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最果ての王 第四節

 深い魔の瘴気の中、不気味に揺らめく桃色の光沢。

 その側には、肉体から不気味な紫の煙をふかしながら、苦しそうに喘ぐリャージャの姿があった。

『ふむ、この調子なら、随分と強い魔人になりそうですねぇ。あと二時間、いや、もう少しかかりそうですかね。竜因を魔人にするのは初めてですが、まさかこれほどとは』

 魔人の言葉に応える存在は、この場にはいない。魔人はリャージャの顎を二度三度、まるで猫を可愛がるように撫でた。リャージャは相変わらず、苦悶に蹲っている。

『どうですか。神に作られた肉体が、魔に置き換わっていく感覚は。一度経験すれば二度と味わえるものではありませんので、どうか楽しんでください』

 リャージャの苦痛による転身を、魔人は言祝いだ。

「そうはさせん」

 今まで、一人で呟いていた魔人の声に、初めて答えるものがあった。

『おや、意外とお早いお目覚め。それにこんな短時間で私の元に辿り着くとは』

「お前の飼い犬が教えてくれたんだよ」

 そういうと、魔人は自分の背後に控える魔獣を見る。

『ふむ。気づきませんでした。確かによく集中してみると、奇妙で微小な魔力が、魔獣からそこの機械人形さんに流れていますね。お見事です』

 魔人はわざとらしく、手を叩いてみせた。

「さあ、リャージャを返してもらうぞ」

『できるなら、どうぞ。やってみてごらんなさい』

「<五重(フィクス)>」

 最初から、限界に近い最高速度を出し、魔人に詰め寄るサネト。

『速いだけですねぇ』

 魔人は、速さで翻弄しようとするサネトを嘲笑っていた。

 サネト自身は、その挑発には乗らなかった。彼は正確に、魔人の意識を伺った。この魔人は強いことは、先のやり取りでわかっている。一瞬の緩み、認識の隙間を掻い潜るような一手を入念に選ばねば、手痛い反撃を受けるだけだと理解していた。

(ここだ)

 サネトは、そのわずかな隙を見つけ、そこに目にも止まらない速度で突貫した。

『釣りの醍醐味です』

 魔人の言葉は、実際に発音されたのかはわからない。なぜなら、今の彼らの戦いは、一言発することさえできぬほどの刹那の間に行われているものだからだ。

 だが、確かにサネトには、魔人が「そう言った」ことが分かった。

 完全な時間と空間を見定めた一撃だったが、それは魔人によって意図的に作られた「隙間」に過ぎなかった。サネトの足元から、突然魔人の鎧の色に似た、不気味な桃色の刃が大地より突き出してくる。

 そのまま進めば、その刃に彼の体を一刀両断される。

 寸前で足を止め、急いで方向転換しようとする。刃は回避できたものの、その結果サネトは大きく減速することを余儀なくされた。彼の顔に魔人の鋭く、重い拳が、叩き込まれた。

