ラウンド1:『美食』とは何か?快楽か、芸術か、哲学か?(前半)
あすか:「さあ、いよいよ舌戦の幕開けです!ラウンド1のテーマは、『美食とは何か?快楽か、芸術か、哲学か?』。皆様、この言葉を聞いて様々な思いが巡るかと存じます。まずは、美食という概念を世界に広められた、サヴァラン様。あなたにとっての『美食』、その本質をお聞かせいただけますでしょうか?」
サヴァラン:(杖を軽くテーブルに置き、優雅に口を開く)「ふむ、『美食』…実に甘美な響きですな。単に腹を満たす行為を『食事』とするならば、『美食』とは、それを遥かに超えた、人間だけが享受しうる崇高な営みと言えましょう。」
サヴァラン:「私の著書『美味礼讃』でも詳述しましたが、美食とは、第一に『感覚的な快楽』です。舌で味わう味覚はもちろん、鼻で嗅ぐ香り、目で見る料理や食卓の美しさ、耳で聞く心地よいざわめきや音楽、そして手で触れる食器や食材の質感…これら五感の全てが満たされてこそ、真の美食体験が生まれるのです。」
サヴァラン:「しかし、それだけでは足りません。美食は、動物的な快楽とは一線を画す、『知的な快楽』でもあるのです。食材の産地や旬に思いを馳せ、調理法の工夫や歴史的背景を理解し、共に食卓を囲む人々との知的な会話を楽しむ…これら全てが、美食をより深く、豊かなものにする。」
サヴァラン:(自信に満ちた表情で)「つまり、美食とは、我々の持つ感覚、知性、そして精神の全てを動員して味わう、総合的な芸術であり、哲学なのです。単なる快楽という言葉では言い尽くせませんな。『新しい星の発見よりも、新しい料理の発見の方が人類を幸福にする』…私はそう確信しておりますよ。」
あすか:「五感、知性、精神…全てを動員して味わう総合芸術であり哲学…。ありがとうございます、サヴァラン様。実に深遠なお話です。…さて、このサヴァラン様のお考え、魯山人様はどのようにお聞きになりましたか?」
魯山人:(サヴァランの話の間、不機嫌そうに眉間に皺を寄せていたが、話を振られると、吐き捨てるように言う)「ふん、くだらん!快楽だの哲学だの、小難しい理屈をこねくり回しおって。そんなものは頭でっかちの食い物の話よ。」
魯山人:(サヴァランを睨みつけるように)「美食に能書きはいらん!旨いか、不味いか!それだけだ!ごちゃごちゃ言わずとも、本当に旨いものを食えば、身体が、魂が震えるだろうが!」
サヴァラン:「ほう、魂が震える…それは素晴らしい表現ですな、ムッシュ魯山人。しかし、その『旨さ』とは、一体何によってもたらされるとお考えかな?単なる舌先の感覚だけではありますまい?」
魯山人:「当たり前だ!舌だけではないわ!目で見ろ!器を見ろ!料理と器が一体となって、初めて美が生まれる。その緊張感、調和!それが分からん奴に、美食を語る資格はない!」(自身のこぶしでテーブルを軽く叩く)
魯山人:「例えばわしが作った織部の皿に、獲れたての鮎を焼いて乗せる。その緑と焦げ目のコントラスト、立ち上る香ばしい匂い…理屈か?違うだろうが!感じるものだ!あんたの言う小難しい哲学なんぞ、何の役にも立たん!」
あすか:「感じるもの…魯山人様、ありがとうございます。哲学のサヴァラン様と、感性の魯山人様、真っ向から意見が対立しましたね…。さて、このお二人のご意見、フランス料理を研究され、日本に広められた辻様は、どのようにお考えになりますか?」
辻:(困ったように、しかし穏やかに微笑みながら)「いやはや、レジェンドお二人の迫力に圧倒されてしまいますね…。」(一呼吸置いて)「サヴァラン先生のおっしゃる美食の哲学的側面、そして魯山人先生の重視される感性や美意識、どちらも食を語る上で欠かせない要素であると、私は考えます。」
辻:「私が生涯をかけて研究したフランス料理も、その歴史を紐解けば、まさにサヴァラン先生のような美食家たちの思想と、宮廷や街場の料理人たちの技術、そしてフランスという土地が育んだ豊かな食材、それらが渾然一体となって発展してきた、まさに『文化』そのものです。」
