砂海の賢者 第一節
唇が渇き、目が痛むほどの渇きと、呼吸器を抑えたくなる砂塵、全身を覆う服でさえ避けられない炎熱。砂しかない灼熱の大地に唯一そびえる岩が作る影の中に、二人の人間が座り、話していた。
「はは、『破滅への扉は”楽土”と銘打たれている』だってさ」
黒い肌の小柄の人間は、砂漠の中にありながら本を優雅に読んでいたかと思えば、突如手を叩いて、その本の内容を笑いながら引用した。
「そりゃ、馬鹿が考えた言葉だな」
それを聞いた隣の人間、筋肉質で大柄な男は、それに失笑しながら、そう言った。
「へえ、サネト、手厳しいじゃん。なんでそう思うんだい?」
「そりゃ、破滅への扉に名前なんてついてねえからだよ」
サネトと呼ばれた男は、自分の武器である二丁拳銃を取り出し、点検をしながら、こう続けた。
「だけど、そんな当たり前の真理に耳を傾けず、中には『どんな道が、扉が破滅に続くのか』を知りたい気の弱い連中もいるわけだな。そいつらは、自分が負け組になりたくないんだ」
一通り動作を確認した後、砂塵を取り除いて銃を再び革製の腰帯に取り付けたホルスターにしまい込む。
「確かに大層なお題目掲げても、破滅に向かう可能性はあるが、それは、どんな札が扉にかかっていても変わらんさ。問題は、自分が破滅へと向かっていることに気づいたとき、どうするか、だ」
「ふーん、そこで道を変えられる人間であれ、って言いたいのかい?わお、中々響く言葉だね。君も本書いたらいいよ」
「リャージャ、揶揄うなよ」
黒い肌のリャージャは、暑さのためか、肩まで伸びる黒髪を後ろで一つ結びして、首元を露にする。
「しかし暑いね。一体いつまで待つんだい」
「まぁ、連合の情報曰く、あと数分もしないうちに、この目の前の砂原を横切るってことらしいが。まぁこの暑さだ、確認から三週間経ってるのに誰も討伐にこないのも納得だわな」
二人は、自分たちの手で顔を扇ぐが、涼やかな風は一切来ず、それどころか無駄に体を動かしたせいで、余計汗ばむ。
「ところでリャージャ、お前、武器は持ってきてんのか?」
「え、私の大砲のこと?熱は大丈夫だけど砂塵はちょっと心配だから置いてきたよ。今回くらいの相手なら、まあ大丈夫でしょ」
「だといいが……」
そう二人が話していると、突如二人の目の前の細やかな砂地が、まるで沸騰した水のように揺れ始める。砂の突沸は、震動と共に強くなっていき、そして耳障りな金切り音が一際大きくなったかと思えば、砂の中から巨大な紫色の物体が飛び上がった。大海原の鯨のように、その巨大な何かは、砂を振り払いながら飛び上がったのち、再び砂の海へ帰っていく。
「あれ、だよな」
「そう、だね。ていうか、情報より、でかくない?」
一瞥しただけでも、その魔獣は一ピターほどの大きさはあったが、二人が聞いていた情報によれば、せいぜいその半分の三十ラット程度だった。
「じゃ、お先にどうぞ」
リャージャがそう言って、サネトに道を譲る。二人の視線の先には未だ悠然と砂の大海を泳ぐ巨大な魔獣の姿があった。サネトは眉をしかめながら、リャージャに言われる通り、魔獣の元へと走り出す。最初は駆け足程度、しかし徐々に速度を上げていく。優雅に泳いでいるように見えた砂地の魔獣は、その巨体のせいか、意外と速度が速かったからだ。サネトは魔力を足に込めながら、更に速度を上げていく。魔術を使用していないにも関わらず、その速度は既に常人の限界に達していた。
歩きづらい砂地にも関わらず、サネトは的確に大地を踏みしめる。魔獣の側面に追いつき、並走しながら彼は、腰帯から、二丁の拳銃を抜き出す。
