魔の極致 第二節
(終わった)
そう心で呟くと同時に、老女の眼前の機械が、その端末の画面に複数の文字列を打ち込み始めた。
それは、実行過程の詳細情報であったが、ネーパットが本当に見たかった文字列は、その末尾、作業の完遂を告げるものだった。
思わずネーパットの表情に笑みがこぼれる。例え、万年を輪廻を繰り返し生きている魔の統率者にして、歴史に名を遺す英傑でさえも、成し遂げた自分を誇らしく思うほどの最高傑作。二度目の作成ではあったが、前回とは違い、今回は素材についても、試行錯誤を繰り返し、精密な計算をする必要があった。
一度目の失態は、そもそも紅玉神の妨害によるものであり、性能は一度目の星核と変える必要は無かった。だが「魔神王」とさえ呼ばれる存在の魔力核と、有象無象に等しい魔人の核が、果たして同じ機能を果たせるかどうかは、彼女でさえ自信を持てなかった。
だが計算と研究の結果、星核に必要な魔人の心臓が、想像よりも少なかったことがわかったのは、ネーパットにとって最大の発見だった。しかし、魔人の心臓一つ分足りないことだけが唯一の懸念事項だった。
だが、それも「支配するもの」が魔人を生む魔人だということがわかり、問題は解決した。かの魔人は、自分の眷属とした魔獣を、魔人にまで成長させていた。この力を使えば、あと一体魔人を奴に作らせれば、問題は全て解決する。
だが「支配するもの」は、その後、眷属の魔獣を複数体生み出した一方、魔人に至るほどの存在を、新たに作ることができないでいた。そこで思いついたのが、「魔人に匹敵する人間」を、この魔人に差し出すということ。ネーパットにとっても、この作戦はあまり好ましいものではなかった。ただでさえ他人頼りの作戦に、更に不確定要素を付け足すようなものだ。
そして同時に「生まれ変わった紅玉星」で、生き残る可能性の高い存在を、あまり無駄にしたくはなかった。大崩壊に匹敵する副作用をもたらす、この星核の使用は、生存した生命体が僅かに多いだけで、その後の文明復興の時間が数世代短縮されることがわかっていたからだ。
タミーナフは確かに人間性を捨て、その視座は神に並んでいる。しかし、それは決してこの英傑が、善悪の区別がつかない存在であることを意味することではない。人類の存亡を決して軽視はしていない。
だが、優先順位を付けた場合、第一位が星の生死、第二位が環境の持続、そして第三位が人類の存亡に位置付けられるだけだ。
魔導星核を手に取り、これまでの自分の努力や研鑽を振り返っていた。珍しく感傷に浸っていたのだ。まだこの魔導星核を打ち込む猶予はある。この猶予、厳密には紅玉神の死のことであるが、ネーパットの計算では、まだ二か月近くある。
これはネーパットが、余裕をもって計画を立てていたわけではない。もともとリャージャの魔人化には、その程度の時間がかかるという目算だったのだが、リャージャ自身の高い素養もあって、極めて魔人化がすんなり終わったというだけなのだ。
特に期日通り動く必要は無い。実行が早ければ早いほど、文明の再興は早まるのだから、今すぐ動くべきだろう。感情に流され、余韻に浸っていた自分を自制し、ネーパットは工房から離れようとしたときだった。
侵入者。
「おや、サネトくん、随分早い復帰じゃないか。たった一日で戻ってくるとはね」
ネーパットが振り返ると、工房の入り口に、汗を垂らし、息を切らしながら立つサネトの姿があった。
「ネーパット、タミーナフ、呼び方はどうでもいいが、とにかくお前の計画を止めに来た」
「ふん。わしがあげた義手が無ければ、ろくに戦えもしないのに。どうやって止めるつもりだね」
まるで挑発するように、星核をサネトに向けてちらつかせる。サネトの表情に変化はない。急ぎ走ってきたことによる、疲労が感情の表出を妨げているのか、それとも意外と冷静で、見え見えの挑発には乗らないという意思の表れなのか。
つまらないといった表情で、ネーパットはサネトを睨みつける。
「それで、どうするんだね。何か勝算があるのか?」
ネーパットは、時間のゆとりもあってか、簡単に露払いできるサネトを遊ばせることにした。指を動かせば、簡単に消すことができる。だが多少、彼女はサネトに情が移り始めていた。親心か老婆心か、いずれにせよ、乳飲み子の駄々を見るのと、その状況は類似していた。
「ないよ」
