魔の極致 第四節
「はあ、はあ」
リャージャの体は、数多くのあらゆる種別の傷害にまみれていた。
火傷、切傷、打撲、骨折、内臓の損傷。
しかし、これらは全て、実際のところは現実に起きたことではない。ここは物質世界ではなく魔力で構成された世界。従って、これらの外傷および内傷は、リャージャが魔人との厳しい戦いの中で、魔人の激しい攻勢によって、リャージャが「負わされた」と錯覚したことによって、ついた傷である。この世界において、重要なのは意志であり、傷の多さは、それだけ意志が弱っていることを意味した。
しかし、そんなリャージャは、今劣勢というわけではない。なぜなら、「疾走するもの」、及び、あとから加勢に入った「偉大なるもの」「硬骨なるもの」「力強きもの」は、既に消滅させており、残すは「頑迷なるもの」一体のみだったからだ。
「お前、前戦ったときはあんなにあっさり勝てたのに、なんでここではこんなに強いんだ」
それは愚痴のようなものであり、誰に話しかけたものでもなかったが、奇妙なことにそのリャージャの言葉に返事が返ってきた。
『当然だ。わしは、あの時、本気で戦う理由が無かったからな。今は違う。わしらのご主人を守るためなら、全力を出さざるを得んというわけだ』
「そうか、そういえばお前、喋ってたな。あの時は随分片言だったが」
魔人、「頑迷なるもの」は洞窟の戦いの後、消滅寸前に言葉を発していたことを、リャージャは思い出した。
『馬鹿言うな。わしらは人間よりはるかに高度な知能を持つ存在だぞ。会話如き朝飯前じゃわ』
「あっそ!」
リャージャは、自分の体に鞭を打ちながら、走り出した。わずかに休息を挟み、闘志がわいたことで、体の損傷に、一部回復がみられた。そのことにリャージャは気づいていなかったが、どこか体の調子が、先ほどよりも良くなっているという感覚はあった。
『かかってこい、元人間』
リャージャは真正面から拳を振るう。それに魔人も合わせ、拳を繰り出す。
鋼同士を打ち付けたような轟音が響き、拳同士のつばぜり合いが始まる。どちらの腕もひびが入り、今にも砕けそうだったが、一瞬でそれが回復し、再び元の形へ戻る。その後も二人は拳を防御を捨てて振るいあう。互いの体を破壊しあいながら、どちらも一歩も引かなかった。
だが最初に、その損傷の回復が遅れ、一歩後ろに引き下がったのは、魔人、「頑迷なるもの」の方だった。
「とった」
リャージャはその隙を極めて的確につき、自分に有利な状況を更に生み出していく。優勢が優勢を呼び込む状況におかれ、魔人は防戦一方とならざるを得ない。しかしリャージャが、攻め手を誤ることはなく、魔人が再び互角の状況に持ち込むことは、万に一つもなくなっていた。
盤上の遊戯であれば、潔く投了をする場面だが、魂を賭けた死闘において、投了は存在しない。詰められ続ける状況から、みっともなく袋小路に入っていくしか、道はなかった。
『おのれ、またも負けるとは』
敗北宣言とほぼ同時に、リャージャの剛腕が、魔人の胴体を貫いた。開いた大穴は塞がるそぶりをみせず、それどころか傷口の端から、徐々に肉体が霧散し始めていた。
「悪いね。私はもう負けるわけにはいかないんだ」
互角に見えた勝負だったが、魂の強度で、やはりリャージャが勝った。
そして、この勝利が、困憊していたはずのリャージャを更に勢いづかせ、あれほどの傷害が、見る見るうちに回復していく。戦闘が終わったためか、今回ばかりはリャージャは自分の身の変化にすぐに気づいた。
「便利な世界だな。魂さえ折れなければ、疲労や傷が蓄積されることはないってか」
リャージャは自分の肉体の動作確認をするかのように、拳を何度も握っては開いた。
『まさか、あの軍勢に勝つとは』
しかし息をつく暇もなく、再びリャージャの前に魔人が現れた。
「おお、アンタは覚えてるぞ「救うもの」だっけか」