「まぁ、甲殻は聞いてた通り硬そうだな」
魔獣は近くで見ると、見た目も動き方も尺取虫のようではあったものの、非常に重厚な紫色の甲殻に覆われており、更には砂を切り裂くような鋭利な棘を複数生やしていた。だがサネトは、魔獣が大きく砂地から飛び出した一瞬を見逃さなかった。腹部は白く、比較的柔らかな部位に見えたのだ。
「試す価値はあるな」
サネトはそのまま並走を続けながら、再び身体を大きく浮かび上がらせる瞬間を狙った。そしてその時が訪れ、一際体を持ち上げた瞬間に、露になった腹部へと双銃の連射を浴びせる。魔力の弾丸は、的確に魔獣の腹部を捉え、魔獣は大きく金切り音のような呻き声を出しながら、砂丘の中へ深く潜り込んでしまった。
サネトは魔獣を見失ったものの、それは同時に魔獣にとってその攻撃が有効であったことを意味している。
サネトは一旦体を止め、魔獣が潜り込んだ砂の上に立ちつくす。熱波の中で一呼吸おいてから、周囲に意識を集中させながら、こう呟いた。
「加速」
サネトが唱えた術により、彼は神経の反応速度、及び肉体の運動速度を向上させる。今の彼の眼は、風に舞う砂の一粒一粒さえ鮮明に捉えていた。
そんな一瞬の変化さえ見逃さぬ彼の足元が、突然爆発のような衝撃と共に、弾け飛んだ。轟音と共に勢いよく空中に舞い上がる大量の砂が、その威力を物語っていた。砂煙が晴れると、サネトがいた場所には、口を大きく開いた巨大な魔獣が、砂の上を垂直に屹立していた。恐らくこれがその魔獣の狩りの姿なのであろう。深く砂中に潜り込みながら、地上の僅かな振動を感じ取り獲物を仕留める。巨体にも関わらず、地表に現れるまでは音すら聞こえぬ静謐な遊泳技術も相まって、普通の生命であれば自分が気づいたころには、その魔獣の腹の中であろう。
だが今のサネトは違う。
魔獣の口はサネトを飲み込むことはできず、そこにはただ巻き上がった砂がはらはらと落ちていくだけであった。だがその砂の雨の中に、紛れる紫の閃光。
それは魔獣の大きく開かれた円形の口の中へと吸い込まれたかと思えば、その口腔内で爆発し、魔獣を苦しめる。
サネトは魔獣が顔を出した瞬間に勢いよく垂直に飛び上がって、その捕食行為を避けていたのだ。複数の魔力弾が、魔獣の口腔内を痛めつけた後、その巨大な虫は再び地中へ戻ろうと体を捩る。だがその瞬間無防備な腹を晒してしまい、サネトは魔獣の口の淵に降りると、そのまま魔獣の身体に沿って走りながら魔弾を撃ち続けた。
まるで重力に逆らうように、サネトは魔獣の身体を駆けるが、魔獣が彼を振り払うように大きく体を捻る。しかし、それさえも読んでいたサネトは軽く身を翻して、姿勢を崩すことなく地表に着地、そして更に銃を的確に腹部の柔らかな節の部分へ集中砲火を浴びせた。
自身の反撃は一切通用せず、その度に的確に反撃されることに、苛立ちを覚えたのか、魔獣は、大きく咆哮を上げたのち、その体全てを砂の下から現し、更に土煙を激しく立てながら、長い体を乱暴に振り回し続けた。一度サネトはそれに巻き込まれぬように、少し距離をとろうと後方に跳ね上がる。しかしその一瞬を見逃さなかった魔獣は体を器用に跳ね上げ、サネトの上空から巨大な口を開いて襲い掛かった。流石のサネトも中空では、軌道を修正することができない。今の彼がこの魔獣の攻撃を避けるのは難しい。
だが、サネトが魔獣の牙に触れようかという時、突如魔獣の巨大な体が、大きく吹き飛ばされた。リャージャが、魔獣の左腹を飛び蹴りで突き飛ばしたのだ。魔獣は突如比較的脆弱な部位に、強力な一撃を受け、先程の咆哮が嘘のように、弱々しく呻き声をあげていた。
