砂海の賢者 最終節
魔人とサネトとリャージャはただじっと動くこともなく、互いに睨み合っていた。というよりも、魔人の睥睨が、二人の脚を竦ませていたという方が正しい。
「サネト、大丈夫?」
サネトよりも魔力に優れるリャージャは、少しだけ口を動かすことができ、目の前の彼に声をかける。その声に正気に戻ったサネトは、自分の役割を思い出した。
「うし、いける、いけるぞ。リャージャ、お前も大丈夫だな?」
サネトは声を震わせながら、隣のリャージャに話しかける。リャージャはゆっくり首を縦に振ると、サネトは懐から小さな道具を取り出した。それは掌に収まる程度の金属製の筒であった。彼はそれを下手で投げ、未だどっしりと座り込んでいる魔人の足元に転がっていく。
そしてそれに対して、二人は急いで洞窟の入り口に向かって走り出した。彼らがもう少しで洞窟の外に出るかというところで、彼らの背後、洞窟の奥底から強烈な閃光とけたたましい爆音が溢れる。
洞窟の崩落に巻き込まれそうになりながらも、二人は何とか洞窟の外に出ることができた。二人は一息ついて、自分が逃げ出してきた洞窟の方を見る。洞窟は砂煙を未だ巻き上げていたが、すっかり入り口は大きな岩に埋まっていた。
「ねえ、これで魔人倒してたら、心臓も潰れちゃわない?」
「……、そんなやわじゃねえだろ、……多分」
自信の無さそうなサネトだったが、彼らの不安を払しょくするように、強大な魔力の奔流が、崩れた岩の間から溢れてくる。
その魔力は先程感じたものと、明らかに質が違った。
明確な「敵意」を含んでいたのだ。
洞穴を封じていた落石は、赤い光と共にはじけ飛び、洞窟の主が姿を現した。
体は黒い鎧に身を纏い、そして右腕には長方形の大きな盾、そして左手には重厚で巨大な馬上槍。体高だけなら、サネトの二倍程度の大きさだったが、そうした巨大な装備も相まって、まるで重機のような威圧感をその魔人は放っていた。
サネトとリャージャは武器を手に取り、魔人に構える。しかし魔人はまたも止まって動かなかった。二人は、その魔人の様子に疑問を抱きながらも、双銃と大砲の砲撃を魔人に的確に浴びせる。しかし魔人は、手に持つ巨大な盾にも関わらず、それらの砲撃を一切に防がなかった。だが、それらの銃撃は一発たりとも、魔人をたじろがせることも傷つけることもなかった。黒と赤の鎧は、彼らの攻撃をあざ笑うように、磨かれた宝石のように輝き続けていた。
「リャージャ、手筈通りに」
だがサネトもリャージャも、驚くほどの魔人の硬度に焦りはしていたが、狼狽えてはいなかった。彼らはすぐに次の策に移る。
サネトとリャージャは共に、洞窟の入り口から、崖の壁沿いに遠ざかっていく。そして先ほど仕掛けを施した、突き出た岩の下までたどり着くと、再び魔人の方を向き直る。魔人はゆっくりと、槍を構えながら優雅に二人の方へ歩いてくる。その姿は確かに、ネーパットが「高貴なるもの」と名付けた理由がよくわかるものだった。
だが、魔人の槍の穂先がサネトらに届くか否かという間合いに入った時、突如魔人の足元で機械音が鳴り、そして魔人はまるで重荷を背負わされているかのように、跪いてしまう。
それだけではない。その装置の作動とほぼ同時に、魔人の遥か頭上で爆発音が鳴り、およそ二十ラットの岩石塊が降り注いでいた。その落石は最初、垂直に自然に落ちていたが、途中で突然大地に引き寄せられるように加速し始めた。それは魔人の身動きを一時的に封じていた装置は、重力の過重を行うものであり、結果彼の上空にある岩石も、その重力操作の圏内に入ったことで加速したのだ。
まだ落ちてくるには時間がかかると思われていた岩石は瞬時に魔人へと降り注いだ。隕石でも落ちたと錯覚するほどの大地の揺れと衝撃波。サネトとリャージャは重力装置の作動と共にできる限り魔人から離れたものの、その衝撃に吹き飛ばされてしまう。
彼らが対峙していた山間の淵は、一瞬で土煙に覆われてしまった。
「リャージャ、ごほ、リャージャ!」
煙の中で、相棒の安否を確かめようと声を荒げるサネト。
「大丈夫」
リャージャも咳き込みながら、サネトの問いかけに応え、お互い声の方向へと進むと、すぐに互いの無事を確認できた。
「サネト、これも魔人の心臓、壊してないかな?」
