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旅立ちの章 第4節

 デーンハイム丘陵の東部にある巨石群。その中心部にあるのは、石造の城。

 闘竜族の族長ヴォルスレイの本拠地、フォルクヴァング。

 城を守るように放射円状に建てられた石垣には、等間隔で松明が立てられている。

 それらは、緑が広がるヘルハイムにおいて異質な存在であった。

 

 夜の帳が下りてなお、城内からは灯が漏れ出ている。

 一体の竜が、ひと時の休みを求め露台に現れた。昼間から続く会議に、疲労が色濃く滲み出ている。


 闇夜に紛れて、無数の蝙蝠達が城の露台へ舞い降りた。慌てた様子の蝙蝠達に、竜は落ち着くように声を掛ける。

 彼等の”友”にだけ聞こえるように、蝙蝠達は口々に伝える。彼らが見聞きしたことを、余さずに。

 断片的な彼らの情報を聞いて、竜は弾かれたように彼方へ視線を向ける。

 

 会議はまだ続くだろう。しかし残るはただの”確認”。自分がいなくとも、話は進む。

 己の役割は、既に明確であるのだから。

「すみません、アシヴさん! 外出許可をいただけませんか」



 ――旅立ちの章 第4節――


 

「っ……」

 意識が浮上する。どうやら、血を失いすぎて気を失っていたようだ。

 洞窟内は未だ視界が閉ざされたままで、外界の状況もここでは読み取れない。どれほどの時間気を失っていたかさえ、わからない。


 エレアスは、まだふらつく脚に力をこめ、立ち上がる。

 翼を試しに動かそうとしてみると、背が縮み上がるほどの痛みが左翼に走る。ただ幸いにも、血は止まっているようだ。

 

 首からひっかけていた軽い包みをほどき、左翼を折りたたんだ上から、包みを背負うようにして固く固定する。

 翼を折られたのは誤算だった。翼なしに、卵を抱えて移動するのも困難だろう。

 何か策を考えなければ――そう思索したところで、あることに気づく。

 

「あれ? 卵、卵がない」

 包みが軽いなとぼんやり考えていたが、それもそのはずだ。抱えていたはずの卵が、ない。

 倒れ込んでいた周辺を手探りで探すが、見当たらない。倒れた時に潰してしまったのかと一瞬肝を冷やしたが、その線はないようだ。

 だが周囲に気配はない。あの淡い光は、どこにも見当たらない。

 

 鋭く舌を打ち鳴らす。その音が洞窟内に響き渡った後、反響音が返ってくる。

 音の広がり、位置、返ってくる速度、響く音の高さ。 それら全てによって、周囲の状況を詳らかにできる。


 僕の”眼”は、まだ失われていない。

 鼻先と前脚で周囲を探りつつ、舌打ちの反響音を頼りに洞窟の奥へと慎重に脚を運ぶ。

 躓きそうになりながらも、奥へ奥へと進んでいく。


 歩みを進めるほどに、目には見えないはずの“波動”が、眼窩の奥で波打っている。

 幼いころから時々あった感覚だ。


 音の震えでもない。風の揺らぎでもない。

 何者かの息遣い。心の歪み、感情の鳴動。恐怖、歓喜、焦燥。あるいは、そのどれとも異なる何か。

 輪郭を捉えてはいるが、正体はつかめない。

 

「……誰かが、近づいてくる」

 いつになく強く感じる”波動”が、確かにこちらへ向かっている。

 その気配を辿りながら、前へ。

 探しものも、おそらくその先にある。

 

 更に先へ進んでいくと、僅かに瞼越しに光を感じた。

 瞼を開けるとともに、追い続けた感覚が一気に霧散する。

 ”波動”は繊細だ。視覚情報が追加されると、意識が分散され、どの感覚を追えばよいかわからなくなってしまう。

 

 消失した感覚は深追いせずに、ただ先へ歩く。

 抜け道かもしれない。

 一縷の希望に、足取りが軽くなる。左翼を襲う鈍痛も、心なしか和らいだ。

 

 高い天井に空いた穴から、月明りが差し込んでいる。

 その光の下、探し求めた卵がころりと転がっていた。

 

 優しく抱き上げると、あまりの冷たさに体が跳ねた。卵はカタカタと小刻みに震え、光も放たずに縮こまってしまっているように見えた。

 語る口こそないが、この子が恐怖と不安に覆われていることは明白だった。

「ごめんね、怖かったね。暗いところ、嫌だったよね。もう大丈夫だよ」

 宥めるように撫でると、僕に応えるように再び淡い明かりを灯した。


 来た道を振り返り、ふと考える。

 洞窟の入り口からこの地点までは、それなりの距離であるはずだ。

 

