魔の極致 第三節
暗闇の中で、その者は目覚めた。
竜に因むものであり、魔に堕ちたものであり、そしてかの魔導王に屠られたもの。
人間だったころの名は、リャージャ。白竜の竜因を持つ、歴戦の狩人だった。
『お目覚めですか?』
意識がはっきりとしないリャージャに声をかけたのは、聞き覚えのある声だった。しかし、にもかかわらず安らぎを得ることは叶わない、不愉快で、癇に障る声。
「おまえ、あの魔人か」
鈍痛に軋む頭を手で押さえながら、リャージャは上体を起こした。目の前には、あの不気味な桃色の光を纏った魔人、リャージャを魔に堕とした張本人である、魔人「支配するもの」。
『はい。あなたたちには「支配するもの」と呼ばれていましたか。ありがたく思ってください。きっと混乱していらっしゃるでしょうから、こうしてわざわざ私がお迎えにあが』
そう言いかけたときに、魔人の体が勢いよく砲弾のように飛んで行った。
それがリャージャの剛腕によるものだということは、当人の魔人でさえ、一瞬気づかなかった。
『暴力的ですねぇ』
「何が『ありがたく思え』だ。元をただせばお前のせいだろうが」
『違いますよ。あなたたちが従っていた、あの老婆、えっと、ネーパットと名乗っているんでしたか?あれのせいですよ』
リャージャの言葉尻を捕らえて、今までの飄々とした語調とは全く異なる声を、魔人は発した。
その瞬間、リャージャの頭に、おぼろげな記憶が蘇る。リャージャが魔人に堕ちたあとのこと。そしてタミーナフが魔人を一瞬で消したこと。そして、最後、ネーパットによって自身の命もまた呆気なく刈り取られたこと。そんな記憶の間隙に、気にかかる単語が混ざっていた。
「タミーナフ……」
『おや。あれはあなたの前で正体を明かしたんですか?その通り。あれはタミーナフですよ。人間の皮を被った化け物です』
リャージャには何が何だかわからなかった。混濁した記憶からは、物事を順序だてて整理する手がかりは得られず、ひたすらに痛みを伴う記憶が、リャージャを繰り返し傷つけ続けた。
『説明してあげましょう。あの女、いえ、怪物の正体、そして、その計画を』
その後、「支配するもの」は、ネーパットが旧星の英傑の一人、タミーナフの転生体であること、そしてその計画である魔人の心臓を使って作り出す、魔導星核が、星は救っても生命を一時的に根絶やしにするものであるということだ。
「なぜ、そんなことをお前が知っている」
リャージャが至極まっとうな問いを、その魔人にすると、魔人は少し悩んだ様子を見せた。
『むぅ。それを答えるのは少し複雑になりますねぇ。私もすべての事情を把握しているわけではありませんので。私が知っているのは、今話したことだけですから。事情も含め、この世界の主に聞くのがよろしいかと』
そう言われて、ようやくリャージャは自分がいる場所について、疑念をもちはじめた。無限に広がる暗闇なのに、なぜか自分の姿や、魔人の姿ははっきりと捉えることができる不可思議な空間。そして何よりも溢れんばかりの魔力が充満している、異常な世界。
「ここは、どこだ?死後の世界か?」
自分の記憶からわかることは、リャージャ自身も「支配するもの」もどちらも、ネーパットによって消されているということ。それを踏まえれば、リャージャの推論は当然の帰結ではあった。
『うーん。半分正解です。ここは我々のような魔の存在が、物質世界でその肉体を失った際に行きつく世界ではある。だが死後の世界ではない。なんといえばいいか。そうですね。世界の裏側、魔の横溢する世界へと繋がる入口、とでも言えばいいか』
「世界の裏側?何言ってんだ?」
リャージャがきょとんとした顔で、魔人を睨みつける。
『はあ。まあいいでしょう。どうせあなたもすぐに認識しますから』
そう言われて、リャージャは少し顎に手を添え、考え込み始めた。この世界に時間の概念があるかは定かではないが、しかし体感で一分ほど沈黙したのち、再び口を開いた。
「ここが世界の裏側の入り口っていうなら、元の世界に戻るのも難しくないはずだな?」
リャージャの問いかけに、魔人は張り詰めた空気を出し始める。
『その願いは、叶いませんよ』
「なぜだ?世界の規則か何かか?まさか、死んだ人間は蘇ることはできないなんて、つまらないこと言う気じゃないだろうな。ネーパットは、何度も転生しているんだろうが。それなら」
