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それでも、前へ

 私はいつも親から兄と比較されていた。兄は小学生の頃から成績優秀で、スポーツ万能だった。私と違って快活で、異性からもモテていた。小学生の頃は、一緒に遊んでもらったりしていた。でも、思春期に入った頃から、あまり兄とは喋らなくなった。家で食事をしているときも、もっぱら兄の話題が中心で、私はただそれを聞いているだけだった。両親はいつも兄を褒め、私が話題に上がることはほとんどなかった。

私は学校の同級生の女子と遊ぶことも、ほとんどなかった。周りの親御さんや担任の先生からは、大人っぽいね、と言われることもあった。


 大学生になって新入生のとき、歩いていたらたまたま勧誘されて、写真サークルに入った。

 それから、否応なしに人との交流は増えた。いままでカメラで写真なんて撮ったことなかったけれど、サークルが参加するコンテストに応募するため、写真を撮るようになった。

そこで出会ったのが、ケンスケさんだった。私と同期で、サークルに入って初めて話した人だった。それも、異性だった。

「いやー、今日も良い写真撮れたなぁ。ほら」

 彼はよく大学の休み時間に外に出て、空の写真を撮っていた。それで、私によく写真を見せてきた。でも、撮ってくる写真はいつも同じだった。

「いつもの青空ね」私は言った。

「それが良いんだよ。わかってないなぁ」

彼はにやにやしながら、言って、また自分の写真を眺めた。

 私もよく、自然の写真を撮った。近所の小川の写真とか、花の写真とか、鳥の写真とか。どうしてもカワセミを撮りたくて、カワセミを撮れる場所をインターネットで調べて、出かけたこともある。毎週末出かけて、1か月ぐらいかけてようやく1羽見つけて撮影した。オレンジ色の身体に、緑色の羽。長い嘴。シャッターを押す指が震えていた。

 ケンスケさんは私の写真を見て、「うん。よく撮れてるね。僕の写真ほどじゃないけど」、と言った。

 私はこの写真を、地域の市役所でやっているコンテストに応募した。お金を払って応募すれば必ず1か月展示してもらえる。その中から、いくつか入賞作品が選ばれる。他にも、サークルのメンバーが何人か一緒に応募していた。

 応募した後、自分の写真が展示されているのを1人で市役所に見に行った。花の写真とか、動物の写真とか、子供の写真とかを応募している人が多かった。

 私の写真は、一番、隅に展示されていた。写真の前に立ち、眺めた。

 それだけ見て、市役所を去った。数週間後に、入賞作品が発表されたが、私の作品は選ばれなかった。サークルの後輩の作品が1つ、入賞していた。月に一回あるサークルの集まりでも、それが話題になった。新入生がコンテストで受賞するのは珍しかった。

 自分のカメラの中に入っている、カワセミの写真を見た。羽ばたこうとしている写真、木に止まっている写真、空を飛んでいる写真。

 それらを見た後、削除した。月に一度のサークルの集まりでは、皆が自分が撮った写真を見せ合う。けど、私は教室の端っこで一人座っていた。


 コンテストで入賞した新入生は、実家が農家で、畑で育てているトマトの写真を撮って入賞していた。木に実っているトマトに、日光が反射していて、美味しそうだった。

 私は実家で野菜なんか育ててないし、一人暮らしだし、家の近くには、ラーメン屋とか、塾とか、コンビニとかしかない。

「おれも賞とってみてーなー」

 教室で一人で座っていた私の隣に、ケンスケさんがやってきて座った。

「なんで?」私は彼の方を見て、言った。

「取りたくないの?」彼は言った。

「別に」

「嘘つけー。取りたいくせにー。じゃあ、どうしてカワセミの写真なんか一生懸命撮ってるの」

「カワセミが好きなだけ」

「ふーん」彼は言った。


 今週の週末も、カワセミの写真を撮りにでかけた。だけど見つからなかった。翌週も、翌々週もでかけたけど、同じだった。

 1か月経ち、またサークルの集まりがある日になってしまった。皆に見せる写真がない。仕方ないから、私は家の近くにある街並みと空の写真を撮った。私はサークルの集まりのために教室に行き、写真を教室のホワイトボードにマグネットで貼った。

