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被造物の反逆 第四節

 砂漠の中央、人里から離れた渇きの大地に奇妙な現象が起きていた。まるで沸騰した湯のように、そこかしこで砂がぼこぼこと膨れ上がっていた。その数秒後だった。

 砂の海が突如破裂し、巨大な火柱が立ち上がった。

「なんじゃありゃ!」

 魔力の高まりを察知して、魔工と竜因たちは遠方へ急ぎ避難していたが、それでも彼らは身を守るために魔術を展開せざるを得ないほどだった。爆心地から離れていても、爆風と熱波、砂礫は、十分な攻撃力を備えていたためだ。

「あれが、英雄か」

 未だ砂煙の中で、実際に被害の規模は目にすることはできない。しかし、爆発直前に彼らが感じた魔力量が、何より破壊力を物語っていた。

「彼らは無事でしょうか」

 竜因たちを率いるラフグアが爆心地をじっと心配そうな目で見つめる。

「これで無事じゃなければ、あれと戦うのは私たちだぜ。せいぜい無事を祈るんだな」

 魔工の長であるレアケが、冷たい言葉でそう答えた。

「ラフグア、今の」

 すると黒竜の竜因であるクスベムが、何かを察したかのように、青ざめた表情をしていた。

「どうしたんですか、クスベム」

「勘違いかも、しれませんが、今、あの工房より、黒竜の力を感じました」

 その発言に、周囲の竜因も同じく慌て始めた。

「まさか、竜因なんですか、タミーナフは?」

「そんな伝説、ないはずだがな……嫌な予感がするな」




 最年長の竜因であるユーボスが不安を漏らしたとき、爆心地の工房だった場所には、一人、ネーパットだけが中空に浮かんでいた。地下に深く埋もれていたはずの工房の天井には、大きな穴が開き、陽光が降り注いでいた。周囲の壁も、あちこちが融解しており、精巧な工房の姿は見る影もなかった。更に、ぽっかりと砂漠に大きな穴が開いていたが、その砂は殆ど工房に落ちてこなかった。なぜなら、工房に面していた砂の殆どが、高熱で硝子化していたために、それが堰のようになっていたためだ。

 強烈な破壊の中心に浮かぶネーパットは、その遥か下方を見下ろしていた。

 炎熱で真っ赤に染まった、溶鉄の池の中に、サネトとヨベクが何とかその原型をとどめていた。ただし彼らの体は、周囲の地形同様に、焼け溶けていた。魔力で構成された彼らにとって、肉体の損傷自体はそれほど問題ではない。問題はむしろ、未だ肉体の修復が間に合っていないことだった。つまりそれは肉体を完全に修理するだけの魔力が十分でないことを意味した。

「今、のは……?」

 全てヨベクが奪ったはずの魔神術式、だが、ネーパットはそれを超える破壊力を持つ術を、繰り出してきたのだ。サネトにとってもヨベクにとっても、完全な想定外だった。勿論魔神術式がネーパットの唯一の脅威だとは考えていなかった。しかし魔神調伏は、あれほど叙事詩に華々しく記載されている英雄の事績であるのだから、ネーパット=タミーナフ「最大の兵器」であると疑いもしなかったのだ。

 だが、結論から言えば、その推測は誤りだった。今、魔神術式をすべて掌握したヨベクは、先ほどの魔術と思われるものが、すでにその威力において、自分の有するすべての魔神術式を遥かに上回ることを確信していた。