 一瞬で気を失いそうになるほどの一撃。サネトは何とか意識を保ったが、その勢いで地面に叩きつけられ、すぐさま立ち上がれなかった。

「サネト様!」

 ヨベクがサネトを助けようと、魔術を使おうとするが、

『あなたの方がやはり厄介そうですね』

 いつの間にか、ヨベクの正面に「支配するもの」が現れていた。慌てて術式を展開しようとするが、魔人の手刀が、ヨベクの胸を貫いた。

 その光景は、リャージャの時と似ていたが、機械人形であるヨベクを、魔人が自身の眷属にするはずもなく。

「ヨベク!」

 魔人が手を引き抜くと、ヨベクの胸には、その中身を露出さる、大きな穴が空いていた。

『おや、これは……!!』

 もう完全勝利の魔人だったはずだが、突然声を荒げ、慌て始めた。

『おのれ!』

 魔人は破壊され、動かなくなったヨベクの体を乱暴につかみ上げると、力強く投げ飛ばした。

 まるで砲弾のように、勢いよく彼方へ飛んでいくヨベク。かなり遠方まで飛んで行ったようで、その落下地点はサネトのいるところからは目視できないほどだった。

「てめぇ、一体なんで、ヨベクを」

 そう言いかけて、サネトは先ほど魔人が、ヨベクが魔獣に付けた小型の追跡装置も魔力の流れから認識できていたことを思い出した。

「お前、ヨベクの通信を」

『悪いですが、私たちはここで失礼しますよ』

 どこか冷静さを欠いた魔人の様子と言動に、サネトは違和感を覚えた。なぜこれほどの力を持つ魔人が、ヨベクの位置を知らせる通信装置をそこまで恐れるのか。

 たしかにネーパットはどんな手段を講じてでも、サネトたちを助けるとは言っていた。しかしそれは、魔人がここまで狼狽するほどのことなのだろうか。

「ま、待て!リャージャを」

 サネトが魔人を呼び止めようとした時だった。

『ひぎぃ!』

 突然魔人が今まで聞いたことも無いような悲鳴を上げる。いつの間にか、魔人の足にはトラバサミのような見た目の器具が噛みついていた。その器具は鎖でつながれていて、その鎖を視線で追っていくと、そこには、この禁忌の地にはあまりにも似つかわしくない弱弱しい老人の姿があった。

「ネー、パット?」

『この、タ……』

 魔人が何かを言いかけたところ、槍の形をした黒い物質が、六本ほどどこからともなく飛んできて、魔人の体を容赦なく貫いた。

 魔人の五体はあっけなく分解された後、足に噛みついていたトラバサミが、突如巨大化して、残った魔人の上半身をかみ砕いた。

 そこに残っていたのは、「支配するもの」の鎧を思い出させる、淡い桃色の光を灯す、魔人の心臓だけだった。

「ネーパット、お前外に」

「話はあとだ。わしは長く外にはいられん。ヨベクはどこだ!?」

 ネーパットは魔人の心臓を拾い上げた後、あたりを見渡す。

「ヨベクは、魔人にどこか遠くに投げ飛ばされ」

「わかった。サネト、君はヨベクを連れ帰りたまえ。わしはリャージャを連れて帰り、手術の準備をする。詳しい説明はまた後だ」

「おい、ちょっと」

 サネトの言葉など聞きもせず、ネーパットは魔人の心臓とリャージャと共に、光に包まれ、一瞬で姿を消した。

「あの野郎。空間転移か今の。きっちり説明してもらうからな」

 サネトは急いでヨベクを探し始めた。ネーパットの言葉を踏まえると、恐らく先ほどの魔人の一撃で、ヨベクの追跡装置は壊れたようだ。従って、手がかりは、先ほど目にしたヨベクの軌道だけだった。ただひたすら、高速走法でヨベクの姿を探し回るサネト。

 かなり遠方に飛ばされていたが、サネトの俊足をもってすれば、さほど見つけ出すのに時間はかからなかった。

 二分ほど走っていると、サネトは視線の先に、大きく地面がえぐれている場所を見つけた。間違いなく、ヨベクの落下地点だと、サネトは確信した。

 大きな地表の陥没の中心に、ヨベクらしき姿があった。急いでサネトはそれに駆け寄る。

「おい、ヨベク、ヨベク!」

 サネトは、ヨベクに声をかけるが、返事らしきものは返ってこない。胸に空いた大きな穴だけでなく、砲弾のように打ち出され、大地に叩きつけられたため、体のあちこちに、致命的な損傷が残っている。

「ちくしょう」

 サネトは仕方なく、ヨベクを背負う。

「ぐう。重いな。この状態で走れるか」

 サネトは、何とか走り出すが、やはり魔力消費に見合った速度が出ない。

「くそ、これじゃ途中でバテちまうぞ」

 悪態をつきながらも必死に走るサネトだったが、ふと、彼は何か違和感を覚えた。足を止め、ヨベクを背中からおろすと、その大きな傷口の周辺が、わずかに動いていた。

「これ、自動修復か。おい、ヨベク、再起動できるか?」

 しかしやはり返事はない。

「仕方ない」

 再びサネトはヨベクを背負う。ヨベクの修復はいつになるかはわからない。それに仮に修復が終わったとして、再起動までいくかは定かではない。だからいったんこのまま背負って走ろうと、サネトは決断した。

