ラウンド3:食は『文化』か?それとも『生存』の手段か?(後半)
(スタジオのスクリーンには、世界の様々な食文化の映像と共に、ファストフードのチェーン店が世界中に広がる様子や、伝統的な食事が失われつつある地域を示すデータなどが映し出されている)
あすか:「ラウンド3前半では、食における『生存』と『文化』の関係性について、皆様の基本的なお考えを伺いました。後半では、現代に目を向けてみたいと思います。人やモノ、情報が国境を越えて行き交うグローバル化の時代…これは、食文化にどのような影響を与えているのでしょうか?そして、私たちは多様な食文化とどう向き合い、守り、伝えていくべきなのでしょうか?」
あすか:「まずはサヴァラン様。異文化の食が容易に手に入るようになった現代、これをどのようにお考えですか?」
サヴァラン:「ふむ、素晴らしいことですな!食文化の交流は、我々の食卓を豊かにし、新たな発見と喜びをもたらしてくれます。未知の味を知ることは、未知の世界を知ること。それは知的な冒険であり、まさに『美食』の精神に適うものです。」(満足げに頷く)
サヴァラン:「ただし…」と付け加える。「懸念がないわけではありません。手軽さや効率ばかりが重視され、世界中どこへ行っても同じような味ばかりになってしまう…いわゆる『画一化』というものですな。それは、食卓の豊かさの源泉である『多様性』を損なう、憂慮すべき事態と言えましょう。異文化を受け入れる寛容さと、自国の食文化への誇り、そのバランスが肝要です。」
魯山人:(サヴァランの言葉を鼻で笑う)「ふん、バランスだと?結局は、安かろう悪かろうのまがい物が、本物を駆逐するだけのことよ!世界中どこへ行っても同じ味?それは食い物とは呼べん、ただの餌だ!」
魯山人:「手軽だの、早いだの、そんなものばかり追い求めて、手間暇かけることを忘れ、本物の味を知らん人間ばかりが増えていく。嘆かわしいことだ!日本には日本の、千年以上の歴史の中で育まれてきた、かけがえのない味があるのだ。それを安易に外国のものと混ぜこぜにして、有り難がっているようでは、先が見えているわ!」
辻:「先生方のお気持ち、どちらもよく分かります。」(両者を見ながら)「グローバル化は、確かにおっしゃる通り、食文化の画一化という負の側面も持っています。しかし同時に、異文化との出会いが、新たな料理のインスピレーションを生んだり、食の選択肢を広げたりするという、positivaな側面も否定できません。」
辻:「大切なのは、異文化をむやみに排除するのでも、無批判に受け入れるのでもなく、その価値を正しく理解し、尊重する姿勢ではないでしょうか。そして、自国の食文化に対しても、その歴史や背景を深く学び、その本質を理解した上で、守り、育てていく努力が必要です。例えば、家庭での手作り料理の機会を増やす、地域の伝統食を見直す、あるいは、私たちのような教育機関がその役割を担うことも重要でしょう。」
ボーローグ:(腕を組み、静かに聞いていたが)「文化の画一化、多様性の喪失…それも問題かもしれん。だが、グローバル化がもたらす物流の効率化や、農業技術の移転といった恩恵も忘れてはならないだろう。それによって、かつては考えられなかった量の食料を、必要な場所へ届けられるようになったのも事実だ。」
ボーローグ:「しかし…」と続ける。「問題は、その恩恵が、必ずしも最も食料を必要としている人々に届いていないという現実だ。富を持つ国や企業が、食料市場を支配し、途上国の小規模農家が立ち行かなくなったり、地域の食料自給率が低下したりするケースもある。文化の心配も結構だが、私としては、まず、このグローバル化が生み出す『食の不公正』に、もっと目を向けるべきだと考える。」
あすか:「グローバル化がもたらす光と影…。食文化の画一化への懸念、食の不公正の問題…。非常に複雑な状況ですね。では、失われつつある伝統的な食文化を、私たちはどうすれば守り、次世代へと伝えていくことができるのでしょうか?辻様、先ほど教育の重要性にも触れられましたが。」
辻:「はい。食文化の継承は、単にレシピを記録に残すだけでは不十分です。その料理が生まれた背景にある歴史や風土、人々の暮らし、そして何よりも、そこに込められた『精神』や『知恵』…例えば、食材を無駄なく使い切る工夫や、保存性を高める技術、あるいは季節感を大切にする心などを、体験を通じて伝えていく必要があります。」