「……うーん。ちょっとやりすぎたか……」
だが、やはりそれも杞憂だった。
突如、未だ視界を覆う土煙の中にあってなお、目が眩むほどの激しい赤い光が、明滅し始めた。落雷のような轟音、そして突如その赤い光が、一閃、サネトとリャージャの元へ走ってくる。
その光はあまりに早かったが、加速魔術を使用しているサネトは一行動を取ることができる程度の余裕はあった。サネトは隣にいるリャージャを左手で突き飛ばす。だがその結果、サネトは自分自身が赤い光から完全に逃れるほどの余裕を得ることができなかった。
結果、彼の右腕は雷から逃れきれず、二の腕から先の腕が全て一瞬で消し飛んだ。
「サネト!!」
相棒が自分を庇って重傷を負っているのを見たリャージャが、思わず叫ぶ。しかし一方のサネトは、一瞬で腕が蒸発したせいか、痛みはさほどなく、かえって頭は冷静そのものだった。
そして彼は、今の雷は良くて牽制、最悪、魔人がただ力を解放した結果の余波でしかない可能性があることに気づいていた。
本当の攻撃はむしろここから始まる。
魔人は、土煙を切り裂いて、二人の直前まで近づいていた。そしてそれは、大槍を振りかざし、それをサネトの身体に突き立てようとする。
「うらあああ!!」
だが、その魔人を、リャージャが大砲を腕甲に変形させつつ、殴りつける。重く、かつ素早い拳の連撃は、あの砲撃でさえたじろぐことの無かった魔人を退けた。
「飛んでけぇ!!」
リャージャの右腕には、肌の色とは対照的な銀色の光が纏われ、そしてその光の拳は、魔人を岩壁まで弾き飛ばした。
「リャージャ」
サネトが、リャージャの肩を、残った左腕で触れる。リャージャは、それで彼の方を向き直り、サネトの容態を心配そうに見つめていた。
「意外と大丈夫だから安心しろ。それより、今の、本気で殴ったか?」
サネトの声は、僅かに弱々しくはなっていたものの、確かに空元気というわけでもなさそうだった。
「うん。残念だけど、今のが最大出力」
そう言いながら、リャージャは最後に殴った右腕の装甲をサネトに見せる。その装甲は、衝撃に耐えきれず、拳部分が歪にへしゃげていた。
「てことは、どうやら、限界を超えなきゃ倒せそうにもないな、あれ」
サネトが顎で先ほど魔人が飛んでいった岩壁の方を指す。魔人はやはり、五体満足で、悠々と立っていた。
「でも、ちょっとは効いてるみたいだ」
リャージャの言う通り、先程まで傷一つなかった魔人の鎧は、いつの間にかあちこちに浅いヒビが入っていた。
「よし、じゃあ作戦は単純明快、いつも通りだ。俺が陽動、リャージャが隙を見て叩く。いいな」
サネトは冷静に戦いの方針を呟くが、しかしリャージャは素直に首肯することができなかった。
「安心しろって。片手でも役割は果たすからよ」
そう言って、サネトは残った左腕を、健勝であることを示すかのように、ぐるぐると回していた。当然、リャージャが心配することは、そのことではない。
しかし、リャージャは、サネトの意思を尊重することにした。同時にリャージャは、信じていたのだ。サネトが優秀な狩人であり、このような窮地を乗り越えることができると。
サネトが先陣を切って走り始める。
「|反復<ユーオ>」
サネトは、魔術の再使用を行うが、彼の先ほどまでの加速魔術はまだ解けていない。従ってこれは、同じ術の重ね掛けとなり、その速度も更に上がる。彼の得意とする二重加速であり、「最速の狩人」の異名を得るようになったきっかけでもある。
彼は双銃を、器用に片手で変形させ、光の剣へと変える。サネトの速さに魔人はついていけず、乱暴に槍と大盾を振るが、一切彼に当たらない。むしろ、サネトは的確にそうした攻撃に合わせ、関節や死角に魔力の刃を叩きこんでいく。弱所というほどのものではなかったが、魔人の動きを阻害するような攻撃となっており、彼の速さも相まって、的確な反撃を行うことができなかった。そこに、リャージャが、再び銀色の光を纏いながら拳をふりかぶる。魔人は小うるさいサネトを無視して、それを迎え撃とうと、槍の穂先をリャージャに向ける。だがサネトが、魔人が槍を持つ左腕の肘関節に合わせ短剣を振りぬくと、槍を持つ腕の力が分散してしまう。
