンドロニカスに於ける女性たちは常に奪われるポジションだ。息子を生贄に捧げられたことによってタモーラは復讐を決意し、被害者として目を惹くタイタスの姪であるラヴィニアも物語の後半からは反撃に打って出るが、それでも一旦はすべてを奪われる。男たちによって。デュボアはそれを、敢えて反転させたかった、のではなかろうか。


「……まあ、うちは今回はゲストじゃけえ、考えるだけ無駄よ、無駄」

「ギャラは入らんのか」

「たぶん」

「家賃は払えるんか」

「……そこがギリギリなんよね。一応貯金で今月はどうにかするつもりなんじゃけど、最悪……お父さん……」

「年末年始、うちで暮らすんか? 一旦家を出たおまえが?」

「せっかくじゃけえ、お雑煮とか作ろかな〜って……」

「素直……」


 鹿野迷宮は、娘に甘い。甘いけれども、こういう甘え方にはなかなかに厳しい。分かっている。だが今回、『花々の興亡』に関わって一銭も入らなかった場合、素直の年越しは相当危ういものとなる。実家に転がり込んで父親に甘えるか、さもなければ不田房栄治の家に間借りするかのどちらかしかない。食費に加えてガス水道電気代、すべてを削るためには他に手段がない。


「お父さんがあかんて言うなら、不田房さん家に……」

「それはもっとあかんわ」

「そんなら年末年始は……」

「そのなんとかいうおっさんにギャラ交渉せえ! 話はそこからじゃ!」


 呆れたように声を張り上げる迷宮が、「ん?」とリビングに置かれた丸テーブルを振り返った。素直のスマートフォンが放り出されている。


「鳴っとるぞ」

「え〜、休日……」


 ソファから腰を上げた素直は、スマートフォンの液晶画面を指先で軽くタップする。


「鹿野ですがぁ」


 相手は、舞台監督・宍戸(ししど)クサリだった。

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