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第一章 - 第7話 下北沢、喫煙所

「──で、調査をお願いしたいんですが」

「俺に探偵役をしろって? 無茶言うなぁ」


 翌稽古日から、鹿野素直にはスタジオがあるお洒落ビルに出入りするためのゲストパスが発行された。正式なスタッフパスではないため、毎回ビルの管理人室を訪ね、書類に住所氏名を書き記してからのスタジオ入りとなる。不田房は不満げだったが、鹿野は別に構わなかった。あの食事会の後すぐに、和水(なごみ)芹香(せりか)が手を回してくれたと知っていたからだ。しかし、わざわざ電車とバスを乗り継いでスタジオを訪ねても、仕事はなかった。灘波(なんば)からは「ゲストにギャラは出せないよ」と面と向かって言われたし、大嶺(おおみね)は鹿野の姿を目にする度に露骨に嫌な顔をしたが、現場には不田房、(きさらぎ)、それに和水という味方がいる。気にせず、できることをやっていく。今回はそういうスタンスで動くことにした。


 そう、できることを。


 スタジオに向かう前に、下北沢に立ち寄った。宍戸(ししど)クサリが舞台監督として仕事をしている劇場に顔を出すためだ。宍戸は、劇場裏手にある喫煙所で煙草を吸っていた。上着の内ポケットからゲストパスを出して見せた鹿野に「ゲストかよ」と宍戸は呆れ声を上げる。


「その……大嶺って演助は、ちゃんと仕事ができるやつなのか」

「いや〜、全然ですね」


 実際、本当に驚くほどダメだった。不田房は実質ひとりで仕事をしていた。大嶺は常に不田房の傍らに侍り「先生すご〜い」「先生さすが〜」と甘ったるい声を出してはいるものの、ダメ出しを台本にメモしたり、不田房がぶつぶつと独り言のように吐き出す演出プランを代わりに暗記したり、という()()鹿()()()()()()()()()()()()()仕事は一切していなかった。


「なんだそれ……ちょっと面白いな。見学行きたい」

「不田房さん死にそうになってますよ」


 円柱型の灰皿を囲んで四つの丸椅子が置かれている喫煙所。宍戸の隣に腰を下ろして自身も煙草を咥えながら、鹿野は眉を下げて笑う。

 本当は、こんな風に笑い話にはしたくないのだ。演出助手の鹿野素直としては、今すぐにでも不田房の側に駆け付けたいと思っている。だが、大嶺舞はそれを絶対に許さない。「ゲストは引っ込んでて」と何度厳しく叱責されたことか。


 スタジオでは今のところ、台本の読み合わせしか行われていない。それだけが救いだ。キャスト、スタッフがそれぞれの席に着き、台本を読み上げ、物語の解釈や、キャラクターの姿を作り上げていく。動きを付ける立ち稽古に至る以前の大切な稽古期間ではあるが、この時点なら取り返せる、と鹿野は考えている。


 役者が動き始めても大嶺舞のスタンスが変わらなかったら──さて、不田房栄治の相棒として、いったい何ができるだろうか。


「でまあそれは置いといて」

「置いとくんだな」

「はい。今の私には不田房さんを助けることができないので。その代わり、かなり気になってることがあるんです」

「和水芹香に付き纏う謎の老婆、ねえ……」


 人気俳優和水芹香と、奇跡の二世俳優鬼優華との食事会の際、告げられたのだ。


「素直。私の言うこと、できれば信じてほしい。嘘だって、思わないでほしい」


 浴びるように酒を呑んだにも関わらずまったく顔色の変わらない端正な美貌が、縋るように鹿野の名を呼んだ。


「私ね、いわゆる()()()()なんだ」


「──()()()()。和水芹香には、その自覚があるのか」

「と、言ってました」

「おまえは、信じてるのか?」

「……和水さんだけに見えているかどうかはともかく、私もスタジオが入ってるビルの前で不審なおばあちゃんを見かけはしたので」


 ふむ、と紫煙を吐きながら宍戸が小首を傾げる。


 和水芹香は、本人曰くほんの子どもだった頃から、他人には視認できない()()()()かを見ることができたのだという。それは幽霊だったり、幽霊、と称することもできない得体の知れない不気味な物体だったり、更には俳優として仕事を始めて以降も宣材写真に奇妙な影が映り込んだり、ドラマの撮影現場のスタッフの中に明らかに死人がいたり──と様々な経験をしてきたそうなのだが、


「あんな風に、何かを食べろって迫られるのは初めて」


 和水の声は、少し震えていた。よほど恐ろしかったのだろう。鹿野はもともと老婆の姿を確認するために階下に降りたので大したダメージを受けはしなかったが、稽古場に足を運ぶ度に同じ人間──人間の姿をした何かに──にあんな風に付き纏われては、かなりのストレスを感じるし、先方の目的が分からない以上不安や恐怖を感じるのも無理はない。仕方がない話だ。


「想像なんですけど、ビルそのものが曰く付きって可能性もあるんじゃないかなあって」

「しかしその場合、謎のばあさんが和水芹香にだけ付き纏うのは不自然だな」

「たしかにそうですよね」

「おまえの前にはもう現れないのか?」


 宍戸の質問に、鹿野は首を曖昧に傾げる。実は、スタジオに赴く度に見かけてはいる。だが、近付いてはこない。理由はなんだろう。


「……煙草かな」


 宍戸が言った。


「あるだろ、ほら、いざとなったら煙草のけむりで……」

「きさらぎ駅?」

「だっけ?」

「古いっすね」

「うるせ」

「とはいえ、煙草のけむりを嫌う怪異は多い。私の父もそう言っていました」

「だろ?」


 とにかく、と吸いかけの紙巻きを指先で挟んだ宍戸は、


「おまえからは煙の匂いがするから」

「でも、和水さんも喫煙者ですよ」

「あ〜……?」


 堂々巡りだし、間もなく宍戸の休憩時間も終わってしまう。それじゃあ、と吸い殻を灰皿に放り込んだ鹿野は言った。


「そろそろ行きます。スタジオにコーヒー淹れに」

「不田房によろしく。ああ、(きさらぎ)さんにも」

「はい。宍戸さんももし良ければ、調査の方お願いします」


 分かった分かった、とでも言うように宍戸クサリがひらひらを片手を振る。鹿野は、下北沢駅に向かって歩き始めた。

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