秘奥と秘密 第二節
「さて、リャージャ、ヨベク、事前に話した通り、頼んだぞ」
サネトはそう言いながら、魔腕の魔力を励起させる。赤い光が指先に至るまで走り、炎のように激しく明滅した。
「はは、すげぇや。試してみるか?」
一切微動だにしなかった魔人が、サネトの臨戦態勢を感じ取ってか、僅かに指先を動かした。
「二重加速」
それは今までの本来の最高速であるが、サネトはむしろ様子見でその術を使っていた。今、彼は魔力の腕によってもたらされた身体の拡張を感じ取っていた。
本来は身体に僅かな疲労と負担を感じる術だったが、彼の予測通り軽く発動することができた。一瞬で最高速度に達すると同時に、「勝利するもの」の背後に回り込む。だが奇妙なことに魔人は、先ほど見せた指先の反応以降、未だ動いていなかった。
本当に彼が最速の魔人であるならば、この程度の動きを見過ごすはずもない。だから、これは反応できていないのではなく、反応していないだけ。であれば、魔人は紙一重まで引きつけ、手痛い反撃を繰り出すのが目的であるのは目に見えている。だがここで引き下がれば、自分の斥候としての役割が果たせない。危険を承知で藪をつつく、それがサネトの役目だからだ。
双銃を組み合わせ、剣を作ると、サネトはそれを、魔人の脇、硬い外殻の隙間を狙って突き立てる。しかしサネトの攻撃は、何か硬いもので防がれた。後ろを向いていたはずの魔人は、こちらを向いており、そしていつの間にか手にしていた二振りの短い剣で、サネトの攻撃を防いでいた。
つまり、高速移動・思考が可能な今のサネトにすら反応を許さぬほどの速さで、魔人「勝利するもの」は、その死角からの攻撃をいともたやすく防いだ。
「はっ」
だがサネトの心はそれによって更に昂り、不敵に笑った。この魔人はやはり、以前目にした魔人に勝るとも劣らない存在だと。そしてだからこそ、今の彼の新たな武器と、力を試すのに適任であると。
「三重」
サネトは、これまで加速魔術を第二段階強化したことは、一度だけあった。その結果は悲惨だった。二秒で意識を失い、急いで集中治療を受けなければ、身体の神経と魔力経がずたずたに引き裂かれ、二度と魔力も体も動かせないような状態になりかねないほどの重体だった。そもそも一段階強化の時点で、常人では耐えられないのだから、当然の結果だった。サネトが二重加速に慣れるようになったのも、三年にも及ぶ血の滲む訓練の成果である。
だが、多くの人はこのサネトの努力を笑った。そもそも旧魔術式ならともかく、紅式魔術において、段階強化は非効率この上ないからだ。速く移動したいだけなら、「移動」に属する術を使えばいい。反応速度を上げたいなら、「思考」に属する術でいい。彼はしかし「生命」に属する身体強化での高速移動に拘った。そのせいで速く走ることができ、それに耐えられる肉体に作り替え、神経細胞を活性化し、更に臓器なども含めその高速移動・思考に合わせたものに調整しなおしている。人間の身体を「速く動き、考える装置」に変えるような術が、効率的なわけがない。
だがそれを知りながら、彼は「生命」術を鍛え続けた。そして、その「無駄」と「非効率」を究めた時、彼は唯一無二の「武器」を手に入れたのだ。
その限界の先へと進む時が訪れたことへの高揚感、サネトが、この死闘を楽しめずにいられるわけがなかった。
そして見事、二段階強化の高速移動を、彼は成し遂げた。身体や脳に負担は感じる。だが足は素早く動く。頭は正常に働く。神経が焼き切れるような感覚も、魔力経が氾濫するような感覚もない。
魔人が、サネトの剣を抑えている方とは別の手に持った剣で、サネトを斬りつけようとする。彼は体を翻して、その剣を避けると、一旦後ろに飛びのく。
