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魔の極致 第一節

 痛み。

 暗闇の中にいる男は、それだけを感じていた。

 体の痛み、心の痛み。

 全ての種別の痛みが体を走る。

「起きなさい」

 誰もいないはずのその虚無で、聞き覚えはあるが、誰のものかわからぬ声が響く。

「あなたはまだ戦えるはず」

 戦う?何と?

「ネーパット、いえ、タミーナフの計略を止めるのです」

 無理だ。あんな強い相手を倒せるわけがない。

「友を失う辛さはわかります」

 その声のせいで、男は自分が感じている痛みがどこからくるものかを思い出してしまう。それにより一層痛みが強くなる。

「ですが、今立たねば、あなたはこの星の生命すべてに対し、その責任を負うことになりますよ」

 これは励ましというより脅しだ。今苦痛に負け、折れれば、将来もっと強い痛みを負うことになるぞと。

 だが、意外にもこれは男を奮い立たせた。こんな脅しに聞こえる文言が発破になるのは、これ以上責任を負うことへの危惧をするような卑怯者だからではなく、むしろ根っからの英雄気質が故だろう。

「やはり、あなたは素晴らしい。彼と近い魂の色が見えるだけあります」

 男には、その声が言っていることが、はっきりとはわからなかった。しかし、それが誉め言葉であることは理解できた。

「起きなさい。あなたの足はもう動くはずです」

 その声と共に、暗闇が白い光に引き裂かれていく。

「頼みましたよ。我が子らを救ってください。勇者よ」

 それを最後に、彼は目を覚ました。

「起きたかね、サネトくん」

 目を開いたサネトを迎え入れた声は、先ほどまで聞いていた声とはまた違う声だ。

「お、まえ、レアケか」

 うっすらとした視界の中だったが、自分の近くに立つ人物が、魔工宗匠たちの頂点であるレアケであることにはすぐ気が付いた。

「ああ。先日、砂漠に落っこちてたので拾ったんだよ。あそこにいる子と一緒にね」

 椅子に座るレアケは、親指を突き立て、自身の後方を肩越しに指さす。

 そこには、何らかの機械に繋がれていた、上半身と下半身が切断されたヨベクの姿があった。

「ヨベク……」

「一体何をされたんだい。君の腕も、あれの体も異常なことになっているよ。破壊された箇所が、何をしても修復できない」

 そう言われてサネトは上体を寝台から起こし、自分の右腕を見やる。腕は義手を失っており、付け根部分の接合部さえも失われていた。

 そして寝台の右隣、レアケが腰掛ける椅子の隣に小さな机があり、そこには、手首から二つに裂けた状態の彼の義手があった。

「確かに優れた技術ではあるが、俺らにも直せんというのは納得がいかん。何らかの魔術的要因だろうな」

 レアケは、不服そうに、サネトの義手を指で突っついた。

「それより、止めないと」

「止めるってのはネーパット、いやタミーナフの計略のことか」

 レアケとは反対側、寝台の左方向から声がしたので、サネトがそちらを見やると、今度は竜大公の長である、ラフグアが壁に背をつけて立っていた。

「ああ、そうだが……ちょっと待て。どこであいつがタミーナフって」

 そう言いながら、サネトは何かに気づいたように自分の服を見る。それは所謂、病衣であり、普段の彼の服ではなかった。

「探してるのは、これかい」

 レアケが取り出したのは、ヨベクが彼に渡していた記憶媒体だった。

「悪いがこちらも緊急事態だった。本来は許可を取るべきだったが、勝手に中身を確認させてもらったよ」

 また別の声が聞こえる。それは、いつぞや、サネトに接触を図ってきた世界政府の高官であるクトゥンだった。

「竜因、宗匠、それに世界政府の役員。大御所連中がこぞってやることが、けが人の懐から物を盗むこととはね」

「理解してくれ。それより君は、この中身を見たのか?」

 サネトは首を横に振る。

「ではどこまで君は知っている?」

「ネーパットはタミーナフ、魔導星核は星を救うが、命は救わない。ほかに重要な事実があるのか?」

 サネトがそう呟くと、クトゥンとレアケ、ラフグアが互いの顔を見合っていた。

「やっぱり、直接見てもらった方がいいかもな」

 レアケがそう言うと、サネトの寝台のちょうど足側の空間に、映像が投影される。

「この記憶媒体には映像記録が残ってた。状況からヨベクが目にした映像を、記録として残したものだろう。音声は無かったが、ヨベク自身の思考履歴が残っていたから、どんな会話があったのかはわかっているよ」