「どうした、もうあきらめたのか」

 ネーパットは、まるで準備運動を済ませたと言わんばかりに、右肩をぐるりと回しながら、サネトたちに話しかける。

 サネトは本来ならこの安い挑発に対して、軽口を叩き返すどころだが、乱れ切った魔力を整えるので必死で、彼はただ恨みがましく睨みつけるほかなかった。

「あれほど表立って行動しないよう、長年、韜晦していたとは思えぬ大胆な行動ですね、ネーパット様?」

 息を切らすサネトに代わり、隣にいたヨベクがそう切り返した。それに対してネーパットはいささか驚いた表情を見せる。

「冗談に続いて皮肉とは。生命体に昇華して、随分悪いことばかり覚えているじゃないか。だが実力のほどは、期待したようなものでもなさそうだ」

 そう言い終わると、ネーパットはくつくつと笑いながら、二人を侮蔑するかのような表情でわざとらしく見下ろした。

「サネト様、体の方はどうでしょうか。また走れますか?」

 ヨベクは、サネトに対して小さく声をかける。

「ああ、だが、どうするつもりだ?」

 サネトがいつもよりも弱々しく、ヨベクに答える。

「時間稼ぎが必要です。今の私たちでは勝ち目はありませんが、もう一つの要素が揃えば、希望が見えます」

「希望?もう一つの要素?」

 ヨベクの一足飛びしたような説明に、サネトは困惑の表情を見せる。

「サネト様も聞いたでしょう。扉を開いたものの声を」

 それを聞いて、サネトはすぐに合点がいった。自身の覚醒を促した謎の声と、ヨベクの語る希望。どちらも同じ存在を指すことは明白であった。

「しかし、本当にあり得るのか?そんなことが」

 とはいえ、サネトには未だ半信半疑だった。自分の眼前で命を失った友が、再びこの地に舞い戻ることなど、本当に可能なのか。

「あり得ますとも。私はもう計算機械ではありませんが、思考の力を失ったわけではありませんよ」

 それを聞いて、サネトはようやくヨベクの身体に起きている現象を理解した。今の彼は高次な魔力生命体であるゆえに、自身と同様の存在に対しては、見ただけで勘付くことができた。そして目の前のヨベクが、すでに機械的なものではなく、わずかに身体のつくりは自分とは異なるものの、同じ魔力生命体となっていることに気が付いた。

「なるほど、さっきからネーパットが言ってたのはそういうことか。その体もやっぱり扉が開いた影響なのか?」

「はい。ですが、この奇跡にたどり着けたのは、他でもない、魔工たちの優れた技術によるものです。サネト様が彼らに私の肉体を託したのは正しい判断でした」

 そう聞いて、少しだけ彼は、その心に余裕が生まれた。それを反映してか、肉体を包んでいた魔力の鎧も徐々に万全な形を取り戻しつつあった。

「そうか。よし。じゃあ死ぬ気で時間稼ぎしてやる。それと、ヨベク」

「はい」

「様はやめろ。お前はもう、誰の所持品でもないんだろ?」

 サネトは笑みを見せながら、ヨベクにそう語った。

「承知しました。いえ、はい。サネト、さん」

 ヨベクはしかし、少しぎこちなく、答える。珍しいヨベクの姿に、サネトは少し愉快さを感じていた。

「まあ、最初はそれでいいさ。よし、行くぞ、ヨベク!」

「はい!」

 二人は、自分の体に魔力を強くたぎらせる。それを見たネーパットもまた、すぐさま臨戦態勢に入る。

 サネトが足場の悪い溶解した鉄の海より、まるでなんでもないかのように抜け出す。それどころか、彼は中空を地上のように軽々と走ってみせる。これは何もおかしなことではない。今の彼はもう神の庇護から抜け出した、高次の魔力体。もはや物理的な法則に従う必要などないのだ。

 それに合わせて、ヨベクもまた、魔術を構える。

〇〇一〇〇(魔神術式一三二番)〇〇一〇〇(:ウタナ)!」

 それは、先ほどサネトの身を焼き尽くさんとした、炎の瀑布。しかし今度はヨベクを中心として、立ち上る火柱のようになり、それがまっすぐネーパットを襲う。

 ネーパットはそれに対して微動だにせず、やはり無防備な姿勢でその火炎を浴びた。

 この時、走行中のサネトは、この時のネーパットの姿をよく観察していた。先ほどから、攻撃を防ぐのに使用しているのは、どんな手品かを確かめるためだ。そして彼の強化された動体視力は、炎に包まれた瞬間のネーパットの姿を捉え続けていた。彼女はやはり、何らかの魔術を詠唱している様子はない。先ほどから、指を使った魔術詠唱も目にしているので、その指の向きなどに至るまで、彼は彼女の姿を全て観察していたが、やはり文字通り微動だにしていなかった。しかし、炎が彼女に到達する寸前、まるでネーパットの肉体の周囲に透明な壁があるかのように、炎が避けていくのを彼は見逃さなかった。

 いや、厳密には、サネトは、壁というよりは透明な鎧といった方が正しいようにも思えた。彼女の体の形に合わせて、その透明な何かは、炎からネーパットの身を守っていたからだ。

 ここにサネトは勝機を見出した。もし仮に魔神術式の本来の持ち主であるから、ネーパットには術が効かないなどという制約が課されている、などという最悪の前提があった場合、ヨベクが使う術が、全てこの場においては目くらまし程度にしかならないところだった。しかし、その術を防いだ、ということは、逆説的に何らかの魔術を行使してでも、その身から守る必要があることを意味した。

