凍土の幻妖 最終節
魔人に打倒されるサネト、そして突如現れた二体目の魔人。それを見てようやくヨベクは現状を把握した。
「申し訳ありません。最初に、魔人の体が魔力に霧散した時に気づいておくべきでした。魔人住まう場所は魔力の濃い場所である、というこれまでの前例に引きずられすぎました。この空間が魔人を生み出したのではなく、魔人がこの空間を生み出したようです」
「は!?なに!?ヨベク、今はさっさと結論を……」
ヨベクのわかりにくい説明と、サネトに突然訪れた窮地に慌てるリャージャが、突如ヨベクに突き飛ばされる。
二人が先ほどいた場所には、「救うもの」が剣を勢いよく振り下ろしていた。
「つまり、この空間そのものが、魔人の腹の中ということです」
「なるほど、わかりやすい」
サネトの推測通り、この魔人は消失と出現を、連続で瞬時には行えない。だがサネトは、その魔霧への変化と言う能力を目にしながら、魔人には物質的な肉体があり、それが本体に間違いないという思い込みをしていた。
「けど冗談じゃない。サネトがあれだけやってほぼ互角の勝負だった魔人が、数ある傀儡人形の一つに過ぎないだなんて」
「いえ、『数ある』は、やや語弊があります。今、二体目の魔人体が出現した瞬間、この空間の魔力量が著しく減少しました。仮にこの空間の魔力が、全て魔人のものだとしても、おそらく同時に出現させられるのは四体程度かと」
「それなら……いや、四体も多いでしょ」
ヨベクの説明は、つまり純粋な魔力量に関していえば、これまでの魔人の四倍あると言っているに等しかった。
「しかし、それほどの魔力量なら、どうして最初から、全力でやらなかったんだ?」
「サネト様の速度に対しては、正攻法よりも奇策の方が有利と見たか、あるいは力を温存したかったのか」
「温存って……何に?」
サネトを傷つけた魔人たちは未だ、この空間の中央で立っている。サネトは、地面に蹲っていたが、それに対して追撃をかけようという様子が見られない。リャージャは彼を助けに行きたいと考えていたが、何かを待っているようなその魔人の姿勢に、下手に動き出せずにいた。
「ヨベク、さっきの攻撃をよけられたってことは、魔人の出現は観測できたってことよね」
「はい。必要とする魔力量の違いでしょう。あくまで推測ですが、おそらく魔人は自分の魔力を具現化させるには、その大小問わず、ある程度魔力を集めた場所の近くでしか行えないのかと」
「え、なんで?」
ヨベクは、自分が話す予測のせいで、リャージャやサネトを不利な状況に陥れるかもしれないと考え、一瞬その推測を話すか悩んだが、主の命令を最優先させるという自分の使命に立ち返り、その口を開いた。
「仮に、魔力の霧の状態でいられるなら、魔人はどうやって自分とそれ以外の魔力を区別するのでしょうか。ご主人様たち、そして私でさえも魔力を放散しているわけです。この星の上にいる限り、大気魔力もある。淡水が汽水となり、海水となった後、その中にあるものを、もともとの川の水とは呼べないように、他者の魔力と複雑に混ざり合う中で、自分の体を取り出すことは困難なはずです」
魔力の霧の形態、一見すると無敵のようにも、リャージャは感じていたが、しかしヨベクの言うことを聞くと、確かに、これほど脆弱な状態もない。大量の魔力や、大規模魔術によって霧散することさえある。だからこそ、一度大量の魔力を集めてからでなければ、具現化は危険が伴うのであろう。
「サネトがいまだ襲われないのも、サネトの近くで魔力を集めれば、ヨベクが気づくからか」
「いえ、おそらくは、リャージャ様の最初の予測通り、サネト様はおそらく私たちが何か動きを見せるための布石として取っておいているのかと」
「……本当に変な魔人ね。いいよ、その餌にまんまと釣られてやる。ヨベク、具現化に気づいたら、すぐ教えて」
「承知しました」
リャージャは、ためらうことなくサネトの元へ駆け寄った。徐々に魔力を高めつつ、何が起きても対応できるようにはしていたが、優先していたのは一刻も早くサネトの元へ辿り着くことだった。
『リャージャ様、左後方です』
ヨベクからの報告を受け、リャージャは左を振り向きながら、右へ飛びのく。鉄甲で魔人の刃を受け止めつつ、その勢いを利用し、よりサネトの方へ近づいていく。魔人の攻撃は、リャージャにとってはそれほど重いものではなく、生身でもニ、三太刀程度であれば受け止められそうな水準のものであった。