辻:「例えば、ソース一つをとっても、基本となる出汁の取り方から、煮詰める時間、バターや生クリームを加えるタイミング、その全てに先人たちが試行錯誤を重ねてきた知恵と技術が詰まっています。それは単なる感覚だけでは到達できない、体系化された知識と技術の世界です。」(熱を帯びて語る)
辻:「しかし同時に、魯山人先生がおっしゃるように、最高の素材を選び抜く眼、そして料理を盛り付ける器との調和といった美意識、最終的に『美味しい』と感じさせる感性がなければ、どんな技術も意味をなしません。フランスの偉大なシェフたちも、最後は自身の『舌』と『感性』を信じて、料理を完成させるのです。」
辻:「ですから、美食とは、哲学であり、芸術であり、そしてそれを支える確かな『技術』と『知識』でもある。これらは対立するものではなく、むしろ相互に補完しあい、高めあうものだと、私は考えますが…いかがでしょうか?」
あすか:「哲学、芸術、そして技術と知識…。辻様、ありがとうございます。対立するのではなく、相互に補完しあう、と。非常に整理されたご意見です。…さて、ここまで美食の様々な側面について語っていただきましたが…」
(あすかが話を続けようとした時、それまで黙って厳しい表情で聞いていたボーローグが、やや強い口調で割って入る)
ボーローグ:「…少々、よろしいかな?」
あすか:「はい、もちろんです、ボーローグ様。」
ボーローグ:(テーブルに両肘をつき、前のめりになって語り始める)「皆さんの話は、実に興味深い。哲学、芸術、文化…結構なことだ。だが、その議論は、一つの重大な前提を見落としてはいないかね?」
サヴァラン:「ほう、重大な前提とは?」
ボーローグ:「それは、『食べるものが当たり前にある』という前提だ!」(語気を強める)
ボーローグ:「諸君が語る『美食』とやらは、豊かな食卓があって初めて成り立つものではないのか?世界には、今日一日を生き延びるための食料すら手に入らない人々が、何億人もいるのだ!私がこの目で見てきた!彼らにとって、食とは快楽か?芸術か?哲学か?…違うだろう!!」
ボーローグ:「彼らにとっては、泥水だろうが、草の根だろうが、口に入れられるもの全てが『食』なのだ!まず、生きるために、腹を満たすこと!それが全ての基本であり、最優先事項ではないのかね!?諸君の美食談義は、その現実を抜きにして語られているように、私には聞こえる!」
(ボーローグの切実な言葉に、スタジオは一瞬静まり返る。サヴァランはやや驚いた表情でボーローグを見つめ、魯山人は鼻白んだように顔をしかめ、辻は考え込むような表情を見せる。)
あすか:(静寂を破り、落ち着いた声で)「ボーローグ様…ありがとうございます。食料問題の最前線におられた、あなたならではの、非常に重いご指摘です。『食べるものが当たり前にある』という前提…。確かに、私たちはそれを忘れがちかもしれません。」
あすか:(クロノスを操作し、画面にいくつかの画像を映し出す)「クロノス、少し情報を。こちら、サヴァラン様の時代のフランス貴族の晩餐会の様子…そして、魯山人様の『星岡茶寮』で出されたと言われる料理…辻様が研究されたフランスの三ツ星レストランの料理…そして…こちらが、ボーローグ様が活動された地域の、かつての飢饉の様子です。」
(華やかな料理と、厳しい飢餓の光景が並べて表示される)
あすか:「美食を語る上で、このボーローグ様のご指摘…『生存のための食』という視点を、私たちはどう受け止めれば良いのでしょうか。サヴァラン様、魯山人様、辻様…そしてボーローグ様ご自身も、この点について、もう少し深くお話を伺いたいと思います。」
あすか:「ラウンド1、『美食』とは何か?快楽か、芸術か、哲学か?…そして、『生存』とどう関わるのか。議論は、さらに核心へと迫っていきます。」