「救うもの」との戦いから帰ってきた時に戻る。

 まだサネトとリャージャが、戦いの中で傷つき、意識を失っているころだ。突如ヨベクの記憶領域に書き込まれた言葉に従い、ヨベクは指定された座標へと向かっていた。ヨベクが進む道は、今まであまり利用したことのない場所だった。

 なぜこれまでこの辺りを訪れなかったのか。

 しいて言えば、この辺りの部屋は、記録としては存在するものの、これといった役割が振られていない、今にして考えてみれば、いささか不可思議な空白の場所だった。

 まるで「何もない」という情報で、この空間を隠していたかのようだ。

 その装飾も別れ道もない廊下を進んでいくと、突き当りにやはり無機質な機械扉があった。

 施錠されている。暗号で開く様式。

 ヨベクがその扉の種別を分析していると、扉から電子音が突然鳴り出した。

「入ってください」

 再び記憶領域に、何者からかの言葉が直接書き込まれる。

 ヨベクはそのままその部屋に入ると、そこにはただ暗闇が広がっていた。部屋の高さや奥行きを判別させないほどの暗闇ではあったが、一方その中央に、赤い光がぼんやりと灯る箇所があった。

 その光の中に、うっすらと人影のようなものが見えた。しかし赤い光が幕のように包んでいることから、その相貌や容姿までは判別がつかない。だが不思議と、自分をここまで導いた存在が、目の前にいる”それ”であることを、ヨベクは、その機械の頭脳で直感した。

「あなたは誰ですか」

 そう問いかけるヨベクの声に対し、光の中の人物は、再びヨベクの記憶領域への書き込みで答えた。

「すまないが、音声での会話ができない。今はこの方法で話させてもらう」

 どうやら、その存在は、単にヨベクのみと会話するためにその方法を選んだのではなく、実際にこの方法でしか意思疎通が取れないらしい。

「では、私もこちらで」

 ヨベクもまた、音声での会話を行わず、直接思考領域での会話で完結させることにした。

「私の正体か。口にするのは簡単だが、私は今、あいつがこの工房を一瞬離れたことによって、生じた隙をついて、この繋がりを成立させている。しかし私の正体を明かせば、大なり小なり世界に影響を及ぼしかねない。そうなれば君と私の接触が、あいつに気づかれてしまうかもしれない」

「あいつ、というのはネーパットのことですか」

「ああ、その通りだ」

 固有名詞を避ける光の存在の表現に対し、自分もそうすべきかと逡巡したヨベクだったが、ここですべきは曖昧で冗長な会話ではなく、最大の情報量を最低限の会話量で引き出すことだと考え、あえて危険を顧みず、ネーパットの名前を出した。

 しかしヨベクの危惧とはよそに、目の前の存在は、その表現を特に慌てる様子もなく受け入れていた。

「あなたに何らかの理由、恐らくネーパットに、私との接触を気づかれるのは危険だ、という理由で情報公開に制約があるのはわかりました。それは固有名詞に基づくものですか?」

 ヨベクは、今後の会話を円滑にさせるため、最初から前提条件を確認しようと試みた。

「いや、固有名詞ではない。私が言ってはいけないのは二つの名前だけさ。ネーパットはそれじゃない」

 一見すると迂遠な仄めかしだが、ヨベクはその言葉の真意を理解できた。光の存在は、ネーパットへ言及する際に名を呼ぶことを避けた。しかしネーパットという名前を使うことには問題がないことも分かった。それは暗に、彼女にはネーパット以外に別の名があることを示唆しており、そしてそれを、目の前の存在が知っていることを意味した。

「接触した理由はネーパットの計略と関係がありますか」

「その通り。君と、そして君の仲間には、ネーパットの計略を阻止してもらいたい」

「なぜ?」

 そうヨベクが問うと、わずかに光の中で、人影が動いた。分厚いすりガラス越しの光景に似ているためか、はっきりとその動きを捉えることはできなかったが、ヨベクには、それが座っている体勢から立ち上がったように見えた。

「あの計略は、星を救うが今いる生命を滅ぼすものだからだ」

「どういうことですか?」

「難しい話ではない。この星の核は、<紅玉神(リト)>の座だ。つまり神側の存在。しかしネーパットの作る新たな星核は、魔側のもの。対極にある力で、星の核を入れ替える。その結果は、文明崩壊など比にならない惨禍を導く」

