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旅立ちの章 第3節

 統一祭。ヘルハイム国の祭典のひとつ。


 ニヴルハイム山頂に聳え立つ3本の”不朽木(ユグドラ)”。

 魔竜族、闘竜族、飛竜族の族長たちの炎の息吹が、その不朽木にむけて吹きかけられるとともに、その祭りは始まる。

 炎を纏った不朽木は、少しずつ勢いを増しながら七日七晩燃え続け、やがてひとつの炎柱へと集約される。

 分かたれた魂は、始祖へ還りゆく。

 我等は根源的にひとつの存在である、と統一祭で僕等は再認識するのだ。

 

 統一祭まで、残り3日。

 ニヴルハイムの頂きに登るまで、竜の翼でもってしてもおよそ1日はかかる。

 常に雪と嵐に見舞われる凶暴な山だ。あまりの悪天候故に、地上を歩かざるを得ない場面も多くある。

 地上でさえも決して楽な道中ではない。雪崩も多く、意図せぬ死に見舞われる竜もいるほどの困難な道のりだ。

 

 宝玉メノ・エレイアは、ニヴルハイムに住まう長老ゴーシュの庵におさめられている。

 求めるものを映し出すその宝玉は、シスカへ続く道を映し出してくれるはずだ。

 時間は限られている。一秒たりとも、無駄な時間を過ごせない。


――旅立ちの章 第3節――


 ニヴルハイムの尾根へ向かう途中、前方に羽ばたく竜が目に入った。

 竜は皆、唯一無二の色を持つ。どんなに似た色であっても、全くの同じ色をもって生まれないとされている。

 透けて見えそうなほど澄み渡った薄氷色。あれは紛れもなく、ヴィヴィアンだ。


「うわ、まずい」

 視界に入らないように高度を急激に落とすも、時すでに遅し。僕を見止めたヴィヴィアンが翼をたたみ、こちらに向かって猛然と急降下してきた。

「エレアス! ようやく見つけましたよ。もう逃がしませんからね」

「いだだだだ、角を嚙まないで!」

 僕の頭の半螺旋を描く巻き角に噛みついて、降下の勢いのままに容赦なく地上に引っ張ろうとする。


 竜の角は、とても敏感な部位である。人間でいう”耳”の感覚器官も担うその角に、遠慮なしに歯をたてられるものだから、たまったものではない。

 腹に抱えた卵を落とさぬよう必死に抱え込みながら、何とか振りほどこうとするも、ヴィヴィアンは頑として離そうとしない。しかしそんなことは関係なしに落下はし続ける。

 このまま抵抗を続ければ、地面に叩きつけられる。


「悪かった、悪かったってば! もう逃げないから、離して!」

 体の力を抜いて、逃げる意思がないと態度で示すと、ヴィヴィアンはようやく角から口を離してくれた。

 解放された瞬間、意識をぐっと集中させ、魔導による空気の奔流を生成する。

 巻き起こった上昇気流に身体がぶつかり、落下の勢いが殺される。同時にその反動を利用して、僕等は互いに飛行態勢を立て直した。


「わかってくれてよかった、エレアス。さあ、今から補習ですよ。ついてらっしゃい」

 先ほどまでの怒気はどこへやら。満足げに微笑んで、僕の返事を待たずに、踵を返して飛び始めてしまった。


 補習は、もちろん経典の朗読に関するものだろう。彼女は誰より経典に熱心な生徒だ。

 こうして僕を見つけて、無理やり補習をすることも数多くあった。

 だが今そんな場合ではない。彼女にそう言ったところで、徒労に終わるのは目に見えている。

 心底うんざりさせられるが、下手に抵抗するよりも、今はおとなしく従った方が早く済むだろう。


 ヴィヴィアンの後を追って翼を羽ばたかせるものの、次第にある違和感を覚え始める。

 普段経典の授業を行っているニヴルハイムの麓の洞窟とは、真逆の方へと向かっているようだ。

「ヴィヴィアン、道間違ってない?」

「間違っていませんよ。黙ってついてきなさい、エレアス」


 取り付く島もないヴィヴィアンの返事に、愕然とする。なんだってこんな日に、わざわざ違う場所で補習をするんだ。

 僕の胸中を知る由もないヴィヴィアンは、ちらりと訝し気にこちらを振り返る。数回噛む振りをして上下の牙を打ち鳴らされ、”連行するぞ”と脅される。

 ひとりなら彼女を振り切る自信はあるが、卵を抱える身では確実に追いつかれてしまうだろう。

 