「あれ、今日はカワセミじゃないんだね。珍しー」貼った写真を見て、ケンスケさんは言った。

「うん」私は小さく肯いた。

「カワセミ、飽きた?」

「いや」

 そう答えて、教室の後ろの方の席に座った。周りの人たちはお互いに撮った写真の感想を言い合っていたけど、そういう気持ちにはなれなかった。教室の窓から覗く空を眺めていた。

 写真サークルに入って2年が経つけれど、私は自分の写真を褒められた記憶がほとんどなかった。一方でケンスケさんは、写真をよく褒められているのを見かける。私には、どうしてケンスケさんの写真がよく褒められるのか、よくわからなかった。

 その後、来月のサークルの予定について話し合い、解散した。私は、終わるや否や、一人で帰った。カラスの鳴き声が聞こえる。線路に沿って歩き、大学の最寄り駅まで歩いた。脇を電車が通り過ぎていく。駅に着いて電車に乗った。特有の湿った匂いがする。

 2駅乗って降りて、家まで歩いた。家の近くのスーパーで総菜を買い、帰って炊飯器のスイッチを入れた。

 料理ができるようにと、母から一人暮らしを始めるときに市販の料理本を買って渡された。最初のうちは、野菜炒めとか、ハンバーグに取り組んでいたこともあった。でも、いまは味噌汁しか作らない。いつものようにだしと味噌と乾燥ワカメを入れて、電子レンジに入れてチンした。あとはスーパーで買ってきたレバー。

 サークルのメンバーは、よく一緒に大学近くのラーメン屋や定食屋に行って食事していたりする。でも私は、ほとんど皆とは食事したことがない。大学1年生の最初のうちだけ、食事会に出席していたけど、次第に誘われなくなった。いつも、皆と食事しているとき、黙っていたからかもしれない。

 いまでも話しかけてくるのは、ケンスケさんだけだった。空の写真を見せてきたり、授業のことについて話しかけてきたりする。

 一度、彼に誘われて、2人で牛丼屋に行ったことがあった。サークルから帰ろうとしていたら、後ろからケンスケさんに話しかけられた。

 彼と私は牛丼の並盛を頼んだ。店内は、会社帰りのサラリーマンや、大学の学生がいた。

 彼は、私になんで写真サークルに入ろうと思ったのか、聞いた。

「なんでだろ。なんとなく」

「そっか」

「ケンスケさんは、なんで入ろうと思ったの?」私は聞いた。

「うーん。なんでだろ」彼は、ご飯を頬ばりながら、うーん、とちょっと上を向いて唸った。それで言った。「写真が好きだからかな」

「そうなんだ」私は言った。それ以上は訊ねなかった。

「おれ、カワセミ、見たことないんだよね。あんまり鳥に興味ないから、アキが撮った写真を見るまで、名前すら知らなかった」

「嘘でしょ」私は言った。

「ほんとほんと」彼はそう言った後、水を飲んだ。「全然関係ないけどさ」

「うん」私は言った。

「なんでいつも一人でいんの?」

「一人?」

「サークルでみんなでいるときさ」

「あぁ」

 私はそう言った後、何も答えなかった。

「皆が嫌いなの?」

「いや、別に」

「皆、アキとも話したがってるぜ」

「うそよ」

「ほんとほんと」

 私と彼は牛丼を食べ終え、店を出た。それで、別れた。


 家の机に食事を並べ、味噌汁を飲んだ。あまり美味しくない。塩気が強すぎる。レバーを白いご飯の上にのせ、食べた。誰もいない部屋で、黙々と箸を進めた。

 なんか淋しくなってきたので、スマホをスピーカーに接続し、好きな曲を大音量でかけた。耳がガンガンする。どうでもいい。全てどうでもいい。

 私は、食べ終えた後、食器を洗った。洗剤をつけ、レバーの匂いが残らないように洗った。そして風呂に入った。音楽はかけっぱなしだった。


 次の日も、また大学に行った。教授が方程式の解説をしている。私は教授が黒板に書いていく数式をノートに写していった。

 今日はサークルもない。バイトもない。授業が終わると、大学の図書館へ行き、与えられた課題を解いていった。こんな課題を解いたところで、これから何かの役に立つのだろうか。

 私は、特になりたい職業がなかった。数学科に所属しているから、数学の先生になることを考えていた時期もあった。でも、自分が中学や高校で、数学を教えている様子を想像することができなかった。