そう言いながら、サネトは腰帯から銃を引き抜き、三発ほど射撃した。利き腕でない左腕ででの射撃でありながら、そのすべての軌道が、的確にネーパットの胸を狙っていた。
だがその弾は、ネーパットに届くどころか、サネトと彼女のちょうど真ん中に位置する場所で突然はじけた。まるで目に見えない壁があるかのようだった。
「隔壁。君みたいに、邪魔をしてくるやつを想定して作っていたものだよ。この空間にいる限り、わしも外側に干渉はできないが、同時に外からの干渉も受けない」
ネーパットが想定していたのは、当然紅玉神である。もう二度と邪魔されるわけにはいかないという覚悟で作った装置。この星の表面を、八回焼き払ったとしても、この隔壁は無傷というほどに頑健に作っている。
「さて、どうする、サネトくん。君の豆鉄砲でできることはもう無いぞ」
『さあ、それはどうでしょうか』
突如、ネーパットの近くで、サネトのものではない声が聞こえてくる。
人工聴覚を頼りに、その声の方角を見ると、そこには、ネーパットが長らく目にしていなかった存在が立っていた。
赤い光を身に纏っていたが、その相貌が見える程度には、実体化されていた。黒い肌、黒い髪、そこから覗かせる、紅玉に相応しい、赫々と輝く赤眼。
「地龍の巫、紅玉神、それともソヌーと言うべきか?またわしの邪魔をしにきたのか」
『そんな余裕ぶってていいのですか?』
その紅玉神の言葉に、ネーパットは突然の出来事ですっかり失念していた疑問を、ようやく思いつく。
この隔壁の中に、なぜ紅玉神がいる?
そしてその疑問が頭をよぎった瞬間、自分が立っている空間に違和感を感じた。
ふと壁を見ると、先ほどまで端末に表示されていた文字が変わっていた。
『完成品取出済』
ネーパットは驚いて、端末を操作し、取り出し口を開いた。そこには完成した魔導星核があるはずだった。だが、そこには、いくら手をまさぐっても、何も入っていなかったのだ。
「貴様、何をした」
『探し物なら、あちらですよ』
紅玉神が指し示す方向を見ると、サネトの目の前に、先ほど完成したばかりで、まだ装置の中にあるはずの星核が浮かび上がっていた。サネトも、驚きを隠せない様子で、どうやら彼にとっても、突如自身の前に星核が現れた状況であることが伺えた。
「……」
ネーパットは一瞬、隔壁の解除を行おうとして、すぐに思いとどまった。
「ありえない」
ここにきて冷静さを取り戻したネーパットは、サネトの前に浮かぶ星核と、紅玉神の姿を交互に見やる。
「なるほどね。起源同一性を利用した、空間情報の置換か。高度なことをするじゃないか」
ネーパットは狼狽から一転、余裕の笑みを浮かばせた。
「なにを、言ってるんだ」
サネトは、ネーパットの説明に理解が追い付いていないようだった。
「簡単な話だ。紅玉神の体内には、私が作った魔導星核がある。そして私の手にも同じものがあった。仕組みや原材料に違いはあれど、機能は全く同じ。それを利用して、お前は自分の姿を、星核に重ねた。そして、お前自身はサネトくんの隣にいるわけだ」
それに対して紅玉神は何も答えない。それどころか反応さえ見せない。ネーパットはサネトの顔を横目で観察する。それは、彼も同じように、見えているのかを確かめるためであった。先ほどと変わらず、やはりサネトは今起きていることに驚きを隠せない様子だった。
『本当にそう言い切れますか?』
紅玉神の発言の意図は、間違いなくネーパットを戸惑わせるためのものだった。しかしその見え透いた狙いが、逆にネーパットに自身の推理の正しさを確信させるに至ってしまう。
「はあ、こう言いたいわけだな。わしが隔壁を作った限り、お前の仕込みは、それ以前に行われていたということになる。お前ですら隔壁に干渉は不可能だからな。だが如何に隔壁を作る前に仕込みができたとしてもだ。隔壁内部のものを隔壁外に出すような魔術は使えない。そして魔導星核をすり替えるのも不可能。なぜならこの隔壁は、星核完成前に作ったから。だから、これは魔力の同質性を応用した光学的幻術以外のなにものでもない。種が割れれば、貴様が仕込んだ術が切れるまで、待つだけだ」
