どうかあなたに届きますように
「好きです!」
「!?」
教室に帰る途中で、私は図らずも知らない子の告白を目撃してしまった。
名札が緑色だから、きっと一つ下の学年の子だ。
私は音をたてないようにそぉっとその場を去った。
もちろん、返事は聞かずに。
「もーもっ!どーしたの?元気ないじゃん」
「咲…いやぁ…なんでもないけどさぁ」
「何?また慧くんのこと?」
咲はちらりと慧へと視線を向けた。
彼は友達と窓際で楽しげに話している。
「んー慧ってわけじゃないけど。ただなんかさ、告白できる人ってすごいなぁって思って」
「あぁ…確かにね。振られたらどうしようとか色々考えちゃうよね」
「そうなんだよねぇ…」
「って言っても桃は慧くんの中では特別だと思うけどね!?」
慧の特別に見えるのはきっと、私が特別仲が良いからでも、可愛いとかお似合いとかそういうことでもなく、ただ幼馴染だからだ。
「特別って言ってもそれが好きなひと、ってわけじゃないでしょ」
「えー?慧くん桃のことよく気にかけてるじゃん」
「妹みたいなものだよ。私不器用だし。それに彼女になれるほど可愛くないってことくらい、私が一番知ってる」
咲は納得がいかないような顔をして私と慧の顔を見比べた。
「桃は自分のこと下に見過ぎだよー桃、めっちゃ可愛いんだから」
「そーだぞ!桃は可愛い!」
「うわびっくりした」
横から口を挟んだのは大輝。
優しくて話しやすいんだけど…正直チャラい。
「大輝キモい」
「え!?咲は毒舌だなぁ!?」
「事実言っただけじゃん」
「桃ー!帰ろうぜ」
「あ、慧。ごめん咲、大輝。私帰るね」
「ラジャーまた明日」
「桃ってさー大輝と仲良いよな」
「え?咲が仲良いからじゃない?」
幼馴染みである慧とは家が隣同士。
だから高校生の今になっても小学生の時の名残で一緒に帰っている。
そのせいというべきか、私たちは噂好きの格好の餌となっていた。
具体的に言えば、付き合ってる、とか。
実際、私たちはたいした喧嘩をしたことがなく、親同士も仲が良いといった関係であった。
だからこそ、私たちは恋仲になることがない。
私だけが一方的に何を思っていようが、それだけでなにかが変わる訳じゃない。
だって、「幼馴染み」だから。
「ふーん…。あ、そういえば昨日うちの母さんがさ」
だから今、彼が少し不満げな顔をしたような気がしたのも、きっと、私がそう願ったからそう見えただけだ。
「桃、何か欲しいもんある?」
「ん?急にどうしたの」
いつものように二人で歩いていると突然慧が前を向いたまま切り出した。
「いやー、その。いや、何って訳じゃないんだけど…」
慧は右手で頭をかきながら歯切れの悪い返事をする。
左側を歩く彼の顔は腕で隠れていてよく見えない。
「ねえなんでよー」
「いや…なんでもいいじゃんか。で?ないの?何か」
特にないかなーと笑いながら彼の顔を覗き込む。
「え…慧、熱あるんじゃない?顔真っ赤だよ?大丈夫…?」
覗き込んだ彼の顔は林檎のように真っ赤だった。
彼のそんな顔は初めて見た。
心配になって、数十センチ上にある彼のおでこに手を伸ばす。
「わっ、いや!?全然元気だし!桃の見間違いじゃね!?」
「うわ、急にどしたの。そんな過剰に避けなくても。流石にちょっと傷付くわー」
私の手を払うように避けた慧におどけて見せる。
「あ、いや…」
少し気まずそうな顔で眉を下げる彼に私はヘラっと笑って見せた。
「へへ、じょーだんだよ。慧の体調が大丈夫なら別にいいんだけどさ」
ちょっと傷付くなんて、笑っていったけど正直結構グッと来ていた。
両思いになれないにしろ、そんなに仲も悪くない相手に避けられるなんて、正直悲しいし、寂しかった。
でもそれを悟られないように私はまたヘラヘラ笑った。