結果、魔人はリャージャに反撃を行うことができず、その拳を顔面に受けることとなった。再び魔人が岸壁まで叩きつけられ、ここを好機とみたリャージャとサネトは、攻めかかろうとするが、彼らと魔人の間に小さな岩が落ちてきて、それを阻止した。
二人が上を見上げると、先程の落石や、ここまでの攻防で、淵を囲む岩壁が崩れ初めていた。二人はこのままでは、この大穴が埋まる可能性があると察し、即座に魔人を置いて、岩壁を登り始める。サネトは、その速度を活かして岩壁を器用に走り、そしてリャージャは、銀色の光を今度は足に纏わせると、大きく跳ね、岩壁に張り付いては、再び跳ねを繰り返した。サネトは途中重力に負けそうになったので、吊り下げていた鋼索を掴んで、それを伝って山頂へと戻った。二人の予想通り、大きく山が崩れ、二人が先ほどまでいた裂け目は見る見るうちに崩れ、埋まっていった。
しかし二人は確信している。大地の崩壊の中にあってなお、「高貴なるもの」と名付けられた魔人は生きていることを。
その証はすぐに訪れた。突如、二人の足元から赤い光の柱が立ち上がる。それは文字通り大地を切り裂き、そして光が収まると、その大地の傷痕から一つの人影が飛び出る。
魔人はサネトとリャージャの前に着地し、二人を以前にもまして強く睨みつける。これまでの周囲を飛び回るうざったい小蠅を追い払うようなものではない、真に二人を敵として認識し、打ち倒そうとする強烈な殺意。
しかしよく見れば、魔人の艶やかな鎧には、くすんだ箇所が複数見当たる。それは単なる土埃による汚れなどではなく、明らかに衝撃による変形と傷によるものだった。
最初の重力装置による落石や、大地の崩落が、頑強な魔人の鎧を確かに歪めていた。そのことには、サネトとリャージャも気付いていた。二人は特に胸板の装甲の大きな陥没に注目し、そこを重点的に狙うことにした。
サネトが再び全速力で走りだす。
しかし対する魔人は槍を構えもせず、盾も自分の身体の正面には構えず、彼らの狙う体の正面は、無防備な状態であった。まるで狙えとばかりの体勢、罠なのは確実、だがそれを理解していても、サネトは止まらなかった。サネトは短剣を、その胸へと突き立てようとする。だが突如魔人の身体から、赤い光がにじみ出る。サネトはすぐにそれが何か理解した。彼が急いで踵を返し、魔人から離れる。
そして次の瞬間には、魔人を中心に、半径二十ラットほどの領域が、赤い光に覆われていた。サネトは間一髪、その反撃の外へ出ることができた。
(好きなだけ、反撃するんだな)
魔人の全方位の攻撃を、サネトはどうすることもできない。しかし、それでも彼は、構わないと考えていた。魔人が心臓として休眠に入るのは、魔力の生産量に対して消費が極度に上回った状態が続くことが原因。その不足状態は、魔力で形成された体が極度に欠損した場合、その修復に大量の魔力を消費したり、あるいは規模の大きな魔術を繰り返すことで生じる。従って、先程のような大雑把な反撃を誘引することも、サネトの狙いの一つであった。
サネトは再び、魔人に接近する。その間リャージャは離れた位置で、魔力を込めていた。一瞬の隙を狙い、最大級に研ぎ澄ました一撃を確実に叩きこむために。サネトは魔人の背後に回り、死角から襲い掛かる。再び同一の反撃を行うことを期待していたが、魔人は意外にもこれといった行動には出ず、ただサネトの攻撃を背中で受け止めた。サネトはそこから、魔人の周りを上手く走り、何度も短剣で斬りつける。多くの箇所を乱雑に攻撃しているように見えて、全て鎧の傷に合わせていた。そして本命の胸の傷にも、二度三度、攻撃を与えることに成功した。魔人は、奇妙にもその攻撃を一切の反撃をせずに受け続けた。
サネト自身も、魔人がしていることが、彼の観察であることには薄々気づいていた。彼は、魔人よりも、確かに速さや反応では勝っているが、魔人の目は、少しずつ彼の動きを追いかけ始めていた。速さに慣れたのか、それとも彼の動きを観察して法則性を見出したのかはわからないが、いずれにせよ自分の牽制が通用しなくなるのは、決して遠い話ではない。
もっとも、サネトとて、黙ってそれを許すほど単純ではない。
彼は剣で斬りつけると同時に、ある仕掛けを魔人に施していた。