そう言いながら、ネーパットは、悠々と椅子に腰かける。ネーパットにとって、これは駆け引きにすらなっていなかった。自分の目の前には、見えないだけで魔導星核があることが自明だったためだ。彼女が魔導の王として君臨していた時代も、五感や第六感さえも全て翻弄する怪物は、ごろごろいた。だが、そこにあるはずのものを「どこかに消えた」かのように錯覚させるのは、非常に高度な感覚操作であるのは間違いなく、この規模の術は、タミーナフが”ネーパット”に転生してからは初めてだった。
『ええ、待つと良いです。私たちの方は、もう準備が完了しましたから』
その言葉を受け、ネーパットの脳裏に一抹の不安がよぎる。紅玉神の狙いが、この感覚錯誤ではなく、時間稼ぎが狙いの場合、待つのは悪手なのではないかという疑念だ。
しかし、この術式を解くのは、この状況では容易ではない。仮に目の前に立つ、紅玉神が見せかけで、隔壁の向こう側に浮いている星核が、本当の紅玉神だとすれば、術式の解除には術者への干渉が必要となる。こちら側の部屋で、術式の出どころを探ることもできるが、実際にこうして術が起動するまで、ネーパットですら気づけなかったほどだ。術式の隠蔽は、かなり高度なものが想定できる。いずれにせよ時間がかかる。一番手っ取り早いのは隔壁を解除し、サネトの隣に「いるであろう」紅玉神を瞬時に破壊することであるが。
(さて、どこまでが罠か)
ネーパットはじっと、隔壁の外側を睨む。紅玉神の制圧は容易だ。恐らく一秒とかからず、この茶番を終わらせることができる。
しかしその一秒で、紅玉神がこちらに何かを仕掛ける可能性は十分あり得る。
ふと、ネーパットは隔壁の外側で、未だ魔導星核に見える何かを、驚きの表情で見つめるサネトを見る。
その時だった。何かと何かが繋がるような感覚。突如湿っていたかに見えた導火線に、一気に火が付き、起爆したかのようなそんな感覚だった。単なる不安が、疑念に代わり、仮説を経て、即座に立証された。
「隔壁解除だ!」
ネーパットが声を荒げ、自分の研究室に命令を下す。更に、ネーパットは更に自身の周囲に魔力の刃を数本浮かばせていた。隔壁の解除と共に、脅威を排除できるように。
しかし
『もう、遅い』
隔壁が消える。まるで映写幕が巻き上がっていくようだった。隔壁が消えて、その先にある光景もみるみる変化していく。
「やめろぉ!」
ネーパットが自ら生み出した隔壁が隠していた向こう側の真の景色。その中央にいるサネトは、魔導星核をすでに手に取っており、
そしてそれを、今にも自分の胸に押し付けんとしていた。
ネーパットが剣を放つ。その速度は、サネトの最高速を優に上回り、本来ならばサネトには決して回避することができない攻撃である。
しかし、ネーパットのその刃が、サネトを貫く前に、彼の手にした星核は、すさまじい魔力光を放ちながら、サネトの胸の中へ取り込まれていった。
その様子は、五千年前にネーパットが目にした、紅玉神の苦肉の策とまったく同じ光景だった。
時は少しだけ遡る。
「さて、どうする、サネトくん。君の豆鉄砲でできることはもう無いぞ」
サネトが放った弾丸が、隔壁に阻まれた直後、隔壁の外側にいるサネトは困惑していた。
目の前の光景が何か奇妙なのだ。
そこには依然として、ネーパットがいて、彼女の工房がある。だが、どこか違和感がある。何かが変わったような気がするのだ。
『さあ、それはどうでしょうか』
突如、誰とも知れない声が聞こえる。それは隔壁の向こうから聞こえているように感じた。
サネトはその声の方を見るが、そこには何もなかった。いや、何もないはずなのに、ネーパットはそこに誰かがいるかのように顔を向けている。
(サネトくん)
すると突然サネトの脳内に、妙な声が届いた。その声は先ほどの声の主と非常に類似していた。
(返事はしないで。この隔壁は音と光は通します。今ネーパットは、私の幻影と対話しています。私の正体は、もしかしたらあの機械人形より聞き及んでいるかもしれませんが、紅玉神です)
サネトは息をのんだ。ここで驚けば、ネーパットに異変を察せられる可能性があったからだ。
(私は、ネーパットにより、この工房地下で監禁されていました。理由は、私が唯一彼女の計画を阻止できるから、いえひょっとすると、過去に起こした私の行為への懲罰なのかもしれませんが。私はかつて、ネーパットが作成した魔導星核を、自らの体に取り込みました。私の力で、あのネーパットの計画を阻止することは不可能だったためです。)
サネトはただじっとその言葉を聞いていたが、仮にも星の神ともあろうものが、真正面から戦っても、敵わないような存在が、ネーパット、もとい旧星の英傑の一人なのだという事実に、ただただ驚嘆するばかりだった。