(は、見える、見えるぞ)
魔人の動きは確かに速かった。しかし今の彼ならば、その動きを見定めることができた。
サネトは、魔人の世界に確実に追いついた。
魔人は躱したサネトに追い打ちをかける。そこに迎撃として、サネトは剣を双銃へ分解し、数発魔弾を放った。サネトはしかし、ある違和感を覚えていた。
銃弾が遅いのだ。
本来、目視できぬほどの高速で飛んでいくはずの銃弾を、彼の眼はしっかりと捉えていた。
彼がそんな奇妙な感覚で困惑していると、漸く銃弾は魔人の鎧に着弾した。薄い装甲には見えても、魔弾は表面を僅かに焦がした程度で、魔人の動きを抑えることもできなかった。
とはいえ、この銃弾の遅さは、今の彼の視点が如何に刹那の中にいるかを意味している。そのことに気づいたサネトは、むしろ達成感のようなものに浸り始めていた。
魔人の神速の刃を何度も躱しつつ、サネトは適宜魔人に銃撃や剣閃を浴びせる。魔人はその攻撃を躱そうという気がなく、真正面から鎧で全て跳ね返していた。ひたすら攻撃し続ける魔人、それを避け続け、有効打を返せぬサネト、一方的な攻守の関係は、魔人の斬撃の回数が二十を超えてなお、変わることは無かった。しかしどちらが優勢というわけでもなく、攻められ続けているサネトの表情には、笑みさえ浮かぶほどであった。
しかしこれだけのやり取りが行われているにも関わらず、世界の時間はさほど進んでおらず、サネトの加速魔術を二段階強化した際に舞い上がった土煙が、漸く再び大地に帰らんとする程度であった。
リャージャとヨベクは、少し離れたところから、その高速の攻防を眺めていた。
「ヨベク、動きは見れた?」
「はい。観測は十分です。予測演算に入ります」
しかしただ眺めているというわけではなかった。
「よし、じゃあ、どこに、いつ、撃てばいい?」
リャージャは、一見すると保護眼鏡のような、透き通った道具で目を覆う。
『空間・時間情報演算、因果律調整、力能評価、最終演算終了、端末の指示に従い、砲撃をお願いします』
ヨベクが、その保護眼鏡の装置を通じて、リャージャに話しかける。するとリャージャの視界には、突如詳細な情報と命令が現れた。
「承知」
リャージャの視界には、遺跡の崩落した支柱、その奥にある壁龕のあたりに大きな赤い丸と、数値が表示されていた。
その数字は、三、二、一、と数え降ろされていき、そして零に到達した瞬間、リャージャは持っていた大砲を、その赤い丸に向けて放った。
砲弾の先には、遺跡の壁、当然魔人の姿は無い。あとわずかで、遺跡に着弾するかといった矢先、突如その射線上に魔人の姿が現れる。魔人さえも、それは意識外のことだったのか、驚いたような反応を見せる。サネトとの攻防の流れで、魔人は、いつのまにかリャージャが砲撃した場所に「誘き」寄せられていたのだ。
しかし、この魔人「勝利するもの」の速度ならば、既に鼻先を砲火の熱を感じるような、この距離でさえ、砲撃を躱すことは可能だ。身体を止め、自分が動こうとしていた場所とは反対に戻れば、十分避けられる。
だが、それを許さぬものがいた。
サネトが、砲撃を避けようとする魔人の背を思い切り蹴とばした。当然その程度の攻撃、魔人に傷一つ付けることはできない。
しかし問題は、その威力ではなく、時宜であった。咄嗟の回避行動、当然それによって重心はずれ、体幹が乱れる。平たく言えば、今の魔人の体勢は、小突けば容易に転ばすことができたのだ。
魔人はまんまと、サネトに突き上げられた方へと身体がよろめく。そして流石の「勝利するもの」であっても二度の方向転換は間に合わなかった。
リャージャの攻撃は、無防備な魔人に見事直撃した。