 この遠回りが近道となる、そう信じる他ない。

 歯がゆい思いを抑え込み、今はただ黙して彼女に従うことにした。

 


 

 夜風に晒されながら、随分長く飛び続けた。

 ようやくヴィヴィアンが降り立ったのは、南のデーンハイム丘陵にある鍾乳洞だった。

 デーンハイム一帯は闘竜達の縄張りではあるが、近くに闘竜達の姿は見当たらない。


「こちらですよ。ゴーシュじじ様が特別に補習をしてくれるそうです」

 入り口付近には、僕より二回りほど大きい岩が鎮座している。その岩をすり抜けるようにして、ヴィヴィアンが洞穴の奥に歩を進める。


 その後に続いて脚を踏み入れた瞬間、僅かに鱗の裏側が逆立つような心地がした。外に比べ、洞穴内の空気が冷たく感じたからだろうか。

 腹に抱えた卵を抱え直す。仄かなぬくもりが、僕をじんわりと温めてくれる。


 先を進むとともに、足元を照らすように空気中に淡く青白い光が浮かび上がる。ヴィヴィアンが魔導で照らしてくれているのだ。

 彼女の鱗と似た光に照らされた道を、僕等は黙って歩いてゆく。天井にいくつも連なる鍾乳石の石柱から、雫がぴちょん、と僕の鼻先に落ちてきた。たまらず身を震わせ、次からは天井を見上げながら歩を進めようと心に決めた。


「デーンハイムにこんなところあったんだね。どうしていつもの洞窟じゃないの?」

「皆の目につくからです。じじ様自らが補習をしてくださるなんて、滅多にないのですよ。一介の竜を特別扱いしては、無用な反感を買いますからね」

「ふうん」

 有難迷惑、という本音が表にでてしまっていたらしい。気のない返事をする僕に、ヴィヴィアンがくるりと振り返って、詰め寄ってきた。


「ふうんとはなんですか! 」

 やってしまった、と後悔した瞬間には既に遅く、ヴィヴィアンはひどく興奮しきった状態で捲し立てる。

「全く、あなたは魔竜族の一員たる自覚がありませんね。私は心配でなりません。あなた達”ノラグ”は、他より一層努力するところを見せなければ、皆に認めてもらえないのですよ。それは十分理解していますよね?」

 その呼び名を聞いた瞬間、思わず眉間に深く皺が刻まれる。 

「……その名前で僕等を呼ぶのをやめて。何度もそうお願いしたよね」


 竜は卵から生まれる。

 しかしその卵はどのようにして発生するのか、未だ解明されていない。

 わかっているのは、世界の契機の予兆として、竜の卵は発生するらしいこと。

 蟲の大量発生、新たな国の樹立、未曽有の大災害……その兆しが示す内容は、実に様々である。

 

 一定期間毎に誕生するが故に、竜は”世代”として区分けされるのが一般的だ。

 それぞれの世代に生まれた竜には共通する特徴や傾向があり、それらを元に自然と呼び名が決まる。

 

 「ええ、ええ、そうでした。すみませんエレアス」

 まるで心にもない謝罪に、無意識のうちにぎりりと牙を嚙み締めていた。

 「ですが私の言いたいことはわかってくれますね。私達の多くが、あなた達を呼び名の通り捉えているのは、残念ながら事実です」

 

 僕とシスカ、そしてルドヴィゴ。僕等は皆何かを欠いて生まれ落ちた。


 エブラスカのような不定形の身体を持つ竜は、異竜に位置付けられる。しかし異竜とさえ呼べない半端な僕等を、周囲は”不出来”と罵った。

 そうして僕等に贈られた。“不全”と“未完”の意味を併せ持つ”ノラグ”の名を。


 卵の殻を破った生まれた竜は、往々にして祝福を贈られる。

 だが僕等に贈られたのは、憐憫と、侮蔑だった。

 

「あなたには厳しいことを言うようですが。皆を見返してやるだけの何かをしなければ、この状況は変わりません。経典にもこうあります、甚しき苦難に逢いし時こそ、己自身を研磨せよ。さすれば……」

「君の気持ちはうれしいよ。でも、僕は今更どうにかしようなんて考えてないよ。君達の言う”完全”とやらになっても、無駄だったんだからね」

 