(もうそろそろ、ネーパットが、私の仕掛けた罠に気づく可能性がありますので、手短に。私はネーパットが外出する隙をついて、封印の外に術式を打ち込みました。ネーパットが外を出られなかった理由は、この工房より離れると、私の封印が弱まるからです。とはいえ、それでもあの完璧主義者です。離れたのはたった数秒程度。その間に私にできたのは、神術を一つ二つ打つ程度でした。一つ目が空間情報の書き換えです。ですが、これは第一の罠。ネーパットに隔壁の中で、『空間情報の書き換え』が行われているように思わせるためのもの。平たく言えばただの時間稼ぎです)
「なにを、言ってるんだ」
サネトにとって、紅玉神の説明は理解が及んでいないもので、ついつい相槌のようにその言葉が口をついて出てしまった。この呟きはネーパットにも届いたようだったが、彼女は特に不審な様子はない。サネトは心の声を傾聴していたため、ネーパットが話している内容は全く頭には入っていなかったが、恐らくその言葉が出た時宜が、幸運にもネーパットの話にまったく不自然でなかったようだ。
(お気をつけて。先ほども言った通り音は通します。が、光については少し対策をしています。隔壁のちょうど手前に、空間情報の書き換えによって、ネーパットには、偽の光景を見せています。これは今からネーパットに、我々がすることを気取らせないためです。ではサネトくん、できる限り音を殺しながら、背後の出入り口付近の壁まで歩いてください)
サネトは指示通り、ゆっくりと足音を出さぬよう、紅玉神が指示を出した場所まで行く。
(その壁、少し下に隠し扉があります)
しかしサネトには、他の場所と何ら見分けのつかない壁にしか見えなかった。壁に手を当ててみるが、手触りでもその違いは全くわからない。
(あーもうちょい下です、もうちょい、あ、そこそこ。押してみて)
突然軽い口調になった星の王に、どこか拍子抜けを食らいながらも、言われた通りにその場所を押してみる。すると、その場所の壁がかちゃりと外れ、その中には、紫色の光を放つ人工物とも有機物ともとれる物体が入っていた。
(それが、今回彼女が作った星核です。空間移動の類は隔壁の存在から仕込むことはできませんでしたが、ちょっとした子供だましで、あの製造機から、こちらに移動させることができました。隔壁は厳密には完全に外と内を断絶できていません。あの製造機は、複雑な機構を持っていて、そのほかの設備との多岐にわたる連携を必要とします。つまり具体的に言えば、あの製造機を中心に、外部設備に、必要なだけの経路が存在している。私はそのうちの一つ、特に生産された星核が最後に到達する取り出し口付近に、ちょっとした調整で外へ繋がる経路を作りました)
サネトにとっては、その説明は納得しがたいものだった。ネーパットが、そんな改造を見逃すような性格に見えなかったためだ。
そんな心の機微を、サネトの表情などから察した紅玉神は、こう続けた。
(勿論、仮に魔導星核の製造に不備をもたらすような罠を仕掛ければ、すぐに気づかれたでしょう。しかし、これは完成を阻止するものではないこと、そしてリャージャくんの魔人化が想定より早かったことが、功を奏したと言えます。製造が長引けば長引くだけ、私の仕掛けたこの秘密の通路の存在が悟られる可能性が高まっていきますから。そして何より私には協力者が……)
そう紅玉の神が言いかけたときに、何かに勘づいたように、焦りの様相を見せ始めた。
(そろそろネーパットが罠に気づきます。サネトくん、私でさえ、その星核は破壊することはできませんでした。そのため破棄は叶いません。また、私をもう封印し続ける必要がない以上、仮に逃げたとしても地の果てまで追いかけられることになるでしょう。そしてこの星のためにも、これ以上、私が魔に堕ちるわけにはいきません。そのため、選択肢は一つしかありません)
それは、ネーパットの計画を阻止する方法が、もう一つしか残っていないことを遠まわしにサネトに伝えるものだった。
サネトは手にしたおびただしい魔力を放つ、その塊を見つめる。
「隔壁解除だ!」
隔壁の向こう側から響く声。悩んでいる時間はもう無かった。
隔壁が完全に消失するより先に、彼は、星の人工心臓を、自分の胸に押し当てた。