「……きみ、どうやってここまできたの?」

 答えはない。ただ、穏やかな拍動のみが返ってくる。

 卵を抱えたまま、ひとまずその場に腰を落ち着ける。

 

 到底届きそうもない高さの天井だ。翼が折れ、魔導を禁じられた今、あの穴へ飛び立つのは困難といえる。

 仮に翼が無事だったとしても、僕の体ではあの穴を通り抜けられないだろう。

 

 天にぽっかりと空いた、丸い空洞。


 「思い出すなあ……」

 かつて、僕の瞼の下にもただの空洞があるだけだった。地上においても、光さえ感じなかった。

 僕の眼に映った初めての光景は、心の底から嬉しそうに笑うシスカの顔だった。

 

 『エレアス、わかるか?あたしだ、シスカだ』

 陽光の眩しさに、すぐに眼を閉じてしまったけれど。

 また眼を開けたそこには、少し不安げにしている彼女がいた。

『……想像通りじゃ、なかったか。なにか、変か』


 混じりけのない、鮮烈な色。

 あれより美しいものを、僕は知らない。

 

『すごく、綺麗だ。もっと、ちゃんと見たい』

 自然と漏れ出たその言葉に、シスカは眼を瞬かせていた。

 照れ隠しに、自らの長い尾で僕の眼を覆い隠す彼女。

 彼女の一挙手一投足が、愛おしく、眩しかった。

 

 

 シスカに、会いたい。

 

 

 頭上に差し込む光を、もう一度仰いだ。

 卵を再度包みに入れ、決して落ちないように固く両端を引き結ぶ。

 脚を数回曲げ伸ばして、壁から天井に向けて視線を走らせる。


 呼吸を整え、勢いをつけて壁に向かって走った。凹凸のある壁に前脚の爪を引っ掛け、壁に取り付く。

 前脚にぐっと力を籠め、更に上に脚を伸ばそうとすると、後脚の壁が突然崩れ落ちた。


 「うわっ!」

 体勢を崩し、そのまま地面に倒れ込んだ。その衝撃に、折れた翼が軋む。下手に落ちれば、また傷口も開く可能性さえある。

 

 間髪入れず、もう一度壁に向かって走る。壁に取り付き、なるべく短時間で別の場所に爪をひっかけるようにして登っていく。

 しかし、今度は爪がうまく引っ掛けられず、そのまま滑り落ちてしまった。


 天井まで、半分にも満たない。だが先ほどよりも高度はあがっている。

 あの空洞に脚さえ届けば、穴を広げて脱出できるかもしれない。

 再び、勢いよく地面を蹴り出す。先ほど滑り落ちてしまった箇所に、うまく爪をめり込ませられた。

 さらに上へと、脚を伸ばす。

 

「こんなところで、山登りの練習でもしてんのか?」

 

 突如頭上から聞こえてきた言葉に、動揺した僕の脚は虚空を掴み、あえなく地面に落下した。

 3回中最も酷い落ち方で地面に叩きつけられた僕は、天井の穴から覗き込む影に視線を向けた。


 月光に照らされた青銅色。

 上向きに生えた一対の角。

 ノラグの世代の、最後のひとり。


「ルドヴィゴ……?」

「元気そうだな。お前らが旅に出た日以来か」

 刺々しい柊のような口調。

 記憶に残る彼と、見た目こそ変わりない。どことなく感じる違和感は、この特殊な状況だからだろうか。

 

「なんでここにいるんだ」

「ここは闘竜族の縄張り(デーンハイム)だぜ。 何かあったら、すぐ知らせが入るようになってんだよ」

 ルドヴィゴは穴の縁に脚をかけ、頬杖をつきながらこちらを見下ろしている。

 

 無様にひっくり返った自分の有り様に、遅れて羞恥がやってきた。痛む体を慌てて起こしつつ、さりげなく角をそばだてる。

 彼の”声”は届かない。穴の向こう側、宵闇を飛び交う蝙蝠達の鳴き声しか角に聞こえなかった。

 

「随分無口になったんだね、ルドヴィゴ。……”心の言葉”を制御できるようになったのかな?」

 自らの感情、思考を意図せず周囲に伝えてしまう”精神感応”。

 以前の彼からは、内なる声が漏れ出ていた。

 彼が無意識に放つその声を聞き取れれば、彼の真意を探れるのではないかと考えていた。

 