リャージャの目の前にいたのは白い外骨格で身を覆った魔人。リャージャの言う通り、その仮の名前は「救うもの」。
「へえ。あんたは一人で戦うのかい?」
『当然、仲間を連れているよ』
魔人の言葉を聞いて、リャージャはあたりを見渡す。しかし、周囲に魔人の姿は見当たらない。
「おいおい。はったりにもなってない……」
そう言い終わるより先に、突如リャージャの頭上から、超巨大な何かが、勢いよく落ちてきた。
それは、ものではなく、魔人、それも巨大な体躯と質量を有する、「甚大なるもの」であった。
物質世界であれば、恐らく土煙が立ち上がり、しばらく砂塵が陽光を遮るほどの破壊力を有していただろう。ただし、その強烈な力は魔力世界においても同様の規模の衝撃を生み出していた。
『どうだ。やったか?』
『そりゃ、禁句だぞ、おまえさん。驚きだよこいつは』
「甚大なるもの」の右足は、大地に垂直に打ち付けられていたはずだった。だが、奇妙なことにその足の裏は完全に地についていなかった。
「不意打ちとは、図体に見合わず、みみっちいことするじゃないか」
その足の下より聞こえてくる声は、間違いなくリャージャのものだった。
『馬鹿な』
リャージャは、その大質量かつ高速で降り落ちてきた、隕石の如き一撃を、何とその肩と腕で確かにとらえており、大きく開いた両足が、その力を完全に受けきっていた。
リャージャが雄たけびを上げながら、魔人の右足を抱えた状態で、「救うもの」の方向へ投げつけた。
「甚大なるもの」は抵抗することができず、リャージャの成すがままに、大地に倒れ込んだ。
「救うもの」は、難なくその魔人投げを回避したものの、その巨体を避けきるには、どうしても大回りの回避行動をとらざるをえなかった。
それにより、先ほどまで捉えていた、リャージャの姿を見失うことになる。
この世界で、魔力による探知行為は特に意味をなさない。世界そのものが魔力であるがゆえに、大量の魔力の動きや揺らぎは何の指標にもならないからだ。
「救うもの」はリャージャの姿を捉えていなかったが、一方のリャージャは魔人の位置を完全に把握していた。
戦士の勘か、魔人としての第六感か。「救うもの」は突然危機を察知して上を見上げた。なんの根拠もない感覚に頼った行動だったが、それが魔人を危機から救った。
意趣返しのように、リャージャは上空から勢いよく落下しながら、その拳を構えていた。
「救うもの」は間一髪で、その攻撃を避けることに成功した。リャージャは「甚大なるもの」を投げ飛ばすと同時に、その魔人の体を伝って、一気に上空へ駆けあがっていたのだ。
結果として、互いの奇襲はどちらも失敗に終わった。しかしその過程は明らかに不平等なものであった。
奇襲を防いで、あまつさえそれを反撃に利用したリャージャと、紙一重で避けることができただけの魔人。それは決して互角の攻防などではなかった。
「さて、悪いが先を急ぐんでね」
リャージャは「救うもの」に突撃し、あっという間に肉薄する。「救うもの」がその身の周りに浮かせている二振りの剣、及び二つの火炎球を巧みに操り、それを防ごうとするが、リャージャは全く止まる様子がない。リャージャ一切回避せず、愚直にその攻撃を真正面から浴びていた。しかし、刃は通らず、炎もその表皮をわずかに焦がすだけだった。
『なんてことだ』
魔人に対して、リャージャがその拳を振るおうとしたそのとき、リャージャの肉体が突如その場からはじけ飛んだ。起き上がり、態勢を整えた「甚大なるもの」が、その拳をリャージャに打ち付けていたのだ。巨体ではありながら、鈍重ではない其の巨躯から繰り出される攻撃は、認識できても、回避が難しい。実際リャージャも、自身の側面から、攻撃を向けられていることには気づいていたが、身を翻すことすらできず、まんまとその拳を無防備に浴びることになった。
だが、
「先にお前からだ」
リャージャは、吹き飛ばされるよりも、更に速く、同じ軌道で舞い戻ってきた。あまりの速さに、二体の魔人は、それを認識しながら、なんの反応もすることができなかった。