 しかし、この仮定が正しい場合、一つだけ問題があるとすれば、一体ネーパットはいつからこの、透明な鎧を自らの体の周囲に展開したのか、ということだ。

 サネトがこの戦いを振り返ってみると、思えばネーパットに一撃を与えることができたのは、サネトが現世に戻ってきた瞬間のみであった。つまり場合によっては、ネーパットはそれ以降、常に自分の肉体に、あの鎧を展開させていたとしてもおかしくはなかった。

 この仮説はサネトたちにとってあまり好ましいものではなかった。彼は、劫火の魔神(ウタナ)の名を冠する術の威力を、先ほどその身をもって体験している。この術は、今の彼が防御と再生に魔力を完全に回したとしても防ぎきれぬほどの破壊力があり、そしてヨベクが今繰り出しているそれも、やはりネーパットのみせたものと遜色がない。

 だとすれば、ネーパットは、それほどの術ですらもやすやすと防いでみせるほどの、防壁を常に展開しながら、更にそれを遥かに上回る破壊的な威力を持った術を放ったということになる。

 勿論サネトは、自分にこう言い聞かせることもできた。ネーパットの術師であれば、防御と攻撃に魔力を瞬時に切り替えることもできるはずだと。だが、彼は、ことネーパットに対しては悲観してもし過ぎることはないだろうことを痛感していた。伝説の超人を相手に、「自分にとっての有利な状況」を想定することは、楽観とは程遠い、単なる現実逃避だ。

 サネトは、炎の周囲を走りながら、状況を整理していた。そしてヨベクの攻撃の中で、自身の右腕に可能な限りの魔力をため込んでいた。ヨベクもまた、サネトの作戦を言われずとも理解していた。彼の狙いは、術を防ぎ続けるあの鎧を壊すこと。そしてこの作戦においてヨベクが担うべき役割は、鎧の耐久を可能な限り摩耗させつつ、そして、サネトの攻撃の隙を生み出すこと。

 サネトが魔力を十分に溜めきったのを見て、わずかにヨベクは、炎に揺らぎを作った。その揺らぎは少しばかり炎の幕を薄め、そして一瞬だけ、ネーパットとサネトに道を作り出すものだった。機械の体は失ったが、ヨベクの計算能力は未だ失われていない。それは、まさにサネトの最高速度でしか潜ることのできない炎の輪であった。

 その一瞬の空洞を、サネトは駆けていく。身を包む魔力は、防御に殆ど回っていないために、周囲の炎はわずかに彼の身を焦がしていた。勿論それは、彼の走行を妨げるようなものではない。だが言い換えれば、この炎熱は仮に直撃せずとも、生半可な物質であれば、近くを通るだけで蒸発してしまうほどの火力を持っているということだ。

 そして空洞の先にいるネーパットは、やはり一切微動だにせず、ただそこにいた。

 怪物め。

 サネトの脳裏をそんな言葉が一瞬よぎった。

 



 魔が渦巻く空間の中で、魔神王と呼ばれる巨人と、リャージャは向かい合っていた。

「貴様がタミーナフを止めるだと?冗談にしては面白くないな」

 魔神の表情ははっきりとリャージャには見えなかったが、しかし態度と口調から自分が侮られていることは、よく理解できた。

「あんたもわかってるだろ。あのネーパットが、賢者タミーナフだというなら、奴はきっとあらゆる状況を想定しているはず。自分の計画を揺らがせかねないような障害は特にね」

 リャージャは、正直に言えばネーパットもといタミーナフのことは殆どよくはわかっていない。しかし治世録で語られるタミーナフの姿は、神々さえ頼るほどの賢明な存在。

 これが誇張でないのなら、自分が言ったことは、あながち間違いではないはずだと考えていた。何より、この魔神王の異常なまでの警戒心は、治世録の内容がさほど大仰なものではないことを物語っていた。

「だとすれば、お前が言っていた、魔の扉の閉鎖をするという謀も、あいつは想定していると思わないか?」

「馬鹿を言え。さっきも言ったが、例えそうだとしても奴には何もすることはできん」

「そう言い切れるか?」

 リャージャの力強い言葉に、魔神王は息を詰まらせた。リャージャの言葉には根拠は一つもない。だが、クームベサムは、自身の過去の経験を照らし合わせると、確かに毅然と反論することはできずにいた。

「……仮に、奴が魔の扉の閉鎖さえも想定し、解決策を持っていたとしてだ。お前ならば、奴が想定していない状況を作ることができると?」

「ああ。確実とは言わないが、高い確率で起こせるよ」

「それは、想定していない、ではなく、想定するに値しないもの、ではないのか?」

 クームベサムは、決して軽蔑の意図を込めたわけではなく、純粋にリャージャがそのような状況を巻き起こせるほどの力を有することを疑問視していた。リャージャもそれを理解してか、その言葉を挑発とは受け取らなかった。