 ヨベクは、まだこの存在が言うことを信じられないでいた。確かに文字にすれば恐ろしいことだが、本当にそんな結果が出るのか、ヨベクの推論と計算能力をもってしても答えがでない。ではなぜ目の前の存在がそんなことを確信を持って言えるのか。そう考えると、あることが閃いた。

「もしや、ネーパットが魔の星核を使ったのは、これが初めてではないのですか?」

「ああ。五千年前。奴は人工星核を作り、この星に打ち込んだ。そして、その結果起きたのが、君たちが言う、第三次文明崩壊だ。確かにあの時期、この星は極度な魔力不足で、飢餓も発生していた。だがそれは文明を衰退させるものではあっても崩壊させるほどの惨状ではなかった。この星の生命を、半数近く根絶やしにしたのは、ネーパットの星核の仕業さ」

 それを聞いてヨベクは驚くとともに、また新たな疑念を思いついた。

「お待ちください。あなたの言うことが食い違っています。先ほどあなたはネーパットの星核は、文明崩壊の比にならない惨劇となると言いました。でも、そうなると、以前は『文明崩壊』の枠に収まったように聞こえますが」

「それは私が阻止したからだ」

「阻止した?」

「ああ、その星核を私は奪い取った。私にはそれが破壊不可能なことがわかり、結果、私自身がそれを取り込むことで解決した。所謂不可逆性をついた賭けだった。薪を燃やしてできた炎と灰からは、どう頑張っても薪を元通り復元することができないのと同じさ。その時の私は、星神の座に直接星核を打ち込まれるよりは、そちらの方がましだと思ったんだ。だが、それでもこの星から命が半数も失われてしまった」

 これは、ちょっとした事故だった。ヨベクは非常に優れた演算能力を持つ。一を聞いて、十を知ることができる、その思考回路は、目の前の存在の説明を聞いて、その正体の仮説を立ててしまったのだ。ネーパットが、星神の座に、人工星核を打ち込むことを阻止することができ、なおかつ自分がそれを取り込んだことで、被害を軽減することはできたが、結果的に近い状況を導いてしまうことになる存在。

 その条件に合致できるのは、一人しかいなかった。

「紅玉神」

 ヨベクが記憶領域に不意に書き込んでしまったその仮説は、目の前の存在の沈黙と、この工房の中に走る強烈な魔力の高まりにより立証されてしまった。

「もう少し話したかったが、仕方ない。だが気づかれたからには、もう言ってもいいだろう。私の正体はお前の推測通り。そして、ネーパットの正体はタミーナフの転生体。あれは、旧星の時代から、何度も転生を繰り返してきた。タミーナフでさえ、本来の名ではないかもしれない。あいつは、唯一調伏せず封印に留めた魔神王、<クームベサム>の封印を解き、その心臓を使って、最初の人工星核を作った。だが、もうこの世界には星核にできるほどの魔神は存在しない。だから魔人の心臓に目を付けた。しかしそれでも足りないんだ。奴の計画の最後の足りない欠片を生めるのは、竜の子の力。それを更に魔に染めることが……」

 そこまで文字が打ち込まれたところで、強制的に目の前の存在とヨベクの繋がりが強制的に絶たれた。

「まったく、数秒工房の外に出ただけで、このありさまか。油断も隙もあったものじゃない」

 代わりに打ち込まれたのは、また別の何者かによる文字。ヨベクが後ろを振り返ると、入り口のところに何者かが立っている。逆光のため、その顔ははっきりとは見えないが、それから放たれる強烈な魔力が、その正体を何より物語っていた。

 そこでヨベクは自分に訪れる結末を予期した。自分のこの記憶は消される、いや最悪廃棄されるかもしれない。しかしヨベクには使命があった。今の主であるサネトとリャージャを守ることだ。先ほどの最後の会話は、途中で区切られたが、ヨベクにはその趣旨を完全に理解した。竜因であるリャージャを何らかの方法で魔人に染め、その心臓をも使うのが、ネーパットの狙いなのだと。

 ならばこの情報はどんな手を使っても保持しなければならない。

 そこでヨベクは賭けに出た。

 ネーパットはこの記憶を、完全に消去はしないと。

 なぜなら、ヨベクほどの高性能な記憶領域を持っている場合、人為的に消去された記憶は、突如現れる虚無のように映り、不自然に見える。ならば、ネーパットはこの部屋を隠していたのと、同じ方法をとるのではないかと。