 僕等はできる限りの手を尽くした。他の竜に協力をしてもらいもした。

 ヴィヴィアンの姿と、僕の姿を今一度見比べてみる。今となっては、僕と他の魔竜との違いは、精々色や体の大きさ程度としか思えない。

 だが、何かがあるのだという。未だ僕等を不出来の世代(ノラグ)と言わしめる何かが。

 

 ヴィヴィアンに決して悪気がない点は理解しているし、純粋な親切心で口うるさくなっている点もわかっている。

 ただ、純然たる事実として。彼女と共にいると虚しさが常に傍らにいるのは、確かだった。

 何をどうしようと、埋まらない隔たり。彼女と僕との間にある溝を、彼女だけが埋められると思い込んでいる。

 

「あなたの気持ちは理解できます。けれど、諦めていけません。あなたの努力は、次に生まれ来るその子のためにもなりますよ」

 僕が抱える卵を、鼻先でつんとつついてみせた。卵は今もなお温かく、無邪気な拍動を奏でている。

 誕生を待ちわびる様子のヴィヴィアンとはうってかわって、僕の心は不安に惑っていた。この卵が殻を破る瞬間が恐ろしくてたまらないのだ。


 この恐怖の在処を、僕は他の誰にも伝えたことはない。僕らの世代にしか、理解し得ない恐怖であると確信しているためだ。

 僕が押し黙って卵を見つめる視線に、ヴィヴィアンは何かしら感じ取ったようだ。励ましのつもりなのか、細い尾で僕の体をバシンと叩いてきた。すこぶる痛い。

 

「生まれてしまえば、勝手に育つものです!もちろん、多少の導きは必要ですけれど、そう心配することはありませんよ。私達もついています。……でも、あなたが重荷に感じるならば、私が代わりにその子を育てることもできるんですよ」

「気持ちはうれしいよ、ヴィヴィアン。でも、大丈夫。こんな僕でも、やってみるよ」

 卵の養育権の移譲を提案されるのは、今日が初めてではない。だが僕はいかなる時においても、断っていた。

 

 卵は、最初に見つけた者に養育権が発生する。

 その権利を放棄する場合は、自分が属する種族の族長に申請し、新たな養育者を選抜してもらう。あるいは、第三者さえいえれば、信頼できる竜に対してその権利を譲渡できる。

 僕等には直接の”親”がいない故の、後見制度なのだ。


 無論、僕にとっては全くもって意味のない制度だった。

 僕を不出来と宣う者達に、この子を任せられるわけがない。

 

「そうですか……であれば、よいのですが」

 洞穴内のあちこちに形成されている、天井からの水の滴りによって形成された石柱を、ヴィヴィアンはいくつも手折っていく。

 手折っていくとともに、その石柱がひとつまたひとつと浮かびあがってゆく。浮かび上がった石柱は半円を描き、鏡の枠を形作るべく連なろうとする。

 だが僅かに石同士が摩擦しあい、反発している。石の接地面に、魔力が十分に浸透していないようだ。このまま続けると、枠が瓦解してしまう。


 ヴィヴィアンがふぅーっとか細い炎の息吹を吹きかける。彼女の炎を通して、魔力がじわりじわりと馴染み始める。

 摩擦音は徐々に落ち着き始め、やがて洞窟に静寂が行き渡った。初めからそうであったかのように、びくともしない半円の石枠がそこにあった。


「さっきは少し言い過ぎてしまいましたが。あなたは立派にやっていますよ。竜たる矜持を忘れず、真摯に」

「竜の矜持……か。 僕等の矜持の在り方って何だろうね。竜ひとりひとりで違う気もしているんだけれど」

 ヴィヴィアンは石枠を押したり引っ張ったりして強度を確かめながら、僕にちらりと視線を寄越して続きを促した。


「例えば、僕は金には全く価値を感じないけれど、金に生きる意味を見出した竜だっているでしょ?自らが何を重要視しているか、何のために在ろうしているかって、意外と竜によって違うのかなあって」

 卵と共に抱えている包みの中。その中に隠れた金塊の欠片を、包の上から爪で弄ぶ。

 貪欲さを思わせる、鈍く光る金色の鉱物。それと同じ色の鱗を持つ竜を、僕は知っている。

 