「その心配はもっともだな。だが、私には一つだけ確信していることがある。奴は他人の行動は全て計算のうちに入れている。それはある意味では他人を信頼しているんだ。だが期待はしていないだろう。他者の努力や才能が、自分の想定を超えることを全く想定していない」

「ふん。短い期間しか接していないわりに、随分奴の本質を見抜いているではないか」

 リャージャの分析に対して、魔神王はどこか満足気だった。

「そこで、あいつの計画を振り返ってみようじゃないか。ネーパットは魔人の心臓を集め、星核に足るものを造ろうとした。だが一つだけ足りなかった。その最後の欠けた一つが私だったわけだが、ここが未だに納得がいかなかった。もし仮に、あの『支配するもの』が私たちを魔人化させようと思わなかったら?もしその前に私たちがあいつを倒せてしまったら?計画は完全に頓挫してしまう。あまりに変数が多すぎると思わないか?」

「ふん。くだらん疑問だ。タミーナフであれば、他人を魔人化させるなど造作もないわ。その『支配するもの』と、貴様らが呼ぶ魔人が、お前を魔人化させていなければ、奴が同じことを貴様にしただけだ」

 その言葉を聞いて、奇妙にもリャージャは我が意を得たりと言わんばかりに、口角を上げる。

「そうかそうか。あいつは人間を魔人化させられると。じゃあひょっとすると、人間を魔神に作り変えることもできるんじゃないか?」

 そのリャージャの言葉に、クームベサムはぴくりと反応を見せた。

「理論上は可能だ。だがそれが可能な魂の器を持つ人間が存在しないことが唯一の問題だな」

「……繋がったな。全部」

 リャージャは自信ありげに、自分の両拳を軽く打ち合わせる。

「星核を作るのに魔神の心臓が必要なら、魔神を作るのが自然な発想だよな」

「だが奴はその目的のために機械人形を作り出して、それに失敗した。だから次作として魔人狩りを始めたのだ」

 ヨベクの製造目的は、リャージャにとって初耳ではあったが、その顔はさほど驚いてはいなかった。むしろ予想通りといった表情を見せていた。

「そうだろうそうだろう。なら一から作るのではなく、すでに優秀な魔力を持つ存在を、魔神へと育成させるというのは?」

「既に言っただろう。魂の器が」

「でもあいつは、私を魔人化できるだけの魂の器に育てあげたぞ。それも半年もかからずに。なのに、この五千年もの間、なぜ同じようなことをしなかった?」

 リャージャは魔神王の言葉に割って入るように、自分の疑問を話し続けた。短気な魔神王に対して、いささか不用心な行いだったが、幸いにもクームベサムは怒りを見せていなかった。

「だが、お前たちは魔人を倒して、その魂の器へと鍛え上げた。その魔人が有限である以上、結局魔神に至るほどの器は育てられぬだろう」

「いやいや、それは紅玉星での話だろ?」

「……まさか」

 魔神王は、リャージャの言い分をすべて理解した。確かに、今の今まで一切疑問を持たなかったのだ。

 自分の心臓を、ここまで奪いに来たタミーナフであれば、この世界に有望な存在を連れてくればいい。

 そう、魂を鍛えるのにうってつけの存在が、ここにいるのだから。

「私を使って、物質界の生命を魔神に鍛え上げる、そういうことか」

「ああ。アンタも言っていた通り、ここは意思一つでなんでもできる。実際私はここで死線を潜り抜け、自分でも随分鍛えられたと実感しているよ。だが結局ネーパットはその手段に手を付けなかった。なぜか」

 両者の間で言葉を交わさずとも、その答えは明白だった。

 自分以外の何者かに、それほどの意思の強度を期待していないから。

「そしてアイツは計算から外したんだ。私のような人間が魔神に匹敵するほどの力をつけることを。では、叙事詩の時代より、かの賢者と浅からぬ因縁を持つ貴方に問う。賢者タミーナフが最も嫌うことは?」

 あえて、仰々しく、リャージャは魔神王にそう問いただした。

「自分の計算が間違っていたことを認めることだ」

 そして、ここにきて、ようやく二人の意思が一致した。

 タミーナフの策を挫くのではなく、タミーナフが誤りであったことを示すこと。

 それこそ、魔神王にとって最大の復讐であり、そして同時に、紅玉の今を生きる人々を救う唯一の手段だったからだ。

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