 あるいは、大学に残って数学の研究者になるか。一人で黙々と紙に向かって数式を並べていく。それもまたいいかもしれない。


 図書館の机で、課題をだいたい解き終え、ぼーっとしていると、知っている顔が机の前を通り過ぎていった。ケンスケさんだ。

 私は彼に話かけもしなかった。彼は、私には気づいていない様子だった。ケンスケさん・・・。

 あの人、どうして私にいつも話しかけてくるんだろう。


 立ち上がり、図書館を出て、家に帰った。もうすぐで夏休みだ。何も予定はない。バイトをして、サークルに出て、それぐらいだ。写真。何の写真を撮ればよいだろう。


 カワセミの写真を撮っていても、褒められたことがない。新入生が早々にコンテストで賞を取っていたりするのを見ていると、羨ましいな、と思う。それが本音。

 写真も撮れない。友達もいない。恋人もいない。頭も悪い。


 私は、なんとはなしに、スマホを取った。ケンスケさん・・・。私は、彼のことをよく知らない。でも、私に唯一話しかけてくれる人。

 もちろん、ケンスケさんにとって、私はただの一人のサークル仲間。私にとっては、ケンスケさんは、大学で一番、話す人にあたるけれど、たぶん、ケンスケさんからしたら、私は1番話す人ではない。むしろ下から数えた方が早いと思う。

 私には、本当の友だちはいない。

 

 スマホのアプリを開いた。自分から誰かに連絡を取ることは、ほぼない。まして、用もないのに他人に連絡するなんて、した記憶がない。

『今日空、雲一つなくて、写真日和だね』

 私はケンスケさんに、初めて自分から連絡した。何の中身もないメッセージ。写真日和?それがどうした。

 彼からは、数分後に返信が返ってきた。

『そやね。おれは雲がある空の方が好みだけど』

 私はまた返信した。

『どうしてそんなに空が好きなの?』


『愚問だ』


『え?』


『なんで空が好きかなんて、聞くことじゃないよ』


『そっか』


 私は会話を終わらせたつもりだったが、また、ケンスケさんからメッセージが来た。

『今度、一緒に写真撮りに行かない?』

 私はしばらくスマホ画面を見て、考えた。一緒に写真を撮りに行く、というのは、私とケンスケさん、2人で、ということだろうか。それとも、サークルの人たちと一緒に、ということだろうか。

『他の人と一緒に、ってこと?』


『そう。後輩から誘われたんだけど、どう?』

私は一度スマホを閉じ、窓の外を眺めた。

『うん。いいよ』



 約束の土曜日、後輩2人、ケンスケさん、私で、大学から少し離れた場所にある公園に来ていた。湖があって、その周りを歩けるようになっている。

 後輩2人に、ケンスケさんに写真の撮り方を教えてほしい、と頼まれ、じゃあ、今度一緒に写真を撮りに行こう、となって、ここへ来たらしい。

「先輩って、なんでいつも空の写真を撮ってるんですか?」

 後輩の男が、ケンスケさんに聞いた。

「うーん。なんでだろ」彼は言った。「空ってさ、毎日、違うんだよね」

「毎日、違う?」

「そう。雲の形とか、流れる速さとか。時間によって、陽の明るさも違うし」

「そりゃそうですけど、ずっと撮ってたら、飽きませんか?」

「飽きない」彼は言った。

「はぁ」後輩は、ケンスケさんの顔を見たまま、少し黙った。「わからないなぁ。でも、なんかケンスケさんの撮った写真、良いんだよなぁ」後輩は言った。

 私たち4人は、それからあと、何枚か、写真を撮って、ケンスケさんと後輩2人は、撮った写真の感想を言い合っていた。私は、後輩には何も話しかけられなかった。

 ある程度写真を撮った後、後輩たちは満足したのか、今日は有難うございました、とケンスケさんに礼を言った。ケンスケさんも礼を返していた。そのまま4人で帰るのかと思ったが、ケンスケさんが、もうちょっと私と2人で写真撮りたいから、と言って、後輩2人を帰らせた。後輩は、あ、そうですか、と言って、別れた。ケンスケさんと私は2人きりになった。