「金狂い……オーウェンですか」

 ヴィヴィアンが右脚を掲げると、空気中の水分が徐々に水滴と化していく。やがて小さな水流を形成し、渦を巻き始めた。この水が、水鏡の元になるのだ。

「目的はどうあれ、外と積極的に交流を図ってくれる竜なんか彼くらいのものだよ。人間の服や、食べ物も持ち帰ってくれるし。他国の文化を知る良い機会をくれる。外界も尊重する、その姿勢も竜の矜持っていえるんじゃ……」

 

「堕落です」

 氷柱のように冷たく、鋭い一言が空気を裂いた。

 

「随分誤解をしているようですね、エレアス。族長に許しをいただいて国外へ出ているとはいえ、あれの行為は唾棄すべきものです。あれが扱う”荷物”が、よもや衣服や金銀だけと思ってはいませんよね?」

「そんな”噂”もあるとは聞いてるよ。けど、僕等が知らないものはまだこの世にはたくさんあるし、その多くをオーウェンは知っている。……僕は、少し羨ましいよ」


 僕が今腹に抱えている人間の衣服も、オーウェンに都合してもらったものだ。

 「こんなもん何に使うつもりだ、お坊ちゃん?」と、粘ついた視線でオーウェンに眺めまわされたのは記憶に新しい。

 彼の”竜となり”には癖がある。それに”黒い噂”があることも、否定しない。


 この手触りや匂い、竜の手では到底作りえない細かな織目。どんな風に作ったのか想像もつかない代物たち。

 どれもこれもが、外への興味をかきたてた。

 世界を巡る旅では、無用な危険を回避すべく、ほぼ空を飛び続けていた。ろくに地上に降り立たなかった旅では、到底知り得なかったものだった。

 

「エレアス。あなた、外に興味が?」

「ん……まあ、他の竜並みにはね」

 ヴィヴィアンは訝し気に僕を見つめていたが、僕は素知らぬふりをして「水鏡の準備、うまくいきそうかな」 と話をそらしてみた。

 鏡の枠用に洞穴内の石を宙に浮かべたまではいいものの、”鏡”がうまく形成されないようだった。

 

「それにしたって、なんだってデーンハイムで補習なんかするの?もう少しマシなところがありそうなものだけど……」

 デーンハイムには、デーン鋼の鉱脈が広範囲に分布している。魔力の浸透率が極端に悪い鉱物だ。

 魔導は繊細故に、対象となる材質が変わるだけで、効果が丸きり変わってしまうものすらある。

 異なる場所と繋ぎ、状態を維持し続ける”水鏡”等は特にそうだ。近隣に、その類の鉱物があるだけでも影響を受けてしまう。

 ヴィヴィアンがやけに準備に時間がかかっているのも、そのせいだろう。


「エレアス……」

 洞穴の奥底からぴちょん、と音が響く。その音を皮切りに、ひどく角鳴りがし始めた。

 遅れて、凄まじい眩暈にも襲われる。頭を掴まれ、思い切り前後左右に揺さぶられるようだ。

 

 体も起こしていられない、と体を折り曲げようとした時、突然一切の不快が消えた。

 角の震えも、眩暈も消え去った。何事もなかったかのように石柱から滴り落ちる水音だけが、洞穴内を木霊している。


「いまの変な感じ、なんだったんだろう……。ヴィヴィアンは、大丈夫だった?」

 ヴィヴィアンからの返事はなく、魔導の操作も止め、ただ虚空を見つめていた。先ほどの異変の根源に、未だ角を傾けているかのように。

「ヴィヴィアン?」

 もう一度呼びかけると、虚ろな目のままにゆっくりとこちらを振り返った。


「私は本当に心配しているんですよ、エレアス」

 ヴィヴィアンのその言葉が早いか、空気中に浮かんでいた渦潮が激流となって、僕の体に襲い掛かった。

 

 周囲の石柱をなぎ倒しながら、洞窟の壁に叩きつけられる。

 瞬間、左翼に激痛が走った。

 咄嗟に卵をかばい受け身もろくに取れなかったためか、翼の骨が折れてしまったようであった。背にも深傷を負ってしまった感覚がある。


 腕の中にある卵に異常はないか、よく確認する。ヒビひとつ入っておらず、変わらず拍動を感じる。ひとまず安堵したものの、自身は激痛のあまり起き上がることができない。


 僕が壁に叩きつけられた衝撃に驚いて、鍾乳洞に住まう無数の蝙蝠たちが外界へ飛び出していった。

 その後を追うように、ヴィヴィアンもゆっくりと洞窟の出入り口に歩いていく。

「な、んで……」

 僕に向かってきた激流は役目を終えるとともに、意思のないただの水になり果てた。辺り一面が水浸しとなり、その水面に僕の背から漏れ出る血が入り混じる。

 