「サネト、さま」

「ヨベク?」

 ヨベクを背負うと共に、すぐさまヨベクが弱弱しく声を上げた。

「どうだ、動けるのか?」

「いえ、まだ運動機能は完全に回復しておりませんので」

「じゃあこのまま走っておく。続けてくれ」

 サネトは再び駆け始めたが、その速度は会話に集中するため、先より落とした。

「単刀直入に言います。私はネーパットの計画の真相がわかりました」

「なんだって?」

 しかしすぐさま耳を疑うような驚きの言葉が飛び出し、サネトは足を止めてしまう。風切り音のせいで、何かを聞き間違えたのではないかと思ってしまったからだ。

「すみません。聞き取りやすいように術を使いますので、そのままお走りください」

 ヨベクの言う通り、サネトは再び走り出した。

「真相ってのはなんだ。実はネーパットは星を救うつもりはないとかか」

「いえ、ネーパットの目的は、この星を救うことです」

「じゃあ、あの魔導星核は、実は星を救う力はないとかか」

「いえ、あれも間違いなく、この星を救う機械です。彼女は嘘をついていわけではありません。真実を隠しているんです。あの星核は確かに、星を救うもの。しかしそれは良薬というには、あまりに深刻な副作用があるんです。あの装置を作動すれば、この星に生きる生命の、およそ九割が死滅します」

「は?」

 ヨベクの術は間違いなく機能し、ヨベクの言葉は風切り音に邪魔されず、きれいに聞き取れていた。だが、サネトにはヨベクの言っていることの意味が理解できないでいた。

「待てよ、じゃあ星を救うってのはなんなんだ」

「星は救えるのです。星だけは。あの装置を使えば、この星は間違いなく、魔が栄え、<天藍星>に匹敵する豊かさを得るでしょう。しかしその結果、現在この星に住む生命と、この星の核たる星神とのつながりが絶たれてしまいます。その繋がりなしでは、この星の生命は生きていくことはできないのです」

 ヨベクの説明は、全くサネトには理解しがたい話であった。

「すまん。もしそれが事実だとして、じゃあ残りの一割はどうやって生き残るんだ」

「恐らく、特に魔力の強い個体や、魔力を活動に必要としない、一部原初生命が生き残ります。恐らくほとんどは後者でしょうが」

「だとしたら荒療治すぎる。そんなもの、文明崩壊の比にならない。もとに戻るのにどれだけの年月がかかるか」

 そこまで言いさしてサネトは、ネーパットにとって、これは荒療治ですらない可能性に気が付いた。彼女は万年以上の寿命を有する。だとすれば、ネーパットにとって、来る苦しみの暗黒時代は、ただの停滞期に過ぎない。視座がそもそも、自分たち常人とは次元が違うのだとしたら。

「それで自分だけは生き残るってのか。しかしそうとわかりゃ、俺たちがあいつに協力する道理はねえな。最後の魔人の討伐は協力する必要ないだろ。あーでも、リャージャの治療だけはしてもらわんと。どうやってリャージャを」

「そしてもう一つ、それに関してネーパットが隠していたことがあります」

 ヨベクがサネトの言葉の途中で慌てて割って入った。

「最後の魔人『終わりのもの』は、厳密には存在しません」

「あの、成長を待ってるとかいう魔人のことだよな。存在しないってどういう」

 サネトは疑問を投げかけようとして、その答えにおのずと辿り着いた。

「まさか、最後の魔人って」

「はい。リャージャ様のことです。初めから、ネーパットは、『支配するもの』にお二人のどちらかを魔人化させ、それを討伐するつもりだったんです」

「あの野郎……」

 サネトの声には怒りが滲んでいた。

「サネト様、ネーパットは真実は隠していましたが、嘘は言っていません。リャージャ様の魔人化にはまだ時間がかかる。十分間に合うでしょう。しかし問題は、ネーパットはリャージャ様を救う気はないということ」

「なるほどな。だが、あのネーパットの力を考えると、奪い返すのも楽ではないだろうな」

「そこで一つ、伺いたいことがあるのですが」

 ヨベクがサネトにそう問いかける。彼は首を縦に振り、ヨベクは質問を続けた。

「どうして、私を助けに来たのですか?」

「え、そりゃ」

「正直に」

「……ネーパットに頼まれたからだ」

 サネトが気まずそうに、そう答えた。

「いえ、そうだとすれば、もしかしたら、交渉材料がこちらにはあるかもしれません」

「どういうことだ?」

「なぜ、ネーパットは、私を持ち帰るよう言ったのでしょうか?仮説は二つあります。まず第一に、ネーパットは時間稼ぎをしたかった。ですがこちらの仮説はあまり可能性は高くないと思います」

