凍土の幻妖 第三節
白銀の世界に突如現れた、大きな口を開けたその洞窟は、生命の生存を拒むように、極圏の寒気をのみ込んでいく。
「こりゃ、この中、かなり寒いかもしれんな」
ごうごうと音を立てながら、吹雪を吸い込んでいくその洞窟は、周囲の寒風を防ぐ魔術を用いていてなお、入るのをためらうほどのものだった。
「けど、魔人らしい住処でもあるね。生命を寄せ付けぬ地に、安息を求め、魔人は居を構える。今までの連中とも、傾向は一致してるし」
「しかし、他の場所とは、ここは少し、わけが違うな」
荒天の中、氷雪を伝って僅かに地表に届いた陽光では、その深い洞窟を入口より先まで照らすことはない。そんな真っ暗なその洞窟の奥深くを見つめながら、サネトは寒気以外のもう一つの危惧すべき要素に気づいていた。
「瘴気、だよね。わかるよ、この洞窟の中の魔力、瘴気になりかけてる。今までの魔人がいた環境よりも、一回り、いや二回り以上も魔力濃度が高い」
彼らの中で、大気魔力の量を精確に見抜けるのは、魔力探知を搭載しているヨベクだけだったが、サネトとリャージャでさえも察知できるほどに、洞窟内からはおびただしい魔力が溜まっていた。
「改めて。『頑迷なるもの』。目立った武器や特徴は無し。今までの魔人全員の力や頑強さ、素早さの平均を取ったような存在。くみしやすい相手だとは思っていたが、この魔力量、厄介かもな」
今までの魔人との戦場も、高濃度の大気魔力に包まれていたが、今回はその比ではない。しかも、それほどの魔力がありながら、周囲には魔獣は一切現れていないことも不気味である。それはつまり、この魔力全てを、この洞窟の奥に鎮座する主が独占していることを意味した。
「まぁ。それは今までも同じことでしょ。ねぇヨベク、前のあの足の速い奴と戦った時みたいに、相手の動きを予測することはできる?」
「可能ではありますが、時空間情報や、力能評価に時間がかかりますし、それにこの高濃度の魔力の中では、計器が正確に測定できず、むしろ皆さまを惑わせる情報を提供する可能性もあります。ですので、こちらについてはあまり頼りになさらぬ方がよいかと」
リャージャの問いに対するヨベクの答えに、サネトは怪訝な顔をしていた。
「待て。お前、『力強きもの』との戦いで見せた、あの空間固定だか、時間停止だかの術は使えないのか?」
彼が指しているのは、「力強きもの」の攻撃を防ぐ際に使った、ヨベクの奇妙な術である。急加速の魔人は、不思議なことにヨベクの手前で凍り付いたように動かなくなったのだ。
「あれは、時空間に干渉するものではなく、運動力を奪い取る術です。今も使えますよ」
「そういう仕組みだったのか。いや、それ使えるなら、楽勝じゃねえか?」
サネトがそう言うと、ヨベクが首を横に振る。
「いえ。術式そのものの強固さは、ネーパット製なので保証いたしますが、肝心の私の魔力量が、かの魔人を上回っていなければ、十分な効力を示すことはできないかと。事実『力強きもの』に対しても、あと数秒というところで術が効力を失う、という水準でした。もし今回の相手が、先の魔人たちよりも魔力量が多いのであれば、ある程度動きを阻害できる程度にとどまるかと」
その返答に、少しサネトが考え込んでいた。
「いや、やっぱりそれで十分だ。俺が適宜指示を出す。それに合わせて、その、なんだ。運動量を殺す魔術?を使ってくれ」
「<スアン>。ネーパットは、この魔術式をそう呼んでいました。あるいは一二一番と」
「<スアン>?一二一番?どっちにせよ、何かわかりにくい名前を付けたんだな。今までもそうなのか?」
サネトがそう言うと、ヨベクは首を縦に振った。
「可能性予測が、二五九番<ゲメスト>、飛来物の移動制御が三一一番<ガースガース>、機械工学の魔術が三四三番<ヌシュト>と呼ばれています。今の私にネーパットから貸与された術式は、先のを合わせたこの四つとなっています」
「<ガースガース>……」
ヨベクが説明し終えると、リャージャは、その中の一つの術式名を口に出した。リャージャは、その名前にどこかで聞き覚えがあったのだ。
「何か由来のある名前なのか?」