慧はそんな私を見て困ったような少し傷付いたような表情を浮かべた。
なんであなたがそんな顔するの。
悲しいのは私だよ。
あなたのことがたまらなく好きで、でもそれを伝える勇気はちっともなくて、幼馴染みから変われなくて、同じところをぐるぐる回るしかない私の方が、よっぽど泣きたいよ。
慧が今何を考えているのかよくわからないよ。
「……ごめん慧、私帰る」
「え?ちょ、桃?」
困惑した顔を向ける慧に私は軽く手をあげて小走りで距離を開けた。
「ごめんね、用事思い出しちゃった。慧、体調気を付けてね」
私は振り返らず、努めて明るい声をあげると、なにかを振りきるように走り出した。
彼の顔は見ない。
きっと私は彼を困らせてしまうから。
私は瞳から溢れる雫をグッと拭った。
「ねぇ桃ー?なんかあった?」
「なによ急に。何もないよ」
咲は腕に顔を埋めながら不満そうに私を見つめた。
「ぜーったいなんかあった」
「何もないって」
「なんで嘘付くの?別に隠さなくて良いじゃん」
小さなため息を一つ吐いた彼女。
「なんも隠してないって」
私はお弁当を取り出して彼女に「ほら、食べよ」と声をかけた。
「桃の嘘つき。慧くんと何かあったでしょ。桃、分かりやすいんだから」
咲は苛立ちを隠そうとせず、パンの袋を乱雑に開けた。
「桃はいっつも一人で抱え込む。ちょっとくらい頼ってくれてもいいのに」
彼女はそう言いながらメロンパンにかぶりついた。
「…咲はほんと、よく見てるよね」
「桃が分かりやすいだけだって」
「…そっか……。咲には敵わないな」
私が力なく笑うと、咲はぐいっと身を乗り出した。
「で?何があったの?」
「いや…それが……」
私は声を落として昨日のことを話した。
話しているとまたグッと胸に込み上げるものを感じて、私はそれをぎゅっと押さえ込んだ。
「避けられた…?桃が慧くんに?ありえないでしょ」
咲は眉をひそめて慧のほうを盗み見る。
「わ、ちょっと、ばれちゃうから!あんまじろじろ見ないでよ」
「だってあの慧くんだよ?桃のこと嫌うなんてそんなわけなくない?」
「何を根拠にそんな自信満々に…」
「今までの二人を見てたら嫌うとかあり得ないよ」
「そんなのわかんないじゃん。だって私たち、ただの幼馴染みだよ?」
そう、ただの幼馴染みだから。
「でも桃は慧くんのこと好きじゃんか。慧くんが桃のこと好きでもおかしくないし」
「それとこれでは話が違う!私が好きって言ったって、別に両思いになりたいとかそういう訳じゃないし!…って、咲聞いてる?」
ちらっと視線を送った先を見ると、慧が私たちを見ていた。
私と目が合った慧は、ばつが悪そうに顔をそらした。
「桃…絶対慧くんは桃のこと嫌いじゃないよ」
「もう…咲は恋愛漫画の読みすぎだよ」
「いや…だって今…」
「もういいから!そういえば今日は放課後委員会があるんだっけ?」
「うん、面倒だけど頑張るわ」
「そっか、頑張れ」
その日、私は気まずそうにこちらを見ている慧に気づかぬ振りをして、一人で帰った。
「あのさ…、桃?今日一緒に…帰れる?」
数日別々に帰っていた私たち。
今日も帰ろうと荷物をまとめていると、慧が視線を落としながら声をかけてきた。
「うん…、いいよ。帰ろっか」
私はいつも通りの笑顔を浮かべると、荷物を持って慧と並んで歩き出した。
「桃…あの、怒ってる…よな。ごめんな…?」
困ったような寂しげな顔をする慧に私は胸がぎゅぅっと苦しくなった。
そんな顔をさせたいんじゃない。
もっと笑っててほしいし、できるなら私の前で私だけにその笑顔を見せてほしい。
…あれ、私はどうしたいんだろう。
「怒ってないよ。この間はごめんね?急に帰っちゃって」
分からない。私はなにがしたいの?