 つまり、ヨベクに今こうしてした会話を「なんでもない会話」だと認識させる。情報量はなく、主人の身の危険にかかわるものではないと。だがそれだけでは不十分だ。いずれ何らかの演算処理で再びこの記憶の重要性を再評価することがあるかもしれない。更には、他者がヨベクの記憶領域を覗き込むことで、この会話に辿り着くかもしれない。

 なら何らかの鍵をかけようとするはず。この情報は重要であるとヨベクが気づくか、何者かに共有しようとした場合に、記憶を消すか、機能を停止させるか、はたまた自爆させるか。

 そして最後に思い至った。因果律や時空量を視野に入れた膨大な計算の果てに、「いつか私は何者かに壊される」という結論に。

 思い出せば自分が壊れてしまうなら、自分が壊れたときに思い出せばいい。




 かくして、ヨベクの賭けは成功した。ネーパットはヨベクの記憶をいじった。この数分間に「何もなかった」と認識させた。そしてもしこの記憶に再び辿り着こうものなら、機能を停止させるという罠を仕掛けた。

 そして「支配するもの」により、ヨベクは見事に破壊され、機能停止に追いやられた。そしてヨベクの作戦も成功した。記憶は復元されたが、物理的な破壊行為の自動修復は行われたことで、ヨベクはネーパットの枷を掻い潜り、記憶を無事思い出すことに成功した。その後サネトが自分を迎えに来た時に、自分の体の中に簡単な外部記憶装置を作り、それにこの記憶を押し込んだのだ。




 これが、サネトが見た映像に残されていた情報だった。サネトはあまりの情報量に唖然としていたが、まだネーパットの正体というもう一つの大きな情報を事前に仕入れていたことで、何とか平静を保つことができた。

「……こうしちゃいられねえな」

 サネトは寝台から体を起こし、立ち上がろうとする。

「待て、君の体はまだ完全に回復していない。魔力経は焼き切れる寸前だぞ。戦える状態じゃない」

「うるせえ。あいつを止めねえと。リャージャと、ヨベクのためにも」

 サネトは病衣を脱ぎ、近くに置かれていた自分の服を羽織る。だが思ったように指先が動かず、着慣れた服を纏うのも一苦労だった。

「そんな状態で、魔の統率者とさえ言われるタミーナフに本当に勝てると?ああ、そうだった。万全の状態でも完膚なきまでに叩きのめされたのか」

 レアケが、皮肉っぽく、去ろうとするサネトの耳元で囁いた。最初怒りを示そうとしたサネトだったが、それは揶揄などではなく、間違いなく現状を正確に表現した諫言であることに気づいた。

「それでも、行かなきゃならないんだ。それと、ヨベクのこと、治してやってくれ。理由はわからんが、ネーパットにとってもヨベクを失うのは損失らしい。もしかしたら、あいつの計画を折るのに、ヨベクは重要になるかもしれない」

 サネトはヨベクの方を一瞥する。

「そうか、任せておけ。ああ、そうだ、これをもってけ」

 レアケが、寝台側の化粧台の引き出しを開ける。

 それは、サネトが使っていた双銃の片割れだった。

「もう一つの方は、義手との接続前提のものだっただろう。こちらは、以前我々があくまで補助用として調整したが、主要な武装として再調整した」

 それをレアケはサネトに渡すと、彼は残った左手で受け取る。

「恩に切る」

「ただじゃない。ことが終わったら、代金を払いに来い」

「ああ、任せろ」

 サネトは、銃を腰帯に仕舞うと、急いで部屋を飛び出していった。

「行かせてよかったのか?」

「さあね。ラフグア、竜因たちに連絡を。もしものことがあったら、全兵力で、ネーパットを我々で討伐するよ。それまでは、俺たち魔工はヨベクの修理。構わんな、クトゥン」

 そう言いながら、レアケは何か物思いに耽っていたクトゥンの方を見る。

「はい。<ケクスペス>の街の人々には、巨大な魔獣の接近だと警告したので、今はあの周囲に人はいません。制限は無しです。全力でお願いします」

 その言葉を受け、レアケとラフグアは、病室をあとにした。

「私が考えるべきは、この後のことですね」

 クトゥンはそう言いながら、窓から遠方の空を見つめていた。

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