「いや、やっぱ気のせいかな。変わった名前だし、聞けば絶対思い出すはずなんだけど」
リャージャ自身も、あまり判然としなかったからか、サネトもそれ以上追求することは無かった。どうやらヨベクも、それらの術式名の由来に関する記録は残っていないようで、サネトに問われても特に返答はしなかった。
「まぁ、こっちの手札もわかったし、状況も大方把握できた。魔人討伐は明日、日が昇り次第決行。今日は一日英気を養って、明日に備えよう」
彼らは、魔人の洞窟を背に、再び街の宿へと戻っていった。
翌日、予定通りにサネトたちは、先日訪れた洞窟の入り口に立っていた。天候に恵まれ、彼らは、この地に来て初めての青天を見ることができた。決して暖かいというわけではないが、吹雪によって視界が遮られることも、風雪が身体の動きを妨げることも無い。少なくとも、不利に働きかねない余計な外的要因が減っていることは、今のサネトたちにとって行幸であった。
だが、極地の気候は移り変わりが激しい。サネトは、この好機を逃すまいと、連れに目をやったのち、覚悟を決めて、魔の巣窟に足を踏み入れていく。リャージャとヨベクも、その後ろからついていく。洞窟内は予想通り、目視できるほどの濃度の魔力瘴気に包まれていて、一歩踏み入れた段階で、禁域に並ぶ、あるいはそれ以上の異界に至っていることが、彼には理解できた。しかし足を竦ませることはなく、そのままサネトは、洞窟の奥へと歩みを進める。勿論周囲の状況にはしっかりと意識を向けながらではあったが、その足取りはやや大胆にも感じられた。
「ねぇ、サネト。そんなに急がなくてもよくない?天候の急変は怖いけど、洞窟内なら、さほど影響はないんだし」
できる限り、リャージャは声を抑えながら、先行するサネトに声をかける。
「いや。前のぴかぴか光る硬い奴、『偉大なるもの』といったか。アイツとの戦いでは、洞窟崩落しただろ。今回も多分同じことになる。気候が安定しているうちに仕留めるのは、やっぱり得策だよ」
サネトとリャージャがそんなやりとりをしていると、突然最後尾を歩いていたヨベクが足を止めた。
「魔人がこちらに歩いてきています」
「なに?」
サネトとリャージャも共に足を止め、声を潜めた。すると洞窟の奥から、かつかつという、足音が響き渡ってくる。それは時間と共に大きくなっていくが、未だその足音の主は、暗闇の奥にあり、周囲だけを照らすサネトが持つ照明具では、その姿を確認することはできないでいた。
確実に近づいてきている、なのに、姿は見えない。そんな息苦しい状況が、数十秒続き、サネトたちの間の緊張も高まっていく。彼らが最も警戒していることは、魔人の暗闇からの不意打ちであるが、魔力の乱れるこの洞窟内では、魔人がどれだけ近づいてきているのか、そして今まさにこちらを攻撃しようとしているのかさえ判断ができない。
しかし、彼らの危惧に反し、魔人は、サネトたちの目の前にぬるりと現れたかと思うと、そして眼前の彼らをじっと眺めるだけだった。
こちらを品定めするような態度。サネトの二倍はあろうかという巨躯ではあるものの、今までの魔人の中でも、かなり人型よりの姿形で、また重厚感のある装甲も身に着けていなかった。眼球があるわけではないが、顔の形は人間のそれと全く同じであり、こちらを向いていることがサネトたちにはよくわかった。
「おいおい、まさか正々堂々ってか?よほど実力に自信があるとみえるな」
悠々と、向こうから手を出してくることを待つように、その「頑迷なるもの」は全く身動きを見せない。
「は、後悔すんなよ」
サネトがリャージャとヨベクの方へ顔を向け、目で合図すると同時に、全身の魔力を励起させる。
「やるぞ」
高速魔術の重ね掛け。サネトが現在出せる最高速度に一気に達して、目の前の魔人に襲い掛かった。
「馬鹿な」
その戦いは、誰にも想定できない方向に進んだ。ある程度時間はかかった。戦いの激しさから、洞窟も崩落した。
だが、あまりにも平易すぎた。サネトも、リャージャも、ヨベクも、碌な傷を負うこともなく、魔人「頑迷なるもの」は膝を折ったのだ。
「あっけなかったね」