魔人は、機械の如き正確無比な頭脳で、サネトの動きと傾向を記録、演算した後、更にその自分の肉体の機能、特に所謂「反射」の機能を改良していた。魔人は、サネトを倒すのに最適な身体に、自分を作り替えていたのだ。
魔人は、とうとうサネトの動きを完全に捕らえた。剣を振るおうとするサネトの頭に向けて、槍の柄を振るう。近接戦闘には不向きな巨大な槍ではあったが、柄を用いた攻撃であれば、小振りでかつ最短距離を素早く打ち抜ける。サネトはその完璧な反撃に成すすべなく直撃し、彼自身の速度も相まって強烈な一撃となってしまう。
サネトは吹き飛ばされ、片腕も相まって受け身も取れず、痛みに悶絶しながら地に臥せる。そこに止めを刺そうと、魔人は横たわるサネトに槍を振り下ろそうとする。しかしサネトは吹き飛ばされると同時に、器用に懐で、ある装置を作動させていた。
それによって、サネトが魔人の身体のあちこちに仕掛けていた、小型の爆弾が爆発する。破壊力こそ低いものの、関節などに細かく仕掛けられていたため、動きが阻害され魔人の追撃は失敗に終わった。槍はサネトの横の地面に深々と突き立てられた。
そして、その一瞬の停滞を、リャージャは見過ごさない。
全身で励起させた魔力を、左拳の一点に集めながら、魔人に接敵した。
「第七位覚醒・白の竜因」
それは、魔術的な意味を持つ詠唱ではない。だがリャージャがそう唱えることで、腕に集まった魔力は、恒星の如き輝きを放ち始める。リャージャは、竜因である自身の肉体に「目覚めろ」と命令を下したのだ。リャージャの拳は、魔人の胸を的確に捉え、外装を破壊した。と同時に、衝撃に耐えきれず、リャージャの左腕甲も木端微塵に砕け散る。魔人は、魔力の欠片を散らしながら、後方へ大きく吹き飛ぶ。その衝撃で、魔人は盾を手放してしまったが、左手の槍を地面に突き立てながら、動きを制御しようと試みる。
リャージャは更に、腕の装甲を残した右腕に竜の魔力を込めつつ、体勢を整えようとする魔人に肉薄する。
リャージャの拳が再び魔人を打ち抜くかと思われた時、その攻撃はすんでのところで止まる。リャージャの胴体に、魔人が持っていた槍が突き立てられていたのだ。
丸太のように太い馬上槍は、小柄なリャージャの腹を貫通し、内臓を悉く吹き飛ばした。即死に至ってもおかしくない身体のひどい損傷ではあったが、竜因としての高い魔力を持つリャージャは、それでもなお生き残った。しかし、常人なら絶命必至の重傷は、文字通りリャージャに死ぬほどの苦痛を与える。
サネトがそれを目にして、慌てて走り出す。最高速かつ全体重を乗せた愚直な突進で、魔人を弾き飛ばす。魔人の手から槍が離れ、何とかリャージャに止めを刺すことを阻止できた。一方サネトは、魔人の強固な鎧に全力でぶつかったせいで、身体の一部の骨にひびが入る。だが友の瀕死に際して、彼の興奮状態の脳が痛覚を弛緩させ、彼は本来ならば激痛で悶えるその損傷に気づいていなかった。
しかしそれだけの捨て身の体当たりでさえ、魔人の重心をよろめかせただけにすぎず、魔人は冷静に張り付いているサネトを引き剥がし、彼の腹部に拳を叩きこんだ。口から、サネトは血を吐く。彼の内臓を守る骨は粉々に砕け、そして衝撃は体の中心にまで突き抜けた。だがサネトは、瀕死の状態にあってなお、短剣を魔人の鎧に突き立てた。
「ぐおおおおおおおお!!」
骨と肺が傷つき、呼吸すら難しい状態で、力を捻りだすように上げた唸り声は、とても人の口から出てくる声には聞こえぬほどの悍ましいものだった。
魔力の刃は、少しずつ鎧の中に入り込み、魔人の内部を焼き切ろうとする。
魔人にとってもその反撃は想定外だったのか、虚を突かれたように一瞬動きが制止する。だがすぐさま拳をサネトの頭に振るって、彼を引き剥がした。頭から血を吹き出しながら、サネトはまるで棒きれのように、力なく吹き飛ばされる。
サネトの決死の攻撃が、魔人を大きく傷つけることは無かった。だが魔人と彼との短くも激しい攻防は、リャージャのある動きを魔人に悟らせなかった。