またリャージャ自身は気づいていなかったが、その体の魔力が、以前よりも更に高まっていた。知らず知らずのうちに、リャージャは竜因から魔力を引き出すという成長を遂げていた。以前「竜大公」と共に戦ったことで、竜の力に対する理解が深まったからか、あるいは魂の器の成長によるものかはわからない。
大量の魔力を纏い、そして更にネーパットの魔導兵器を身に着ける今のリャージャに傷をつけるのは容易いことではない。
魔人も、今の一太刀でそのことを悟っていた。
『リャージャ様、魔力が集まっています』
『え、どこに?私の近く?』
『いえ、先ほどから中央に立っている魔人近辺に、この空間すべての魔力が集まっています』
ヨベクの言っている意味は、リャージャにもわかった。分散させていた魔力を一点に集中、つまりここからが、魔人「救うもの」の真骨頂というわけだ。
先ほど、サネトと戦っていた魔人の体も、一つに溶け合い、更に、目に見えるほどの濃度になって魔力が急速に集まっていく。しばらくすると、その嵐の目には、人型の存在が、堂々と立っていた。先ほど具現化させていた物質体に似てはいたものの、外骨格のような鎧は全体的に鋭利な形状に変わっていた。大きさこそそれほど変わらなかったが、帯びている魔力量は段違いに上昇していた。
ただ何より目を引くのは、魔人の周囲を浮かぶ二つの蒼い炎の魂。熱さは感じぬが、しかし不気味な圧力を放つそれは、今のリャージャにも「絶対に触れてはならない」と直感させるほどだった。
だがそれにひるんで下がっていては、この戦いの活路は開けない。そう考えたリャージャは、魔人のもとへ恐れず突撃する。多少の反撃を受けることは覚悟、捨て身で放つ全力の一撃。だが、魔人はそんなリャージャの意志を嘲笑うように、反撃も、回避も行わなかった。ただ前に突き出した右手で、リャージャの鉄拳を軽く受け止めるだけだった。
「は?」
リャージャにも、信じがたい事態だった。「救うもの」は、サネトの戦いで見せたような、奇策も技術も使わず、ただ真正面の力勝負でリャージャの攻撃に応えたのだ。
リャージャは急いでその場から離脱しようとするが、その鉄腕を、魔人は掴んで離さない。リャージャは鉄腕を武装解除することで、拘束から逃れようとするが、時すでに遅し。次の瞬間、リャージャの腹部を、魔人の鋭く分厚い剛剣が、勢いよく貫いた。
「りゃ、リャー……ジャ」
ようやく意識を取り戻したサネトだったが、彼の目にした光景は、友があっという間に致命的な一撃を浴びせられる悲惨なものだった。
力なく大地に崩れ落ちるリャージャを見て、サネトはヨベクに通信機越しにこう告げた。
「ぐ、ヨベク、お前は退け。ネーパットに伝え……」
その時、サネトの頭上から、先ほどの青い炎が突然降り注いだ。
サネトは苦痛に気を失いかけるが、続けざまの痛みによりそれすら許されなかった。気絶と覚醒の狭間で、正常な思考が失われていく。だが奇妙にも、身動きも判断もできないサネトを、魔人はそのままに捨て置いた。リャージャも腹部を貫かれ、大怪我ではあるが、その魔力をもってすれば、決して致命傷ではない。
魔人は、じっと、ヨベクの方を見つめていた。まるで、ヨベクに痛みに苦しむ仲間を見せつけるかのように。
『なるほど、そういうことかい』
ヨベクの通信機に突如、別の方向からの通信が入る。それは、ヨベクのかつての主、ネーパットからのものである。
『仕方あるまい。ヨベク、第二段階への制限解除を行いなさい』
「制限解除……?」
突如、その言葉をきっかけに、ヨベクの記憶領域に突如新しい情報が浮かび上がった。
「これを、行えば、お二人を助けられる……」
『ああ、だが今の主は私じゃないからね。命令はできないよ』
ネーパットはそう言って、通信を切った。
ヨベクの判断は早かった。
「第二制限、解除。術式上限を十六まで引き上げます」
機械人形として、主人を救う。それは当然の機能である。
だが、この時のヨベクは、誰かに命令を与えられたような感覚を覚えていた。
もちろん、そのような命令が、外部から入力された痕跡はない。
「適切な術式を選択。<スアン>、<ゲメスト>、<ガースガース>、<ヌシュト>、<ユンファテュート>、<ユフセット>、<ウーレグス>、<シュスシュヴォト>、<ウツホ>、<ティヴシ>、<イコット>、<フーク>、<フニヒン>、<ユーノン>、<メスケ>、<プシェシアト>。計十六式決定」
突如ヨベクの周囲に、すさまじい嵐が巻き起こる。それは急激に上昇し膨張した魔力が、大気魔力との接触で起こる魔力嵐。
ヨベクの体から突如沸き上がった大量の魔力が、魔人の作り出したこの奇妙な空間を乱していたのだ。