既に、肉体を維持する魔力が尽き、刻一刻と魔人の心臓へと化していく、魔人を、リャージャは哀れな目で見ていた。
「なぁ、この魔人、弱かったのか?」
「いえ、魔力量、出力、技術、いずれをとっても、これまでの魔人において間違いなく高水準でした」
サネトの問いに、ヨベクは、そうあっさりと答えた。
「じゃあ、なんで」
サネトがこうして仲間に疑問を投げかけているのは、この楽勝の理由を彼が理解できていなかったからではない。むしろ彼自身、その手掛かりは、戦いの最中に得ていたのだ。
「おそらく、理由は二つ。今回の魔人は、とがった能力を持っていませんでした。今回の魔人をすべてが高水準な能力だとするなら、これまで戦ってきた魔人は、何か一つの能力が最高水準でした。そしてもう一つは」
「また、私たちが強くなってる。でしょ?」
「はい」
ヨベクの出した答えは、どちらもサネトの想定通りのものだった。
「しかし……」
サネトが、納得いかない様子で言葉を紡ごうとしたその時だった。彼らの前方から、がしゃりという、金属がこすり逢うような音が聞こえてきた。
その音はよく聞き覚えのあるもの。魔人の鎧の如き体が、動くたびに鳴らしていた音だ。
「サネト!?後ろ!」
三人の先頭に立ち、そして後ろの二人に振り返っていたサネトは、その音を聞いてから、その正体を確かめるまでに、一動作遅れてしまった。リャージャの警告通りに後ろを振り返ると、そこには肉体が消えかかりつつも、立ち上がっていた魔人「頑迷なるもの」の姿。
「くそ!」
すぐにでも魔人は、サネトを攻撃できる距離だった。サネトが反撃しようと双銃を取り出そうとしたが、彼は魔人が、こちらを攻撃しようとしていないことに気づいた。
「なんだ、こいつ?」
魔人は、攻撃どころか、ただ立っているだけで、これといった動きさえ見せなかった。ただ奇妙なことに、顔のあたりからガチガチと何か硬いもの同士を打ち鳴らすような音が、繰り返し響いていた。
『お、ま、え』
サネトたちは、その不気味で聞き取りにくい音が、言葉だとすぐに気づいた。
『お、まえ、たち、は勝て、ない』
体が崩壊しかかっているからか、それとも、この魔人特有の発声なのかはわからないが、そのひどく、くぐもった声で、短い言葉を紡いだのち、魔人「頑迷なるもの」は、ようやく消えていった。
「確か前にも、あの、ほら、馬みたいな魔人が話したんだっけ、サネト?」
「ああ。しかし、今の言葉、今際の際に言うことか?」
魔人の言葉は、曖昧で予言めいている。真摯に受け止めるには、あまりに漠然としすぎているが、それでも、彼らは先日サネトが見た夢の内容が気がかりだった。
「『やめろ』だの『勝てない』だの。説得が流行ってんのか?まぁいい。それよりヨベク、先の話の続きだが」
「悪いけど、一回宿帰んない?」
先ほど魔人に腰を折られた話を戻そうとするサネトだったが、洞窟が崩落し、吹雪にさらされているのは勘弁だと、リャージャが再び彼の話を止めた。
彼らはリャージャの言うとおりに、一度宿に戻ることにした。
「さて、それで、ヨベク、お前は俺たちがどんどん強くなっていると言っていたが、その理由はわかるのか?」
寝台の上で、温かい珈琲を飲みながら、サネトはヨベクにそう問うた。
「はい。お二人が強くなっている理由は、おそらく魂の器の成長によるものです」
「魂のうつわ?」
それはサネトもリャージャも聞き覚えのない言葉だった。
「はい。これはネ―パットが独自に作った用語なのか、それとも一般的なものなのかは定かではありませんが。彼女曰く、魔力にせよ神気にせよ、宇宙に満ちる力の総和は決まっているそうです」
すると、ヨベクは手のひらから映像を空間に投影し始めた。その映像は、薄い膜に、複数の大小さまざまな穴が開いているものだった。
「これは世界の縮図のようなものと思ってください。この穴は、実際には目に見えないものですが、事実、世界に空いているものです。これらを通じて、物質世界に魔力や神気が、魔や神の領域に流れ出している、そうお考え下さい」
「いやいや、聞いたこともねえぞ、そんな話」
サネトもリャージャも学術的見地があるわけではないが、それでも、魔道の探究者として、ある程度魔力に関する知恵はつけている。そんな二人でさえ、ヨベクの話は、荒唐無稽のものにしか思えなかった。