その弾道は「甚大なるもの」の胸に一直線に向いていた。
超巨大な魔人にとって、それを回避することは不可能だった。
リャージャは、その魔人の胸を突き破って、そのまま脊椎を貫いた。
魔人「甚大なるもの」は、その後、力なく倒れた。魔人の体躯と比較すると、その傷口は決して大きくはない。しかし、魔人は起き上がることなく、傷口から霧散を始めた。
「はは。本当に調子がいい。これなら神様殺しもできそうだ」
『図に乗るな』
魔人の巨骸の傍で勝ち誇った様子のリャージャに、「救うもの」が急速に接近する。死角と呼吸の隙をついた、はずだったが
魔人は剣を振るうことができず、大きく後方へと吹き飛ばされた。リャージャの裏拳が、魔人の顔面を叩き割っていたのだ。魔人がそれを回避できなかったのは、それほどまでにリャージャの攻撃が速かったから。交差で振るわれた拳は、単純な破壊力以上の威力が籠り、結果として「救うもの」を一撃の下で息絶えることに成功した。
「さて。知ってる限り、あと二体。だが、奇妙だな」
この魔力世界で戦った魔人は、全て、物質世界で生前リャージャが、サネトたちと共闘して倒した相手。だが最も印象深い二体の魔人がいまだ出会えていない。
そう、最初に倒した魔人と、二番目に倒した魔人だ。
なぜ、先ほどの魔人の軍勢に混ざって、その最初の二体も襲ってこなかったのか。明らかに彼らが最も経験の浅い時期に倒した魔人というだけに、今のリャージャならば、例え二体がかりで襲ってこようとも、万が一にも負ける気がしなかった。
ならばなぜ、他の魔人と組んで襲ってこなかったのか?
だが、その疑問はすぐさま解決した。
リャージャが、二つの強大な力を感じ取る。この魔力溢れる世界にありながら、感知させるほどの力の大きさ。すぐさまリャージャは警戒態勢をとり、その力の出どころを探る。そしてすぐさま、その力の持ち主が姿を現した。
巨大な盾と槍を構える騎士風の魔人、「高貴なるもの」
蒼き鎧と両手より二本の剣を生やす魔人、「勝利するもの」
もはやリャージャが、懐かしささえ感じるほどの、二体の魔人。
だが、これら二体の憶えのある相貌とは異なり、その身に纏う力は、全く経験にないものであった。
「なるほど、『本気を出してなかった』ってのは本当みたいだな」
ここと物質世界の感覚は異なっているし、そもそもリャージャ自身の魔力も格段に上がっていることから、正確にその力の上昇値を、リャージャが測ることはできなかったが、確実に言えるのは、これまで戦っていたすべての魔人と比べて、最も強大な力を、この二体のどちらも有していること。
いや、ひょっとすると、これら一体の力が、これまでの魔人全てを束ねてなお、上回るまであるようにさえ思えた。
「上等。どこまでできるか試し」
リャージャが戦闘態勢をとる前のことだった。
だが決して油断していたわけではない。
しかし、リャージャは、自分の胸を切り裂く斬撃に、その胸から血が勢いよく吹き出るまで気づくことさえできなかった。
「な」
その剣閃の正体が、「勝利するもの」の双剣によるものだと、リャージャはすぐさま悟ったが、周囲に、魔人の姿は見られない。
「どこ……」
リャージャが勢いよく視線を動かすが、蒼き魔人の姿は未だ見つけられない。
結局、またも魔人の剣がリャージャを切り裂く。背中に深い斬撃を受けるが、リャージャはすぐに態勢を立て直した。
もうすでに、胸の斬撃は回復している。この世界は魂の戦い。かりそめの肉体の損壊は気に留めるべきではない。
しかし何度も繰り返し傷を追えば、魂にも傷がつくことは必至。この状況を打開する術を早々に見つけるべきであった。
だが、一つの問題が解決せぬ間に、次なる難題が、リャージャに降りかかる。
「勝利するもの」の高速移動の間、動かずじっと佇んでいた「高貴なるもの」がゆっくりと、その歩を進める。
