ラウンド1:『美食』とは何か?快楽か、芸術か、哲学か?(後半)
(スタジオにはまだ緊張感が漂っている。スクリーンとクロノスには、前半で提示された華やかな料理と飢饉の写真が表示されたままだ)
あすか:「ボーローグ様からの、重い問いかけ…『食べるものが当たり前にあるという前提』。これに対し、まずはサヴァラン様、いかがお考えでしょうか?美食の探求は、食料に満たされた者の、ある種の『贅沢』なのでしょうか?」
サヴァラン:(しばし考え込むように顎に手を当てていたが、静かに口を開く)「…ムッシュ・ボーローグのご指摘、確かに重く受け止めねばなりますまい。飢餓の現実は、私も革命期の混乱の中で、僅かながら垣間見た経験があります。パンを求める人々の叫びは、決して忘れてはならない。」
サヴァラン:「しかし、ですな。」(顔を上げ、強い意志を目に宿して)「人間は、ただ腹が満たされればそれで良い、という存在ではないはずです。『人はパンのみにて生くるにあらず』…この言葉の通り、たとえ厳しい状況下にあっても、人は味を求め、美を求め、食卓を囲む喜びを求めるものではないでしょうか?」
サヴァラン:「質素な黒パン一片、一杯のスープであっても、そこに工夫を凝らし、感謝の念を持って味わい、家族や友人と語らいながらいただけば、それは立派な『美食』体験となりうる。それは決して贅沢ではなく、むしろ、人間が人間らしく生きるための、精神的な支え、希望の光となりうるのです。」
サヴァラン:(ボーローグに向き直り)「ですから、美食とは、単なる裕福な者の道楽ではない。むしろ、どんな状況下にあっても失ってはならない、人間の尊厳そのものに関わる営みだと、私は考えます。物質的な豊かさだけが『豊かさ』ではないのです。」
ボーローグ:(サヴァランの言葉を真剣に聞き、頷きながらも反論する)「…おっしゃる『精神的な支え』『人間の尊厳』、その重要性は私も理解しているつもりです。飢えた人々の目にも、希望の光は必要だ。」
ボーローグ:「だが、サヴァランさん、想像してみてほしい。何日も、何週間も、まともな食料が口にできず、我が子が目の前で痩せ衰えていく親の気持ちを。その時、黒パン一片の『味わい』や『食卓の会話』に、どれほどの意味があるだろうか?まず必要なのは、その子の命を繋ぐための、栄養のある食料ではないのかね?」
ボーローグ:(自らの手のひらを見つめ)「私が生涯をかけて取り組んだのは、まさにそこなのです。収穫量を増やし、飢餓に苦しむ人々が、まず『腹いっぱい食べられる』ようにすること。それが全ての始まりだと信じたからです。文化や芸術としての食を否定するつもりは毛頭ない。だが、それらは、まず人々が生存の恐怖から解放されてこそ、真に花開くものではないのかね?」
あすか:「まず生存の恐怖からの解放があってこそ、文化は花開く…。ボーローグ様、ありがとうございます。サヴァラン様の言う『精神的な豊かさ』と、ボーローグ様の言う『生存の基盤』…。では、魯山人様、この二つの視点、どのように思われますか?」
魯山人:(腕組みをしたまま、吐き捨てるように)「どっちもどっちだな。腹が減っては話にならんのは確かだ。だがな、腹が満ち足りていても、不味いものを食わされるのは拷問と同じよ。」
魯山人:「精神だの尊厳だの、また小難しいことを言う…。わしには分からん。ただ、本当に旨いものは、人を幸せにする力がある。それは確かだ。わしが精魂込めて作った器に、最高の素材で料理を盛り付けた時、それを食べた客が心底から『旨い!』と顔を輝かせる。その瞬間が全てよ。」
魯山人:(少し間を置いて、珍しく穏やかな声で)「…まあ、確かに、ひどく腹を空かせている時に食う握り飯の旨さは格別だがな。だがそれは、それ自体が完成された『美』だ。ごまかしのない、素材そのものの力よ。…どんな状況であれ、本物を見極める眼と舌、そしてそれを作り出す腕だけは、失いたくないものだな。」
あすか:「本物を見極める眼と舌、作り出す腕…。ありがとうございます、魯山人様。では最後に、辻様。これまでの議論を踏まえ、どのようにお考えになりますか?」
辻:(静かに頷きながら)「ボーローグ先生がおっしゃるように、まず生存基盤を確立することの重要性は論を俟ちません。先生のご功績には、ただただ敬服するばかりです。その上で、サヴァラン先生のおっしゃる精神的な豊かさ、魯山人先生の追求される美や本物…これらもまた、人間が生きていく上で欠かせない要素だと、私は強く思います。」