『あなたの言う通り、この世界に死を克服した存在はいますよ。ですが、彼らは、英傑のような、異次元の存在です。規則や原則さえも無視できる存在なだけです』
諭すような魔人の口調の一方、死を覆すこと自体は否定しなかったことに、リャージャはむしろ希望を見出した。
「なら、私もそうなればいいだけの話だろう」
『はあ。それは万に一つも叶いませんよ。そして仮に、あなたが英傑に匹敵する存在だったとしてです。どっちにせよ、あなたが物質世界に戻ることは、数万年は待つことになるでしょうね』
リャージャには、その魔人が言っていることを理解できなかった。
『簡単に言いましょう。あなたが今すぐ生き返るには、この世の理を打ち破るよりも、遥かに難度が高い試練が待ち受けている、ということです』
「ふん。なら、その試練、受けて立とうじゃないか」
リャージャは鼻息を荒げ、魔人に食ってかかる。
しかし魔人は、呆れた様子を見せた。なぜなら、魔人の先の発言は、警告でもなんでもなく、純然たる事実だったからだ。
魔人は身を翻し、暗闇の中を歩いていく。
「おい、どこに行く?」
『ついてきなさい。あなたが生き返るにせよ、現実を知って諦めるにせよ、行く場所は同じですから』
そう背中越しに言い放ち、再び魔人は歩き始めた。リャージャは半信半疑になりながらも、その魔人の後ろをついていくことにした。
「さて、これはどうしたもんかね」
魔工宗匠の長、レアケは、半分に裂かれた機械人形をまじまじと見ながら、少し困惑していた。
サネトに、ネーパット、もといタミーナフの計略を阻止する一手になる可能性があるからと、ヨベクの修理を頼まれたが、明らかに修復は難航していた。
いや、難航という言葉でさえ、この状況を言い表すにはいささか誇張があるほどだった。レアケには、この機械人形を修復する手立てが、文字通り思いつかないでいた。
ありとあらゆる魔術的、工学的、そして論理的な修復手法を試したが、いずれも功を奏することはなかった。
割れた瓶を直すなら、そこにある破片を全て集め、組み合わせて直せばいい。そして仮に破片が足りないのなら、その作業によって、結果的に補うべき欠片の形も見えてくるため、修復の目途が立つ。
しかし目の前の機械人形は、どれだけ部品と断片を繋げようと、奇妙なことに何かが足りないという状況が頻発するのだ。
勿論、これは、レアケの技能が低いから発生しているわけではない。本来であれば、彼女ならヨベクの修復を難航しつつも、その目算くらいは既についていてもおかしくないはずだ。
「呪いか」
レアケには、この原因はなんとなくの察しがついていた。現在の魔術理論において、魔術とは物質世界の仕組みと原理を再現、理解するための技術である。しかしかつて、旧き時代において、魔術は、魔力を用いて、世界の理を超えた、上位存在の叡智の一端である神術を再現するのが目標だったという言い伝えがある。
これは三界分裂や、繰り返し行われた文明崩壊による、空間的、時間的隔たりが引き起こした、過去の知識体系の曲解や誇張によるものだと思われてきた。しかし、タミーナフという英傑が生き返ってきた以上、伝承や伝説の類と思われてきたことが、事実である可能性を帯びてきた。
この世界を作った存在である神の言葉を再現する神術は、物質的な理論による制限を受けない。理を超えた術には、それに匹敵、あるいは上回る力をぶつける必要がある。
つまりこの呪いとしか形容できない、修復不可能な状態を打破するには、タミーナフがヨベクに打ち込んだ魔力を上回る魔力を込める必要がある。
「問題は、一体どれだけの魔力を必要としているかだが」
レアケは、その小さな手を、ヨベクの体の断面にあてる。触っただけで、不気味な悪寒が身を震えさせる。
優れた魔工宗匠が、高い魔力の持ち主である必要はないが、しかしレアケの魔力は、千年に一人の才覚とまで言われるほどの膨大さを誇る。
「レアケ、我々の準備は終わりましたよ。いつでも出動できますが」
扉を開き、レアケのもとに顔を出したのは、同じく魔工宗匠のクヴェユヴェクである。
「うーん、クヴェユヴェク、これをどう見る?」
クヴェユヴェクは魔工宗匠ではあるが、その専門は、魔導。魔剣などの製作を行う分野である。そのため、この手の呪いはむしろ、彼女の方が分があるのではないかと考え、レアケは珍しく他人に今回の解決の糸口を求めることにした。
「呪い、ですよね。瘴気みたいなものだと考えるなら、断片に、強い魔力を照射するとかでなんとかなりそうですが」