辻:「家庭での食卓での会話、地域のお祭りや行事での共同調理、そして専門的な調理師学校など、様々な場での地道な取り組みが不可欠です。それは決して容易なことではありませんが、食文化は、私たちのアイデンティティの根幹に関わる、かけがえのない財産ですから。」
サヴァラン:「うむ、継承は重要ですな。しかし、忘れてはならないのは、食文化とは生きたものであり、時代と共に変化していくものだということです。博物館の展示物のように、ただ古い形をそのまま保存するだけでは、いずれ形骸化してしまうでしょう。」
サヴァラン:「古典への敬意を払い、その本質を理解した上で、現代の技術や感性を取り入れ、新たな創造を加えていく。そうした『革新』があってこそ、食文化は生命力を保ち、未来へと受け継がれていくのではないでしょうか。伝統とは、守るだけでなく、常に再解釈され、更新されていくべきものなのです。」
魯山人:「革新だと?ふん、聞こえはいいが、要は基本も知らん奴が、奇をてらったまがい物を作る言い訳だろうが!」(苛立ちを示す)「守ろうとして守れるほど、文化というものは甘くないわ!本当に価値のあるものは、誰が何と言おうと、時代を超えて残る。残らないものは、しょせん、それまでのものだったということだ。我々がすべきは、小手先の保存策ではない。次代の人間が、本物を見抜けるだけの『眼』と『舌』を養うこと、それだけよ!」
あすか:「本物を見抜く眼と舌を養う…。魯山人様らしい厳しいご意見、ありがとうございます。ボーローグ様、食料支援の現場などでは、現地の食文化と、外部からの支援との間で、難しい問題が生じることもあるのではないでしょうか?」
ボーローグ:「その通りだ。支援物資が、現地の食習慣に合わずに受け入れられなかったり、伝統的な作物が、外来の効率的な作物に取って代わられて、食文化の多様性が失われたりすることもある。栄養改善のために食習慣の変更を促す場合も、文化への敬意を欠いては反発を招くだけだ。」
ボーローグ:「理想は、現地の食文化を尊重し、理解した上で、それと矛盾しない形で、栄養改善や食料増産に繋がる支援を行うことだ。例えば、現地の主食である作物の品種改良を手伝ったり、伝統的な保存食の知恵を活かした食料加工を支援したり…といった形だな。文化を守ることと、生存の基盤を強化することは、必ずしも対立するものではないはずだ。」
辻:「先生のおっしゃる通りですね。むしろ、伝統的な食文化の中にこそ、現代の食料問題解決のヒントが隠されている場合もあります。例えば、日本では昔から食べられてきた海藻類は栄養価が高く、環境負荷も少ない。あるいは、世界各地にある発酵食品の技術は、食品の保存性を高めるだけでなく、栄養価や機能性を向上させる可能性も秘めています。こうした先人の知恵を再評価し、現代科学と組み合わせることも有効でしょう。」
サヴァラン:「そして、豊かな食文化を持つ社会は、食に対する感謝の念や、食材を無駄にしない精神が、自然と育まれる傾向があるのではないでしょうか。日々の食卓で、旬の恵みを味わい、手間暇かけて作られた料理を大切にいただく…そうした経験が、ひいては食料問題全体への意識を高めることに繋がるかもしれませんな。」
あすか:「ありがとうございます。食料問題の解決と、食文化の尊重・活用は、両立しうる、むしろ連携すべき課題である、ということですね。」
あすか:「食は、私たちの『生存』を支える根源的なものであり、同時に、私たちの生を豊かに彩る『文化』でもある。その二つの側面は、時に緊張し、時に補い合いながら、私たちの歴史と共にあり続けてきました。」
あすか:「グローバル化が進む現代において、その関係性はより複雑になっていますが、多様な食文化を尊重し、未来へと繋いでいくことの重要性を、改めて認識させられた議論でした。」
(あすか、一呼吸おいて、最終ラウンドへの期待感を込めて)
あすか:「さて、美食の定義、食の本質、そして文化と生存…様々な角度から食を巡る哲学をぶつけ合っていただきました。いよいよ次は最終ラウンドです。これまでの議論を踏まえ、『食の未来』と、私たち現代人への『提言』を、皆様に伺いたいと思います。最終ラウンドにご期待ください!」