爆炎の中に魔人の姿は消え、一旦サネトも足を止め、リャージャとヨベクの横に並んだ。
「まぁ、一旦第一の作戦は成功だな」
そう言いながら、リャージャとサネトがお互いの拳を突き合せた。
「ヨベク、俺の方にもここからは情報頼んだ」
「はい、情報更新速度は事前に相談した通りで構いませんか?」
サネトもまた、リャージャと同じ装置を顔に付けていた。
「いや、二、うん、二・三七倍で頼んだ。調整が必要なら、また通信で連絡する」
「承知しました」
三人が話し終えると、煙を切り裂いて、魔人が現れた。魔人は重傷を負っているというほどではなかったが、しかし鎧には凹みやひび割れなど、大きな欠損が確認できた。
「よっし、第二局面だ、気合入れてくぞ」
サネトの言葉が合図となり、魔人が再び走り出した。反応できるのはやはりサネトのみ。サネトは即座に「勝利するもの」の進路を阻もうとするが、しかし魔人の足取りは更に加速していた。サネトはあっさりと魔人に抜き去られる。いつの間にか、魔人は、リャージャとヨベクの背後に回り、その二振りの剣を、二人の頭上から振り下ろさんとしていた。流石にサネトは魔人に追いつくことはできず、そして狙われている二人もまた、魔人が背後にいることにはまだ気づいていなかった。
そう気づいていなかったはずなのだ。しかしリャージャは、何故か、自分の背後に向けて拳を振るっていた。
リャージャの腕甲は見事、魔人の顔面を捉え、そのまま魔人を勢いよく突き飛ばした。
「うわ、本当に当たった」
会心の反撃を放った当のリャージャはというと、しかし何故か自分の攻撃が命中したことに大層驚いていた。
「当然です。もう行動演算は十分に可能ですから」
「そうは言っても。これもう未来予知に足踏み込んでない?」
「私には時間操作はできませんよ。ネーパット様ならば可能かもしれませんが」
「可能なんだ……」
命のやり取りの場には似つかわしくない、呑気な会話を二人がしていると、突き飛ばされた魔人がゆらりと不気味に立ち上がった。思わずリャージャは身構えるが、しかし魔人はすぐにはその場を離れなかった。魔人は自分の持っていた双剣を、順手から逆手に持ち帰ると、足を開き、腰を深く落とす、低い姿勢を取った。大柄なサネトよりも一回りは大きかろうかという風貌の魔人の頭が、小柄なリャージャの腰より下にあるほどに、それは深く沈んだ体勢だった。
そして、ふっと魔人は音も無く消える。加速魔術を使ったサネトでさえ、動き出しの影が僅かに見える程度の超高速。音さえ置き去りにした瞬間移動と見紛うほどの急加速。
すると先ほどまでリャージャの隣にいたはずのヨベクが、突然サネトの方に飛んでくる。ヨベクには目立った外傷は無かった。ヨベクはその予測の術で、魔人の動向を細かく把握できていたが、魔人の速度に対して、身体がついていけず、やむなく緊急離脱として後ろに大きく飛びのいたのだ。
だが魔人は執拗にヨベクの首を狙い続けた。
サネトの速度は、「勝利するもの」に及ばない。
リャージャの破壊力は、「勝利するもの」を一撃で損壊するほどではない。
従って魔人は遠巻きに常に観測を続けていたこの機械人形の存否こそが、この戦いの趨勢を決めるものだと、この数度のやり取りで見抜いていた。
その判断は正しい。この戦いの場で勝利するものが、真に勝利を掴み取るためには、このヨベクを先に始末することが最優先である。
だが問題があるとすれば、ヨベクに「勝利するもの」の最高速度を見せてしまったにも関わらず、仕留め切れなかったことである。何故ならヨベクにとっての最大の不安が、魔人の最高速度については予測が曖昧なことであったからだ。