すると魔人は、一気にヨベクのもとへ高速移動し、右腕の剣をヨベクに振り下ろした。だがその剣はヨベクに触れる寸前で急に静止した。それどころか、その剣の切っ先は徐々にヨベクから、魔人の体へと向き始めていた。必死に力で抵抗するものの、抵抗もむなしく、その刃は魔人の体を貫いた。左手の剣を手放し、魔人は両手で剣を引き抜くが、その手放した剣が、ひとりでに浮かび上がり、再び魔人に襲い掛かった。
当然だが、それを操っているのは、ヨベクだった。
ヨベクの腕の動きにあわせて、剣は舞い上がり、そして魔人を襲う。魔人は先ほど自分の体を貫いた剣で、ヨベクが制御する刃を振り払うが、本来自分の体の一部であるはずの剣を、どれほど魔力を込めても制御を取り返すことができなかった。それどころか魔力化することさえできなかった。
魔人はサネトに纏わせていた蒼の魔炎を、自分の方へ呼び寄せる。今のヨベク相手には全力をもって挑む必要があると判断した。ヨベクが操る剣を相手にしながら、魔炎をヨベクに飛ばす。それさえも操られる可能性はあったが、しかし、先ほどから一本の魔剣のみを支配しているところを鑑みると、ヨベクでも魔剣の制御を奪えるのは一本が限界だと推測できた。
そして、魔人<救うもの>のその判断は正しい。ヨベクは襲い掛かる魔炎を操ったりはせず、身を翻して回避した。その隙をついて、魔人はヨベクの支配する剣を大きく弾き飛ばすと、ヨベクの懐にまで潜り込んだ。もちろん同じ轍は踏まない。そして更なる保険も魔人はかけていた。
仮に魔人が手に持つ剣を支配しようものなら、魔炎がヨベクを襲う。
そして魔人の剣を使って魔炎を防ごうものなら、ヨベクが支配を行っていない方でヨベクを襲う。
三つの攻撃手段による同時多角攻撃。
回避以外に防ぐ手立てはなく、しかし回避をしても、状況は変わらず、王手を指し続けられる状況のまま。
だが、それはヨベクがすべての持ち駒を見せていることが前提となる。
十六もの、ネーパット製の高性能魔術式を解放した今のヨベクが、その程度の手駒しか持っていないわけがない。
ヨベクの右腕が一瞬強く光り輝いたかと思えば、ヨベクの周囲には、十数本もの、魔力でできた翡翠のように輝く光剣が浮かび上がっていた。その光の剣は、魔人の剣に比べれば、遥かに小さい。だが一目見ただけで、その剣一本一本に宿る魔力の膨大さは明らかだった。
魔人が振りかざした剣は、五本程度の光剣に絡めとられ、まったく動かなくなる。
遠くに飛ばされている剣も、未だヨベクの支配下でぴくりとも動かない。
最後の魔炎は、残り十本ほどの光剣が、螺旋状になって高速回転することで、あっさりとかき消される。
魔人は一瞬で自分の詰め手が封じられたことに慌ててか、剣を持たない左腕で、ヨベクを殴りつけようとする。しかしその左腕に向かって、ヨベクは、先ほど魔炎を消し去った十本の光剣を一気に放った。まったく同じ軌道で、その十振りの剣は、魔人の肘裏を切りつけた。最初の一本は魔人の表皮をわずかに切り裂いた程度、しかし、同じ箇所を別の光剣が切りつけるたびに、その傷はどんどん深くなっていき、五本目の段階では、魔人の腕の中心まで剣は深々と刺さり、そして最後の十本目で、魔人の腕はとうとう切り落とされた。しかし実際には、この十の斬撃は、刹那の間で繰り出されており、常人の目には、魔人の強固な鎧が一瞬であっさり切り裂かれたようにしか見えなかっただろうが。
魔人は恐れた。この機械人形は自分の体を傷つけ、致命の一撃を与えることもできる。こちらの攻め手も一切通じないうえに、まだ底知れない余裕を見せている。
分が悪いうえに、力量差も激しい。
「救うもの」はすぐさまこの場から離脱しようと、思い切り飛び上がった。だがもう遅かった。
空中で、魔人の体には先ほど左腕を切り離した剣が様々な角度から突き刺さる。不思議なことに、その剣は、魔人の跳躍の慣性も、彼の体にかかる重力も無視して、魔人の体を空間に固定していた。
ヨベクが、挙げていた左腕を振り下ろすと、空間に留まっていた魔人もそれに併せて地面に叩きつけられた。しかし剣の監獄は未だ解かれず、「救うもの」は体を動かすことができないでいた。
無抵抗な魔人のもとへ、ヨベクがゆっくりと近寄る。その両手には何も握られていない。しかしまるで鞘から剣を解き放つかのような動きを見せると、ヨベクの右手には、鋭い魔力の剣が生成されていた。
神々しくも怪しく光る翡翠の魔剣。自分の肉体を束縛する光剣と見た目こそさほど違いはないが、それに込められた魔力は、その比ではなかった。