「ですが?」
レアケはクヴェユヴェクの言葉の続きを催促する。
「一つだけ、別の方法を思いついたんですが、試してみてもいいですか?」
「良いが、どうするんだ?」
「ひとまず、宗匠を全員集めてください。私の理論を試すには、全員の技能を合わせる必要がありますから」
世界の裏側の入り口にて。リャージャと魔人「支配するもの」は未だ道しるべの無い道を歩いていた。
「まだ目的地にはつかないのか」
リャージャが怪訝にそう問いただすが、魔人は何も答えない。
「おい、聞いてるのか。はぐらかす気なら」
『まったく。あなたはせっかちですねぇ。目的地にはまだ辿り着いていないですが、仕方ない。ではここでいいでしょう』
魔人は立ち止まり、そしてリャージャの方を振り返る。
『今、私はあなたを我らが主人のもとへ送ろうと考えていました。なぜなら、魔人が復活するには、主人の許可が必要だからです』
「ほう。じゃあその主人とやらに、会えばいいのか」
『いえ、会っても無駄ですよ。絶対に認めませんから』
魔人はきっぱりと、リャージャの希望をへし折った。
「何を根拠に。頼みこめば可能性はあるだろ。そんなに尊大な奴なのか?」
『肉体を失った魔人が復活するには、物質世界で肉体を形成するための魔力が必要になります』
リャージャは魔人の言葉を聞いて、首を傾げた。
「魔力なら、ここにあふれるほどあるじゃないか」
『いえ、この世界に、数日程度とどまっただけでは、復活のための魔力は溜まりません。それだけ復活には、莫大な魔力が必要なのです。そして何より、この世界の魔力は、一分たりとも貴方に分け与えることはできませんよ。なぜなら……』
突然「支配するもの」の体から、強烈な敵意と共に、莫大な魔力があふれ出す。
『復活のための魔力は、全て我らが主人のために使われますから』
「へえ。思ったより話は単純そうだな。つまりだ」
リャージャは自分の両拳を軽く打ち合わせる。
「お前たちの主人を倒して、貯めこんでるだろう、魔力を全部横取りにすればいいわけだ」
『ええ。ですが、それは不可能です。まず我らが主が、貴方に負けることはない。そして、そもそも、貴方は主人のもとにたどり着くことさえできません。私たちが、貴方を消すからです』
姿勢こそ先ほどと変わらないが、その魔力は、魔人が戦闘態勢にあることを何より物語っている。
『この世界での死は、文字通り存在そのものの消滅です。復活どころか、貴方は今後、この宇宙において、存在することができなくなる』
「警告はそれだけか?」
リャージャは、魔人の言葉に対し、一切ひるまない。
『ええ。これで最後です。では』
「支配するもの」の姿が突然消える。圧倒的な初速。かつては、リャージャも、この奇襲に対して一切の抵抗ができなかった。
だが今回は違う。
魔人の手刀を、リャージャは右腕を盾のように構えて防ぐ。肉体に強烈な魔力を宿す、魔人らしい戦い方である。リャージャは魔人になったばかり、当然戦いの心得もさほどないが、天性の才能によって、この戦い方が最善だと直感した。
「そんなもんか、魔人」
腕を払って、魔人を力づくで吹き飛ばす。
『いやはや、十分な才覚はあると思っていましたが、これほどとは。やはり感謝してもらう必要がありますね』
悪態をつきながら、魔人は体を起こす。
「そういえば、私は体を失ったはずなのに、なんで力を出せるんだ?」
『ここでの戦いは、物質を超えた魂の戦いだからですよ。文字通り魂の器の大きさと強固さが、この戦いの趨勢を決めるんですよ』
魔人は深く体を落とす。今までは、明白に攻撃の準備の体勢を取ることがなかった。だが、先ほどの奇襲が成功しなかったことを受け、今度は全力で正面から攻撃することにした。
「良いのか。そんな重要そうなことをぺらぺらと話して」
『ええ。良いんですよ。むしろ、私がこうして世界の仕組みを話すことで無意識にできていたはずの体の制御ができなくなる可能性が高いんですから』
魔人が全速力で、走り出した。先ほどよりも更なる速さで、そして奇襲ではない、最短距離をとる突撃。常人であれば、その進路を推測できても、躱すことはできず、そして防ぐにも、その速度と質量から繰り出される破壊力を耐えるには、尋常ならざる硬度と膂力を必要とする。
だが。
再び、右腕を盾として構え、その突撃を真正面からリャージャは受けきった。臆せず、怯まず、そして揺らがず。その霊木を思わせるほどの盤石さには、攻撃を仕向けたはずの魔人の方が、むしろ損壊を被った。