最初はゆっくりと動き出していたが、徐々にその足取りは早くなっていく。
足取りを掴ませぬ「勝利するもの」の翻弄するような連撃とは対照的な、直線的でわかりやすい攻撃。盾と槍を前方に構えた、戦車の如き突進。だが、リャージャの足取りを、蒼き魔人が絡めとっている現状においては、その安易に予測のつく攻撃でさえ、避けがたいものである。
回避を諦め、守りを固めるリャージャ。
しかし「高貴なるもの」の攻撃をちょうど防ごうかという刹那、リャージャの脹脛を、鋭く素早い斬撃が切り裂く。
「勝利するもの」の妨害がくることは予期していたが、思わぬ弱所、そして重心を支える足に加えられた攻撃に対し、リャージャの姿勢はわずかにぶれる。その微かな体の揺れは、剛槍を受け止める唯一の時宜を、無残にもリャージャから奪っていった。
大木の如き槍が、リャージャの胸を貫く。
生物であれば、確実に即死するであろう、肉体の破損。
勿論、この世界においても、これほどの肉体の損傷が致命的であることに間違いはない。
だが、
「ぐらぁあ!」
獣のような雄たけびを上げながら、リャージャはその右こぶしを振るって、「高貴なるもの」の顔面を殴りつける。本来、大槍の長さは、リャージャの腕の長さを遥かに上回るが、深々と槍がリャージャに突き刺さったことで、リャージャは反撃を加えることができた。
「高貴なるもの」はその一撃によって後方に吹き飛ばされたが、槍は腕から手放さなかったため、リャージャがその槍から抜け出すことになった。
リャージャの胴体には、もはや胴と四肢、首を繋げる部分しか残っていなかったが、そのような重傷でさえ、リャージャの魂を破壊しきることはできなかった。
『あの状況で反撃を行うか』
「高貴なるもの」が、槍を支えとして立ち上がる。その隣にはいつのまにか、高速移動を続けていた「勝利するもの」の姿もあった。
『あれほどの破壊、魂も無事ではないはずだが』
蒼き魔人が、赤と銀の魔人に声をかける。
『ああ。だが不思議だ。一瞬弱まったかにみえた魂の力が、反撃の瞬間一気に吹き上がった』
リャージャの肉体に開いた大穴は、既に回復の傾向にあった。一見して瀕死の状況にしか見えない、リャージャだったが、その瞳が宿す力は、明らかに先ほどよりも強くなっていた。
(不思議だ。あんな一撃を受けたのに、力が湧いてくる)
『竜の因子か』
そう、「勝利するもの」が呟いた。
『死の淵に立ち、その力の根源にわずかでも近づいた、といったところか』
『ああ。油断ならぬ。今、我らがあのものの力を上回っている隙に、徹底的に魂を破壊しつくすべきだろう』
二体の魔人が、それぞれその武器を空に掲げる。すると同時に、その魔人たちの体から、更に爆発的な力が沸き上がる。
「まだ様子見してたのか。畜生め」
まだリャージャの肉体の破損は回復しきっていなかったが、回復に意識を集中させることをやめ、戦闘態勢に入る。だがそんな気合を入れたはずのリャージャであっても、未だ「勝利するもの」の速度を見切ることはできなかった。
リャージャは、右腕が肘から先が吹き飛んでいるのを目視したかと思えば、今度は足が崩れ落ちる。両足が膝の部分ですっぱりと切り裂かれていた。防御も回避も許されぬ状態のリャージャに、再び「高貴なるもの」が突進してくる。先ほど以上に早く、先ほど以上に威圧感を感じる攻撃。当然、リャージャはその槍を甘んじて受け入れるしかない。
再び槍は、リャージャの胸を貫くが、今回はこれで終わらなかった。その後、リャージャを突き刺したまま、今度は槍の穂先を大地に突き立てる。リャージャは地面に磔にされる。自由に動く四肢は一本だけ。この状況から抜け出す術など存在しない。
だが、魔人は容赦しなかった。身動きの取れないリャージャの顔面に、今度は大盾が勢いよく叩きつけられる。「高貴なるもの」は左手で槍を抑えながら、右手で大盾を打ち付ける。
二回、三回、四回……