魔人が逆手に持った剣をヨベクに振るう。しかしその剣は、サネトの剣によって阻止された。サネトの剣をあしらい、もう片方に持った剣を邪魔なサネトに突き立てようとするが、それも紙一重で彼に躱される。それどころか、背後からいつの間にか接近していたリャージャに再び剛拳を振るわれ、魔人は大きくよろめいた。
後は、驚くほど簡単だった。
ヨベクの指示通りに、サネトとリャージャが動く。サネトがいなし、リャージャが叩く。これを数度繰り返すだけで、決着がついた。勿論リャージャの腕甲がネーパット製で、出力が遥かに上がっていたこと、そしてサネトの身体能力も驚くほど向上していた。だがそれを踏まえても、「高貴なるもの」に劣らぬ魔力の持ち主であるはずの「勝利するもの」が、サネトたちに目立った傷一つ付けることなく、「魔人の心臓」と化していたことに、当のサネトとリャージャでさえ驚きを隠せなかった。
「え、終わった、のか?」
「はい。お疲れさまでした」
ヨベクは、地面に落ちている「勝利するもの」の心臓を拾い上げ、ぺこりとサネトとリャージャに向かって会釈する。
「では、帰投いたしましょう」
ヨベクは、その心臓を手にしたまま、何も無かったかのように踵を返した。サネトとリャージャの二人は、どこか気持ちの整理がつかないまま、ヨベクの後を追いかけた。
「おや、今回は治療の必要が無さそうだね」
戦いの翌日、三人が、ネーパットの家に戻ると、家主は、表のぼろ家で、彼らを出迎えた。
「……、ヨベクを貸し出した分、報酬を下げる、とかは無いよな?」
「うん?無いよ。それが壊れたとしても、きちんと満額支払うよ」
今回の功労者であるヨベクのおかげか、あまりに楽に依頼を達成できてしまったことで、サネトは思わず心配になって尋ねるが、ネーパットはその不安を払しょくするように軽く答えた。その隣で、ヨベクは手にしていた魔人の心臓の保管器をネーパットに渡していた。
「さて、今回の報酬を振り込む、その前に、一つ確認だ」
「何だ?」
「もし、その義手と大砲、まだ改良できると言ったら、どうする?」
ネーパットがそう言うと、サネトは驚き、思わず自分の義手を見る。
「これで、まだ改良の余地があんのかよ」
「そりゃそうさ。君たちに渡したのは、特価で取り組んだとはいえ、一億で出来る範囲のものだ。かなり基本的な機能に留めている。だから、金をかければかけるほど、良いものにできるよ」
「……」
サネトとリャージャはすっかり唖然としていた。既に既知の技術力とはかけ離れた超兵器、それでもネーパットにとっては、ほんの基礎的な技術しか用いられていないという。その事実は、強敵との戦いが、あっさりと終わったことで冷め始めていた二人の心に、新たな熱を生んだ。
「それにも、一億かかるの?」
「まぁ。一億は取らんが、今の武装の状況なら、サネトは八千万、リャージャは五千万くらい貰わなきゃ、碌な改良はできんな」
リャージャの問いかけに、ネーパットが答えると、サネトは少し頭を抱えた。
「なんで俺の方が高いんだ」
「そりゃ、アンタの義手は本来五億相当、リャージャの大砲は三億強。改良費も一・五倍くらいにはなるよ」
「ごっ!?」
不意に飛び出したネーパットの言葉に、二人は更に肝をつぶした。それが事実なら、彼らの武器は特価どころの話ではない。
「ああ、安心しなよ。別に差額を取り立てたりしないよ。で、どうするんだい?改良?それとも貯金かい?」
「……一応聞いておくんだけど、魔人ってあと何体倒すの?」
リャージャは、ネーパットの問いの判断材料として、今後獲得可能な収入の量を尋ねた。
「うーん。全部で十三体だね」
「わかった。私のは改良して」
まだ思い悩んでいるサネトをよそにリャージャは、その情報で即決した。
「なぁ、改良するとして、第一の改良点はなんだ?」