いつも通り。いつも通りに振る舞えば大丈夫。
いつも通りの幼馴染みを完璧に演じきればまた慧は私に笑いかけてくれる。
「いや…、俺はいいけど……桃が怒ってたから…。俺が避けちゃったからだよな、ほんとごめん」
「大丈夫だって!私こそ急に触ろうとしちゃったし。びっくりしただけでしょ?気にしないでよ」
「…そっか。ありがと。あと…桃、このあと時間ある?」
「ん?あるよ、どっか行くの?」
慧の目を見て話せてる。大丈夫。
「うん…ちょっと…駅前に行きたくて」
「りょーかい!行こ!」
たたっと小走りで「元気で明るい桃」を演じる。
うまくできてる、はず。
「わぁっ、こんなお店あったんだね…!」
連れていかれたのは駅前のお洒落なカフェ。
店内は女子高生やカップルで賑わっていた。
「慧、ここに来たかったの?確かに男の子一人じゃ入りにくそうだけど…」
「あ、いや…桃を連れてきたくて。ここ、新しくオープンしたみたいでさ」
「私を?なんで?」
「え、っと…その…、じょ、女子ってこーゆーとこ好きだろ?…みたいな……?」
だんだん小さくなっていく彼の声に、少しもやっとしながらくすっと笑った。
「まぁ人気だよね、メニューも可愛いし。慧はモテるからそういうの詳しそう」
自分で自分の首を絞めてるのは分かってる。
けど、「桃」を連れてきたかったって言ってくれた彼が、「女子」がこういうの好きだからと言ったのが少しばかり寂しかったのだ。
特別になれないと、なれなくていいと自分に思い込ませてるのに、やっぱり心は彼の特別になることを願っている。
「え?や、その、違うんだよ。えっと、だからね、桃」
挙動がおかしい彼はおどおどしたあと、すっと私を見つめた。
「女子が好きそうだから、っていうか。桃に喜んでほしくて。桃が欲しいものよく分からなかったし、桃、甘いもの好きでしょ?だから、喜んでほしかった」
まっすぐ私だけを見つめていた彼は、そう言い切ると、ひとりでに頷いた。
まるで自分が放った言葉の意味を噛み締めるように。
対する私は言われた言葉をうまく消化できなくて彼を見つめた。
「桃、とりあえず中に入ろ?」
「あ…うん」
私は言われるがままに歩き出し、彼の背中をただ追いかけた。
「桃、何がいい?好きなもの頼んでいいよ」
「えっと…」
彼からの視線だけで顔が熱くなるなんて、私、重症でしょうか。
それを誤魔化すようにメニュー表をぱらぱらめくると、美味しそうなパンケーキが目に入った。
しかし、学生には少し高い。
もう少し値段が良心的なものを探そう。
そう思って再びメニュー表に手をかける。
「あ…、私、これにしよっかな」
最終的に選んだのは、いちごのフラッペ。
慧はそれを聞くと、手をあげて店員さんを呼んだ。
「コーヒーフロート一つと、いちごのフラッペ一つ」
「ご注文は以上はよろしいでしょうか?」
慧はちらりと私を見て、付け加えた。
「あと、いちごのパンケーキ一つ。以上で」
「…えっ」
私ははっと彼を見上げる。
彼は私ににこっと笑いかけた。
不覚にも心臓がドキッと跳ねる。
慧ってこんな顔するの。こんな優しげな___
「って、いや、パンケーキ…なんで?」
「んー?桃が食べたそうだったから。いらないなら俺が食うし」
「え…でも……」
「いいの!俺が頼みたかっただけだし。俺の奢りだから気にすんなよ」
「いや、申し訳ないよ…。自分の分くらい自分で払うし」
「いやいや!俺が連れてきたんだし!それに今日は…」
彼がなにかを言いかけたときに私の前へ可愛らしいパンケーキが置かれた。
「わぁっ……!」
「桃…、誕生日おめでとう」
「え……っ」
私が大好きな慧の笑みを見つめていると、彼は鞄から小さな箱を取り出した。
「これ。誕生日プレゼント。桃に似合うと思って…」
慧は優しいから、高校生になった今でも毎年誕生日を祝ってくれる。
「えっ、ネックレス…!?可愛い……」
「気に入ったなら良かった」