辻:「食料援助はもちろん重要ですが、それだけでは根本的な解決にならない場合もあります。例えば、援助された食料をどう調理すれば美味しく、栄養価を高められるのか。その土地にある食材をどう活用すればよいのか。そうした『食の知恵』や『技術』を伝えることも、人々の生活の質を高め、自立を促す上で非常に重要ではないでしょうか。」
辻:(身振り手振りを交え)「限られた食材であっても、工夫次第で食卓は豊かになります。フランスの家庭料理には、そうした知恵が数多く受け継がれています。また、共に料理を作り、食卓を囲むことは、コミュニティの絆を深め、人々に生きる喜びや希望を与えることにも繋がります。これは、まさに食が持つ『文化』の力です。」
辻:「ですから、生存のための食と、文化としての食は、決して対立するものではなく、むしろ連携し、両輪として進めていくべきではないか…と、私は考えます。食料の確保と共に、食文化や調理技術の教育にも力を入れることで、より持続可能で、人間らしい『豊かさ』を実現できるのではないでしょうか。」
あすか:(辻の言葉を受け、クロノスを操作する)「生存と文化の両立、そして食を通じた教育…。辻様、ありがとうございます。クロノス、少し情報を。こちらは、食料支援と同時に、現地の食材を使った調理法や栄養指導を行うプログラムの事例です。また、こちらは災害発生時、避難所での炊き出しで、栄養バランスや彩り、温かさに配慮し、被災された方々の心を少しでも和らげようとした工夫の例です。」
(クロノスに、具体的な支援プログラムや炊き出しの写真が表示される)
あすか:「ボーローグ様、こうした『文化』や『知恵』を伝える取り組みは、飢餓撲滅という大きな目標の中で、どのような意味を持つとお考えになりますか?」
ボーローグ:(写真を見ながら、静かに頷く)「…なるほどな。確かに、ただ食料を送るだけでは足りない部分もあるだろう。調理法を知らなければ、せっかくの食料も有効に活用できないかもしれん。栄養の知識も重要だ。…自立を促す、という視点は大切だな。」(少し考え)「私のやってきた品種改良も、いわば『技術』の提供だ。その技術をどう活かすか、という文化や知恵と結びつくことで、より大きな力になるのかもしれんな。」
あすか:「ありがとうございます。ではサヴァラン様、こうした生存に関わる場面においても、やはり『美食』の精神…例えば、味や見た目への配慮は必要だとお考えですか?」
サヴァラン:「もちろんですとも。先ほども申し上げた通り、それは人間の尊厳に関わる問題です。たとえ僅かな食材であっても、心を込めて調理し、美しく盛り付け、感謝していただく。その心が、人を人たらしめるのです。味気ない飼料のような食事ばかりでは、心まで痩せ細ってしまいますからな。」
あすか:「魯山人様はいかがでしょう?限られた状況下での『美』や『本物』とは、どのようなものになるのでしょうか?」
魯山人:「ふん、状況など関係ないわ。本物は本物だ。ごまかしがないということよ。例えば、炊き立ての白い飯の旨さ、湯気の香り、米粒の輝き…それ自体が美だろうが。余計な飾りはいらん。素材そのものと真摯に向き合うこと、それが本質だ。どんな時でも、それだけは忘れんことだな。」
あすか:「ありがとうございます。皆様のお話を伺い、『美食』という言葉が持つ、実に多様で奥深い側面が見えてきたように思います。」
あすか:「それは単なる贅沢や快楽ではなく、時には芸術であり、哲学であり、文化であり、そして人間の尊厳や生きる希望にも繋がるもの…。しかし同時に、その土台には『生存のための食』という、決して忘れてはならない現実があることも、改めて認識させられました。」
あすか:「ラウンド1、『美食』とは何か?その答えは一つではないようです。しかし、この議論を通じて、それぞれの哲学の輪郭が、より鮮明になったのではないでしょうか。」
(あすか、一呼吸おいて、次のラウンドへの期待感を込めて)
あすか:「さて、美食の定義が見えてきたところで、次のラウンドでは、さらに核心に迫りたいと思います。最高の食体験をもたらす『本質』とは、一体何なのか?素材か、技か、器か、それとも…?ラウンド2にご期待ください!」