「サネトの腕の場合は、軽量化、先の戦闘情報に基づく魔力経、神経接続の再調整、強度向上だね。ああリャージャの大砲は、装甲部の固形魔力の品質向上が主だよ」
その内容を聞いてサネトも決心が決まったようだった。
「わかった。俺も改良を頼むよ」
「そうかい。じゃあ報酬から改修費用を引いておくね。あと二人とも、一応聞いておくが、今回の戦いで、何か奇妙な心身の疲労や虚脱感はないかね?」
「過剰償却のことか?心配するな、絶好調だ」
それを聞いたネーパットは、安心した様子で、家の奥へと進んでいった。
「ついておいで。義手と大砲を工房に持っていく必要があるからね。わしとヨベクに運ばせるつもりかい?」
そうネーパットに言われて、サネトとリャージャも慌てて彼女の後をついていった。
サネトとリャージャ、ヨベクとネーパットは、ぼろ家の奥、腐った木の板で偽装された秘密の昇降機に乗り込む。昇降機は四人が乗るには手狭で、特に大柄なサネトにとっては、かなり息苦しかった。
昇降機はあっという間にネーパットの地下施設に辿り着く。昇降機の扉が開くと目の前には大きな真っ直ぐの白い廊下。廊下の横脇にはいくつも扉があったが、そのうちの一つをネーパットが開くと、その先は工房のような大きな機械が大量に並ぶ部屋だった。
「ここで色々作ってるのか?」
サネトは、見たことも無い技術で作られた機械に目を輝かせていた。なるほど、これほどの工房であれば、見事な機械も作ることが可能だろう。
「ああそうさ。だが一応わしかヨベクの同伴なしではここには入らないでくれ?まぁ最も、入れないんだが。君たちがわしらの許可なく入れるのは、前の会議室や、病室だけだよ」
サネトとリャージャも、その忠言には決して違和感を覚えなかった。普通なら、技術者が最新の技術を隠すのは当たり前の事。未知の技術ともなればなおさらだ。
「では、この台の上に、義手と大砲を置いてくれ」
ネーパットがとんとんと大きな台を叩く。サネトは義手、そしてリャージャは、手持ち可能に小型化された大砲をその台の上に置いた。
すると台の上に載っていた二つの魔導機械が、突如浮き上がった。そして台の周りの中空に映像や文字情報が大量に表示されていく。
「なるほどね。君たち、本当に優秀なんだね」
ネーパットはその大量の、しかも数秒ごとにどんどん切り替わっていく情報を瞬時に理解し、何かの命令を自分の前に投影された文字盤で打ち込んでいく。サネトとリャージャは、その表示される情報を理解しきれていなかった。
「よくもまあ、こんだけの情報をすぐ読み取れるな」
「うん?あー、まぁ耳が聞こえない分、普段から目に頼って何から何までこなしているからかね?昔から速読は得意だったよ」
サネトの問いにも、ネーパットは作業を進めながら流暢に答えている。
「もしかしたら、ちょっと不快な質問かもしれないけど、人工聴覚じゃなくて、どうして可聴化手術は行わないの?こんだけの技術と、私達を回復した医療装置があれば、なんてことないはずでしょ?」
「そうさな。じゃあリャージャくん、君は何で翼を持ってないんだい?」
最初、リャージャはネーパットが、作業の片手間だったために、自分の質問をよく理解していないのだと考えていた。それが、あまりに先ほどの自分の問いかけに合わない受け答えだったためだ。
「えっと、翼は、関係なくない?」
「いや、大ありさ。世の中には飛行装置を持っている人間なんていくらでもいるだろ?なのにどうして誰も翼を生やす手術をしないんだい?実際遷者の中には、翼のある者もいるだろ?わしにとって、聴覚はそういうものさ。疑似聴覚だって、君たちのような手話のわからん連中のために作ったのであって、私のために作った物じゃないよ。聴覚が無いから劣っているとは、わしは思わない。わしにとってこれが正常なんだよ」