優しく笑う慧を見て、ふと彼女ができたら彼はどんなプレゼントを贈るんだろうと思った。
駄目だ、慧が折角プレゼント用意してくれたのに、こんなこと考えてちゃ。
私は軽く頭を振ると、慧に向き直った。
「あ、ありがとう…!嬉しい……」
「桃……?どうしたの、体調悪い?もしかしてやっぱり怒ってる…?」
途中から声が震えてしまった私に、慧は心配そうに声をかける。
怒ってないよ。体調も悪くない。
嬉しいんだよ、あなたが私のことを想って選んでくれたという事実が。
私をこんなにも幸せにしてるんだよ。
それと同時に心の狭い私が出てきてその幸せを邪魔するの。
私だけ見てほしい、私だけのものになって、私だけ__って。
欲張りな私は、あなたを独り占めしたくてしょうがない。
でも弱虫な私はそれを伝えられなくて。
「え…っ、桃!?だ、大丈夫!?ごめん、俺なんか傷付けるようなこと言った…!?」
「…う……うぅ…っ」
涙が出てきて邪魔をするんだ。
言葉にできない、あなたへの想いが、涙に乗って溢れ出る。
ずっと伝えたくて、伝えられなくて。
「けい……、わたし……」
嗚咽混じりの小声にあなたはしっかりと耳を傾けてくれる。
その瞳が、その表情が、私の心をぎゅっと掴むんだ。
告白できる人はすごいって、ずっと思ってた。
でも、違ったんだね。
「…っ、す、き……」
「え…っ」
溢れ出る想いを言葉に乗せること。
振られたらなんて関係ない。
今、伝えたいんだ。あなたに届けたいんだ。
「慧……、私ね、慧が好きだよ」
目を見開いたあなたを見つめて笑った。
その反動で涙が零れる。
後悔なんてない。伝えたい想いを伝えた。
あなたを想うと胸が苦しいんだ。
気持ちが溢れて抱えきれないんだよ。
だから少しでも私が抱えてきたものがあなたに届きますように。
「桃…、ありがとう。でも…あー…くっそ…」
後悔じゃなくても、何か冷めた感情が襲いかかる。
振られる…っ。幼馴染みですらいられなくなる……。
「…ほんとは、俺が今日言うつもりだったのに。桃はいっつも俺の計画ぐちゃぐちゃにするよな」
「え……っ?」
「桃。俺からも言わせてよ。大好き。幼馴染みじゃ耐えれない。桃のこと独り占めしたい…。…俺と、付き合ってくれる…?」
「…………!!」
慧から発せられた言葉が私のための言葉だなんて信じられない。
私は声も出せずに首をこくこく動かした。
「…桃、可愛い」
「ふぁ…!?」
突然甘々になった彼に追い付けない。
「…俺の彼女になってくれるなら、俺だけの桃でいてね」
ふっと口角をあげた彼は少し溶けかけのコーヒーフロートをストローで混ぜる。
「うん……?」
意味がよく分からなかった私は、首をかしげながらフラッペに手を伸ばす。
「だからね…、大輝と距離近いんだよ桃。俺、流石に嫉妬するよ」
「し…っと!?慧が…?」
「そりゃね。俺、桃のことになると心狭くなっちゃうから。ごめんね?」
下から覗き込むように言った彼を直視できず、ぱっと目を逸らす。
「あはは、ほんと可愛い。パンケーキ食べないの?」
「あっ、た、食べる!」
「美味しい?俺にも一口ちょーだい」
「あ、うん。美味しいよ!はい、どうぞ」
私がお皿をすっと慧の方へずらすと、彼はじっと私を見つめた。
「ん……?食べないの…?」
「桃が食べさせてよ。ほら、あーんって」
「はぁ!?」
それから私たちはパンケーキを一つのフォークで分けて、フラッペもちょっと勝手に飲まれたりしながら、騒がしく、幸せに過ごした。
告白なんて言うから難しく思えるんだ。
ただ、伝えたくなったときに、伝えたい想いを伝えること。
それはすごく自然なことだと思うよ。
だからもしいつ告白しようなんて言っている子がいたら伝えたい。
そんな大層な勇気なんて要らない。小さくていい。大事なのは、伝えたい気持ち。
伝えたいって思ったとき、今すぐでもいい。伝えなきゃ駄目なんだよ。
まっすぐ、あなたの思いが相手に届きますように。