4. 不老不死どころか……
俺は生来のド近眼なので、物心付く頃には眼鏡が無いと何も出来ない身体だった。
だったのだが……
「驚いた。なんと言うか……レンズ越し以外の“クリアな視界”ってのは凄いな。枠が無いだけでこんなに視界が広がるってのは……マジで新鮮だ」
視力が回復してるって事は──いよいよ根菜類が言う“俺の身体を再生した”という話を信じるしかない……のか?
『やっと信じる気になったか? ところで……俺はどうでもいいんだけどよ。お前、時間はいいのか?』
そうだった! 俺は、手に入れたクリアな視界で慌てて時計を確認した。無機質なデジタル表示が示している時間は……
― 20++ /◯/✕ MON 12:46 ―
って??
「月曜の昼?!」
……本当に二日以上も寝てたのか?
『何を驚いてる? 全身を再生するのにたった二日で済んでるんだぞ? お前等は幼体を培養するだけで270日もかかるくせに文句でもあるってのか?』
「言い方!! って、マジかよ。呼び出しは月曜の朝一だったのに……」
いや……結果的には良かったのかも知れない。奴らの呼び出しを無視したのは、今更どうしようも無いし……
(今思えばあんな奴らの言いなりで生きていくなんて……それこそ死んだ方がマシだ! それに……)
俺は再生されたという自分の身体をしげしげと確認した。詳しい事は、そこの根菜類に聞かなければ分からないが……俺の視界に映るソレは、明らかに今までの俺の身体とは違う。それは見た目という意味でもそうなのだが……
(それだけじゃない! この身体は……根本的に何かが違う。そう、まるで別の生き物になったみたいな……っと、確認は後だ。先に連絡だけでもしとかないと!)
俺はとりあえずスマホで学校の代表番号をコールした。
電話を取った先生から担任に繋いでもらう間に少し考えて……遅刻した理由はインフルエンザに罹かったからだと告げる。
もちろん……“発熱で電話出来なかった”という言い訳も忘れない。
(こう言っておけば、医者の許可が出るまで学校を休んでも不自然じゃ無いはずだ。奴らもインフルエンザに感染したくは無いだろうから、家まで押し掛けるのは躊躇うだろうし……)
「そうですか……お大事に」
Chat GPTよりもはるかに無機質な返事だけを返して電話を切る担任……
(彼女に期待するのは間違いだって分かってるが……AIが生成した音声でも、もう少し感情がこもってるぞ? こっちも状況が分かるまで下手に動く訳にはいかないから、先生が無関心なのは好都合なんだが……)
『くくっ、お前が罹患したウイルスや病原菌はインフルエンザどころの騒ぎじゃねーけどな。それより……行動の自由を確保したって事は、やっと本気で俺の話を聞く気になったのか?』
コイツ……
「ふん流石にこんな惨状を見たらな。いくらなんでもこの状況が妄想だなんて言えるかよ。というか……心を読むなって言ったろ!」
――――――――――
学校を休みはじめてから五日目の金曜日。
まるっきり“惨殺事件の現場”になってしまった自宅を掃除したり、自称マンドラゴラが語る“俺の身体がどう変わったか”を聞いたりしているうちに……この五日間はあっという間に過ぎ去っていった。
今、俺は感染爆発を防ぐ為の自宅待機を終え、暫くぶりに買い物に出てきたところだ。
なんでも家のキッチンに住み着いている根菜類が言うには……俺の身体を蝕んだウイルスや病原菌は“この世界の環境下”で長期間存在する事は出来ないらしい。
まあ、それでも完全に安心出来るまでは五日もかかってしまったが──今は外出が出来るだけでありがたい。ちなみに外に出る事が出来たのは……先週、俺が感染したのと同じ夕方からだった。
空には厚い雲が垂れ込めていて今にも一雨来そうな様子だったが、一週間も籠もりきりで過ごしていたので開放感がすごい。
「ああ、やっと部屋を出れたな」
外の空気を吸って思わず呟いた。外のありふれた風景を見た俺は、ここ数日の“自称マンドラゴラの語った話”を思いだす。
「しかし……俺の身体の事はいざ知らず……他の世界の話はとても信じられないな」
それは、自宅の中で確認出来た“俺の身体の変化”以外は信じがたい内容ばかりだった。
『またそれか……俺は嘘は言ってねぇぜ。そもそもそんな必要がどこにある?』
「そりゃあ分かってるが……」
ちなみに……俺の思考とマンドラゴラの野郎とは、ヤツを引っこ抜いた時に何らかのリンクが出来てしまったらしく、こうやって近くにいなくても思考での会話が可能になっていた。