「大気の魔力流さえ完全に把握できていないこの世界では、理解できていなくとも無理なことです。ですが、お二人にも、この穴が空いているんですよ」
「は?」
そう言って、ヨベクが映像を切り替える。次に見せたのは、人体模型の立体映像だった。
「厳密にどこに、というわけではありません。しかし、なぜ生きていると、生体魔力や生体神気が生成されるのか。そして死んで止まるのか。しばしば議論になる話題ですが、その答えは、ネ―パットに曰く、発想が反対、とのことです」
「ふむ。なるほどね。生きてるから魔力が作られている、ではなく、この穴から魔力が供給されているから、生きている、ってのが正しいと?」
その通り、とヨベクはリャージャの言葉に首肯する。
「なんか、あっさり世界の真理に迫ることを聞いている気がするぞ」
「しかし、それをヨベクが覚えてる、ってことは、少なくともネ―パットにとっては、私たちに知られてもかまわない情報、ってことなんだね。けど、それが魂の器の話とどう繋がるの?」
ヨベクは、先ほどの膜の映像と、今の人体模型の立体図像を重ねて、このように続けた。
「この生命体に空いている穴こそが、先ほどの魂の器です。これは人間、いえ、生命であれば、なんにでもあります。魔力量の大きい生命は、魂の器も大きい。しかし先ほど私が申しましたが、生きているから穴があるのではなく、穴があるから生きているのです。では、もし他殺、事故など、穴が閉じる前に生命活動が行えないほどに肉体が損傷したら、どうなるか」
ヨベクが、立体映像の人間の体にある孔に指を指す。するとその穴がつぶれ、人間の姿も消える。
「今、穴が一つ潰れました。すると、隣の穴が、つぶれたものの分、少しだけ大きくなりましたね?これが魂の器の成長と呼ばれる現象です」
「待った。それが事実なら、戦争の英雄とか、大量殺人犯が強くなるんじゃない?」
リャージャの疑問に、ヨベクは首を横に振る。
「いえ、実際、人間同士の魔力量程度であれば、魂の器が成長するのは稀です。通常、生命体に空く魔力の穴はひどく小さく、つぶれても周りの穴がつられて大きくなることは殆どありません。仮に人間を万、億と殺したところで、実感できる成長は微々たるものでしょう」
「なるほど、話が見えてきた。魔人の持っている魂の器は大きいから、これがつぶれると、周囲にある魔力の穴に影響する、ってことなんだね」
「リャージャ様のおっしゃる通り。魔力の穴がある一定の規模を超え、それが突如潰えると、周囲の穴を大きく伸ばし広げます。サネト様、リャージャ様は、これまで多くの魔人を狩っています。得られた成長は、本来人間が生まれてから死ぬまでに経験する魂の器の拡充の、数倍、いえ、ひょっとすると数十倍規模に及ぶかもしれません」
サネトとリャージャは、ヨベクの言葉を受け、自分の胸に手を当て始める。もちろんそれをしたところで、大きくなった魂の器の存在を実感できるわけではなかったが、二人が最近感じていた、体が大きくなったような錯覚に、どこか合点のいくような気がした。
「ふむぅ。次の『救うもの』は、手ごわい、ということだったが、今回の『頑迷なるもの』を相手にした感じ、もしかしたら余裕かもしれんな」
珍しく楽観的なことを言うサネトだったが、それをリャージャが諫めようということはなかった。
「けど、とりあえず今日は一晩ここで泊まろうか。次の場所は極点近く。近くに人里はないし、水晶門もない。環境も過酷だからな。ゆっくり静養して、万全の状態で挑むぞ」
サネトの意見に、リャージャは同意し、その日は、程よい疲労感を取るべく睡眠をとった。まだ眠る時間には早かったが、先日決めた通り、夢への謎の存在の介入を警戒しなければならず、サネトとリャージャは交替で睡眠をとる必要があった。したがって、夕方ごろから休息をとれば二人とも無理のない範囲で十分な休養が取れるので、むしろ都合のいい時間ではあった。
しかし彼らの危惧に反して、その日、結局サネトが夢の中で囚われることも、謎の存在に介入されることもなかった。