 洞窟の出入口まで辿り着いたヴィヴィアンは、おもむろに僕の方へ振り返った。

 「あなたは、許しも得ずにこの国を出ようとしていますね」

 

 二の句が継げずに、ヴィヴィアンをただ見つめ返す。

 月の光を背にしているために、ヴィヴィアンの表情は陰となって見えない。

 冷たい地面に倒れ込み、激痛に喘ぐ僕を見下ろしている様子だけは感じ取れた。


「あなたがこそこそと準備を進めていることも、あなたが人間ごときの物を集めていることも。すべてわかっているのです」

 人間ごときの物、というのはさしずめ抱えた包みの中に隠している人間の衣服だろう。オーウェンに衣服を渡されたのは、周囲に竜の気配のない場所であったはずだ。

 どこから情報が漏れたのか。まさか、オーウェン自身が彼女に告発したのだろうか。いや、彼女がオーウェンの言葉をそのまま鵜呑みにするとも思えない。

 ではなぜ?一体どこから?


 痛みによって、散逸的な思考しか働かない。どくどくと血が流れ出ているせいか、視界もかすみ始めている気がする。

 

 「統一祭の騒ぎに紛れて、出立しようとでも考えていましたか?なんと浅はかな」

「まって……。僕の話を、聞いて」

「ええ、聞きますともエレアス。統一祭が終わったら、いくらでも」

 今度は全ての鱗が逆立つような感覚が、僕の全身を襲う。生理的に不快を覚えるこの感覚には、覚えがあった。


「禁魔の結界……!」

 魔竜の鱗1枚1枚には、魔力が宿っている。鱗の表皮と、空気がまるで反発しあっているかのようにピリピリと痛む。魔力の発出を拒絶する――魔導を禁ずる――結界が張り巡らされているのだ。

 

 禁魔の結界は、魔導の中でも上級魔導に位置付けられる。使い手も限られている魔導である。

 ”膜”や”枠”に属する魔導を、ヴィヴィアンは得意としている。故にこのような結界の生成さえも、彼女は得意とするところだ。

 この魔導を扱える彼女にとって、例えデーンハイムの地であれども”水鏡”の形成など朝飯前の作業だったはずだ。


 全てはここへ誘い込むための罠だったのだ。

 一刻前の自分の愚かさに、虫唾が走る。

 

「お分かりだとは思いますが、この結界は破れませんよ。あなたと私の力の差は歴然ですからね」

 ゴゴゴ、と岩肌越しに感じる鳴動。何事か辺りを見回すと、入り口付近の大岩が少しずつ移動している。

 

 「エレアス、あなたの行動でもって証明して見せてください。あなたは不出来などではないと。正しい判断ができると。そして、我等の一員たる自覚があるのだと。そうすれば、きっと皆わかってくれます」

 大岩の動きと共に、外からの月明りが少しずつ陰っていく。

 僕を、閉じ込めるつもりだ。


 「ヴィヴィアン!」

「これも全て、あなたのため。あなたが真に我等の一員となる日を待っています。それでは、また」

 洞窟が、完全に岩でふさがれる直前のヴィヴィアンの声が、いやに角に残った。


「ヴィヴィアン、待って!ヴィヴィアン!!」 

 洞窟内は、既に漆黒の闇に塗り固められていた。

 身体を引きずり、感覚を頼りに出口へ向かう。痛みを堪えながら、塞ぐ大岩を全身で押しのけようとするもビクともしない。

 

 前脚を伸ばし、意識を集中させて風を呼ぶ。しかし、爪先から伝わるのは空気の冷たさだけだった。

 そよ風ひとつ吹かず、精霊の応えもない。彼女の言う通り、この空間において魔導の一切が奪われていた。

 

 デーンハイムの地に、魔竜が訪れることは滅多にない。ましてや、僕がここでいること等、知るものはいない。

 脱出の術はない。ヴィヴィアンの帰りを待つ他は。

 

 焦燥と痛みで、息が全く整わない。洞窟内に響く浅い息が、一層不安を搔き立てる。

 

 僕の脚首にはめられた闇色の腕輪に、頬をすり寄せた。

「たすけて……」

 

 闇は、応えない。

 只、遠くで水が滴る音だけが答えるだけだった。

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