リャージャの残された左腕が力なく地面に倒れ込んでいてもなお、魔人は盾による攻撃をやめなかった。
もはやリャージャの頭蓋骨は跡形もないほどに消し飛んでいた。だが、それでも攻撃の手はやめなかった。まるで、何かに怯えているかのようにさえ見えた。
もはや数えられないほどの攻撃、だが突如その盾が、リャージャの顔面があった場所に打ち付けられることなく、途中で静止した。
それを受け止めていたのは、動いていなかったはずのリャージャの左手。
外から見れば、それは異様な光景だった。地面から生えてきた腕が、盾を止めているようにしか見えなかったからだ。
「高貴なるもの」の背筋に突如恐怖が走る。砕け散ったはずのリャージャの顔面があったところに、突如ぎょろりと目が出てきて、魔人の顔を睨みつけたのだ。
あまりにも不気味な光景だったが、なによりもその寒気の正体はリャージャであったものから発せられる強大な魔力であった。
上から押さえつける魔人と、組みしかれた状態のリャージャ。有利なのは明らかに魔人だったが、即刻「高貴なるもの」はその場から離れたくなるほどの恐怖に包まれていた。
物質世界では、死の恐怖なき魔人だったが、この空間にあっては、一度限りの命。
だが消滅の恐怖を抑え込み、魔人は何とかその場で踏みとどまった。そして
『左腕を切り落とせ!』
「高貴なるもの」は、遠方から様子を見ていた「勝利するもの」に指示をだす。すぐさま蒼き魔人は駆け出し、容赦なく抵抗を続ける左腕を切り飛ばした。
「この瞬間を、待っていた」
頭もないのに一体どこから出したのか。リャージャが不気味な声でそう呟く。
だが、魔人たちは、その声を聞き届けてなお、その場から離れない。
いや厳密には離れらなくなっていた。ぴたりと体が止まり、動かなくなっていたのだ。
「竜の力、ようやくわかってきた」
動けぬ魔人をよそに、あちらこちらに飛び散っていた肉塊がリャージャの元へ集まってくる。
魔人たちはリャージャの復活を、ただ見届けるしかなかった。大地に垂直に突き立てられていた槍に向かって、どろどろのリャージャの肉が集まっていく。その過程で徐々にリャージャの体が復元されていく。切り落とされていたはずの四肢も戻っていき、最後には、全く元通りになったリャージャが、その両腕で、自身を大地につなぎとめる槍を引き抜いた。
槍を胸から抜き取った瞬間、リャージャの体の穴は、まるで手品のように、すぐさま元通り埋まっていた。
リャージャがその回復した拳を固く握りしめ、振りかぶる。その拳が構えられた瞬間、わずかに魔人たちの体を縛り付けるものが弱まり、体が動くようになる。恐らく縛り付ける魔術に費やす魔力が、拳に分配されたことで、弱まったからだろう。
だが、そこから「高貴なるもの」が取れる行動と言えば、構えていた盾をどうにか自分の体の前に持っていくだけだった。
足に力を籠めることはできず、姿勢を整えることもできなかったため、その拳を完全に受け止めることができなかった。吹き飛ばされた魔人は、何とか槍と盾の重心を利用して態勢を立て直す。それは同時に、距離が離れたことで、「高貴なるもの」を縛り付けていた魔術が解けた証でもあった。
リャージャの近くにいた「勝利するもの」も、どうやら魔術の影響から脱することができていたようで、「高貴なるもの」とのやり取りの間に、リャージャから距離を置いていた。
『白竜の力だ。私の移動能力であれば、時間をかければ振り切れた』
「勝利するもの」は、自分の身に起きた状況を正確に認識していた。
『ああ、離れさえすれば力場からも容易に離れられるようだな』
「高貴なるもの」も、もう一体の魔人の推測に同意し、更なる情報を付け足した。
「は。安心しろ。もう使わないから。効率が悪いし、もっといい使い方があるのもわかったからね」
そう、言いながら、リャージャは腰を深く落とし、前傾姿勢を取り、両手を地についた。