そういうもんか、と半分納得、半分疑問視といった状態に、サネトとリャージャは陥った。ネーパットの説明は説得力こそあるものの、あまりに自分たちの感覚からは想像できないためだ。
「なるほどね、意外と丁寧に使いこなしているじゃないか。それに反応を見ても、もう少し魔力量を増やしても問題なさそうだ」
ネーパットが次々と文字盤に命令を打ち込んでいくと、その機械の腕は、次々とサネトの義手と、リャージャの大砲に手を加えていく。そして五分もしないうちに、一度はバラバラになった二つの機械は、すぐに元の形へと戻っていった。
「さ、終わったよ。サネト、義手を付けてみてくれ」
サネトは、言われるがまま、義手を右腕に装着する。以前は僅かに疼きのような不快感を覚えたが、今回は静電気のような小さな刺激が走った後、すぐにそうした装着に伴う違和感は収まった。
「軽くなったな」
「ああ、出来れば元々使っていた腕と同じ重量にしたいからね。ほらリャージャも展開してみてくれ」
リャージャも、小型化している大砲を手に取ると、それを展開し、元の大砲へと戻した。大砲を軽々と片手で振り回した後、今度は腕甲形態に変形させ、腕にそれを装着する。
「うん。良いね。『これくらいのことならできる』みたいな感覚が増えた気がする」
サネトもリャージャも、すぐさま機械の改良を実感できたようで、すっかり大金を費やしたことを忘れていた。
「よし、じゃあ余りの金は振り込んでおくよ。それと次の標的だが、どうする?今日は一旦休んで、後日にするかい?」
ネーパットの言葉を聞いて、二人は少しだけ互いの顔を見合った。辛勝こそしなかったが、先の魔人「勝利するもの」との戦いは、決して平易なものではなかった。確かにヨベクの推測は戦いを有利に進めはしたが、ヨベクの計算は、全て、サネトとリャージャが一瞬たりとも油断せず、常に全力を賭して戦うことで想定したものであった。従って、二人には、極度に尖らせた集中力と、今までの自己の限界を軽く上回る更なる高みが要求されていたために、疲労が無いわけではなかった。
だが、彼らの心の火が、燃え尽きたとはとても言えないことも、また事実であった。
「聞かせてくれ。今日明日は装備の整備に使うが、二日後には向かうから」
彼らの決断は早かった。
「それなら話は早い。ああそれと、今回はヨベクの派遣は無しだ」
「え、なんでだよ」
しかし突如彼らの判断を鈍らせるような追加情報がネーパットから告げられる。
「ほら、この機械人形を戦闘に駆りだしたのも久しぶりだから、ちょっと調整したいんだよ。それに次の相手、そうさな、『偉大なるもの』とでも名付けようか。あれにはヨベクはあまり役に立たんよ」
「ちくしょう、ちくしょうちくしょう!」
激しく金属同士が叩きつけられる音が、怒号と共に洞窟の中で何度も響き渡る。
「リャージャ、一旦引こう、こりゃやるだけ無駄だ」
サネトが珍しく感情を爆発させているリャージャを制止する。
リャージャがその厚い装甲の機械籠手で、幾度も叩いていたのは、荘厳さも不気味さも感じる、異質な光を宿した重厚な鎧を纏う魔人、名を、『偉大なるもの』、その名に恥じぬ、神の如き御稜威を放つ荘厳な存在。だがその魔人は一度たりとも動かず、一度たりとも攻撃を躱そうともしなかった。
ひたすらに、ひたすらにリャージャの剛拳をその身に浴び続けた。だが一歩動かすことも敵わず、傷一つ付けることも敵わなず。ひたすらにその強固な鎧が、リャージャの攻撃を全て防いだ。
「クソが。この、バケツ頭」
サネトに力づくで引っ張られながら、リャージャは悪態を吐き捨てていった。