突如、魔人の頭に、巨大で重厚なものが高速で飛来し衝突する。魔人すら耐えきれぬほどの強い衝撃に魔人は後方に倒れ込んだ。更にその兜を模した頭部に大きなひびが入っていた。先程魔人が手放した盾を、リャージャが力いっぱい投げつけたのだ。攻撃はここで終わらない。リャージャは更に、その盾を空中で拾いなおし、それを両手に持って倒れていた魔人の胸部に勢いよく叩きつけた。魔人は何とか抵抗しようと体を捩ろうとするが、リャージャの追い打ちがそれを許さない。幾重にもリャージャの盾を利用した攻撃が続く。その度にリャージャの空洞の腹から血とも臓物ともとれる赤い何かを撒き散らしていく。
盾が魔人の鎧を砕く度に、魔人の身体がリャージャの血で赤く染まっていく。一見すると魔人が流血しているかのようにも見えた。一撃ごとに、リャージャの体は文字通り削れていくが、それに反比例するかのように、その体に纏う竜の魔力は増加していく。そしてその攻撃の速度もどんどん速まっていく。魔人の身体の中央には、巨大な陥没が生まれ、そして一撃ごとにそれは更に深く、更に歪になっていく。
魔人の力も徐々に弱っていき、最初は反抗すべく暴れていた両腕も、力なく地面に垂れていた。魔人の身体を走る赤い光も弱々しく明滅し始めていた。
だが、リャージャが最後に最大の力を込めた一撃を繰り出そうとしたとき、突如魔人の胸元から赤い光が溢れ始める。疲弊しきったリャージャは脅威を感じていながら避けることができなかった。
赤い光は激流となって吹き上がり、リャージャを弾き飛ばした。その身を魔力の炎が焼き、とうとうリャージャは意識を手放してしまった。
魔人は、その激しく損壊した身体を悠然と起こした。魔力の度重なる消費からか、それとも勝利の安堵からか、周囲への警戒心はそれほど感じられない。
そしてそれが、「高貴なるもの」の致命的な敗因となった。
リャージャが徹底的に破壊した魔人の胸部を、何かが貫いた。
魔人は自分の胸を見る。それは、間違いなく、自分が先ほどまで使っていた槍。その槍が背後から胸にかけて、魔人の身体を貫いていた。
「リャージャと同じ苦痛を味わえ」
背後から届く弱々しくも、逞しい声。
片腕を失い、全身のあちこちの骨が砕け、内臓が破裂するという、瀕死のサネトが、魔人の槍をもって、その本来の持ち主の活動を終わらせた。
「高貴なるもの」の身体は徐々に霧散していき、サネトが手にしていた槍も同様に消えていく。そして魔人は最後に、心臓というにはいささか無機質な赤い結晶を残して、消えていった。
それを見届けたサネトも、そこで気を失った。
サネトとリャージャが、死闘の末に、魔人を討ち取ったのと同時期に、<紅玉>の世界政府の中枢で、政府高官のクトゥンが、各省庁の官僚たちと、通信機器でやり取りをしていた。
「従って、水生産の重要性はかなり落ちてきていると言えます。土地再生のおかげで、ここ十年の<アーヴェ>大陸、及び、<ヌズ>列島の降水量は拡大しており、また浄水設備も魔工による度重なる改良で、再生率はかつてのそれとは格段に上がっています。従って、段階的な生産装置の停止によって、魔力消費を……」
クトゥンの話の途中で、突如彼の執務室の呼び鈴が鳴る。
「失礼」
クトゥンは、事前に助手には「緊急以外では会議が終わってから」と口添えをしていたため、これが火急の用であることすぐに察したのだ。会議を中断し、クトゥンは扉を開く。
「どうした?」
彼が扉を開けると、そこにはクトゥンの助手が慌てた様子で立っていた。
「魔工宗匠のクヴェユヴェク様からの一報です。強力な魔力反応が<エッペフィ>山地で確認されたとのことです」
それを聞いて、クトゥンの猫耳が、ぴんと立ち上がる。
「わかった。今すぐ向かうぞ」
「え、ええ!?クトゥン様自ら行くので?」
「当たり前だ」
そう言ってクトゥンは、先程の会議に再び顔を出すと、今回の議題は次回に改めて、と断り、助手を伴ってすぐに中央局から飛び出していった。
「あの、クトゥン様?反応が確認できた場所は、最寄りの水晶門からもかなり遠方です。どうやって向かうんですか?」
二人は水晶門まで向かう列車に乗りつつ、魔工より送られてきた資料に目を通していた。
「残念だが単車だ。長距離飛行可能な飛空艇は気軽に飛ばせないからな」
それを聞いて、助手は落ち込み、青ざめる。これから片道だけでも半日以上かかる距離を、しかも人里離れた荒野で、乗り心地の決して良いとは言えない小型単車で移動するのは、想像するだけでも相当な苦痛だったからだ。