だが当然防御だけで終わるはずもなかった。姿勢が崩れ、無防備な状態の魔人の顔面に、槍の如きリャージャの左拳が突き刺さった。
『は、は。完、敗です。見、事』
「悪いが、お前に情けをかけてやるほど、私はお人よしではないんだ」
魂の消滅が何を意味するのかの説明を受けてなお、リャージャは一切の加減を行わなかった。
『ではそんな、貴方に、忠告です。この先、貴方が戦った魔人たちが、立ち、はだかります。彼らは、かつての、比ではない、力を出すでしょう』
「比ではない?どういうことだ?」
消えかかりながら、「支配するもの」は遺言を残していった。
『魔人、は、生存、本能が、ない。だが、ここでは、違う。彼らは、主を守る、ため、全霊を賭す、でしょう』
そう言い残して、魔人「支配するもの」は、消滅した。現世で戦った魔人とは違い、その亡骸の後には、何も残らなかった。
「気を付けるよ。けど、どんな相手だろうと、私は必ず生き返るんだ。サネトたちを守るために」
虚空の奥にいるはずの存在へ、リャージャは挑戦状を叩きつけた。
だが、次の刺客は、想像以上に早く到着した。
黒き豹「狡猾なるもの」と、赤き半人半馬「疾走するもの」。
「ああ、密林で組んでた奴らか。もう次の相手をしてくれるのか?」
リャージャが腕を回しながら、再び立ちはだかった魔人たちに無防備に近づいていく。
「わかっていると思うが、戦えばどっちが消えるかまでやる。嫌ならその道を開けな」
『それは許されぬ。我ら、命を賭して、主人を守る』
どちらが声を出したかは、リャージャにはわからなかった。しかし二体の魔人の共通した意志であることは疑いようはなかった。
「一体、ここまで言わせるアンタラの主ってのは一体何者なんだ?」
魔人たちは、リャージャの問いに答えない。
それが忠誠からくる緘口なのか、畏怖からくる沈黙なのかまではわからなかったが、リャージャはこれ以上の問答が無用であることを察した。
「じゃあ、先を急ぐんだ。押しとおるぞ」
その言葉を号砲にして、魔人とリャージャは互いに向かって走り出した。
一歩先を走るは黒豹の姿をとる魔人、「狡猾なるもの」。その背後から「疾走するもの」は、腕に装着した弩弓を構え、リャージャに狙いを定めている。どちらの攻撃にも意識を向けつつもリャージャは、まず目の前の黒豹の魔人に拳を叩き込もうとした。しかし、獣のしなやかさを持つその魔人は、ひらりと身を翻して、その攻撃を巧みにかわす。そして攻撃の隙をついて、赤馬の魔人が矢を放つ。それと同時に、黒豹の魔人は躱すと同時に、リャージャの背後に回り込んだ。
音を超える速さで飛来する矢は、リャージャを確実にとらえており、そして今にも、豹の鋭爪が、リャージャの背を裂かんとしていた。
しかし、
リャージャは繰り出した左拳を戻さず、伸ばしたまま、腰と足をひねりながら、鉄槌のごとく遠心力をかけながら、自分の背後に振り回した。
その過程で、矢を拳で弾き飛ばし、そして背後に構えていた黒豹の顔面を、その裏拳で吹き飛ばした。
一瞬で、「狡猾なるもの」は、息絶えた。かつて、竜因にさえ完全に目覚めず、そして魂の器の成長も乏しかったリャージャの拳でさえ受けきれなかった、この魔人に、今のリャージャの攻撃を耐えられるはずもない。
魔人の体はすぐさま霧化して、残すは「疾走するもの」だけになった。
今のリャージャを、残った赤馬の魔人が単独で倒せる可能性はゼロに等しい。
リャージャはじりじりと距離を詰めようとするが、ふと足を止めた。
「ふん。やるなら最初から全員束になってくればいいものを」
リャージャがあたりを目だけを動かして見渡すと、そこには、四体の魔人がいつの間にか近づいていた。
「偉大なるもの」「硬骨なるもの」「力強きもの」「頑迷なるもの」。
リャージャは、その四体の魔人の名を覚えていなかったが、もちろん自分で手を下した魔人のため、見覚えはあった。
だが奇妙なのは、かつて遭遇したときより、これらの魔人の魔力が高まっているように感じたことだ。
「『主を守るため、全霊を賭す』。こういうことか」
リャージャは、ここにきて、ほんのわずかに不安を覚えた。単なる数での劣勢以上に、かつての戦いでは魔人が隠し持っていた才覚という、未知数が不安要素だったからだ。
勿論、この戦いが安易に運ぶとは思ってはいなかったものの、当初の試算より苦戦は免れないものと意識を改めた。