「飲み物でも買おうか」彼は言った。

「あ、うん」私は言った。


 公園のベンチに座って、湖を眺めた。風が涼しかった。

「なんか、良い写真撮れた?」彼は私に聞いた。

「うん、まぁ」

「鴨撮ってたよね」

「うん。可愛いよ」

 そう言って、私はケンスケさんに写真を見せた。いいね、と彼は言った。しばらく沈黙が流れた。

「ケンスケさん、ちょっと、無理してるときあるよね」私は言った。

「どういうこと?」彼は、私を見てきた。

「後輩と一緒にいるとき、無理やり、愛想良くしようとしてるときあるでしょ」

「・・・」彼は、何も言わなかった。

 ベンチの前の湖で、鴨の群れが横に流れていった。彼は話題を変えてきた。

「ときどき思うんだけどさ、アキは、どうしておれのこといつも、”ケンスケさん”って呼ぶの?おれだけじゃなく、他の同期に対してもだけどさ」

「それは・・・」

「同期なんだから、呼び捨てでいいじゃん。おれは、いつもアキのこと、アキって呼んでるのに、アキはおれのこと、ケンスケさん、って呼ぶよね」

「別に・・・。深い意味なんてないわ」

「あんまり、皆と仲良くなりたくないんでしょ?だから、距離を取ろうと、”さん付け”で呼んでるんでしょ?」

 私は何も返さなかった。

「別に責めてるわけじゃないよ?聞いてるだけさ」

「そうよ」私は言った。

 ケンスケさんは、ため息をついた。

「どうしてため息をつくの?」私は言った。

「いや、いいんだ」彼は言った。

「そう」

 彼は立ち上がり、さて、帰るか、と言った。

 私はベンチから立ち上がらなかった。

「あれ、帰らないの?」

 彼は私に向かって、言った。

「ケンスケ・・・」私は言った。彼は私の方を見たまま、立っていた。

「私、ケンスケとは、仲良くなりたい・・・」

 彼は私の言葉を聞いても、何も言わなかった。私は続けて言った。

「でも、ケンスケさんにとっては、私は何でもない、ただのサークルの同期。私にいつも話しかけてくれるのは、ケンスケさんだけ。でも、あなたは私の他にもたくさんの友だちがいる」

「それで?」

彼は、私の顔を見て、言った。

「だから・・・。だから、私とあなたは、対等にはなれない」

「そっか」

 彼はそう言って、ちょっと私に背を向けて、湖を眺めた。私は、立ち上がった。

「帰ろう」私は言った。

 彼は湖の方を向いたまま、私の言葉を無視した。

「じゃあね。誘ってくれてありがと。楽しかった」私は言った。

 私は彼に背を向け、立ち去ろうと歩いた。すると、後ろから、強い力で誰かに抱きしめられた。

「え・・・」

 私は言った。ケンスケさんは、私を抱きしめたまま、何も言わなかった。

「ケンスケさん・・・?」私は言った。

 彼は、黙ったままだった。私は彼に抱きしめられたまま、突っ立っていた。湖の周りを歩く人が、私たちの方を、ちらちら見ていた。

「離して」私は言った。

 彼は、いっそう強く、抱きしめてきた。

「痛い。やめて」

「やめない」

「周りから見られてる。恥ずかしい」

「知らない」

 私は、引き剥がそうとした。でも、彼は決して私を離さなかった。私は引き剥がすのを諦めた。


 それからしばらくして、ようやく彼が私を離して、2人で公園を後にした。帰りの電車の中で、ケンスケは、私に言った。

「おれに友だちが多いとか、そんなこと気にしてるの?」

 彼はちょっと笑っていた。

「別に」

私が答えると、彼は吹きだすように笑った。

「何よ?そんなに笑うこと?」私は言った。

「いやだってさ、いっつも一人で強気ぶってるのに、ほんとは友だちほしいんだなって思って」

「馬鹿にしてる?」私はつい、大きな声が出た。前に座っている人が、私たちの方を見た。

「電車の中だぜ?大声出すと恥ずかしいよ?」彼はにやにやと笑ったまま、言った。私はケンスケを叩いた。

 彼は笑った後、また黙って、電車の窓を流れていく都会のビルを眺めていた。

「アキの写真、おれは好きだよ」

「え?」

「カワセミの写真。ずっと撮り続けているよね」

「あぁ・・・。ありがと」私はちょっと下を向いた。


 私たちは、それからしばらく日が経って、付き合った。どうしてケンスケが私を選んでくれたのか、正直なところ、よくわからない。

 でも、ケンスケは、私にただ一人、関心を持ってくれた。誰も見てると期待していなかった写真を、見てくれていた。


 朝起きて、大学の授業へ向かうため、電車に乗った。座席に座ってスマホを開き、アプリを開いた。ケンスケから、空の写真が送られてきていた。

 私はメッセージを打った。


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