「どうしてだ。結構尤もらしいと思うが」

「いえ。サネト様の高速移動と、リャージャ様が魔人化する猶予時間を考えれば、この時間稼ぎはあまり意味はありません。従って第二の候補が私は有力とみています」

 サネトは沈黙を続け、ヨベクに続きを話すよう、無言で促した。

「恐らく、私はネーパットの計画にとって何らかの役割を持っている、あるいは手放すと強い損失がある、という点です」

「待て待て。それこそ変だろ。あいつ、あっさりお前の主導権を俺らに譲ったんだぞ」

 そうサネトが言うと、ヨベクはサネトの耳元で「いいえ」と呟いた後、こう続けた。

「彼女の寿命を考えてください。サネト様より、確実にネーパットは長く生きるんです。そうすれば、私の権限を持つ人間はいずれ必ず消え、自動的に権限は委譲されます。そしてサネト様とリャージャ様が死んだ場合、第一候補はネーパットになるんです」

 サネトは得心がいった。ヨベクの権限をこうもあっさり委譲したのは、彼女が千年先の未来を常に見据えているからだ。

「でも、そうなると、ヨベクの役割は、星核を打ち込んだ後ってことか」

「そうなりますね。いずれにせよ私の体は星核の完成に匹敵する価値があるはずです」

 サネトは考え込んだ。ヨベクが交渉材料になる可能性は確かに高い。しかし問題はネーパットにとって、優先順位は確実にヨベクよりリャージャの方が高いという点だ。

「……でも可能性はゼロではないなら、そちらにかけるか」

 しかしサネトの決心は早かった。

「よしヨベク。とりあえず今は発信装置は付けてないんだよな」

「はい」

「じゃあヨベクは一旦、水晶門前で待っててくれ。俺が先に一旦ネーパットの元へ行く。交渉が決裂する可能性が高いが、もし俺が帰ってこなかったら、魔工宗匠か、竜因の元へ行け」

 それに対して、ヨベクはすぐに了承しなかった。

「俺とリャージャが死んだのをお前が確認してしまうと、権限が自動的にネーパットに委譲されるだろ。だからお前が俺に助力するのはむしろ一番ネーパットの得になる。だからこれは俺の命令だ。俺が水晶門をくぐり、一時間、いや三十分経っても帰ってこなければ、魔工宗匠のもとへ行け。そしてお前が知っていることを全て明かせ」

 サネトは、目の前に水晶門が現れたためか、ヨベクに矢継ぎ早に命令を下していく。それに対して、ヨベクは黙って指示を聞き続けた。

 水晶門に辿り着き、サネトは背からヨベクを降ろそうとする。すると、そのさなか、ヨベクはサネトに向かってこう囁いた。

「サネト様、私の話を信じていただき、ありがとうございます」

 ヨベクのつぶやきは、サネトには意外に感じられた。論理的な演算を行う電子頭脳が、信頼を勝ち取ったことに感謝するものなのだろうかと。

「俺はお前が嘘を言うとは思ってない」

「ありがとうございます。サネト様、では最後にもう一点だけ、お伝えしたいことが。これは確証は得られていないことなので、口にすればサネト様を混乱させる原因になるかもしれません」

 一方のサネトはその言葉だけを聞いて、ヨベクの仮説が何なのかをすぐに理解した。それは彼自身も頭によぎりつつあった推論でもあったからだ。

「ネーパットの正体のことなら、俺も一つ推測が立ってる。そして恐らく俺とお前の仮説は同じものだ。が、ほら、よく言うだろ。『人の言葉は神の計画である』。口にすれば、どんな根拠のない憶測も実現してしまうのは、世の常だ」

 サネトが珍しく古の格言など持ち出すのは、それだけこの仮説の実現が、彼にとって恐るべきものだからである、何よりの証左だった。

 ヨベクも、サネトの表情に出ない心の機微を察してか、それ以上は何も言わなかった。

「わかりました。では最後に、これを」

 そう言って、サネトの手に、ヨベクは小さな電子部品を差し出した。

「これは記憶媒体です。私がネーパットの目的に辿り着いた理由と過程、そして今回は語らなかった詳しい全貌を記録したものです。そして私がなぜこれを今になって思い出したのかも記録しています」

「……帰ったらお前から直接詳しく聞くから必要ないが、ま、ありがたくもらっておくわ」

 そう言い残し、サネトは水晶門をくぐった。



「命令違反、お許しください」

 それを見届けた後、ヨベクは無人の禁域のただ中で、不安げに呟いた。

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