サネトとリャージャはそんな弱り切った魔獣を前に、互いの健闘を称えるかのように、拳を突き合せた。
地中深くからも地表の小さな足音を聞き分けるという、魔獣の優秀な感覚器官であったが、サネトの急所を的確に狙った攻撃のせいで、急速に近づいてくるリャージャの存在に気が付かなかったのだ。
「で、リャージャ、離れたところから見ていて、何か収穫は?」
「うーん。一応魔獣の心臓がありそうな場所は分かった気もする。けど全身は今ようやく見せたから、八割って感じだね」
確実を期すのが、二人の狩りの作法ではあったものの、今回ばかりは、その程度の可能性で妥協することにした。
「じゃあ、外殻は俺が切り裂くから、心臓はよろしく」
「えー、私、あれの中に突っ込むの?」
「いやいや、あれ虫じゃねえから。魔力の塊だから」
「サネトみたいな見た目を気にする人が、それ言う?」
「面食いはどっちかというとお前だろ。ほら、もう回復されんのも厄介だから、行くぞ」
リャージャの返事も待たずに、サネトは走り出してしまう。リャージャは、深くため息をつき、彼の後ろを渋々ついていく。
サネトは手に持っていた二丁拳銃の持ち手を合わせると、たちまち拳銃が合体、変形し、剣の柄と護拳のような形状になる。だがちょうど刀身の部分だけが無かった。
赤い光が突如柄から現れ、それが柄と同じ程度の長さの刀身へと変化する。
サネトは、身体強化を継続したまま、魔獣の懐へと入り込もうとする。それに対して魔獣は牽制するように、自身の尾を振り回していた。だが今のサネトには、その程度は大した障害にはなり得ない。彼は魔獣の攻撃を巧みに躱し、容易に魔獣の懐へと飛び込めた。そして魔力の刃を、リャージャから聞いた魔獣の心臓に最も近い表皮に突き立てた。何度か銃撃を浴びせた箇所でもあったためか、その剣は容易に外皮を切り裂く。だがまだ中の心臓は見えない。分厚い魔力の肉の底にあり、彼の剣の刃渡りでは、そこに至るまでの深い傷を作ることはできなかった。
だが、それで十分だった。
サネトは、すぐさま、急所に近い外皮を傷つけられたことへの本能的恐怖で必死に暴れまわる魔獣から離れる。するとそこに間髪入れず、サネトにも負けぬほどの高速で、リャージャが飛び掛かり、サネトが先ほど傷つけた傷口を精確に拳で打ち抜く。リャージャは、魔獣の体内にその勢いのまま突貫し、魔獣の背から突き出てきた。
「うえ、やっぱ気持ち悪い」
自身の身体にへばりつく魔力の泥のようなものをリャージャが振り払っている背後で、心臓を潰された虫型の魔獣は、今までに聞いたことも無い奇妙な呻き声をあげながら、霧散していった。
「さて、じゃあ街に撤収だ。こんな砂漠、さっさと離れて、街で冷たい酒でも飲もうじゃないか」
「私は水浴びたーい」
まるで命懸けの魔獣退治の後とは思えない、緩やかな空気を纏いながら、二人は砂漠を後にした。
<エフゼクト>大陸、<紅玉星>最大の大陸かつ、最も人口の多い、最盛の地。にもかかわらず、この大陸は殆どが砂漠に包まれていた。今サネトとリャージャが滞在している<タヤサ―>砂漠は、本大陸で最大の砂漠で、仮に遭難でもすれば、百年かけても遺体を見つけることは敵わないとさえ言われるほどの広大さであった。
そんな死と熱が漂う砂漠のほぼ中央、近くの大河より引いた運河沿いに立つ小さな街、<ケクスペス>は、人口は少なかったが、人里離れた砂漠中央という立地もあってか、魔獣討伐の狩人が多く訪れる。そのためか、洗練はされていないが、美味な料理が有名で、加えて魔工も多く滞在している、栄えた街となっていた。