『はん、お前等の様な進化を選択した種ってのはどうしてこう頑迷なのかね……確かにこの世界じゃ文明を築くほどの知能が発達したのはお前等人間だけかもしれんが、別の世界じゃあらゆる種が独自に発達した文明を築いていたりするんだぜ?』
それが本当なら……いや、俺がそれを知る事はもう一生無いだろう。
『まあそうだろうな。俺の〔核〕を取り込んだお前は既に物理的にも概念的にも不死……いや不滅の存在だからな。もう気軽に死ぬ事も出来ない以上、別の世界を認識する事も無いだろうよ。まあ、こっちの世界を深く認識する事は可能だろうが……』
そう、俺は(この根菜類の語る言葉を信じるなら)不滅の存在になってしまったらしい。具体的には……
「しかし……包丁で切り落とした指がムニムニ生えてきたのは、もうホラーを通り越して笑うしか無かったぜ」
なんと俺の身体は何をしても簡単に再生してしまうのだ。そしてこの身体になってから変わった事がもう一つ……それは痛覚が極端に鈍くなった事だ。
『そりゃあそうだろうな。痛覚ってのは生き物が自分の身体に異常が起こった事を認識する為のセンサーなんだ。何をしても死なないお前には不要だろう。だが、鈍感になったわけじゃねぇぜ? “痛みを処理する脳領域”がまるまる空いたおかげでお前の五感は常人とは比べようもないほど鋭くなってるはずだ』
「ああ確かに……家の中でもそうだったが、外に出れば五感の鋭さってのは一層感じ易いな」
どんよりと曇った夕方の裏路地は、既に夜と変わらない暗さなのだが、俺の眼に映る視界は少し薄暗い程度にしか見えない。そして五感に表れた変化はそれだけでは無かった。
聴覚は意識すれば隣家の人間がスマホで通話をしている内容まで聴き取れるほどだし、嗅覚に至っては空気の中を漂う微粒子の流れまで感じ取る事が出来た。
もっとも饐えた匂いが立ち込める裏路地では、嗅覚から意識をそらさなければとても外出する気になれないが……
― ザワッ ザワザワ ―
うらぶれた路地を脱出して地元の歓楽街に足を踏み入れる。酔漢や仕事帰りの人々、禁止されているはずの呼び込み行為を堂々と行う着飾った男女……
「あい変わらず騒がしい町だな」
ちなみに……目的地はあらゆる物が“驚くほど安い”総合ディスカウントストアだ。
再生した身体は……少しばかり体格が変わってしまったので、取り急ぎ必要な衣料品や生活必需品を買いに出たのだ。
ちなみに……今はサイズの合わなくなってしまった、バイト用の作業ツナギを無理やり着ている。
〔 ツンッ 〕
“驚安の殿堂”に向かって歩く俺の鼻が、突然刺激臭を捉えた。
「痛ぅっ……なんだこの匂い?!」
痛みかと錯覚するほどの刺激臭は、目的地に向かうほど強くなっていく。歓楽街には雑多な匂いが立ち込めているのだが、こんな刺激を発する物体とは……?
「……なんだ? この匂い……あの野郎からか??」
俺の鼻が捉えた刺激臭の発生源は目的地だったディスカウントストアの前にある花壇に腰掛けていた。そこには三十代くらいのヒョロっとした男が、バッグを膝の上に置いてじっとしている。
(……世の中には変わった体臭の人間が居るんだな)
『ほう──お前がそこまで言うなんて、よほど変な匂いを放っているようだな?』
どうも気になる男だったが……見知らぬ他人をジロジロと観察するような趣味は無い。俺は男の事を無視してそのまま店内へ入った。
あい変わらず騒がしい店内は雑多に積み上げられた商品が所狭しと並んでいる。免税店でもあるこのチェーン店には、来日した観光客も大勢やって来るので聞こえて来る話し声は日本語以外の言語も多い。
俺は手早く必要な衣類をカゴに突っ込み、割引シールが貼られた食料品や、消費期限の近い生鮮食品コーナーを漁るとレジに向かった。
『お前も律儀だな。もう飯を食う必要なんて無いのに』
(うるせぇ……死なないからって“空腹感まで消えるワケじゃねぇ”のはこの数日で身に沁みたんだ。それに……)
俺はレジの近くにあった園芸コーナーへと寄り、家庭菜園向けの液体肥料を追加でカゴに放り込む。
(お前だって水ばっかじゃ味気無いだろう?)
『……まあな』
レジで精算が済んだ俺は釣り銭を受け取って荷物をエコバッグに詰めこんだ。
(そう言えば、さっきの男はまだあそこに……)
― キャーっ?!! ―
店の外から悲鳴が聞こえたのは……ちょうど買った品物をバッグに詰め終えた時だった。
第四話も読んでいただき誠にありがとうございますm(_ _)m
もう暫くは午前零時をタイミングとして更新していく予定です!
読者の皆様には面倒な事とは思いますが、もし少しでも興味を持ってもらえましたなら……
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