「アシヴさんのご指導の賜物ってやつだ。俺の声が聴けなくて残念だったなァ」

 アシヴという名に聞き覚えがあった。たしか現闘竜族の族長、ヴォルスレイの片脚。”参謀”と呼ばれる竜の名だったはずだ。

 そんな竜から、なぜ指導をしてもらっているのか。胸中に浮かんだ他愛のない問いは、発さずに胸へ閉じ込めておく。

 目の前にいる竜は、世間話をするためここに現れたわけではない。


「俺がここに来たのは他でもねぇ、お困りのエレアスくんをここから出してやるためだ」

「……何が条件?」

「ハハ、察しが良くて助かる。大事に抱えてるそいつを、俺に渡してくれさせすりゃいいんだ。どうだ、悪かねえ話だろ」

「今、なんていった」

「聞こえなかったか?その卵、俺によこせっつったんだ。そいつは、お前の手に余るモンだ」

 ニタリと笑うルドヴィゴの顔を見て、体中の血液が沸騰し、世界全ての音が遮断されたような心地に陥った。

 無意識にカチカチと打ち鳴らした牙の隙間から、体内から噴き上がった炎が漏れ出た。

 

「ふざけるな!」

 僕の怒号が洞窟中に響き渡り、つらら石が割れ、砕け落ちる。空気が、揺れる。

 

「冗談でも、言って良いことと悪いことがあるぞ」

「冗談だと?ふざけてんのはてめぇだろうが」

 地鳴りのごとき、低い唸り声。互いが互いに向けた怒気に、微塵も怯まず睨みあう。


「どうせシスカを探しにいく腹がバレて、ここに閉じ込められたってとこだろ。そんなざまで、何が出来んだよ」

「お前になんと言われようと、この子は渡せない」

「じゃあ聞くが。仮にそいつを連れて外の世界に行って、奇跡的にシスカを見つけたとして。また外の連中に襲われたらどうすんだ?」

「それは、」

「お前、またシスカを見捨てんのか」


 息を呑んだ。

 見捨ててない。

 たった一言だ。その一言が、どうあっても口から出せなかった。

 

「は、辛気臭ェツラでうじうじしてるよりかはマシとはいえ。つくづくてめえの馬鹿さ加減には参るぜ」

 言い返す言葉が出てこない僕に、好機と見たのかルドヴィゴは捲し立てる。

 

「俺は後悔してんだ。あの日、シスカの翼を折っておいてやりゃ良かったってな」

 成竜の儀は、本来ひとりで旅立つものだ。しかしシスカは僕と行くと言って、絶対に譲らなかった。

 猛反対するルドヴィゴに、僕もつい意地になってしまった。

 あの日の喧嘩を最後に、僕等は今日この日まで会うことはなかった。

 

「そうすりゃ、シスカは今頃ここで元気に飛び回ってたろうぜ」

 僕の紫電の瞳と、彼のマラカイトの瞳とが交わる。


 僕がひとり、旅から帰ってきても。決して、ルドヴィゴとは会わなかった。

 会えなかったわけではない。

 合わせる顔が、なかったのだ。

 

 言葉を失い、ただ黙する他なかった。

 その姿が、ルドヴィゴの眼には、頑なに拒絶する態度に映ったらしかった。

 仰々しくため息を吐き出すと、ルドヴィゴはその場から立ち上がった。

「……交渉は決裂ってわけか、残念残念。この話は終わりだ。じゃあな」

 

 ルドヴィゴの言葉とともに、洞窟内が徐々に陰っていく。

 岩か何かで、天井の穴に蓋をしようとしているようだった。唯一の明かりを失い、再び洞窟内が闇に呑まれ始めた。

 途端、抱えていた卵が震えだした。やはりこの子は、暗がりを恐れているのだ。僕がひとりにしてしまったから。

 

「やめて! この子が怖がってる!」

「あァ?ものの頼み方がなってねぇなァ」

 隙間から覗き込む眼は、僕の様子をつぶさに観察している。

 これが最後の機会だ、とでもいうような眼光。胸元の震えは、増す一方だ。

 迷っている暇はなかった。

 

 その場に這いつくばって、深々と頭を垂れる。自らの鼻先を、地面を擦りつけるほどに。

「……お願いします。どうか、やめてください。」

 

 静寂。

 雫の落ちる音だけが、木霊する。

 

「初めからそうしろ、クソが」

 再び月明りが洞窟に満ちていく。

 頭を上げると、呆れ果てたと言わんばかりのルドヴィゴが先程と同じ格好でこちらを見下ろしていた。

 