魔人は体が剝がれるほどに無理やり拘束から離れようとする。先ほどまでサネトを苦しめていた魔力の霧散化もできないようで、激しく獣のような雄たけびを上げながら体をもがいている。
だがその抵抗もむなしく、魔人の体は結局剣獄より離れることはできないまま、あっけなく魔人「救うもの」の胴体は真っ二つに切り裂かれた。
魔人の体の断面から、徐々に霧散していく。それは「救うもの」の能力ではないようで、間違いなく魔人の敗北による肉体の消滅、および魔人の心臓化であった。
ヨベクはそれでも魔人の体が頭の先が消えるその瞬間まで、剣の牢獄から魔人を解放しなかった。魔人が心臓化する瞬間まで見届けると、ヨベクは魔剣を解除し、その心臓を拾い上げた。
リャージャは、血を失いすぎたことで、意識を手放しており、この一部始終を目にすることはかなわなかった。
しかし辛うじて意識を保っていたサネトは、魔人とヨベクの攻防を、霞んだ視界越しではあったが、全てを見ていた。
(何が、どうなってんだ)
ヨベクによる魔人の単独撃破。それはサネトたちの今までの努力と苦労を嘲笑うようなものだった。なぜこれほどの戦力を持ちながら、ネーパットは自分たちに依頼を出していたのか。しかし重傷を負った状態のサネトが、まともな思考ができるはずもなく、結局答えに辿り着かないまま、彼もそこで意識を失った。
『終わりました』
ヨベクが報告した相手は、当然ネーパットである。
『ご苦労。制限解除は初めてだったが、問題はないかい?』
『一部機能が過剰な魔力生産と使用によって停止していますが、お二人と魔人の心臓を持って帰還することは可能です』
『そうかい。二人の怪我の様子は?』
ヨベクは、自身の機能を用いて、倒れているサネトとリャージャの生命機能の検査を行う。
『意識は失っていますが、命に関わる致命的なものではないようです。ただし早急な治療は必要でしょう』
『承知した。うーん、そうだね。二、三秒くらいなら良いか』
ヨベクには、ネーパットの言っている意味がわからなかった。それはどちらかといえば独り言に近かったからだろう。
すると突然、ヨベクの目の前に光の円が現れる。その円が一際強く光ったかと思えば、その中心に、にわかに人影が現れた。
それは、間違いなく、ネーパットだった。
『悪いが説明は後でね』
いつも通り彼女は手話で、ヨベクに話したかと思えば、突如周囲の光景が一瞬で切り替わった。極地の開けた大地と広い空は一転、無機質な白い人工的な空間へと変化していた。
「空間転移……」
ヨベクはすぐに、自分の身に起きたことを理解した。
ここは、いつも見ていたネーパットの工房の中である。どうやら離れた場所にいたサネトとリャージャも、こちらに一緒に来ていたようで、二人はいつの間にか、寝台の上に寝転がっていた。
『その通り。まあ空間転移するには私も一緒に行く必要があるし、かといって私は外に長くいれないから、できればあまり使いたくなかったがね』
サネトとリャージャの周りには、治療用の機械が展開され、傷口を修復し始めていた。
『さぁ、心臓を貰おうか』
ネーパットが手を伸ばす。しかしヨベクはかつての主に向かって首を横に振った。
『そのためには、今の主人であるお二人のどちらかから許可を得る必要があります』
『あー、そうだったね。忘れていたよ。じゃあそれまでは大切に預かっておいてくれ』
ネーパットはヨベクの言葉に特に反論はしなかった。彼女はその後、椅子に座って、背もたれに体を預ける。
「ネーパット、ひとつお伺いしたいことが」
ネーパットは背を向けていたので、ヨベクは音声で彼女に話しかけた。
『どうかしたか?』
ネーパットは体を振り返りながら、ヨベクに手話で応えた。
『空間転移に、私の制限解除後の戦力。これほどの力があれば、お二人の力を借りる必要などなかったのではないですか?』
ネーパットはすぐには答えなかった。体を動かさず、じっとヨベクの方を見つめる。しばらく微動だにしなかったネーパットが、数秒後にゆっくりと体を動かし始めた。
『余計な、詮索は、するな』
今までの淀みのない手慣れた手話ではなく、単語をわざと切り離すように、ゆっくりと彼女は体を動かした。
ヨベクはその後、何も言えなかった。
ヨベクは機械人形である。他人の感情を読み取る力はあっても、自身が感情を覚える機能はない。
だが、この時に、ヨベクの口を塞いだのは、得体の知れぬものに怯え、強大な存在に身を縮めるときに覚える感情。
つまり恐怖だった。