「……この子を、誰かに託そうと思ったことは何度もあった」

 頻回に明滅する卵を包みから取り出し、落ち着かせるように固い殻を撫でた。

 度々もたらされた恐怖に、怒りを覚えているのだろうか。一撫でするごとに、じりじりとした熱が伝わってきた。


「でも、駄目だった。僕等をノラグと呼ぶ連中に、任せられるわけない。この子がどんな状態で生まれてくるかもわからないのに」

 何度も、何度も、優しく撫でる。もう怖いことは終わったのだと、言い聞かせるように。

 足早だった拍動が、少しずつ緩やかな調子に戻ってくる。


「この子は、シスカが守った子だ。生まれてきてよかったと、心の底からそう思える生をおくらせてあげたい」

 孤独と闇を嫌うこの子に、身を寄せ合う仲間はいない。


 この子が殻を破り捨てた時、祝福が待つ未来を僕は思い描けない。

 ――僕等が、その証なのだ。

 

「俺はな、昔からてめぇが大嫌いだ」

 叩きつけるような声が、静寂を切り裂く。


「弱ェ上に、甘ったれで、考えなし。シスカのお荷物野郎。何もかも、気に入らねえ」

 今の僕に、反論の余地はなかった。

 俯いたまま、甘んじてその言葉を受け入れていた。

 

「けどな。俺も、お前と同じ世代だ」

 

 思わず僕は顔を上げて、ルドヴィゴの顔を仰ぎ見る。

 こちらに向かって、ルドヴィゴが腕を伸ばした。前脚の鱗はあちこち剥がれ、戦いの痕が生々しく残っている。

 戦列にも加えてもらえない。以前のルドヴィゴは、そう嘆いていたのに。

 

「グダグダ御託並べてねぇで、さっさと俺に渡せ」

『ヴォルスレイ大将のもとでなら。今の俺なら、守ってやれる』

 音で聞こえた言葉に続いて、内なる言葉が、直接胸に落ちてきた。

 

 その瞬間、胸の奥に引っかかっていた違和感の正体が、はっきりと形を持つ。

 彼はこの国で、寄る辺を見つけた。

 この国に住まう誰かを信頼し、信頼される関係を築いたのだ。


 僕とシスカが旅に出た日から、約1年。

 もう、ルドヴィゴはかつての彼ではない。

 嘲りと侮蔑から背を向けて、老木の下で身を寄せ合っていたあの頃とはまるで違う。

 正真正銘、彼はこの国の竜の一員なのだ。

 

 瞼を固く閉じ、卵を強く胸に抱く。

 ひどい熱だ。抱きしめれば抱きしめるほど、身を焦がされていくように感じる。

 抱えた卵の周囲に、光の粒子が舞い始めた。

 光の群れへと姿を変え、散開したまま天井へと昇る。


 あの子のぬくもりが離れてゆく。指先に残った感覚が失われると同時に、自らの魂も引きはがされるようだった。

 

 その光を迎え入れるようにして、ルドヴィゴが腕を伸ばす。まっすぐに、ルドヴィゴの腕に飛び込んでいく。

 光は再び卵の形に収束し、ルドヴィゴの腕におさまった。

 卵の熱にルドヴィゴの表情が束の間歪むが、すぐに何でもない風を装った。

 

「ひとりにしないであげて。暗いところも、苦手みたいなんだ」

「言われるまでもねえよ」

 ルドヴィゴは自らの腕に抱かれた小さな命を見つめ、そのままゆっくりと抱きしめた。

 空洞越しに見えるその様子に、僕の口から思わず言葉がついて出た。

 

「ありがとう、ルドヴィゴ」

「おえ、気持ち悪ィ」

 わざとらしく舌を出し、嘔吐くふりをするルドヴィゴを見ていると、不意に悪戯心がわいた。

 

「ところで、さっき”声”が漏れてたよ。もう一度ご指導いただいたほうがいいんじゃないの」

「うるっせぇな! 減らず口叩きやがって、ここに置いて行くぞクソが!」

 苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべながら、ルドヴィゴが吠える。

 じゃれるような喧嘩。僕等の顔には自然と笑みが浮かんでいた。

 

 決して満ち足りた暮らしではなかった。けれど、僕等は欠けていなかった。

 僕等がいれば、それでいいと思っていた。

 在りし日の憧憬。二度と戻れぬ過去。

 

「それで。ここから出るには、どうしたらいい」

 即座に笑みを捨てたルドヴィゴと、視線が交差する。

 こんなところで、立ち止まってはいられない。

 穴から見える空は、薄白く明らみ始めている。


 夜明けは、近い。


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