サネトとリャージャは、そんな<ケクスペス>からでさえ、片道に一日かけるほどの秘境に生息する巨大魔獣を討伐したのだ。そんな不便な立地の魔獣は誰も討伐したがらなかったのだが、実のところ二人にとって、あの虫型の魔獣の討伐は、本来の目的ではない。
彼らは、かねてからこの街にまつわる噂を確かめるために来たのだ。それは「誰も再現不可能な驚くべき技術の機械」の存在だった。あくまで噂程度で、実物を目にしたわけではないものの、情報通がまことしやかに囁くその情報で、サネトたちの関心を惹き、行動に移させるには十分だった。
彼らの動機は、しかし大したものではない。単純に退屈だったのだ。
<ケクスペス>に帰ってきた二人は、借りている宿に戻る。小さく質素な宿ではあったが、調度品はどれも清潔で、また全体的に古ぼけてはいたものの、みすぼらしい劣化は見当たらなかった。砂漠の街の家屋ということも考えれば、むしろよく保全されていると褒めても良いほどであろう。
二人は一旦お互いの部屋に戻り、身体についた砂や泥を落とし、身なりを整えると、宿の一階の玄関広間の小さな机に集まった。
「で、これからどうする?」
「ま、一旦食事で良いだろ。酒も飲みたいし、簡素な携帯食にも飽き飽きしてたところだ。それにもしかしたらこの三日で、何か新しい情報が入ってるかもしれねえぞ」
なら決まり、と二人は急いで宿の近くの酒場へと向かった。
この街の食事処は他にもあるが、この酒場は、僅かな狩人や魔工といった来訪者だけでなく、ここで暮らす人々もしきりに利用する、恐らくこの街で最も人が集まる場でもあった。従って、彼らにとっては食欲と情報収集を同時に達成できる恰好の場でもあった。
サネトたちにとっては三日ぶりの酒場であったが、やはり連日のように盛況であった。一方でよく見ると、見慣れぬ顔も目に入る。特に多くの新顔は、明らかに狩人然としており、彼らもまたサネトたちように未知の機械を探しに来たか、あるいは報酬金の高い討伐対象を目当てに尋ねてきたのであろう。
サネトとリャージャは、お互い酒と食事を頼む。どちらの飲み物は麦酒を頼んでいたが、サネトは野菜料理、リャージャは肉料理を中心に頼んでいた。二人とも、酒の好みは似ていたが、食事の好みだけは相容れないので、こうした酒場でも二人で料理を分け合うことは殆どない。
「さてと、誰か情報を知ってそうなヤツはいるかね」
サネトが料理を待っている間、酒を片手に、周囲の人々の人相を眺める。ただ周りの人間も同様に、サネトのように周囲の様子を伺っているものばかりであった。
「こりゃ、今日も収穫なさそうだね」
先に皿が運ばれてきたリャージャは、鶏肉の串焼きを頬張りながら、サネトのように横目で周囲の様子を伺っていた。
「ま、いつものことと言えば、いつものこと……」
サネトが酒の入ったジョッキを手に取ろうとすると、酒が揺れていることに気づいた。最初は、この酒場の人々の喧騒によるもののように思えたが、今度は椅子を通じて床が、定期的に揺れていることに気づいた。
突然酒場の外に意識を向けだしたサネトに気づいたリャージャもまた、その振動に注意を向ける。二人は、その振動が、明らかに大きくなっていることに気づいた。そして震動の揺れる間隔も少しずつ狭まっていることにも。
「サネト、武器は」
「持ってきてるわけないだろ」
二人は、運ばれてくる料理に目もくれず、店を抜けようとする。すると、それに気づいた店員が二人を呼び止める。
「おい、勘定は。ここは配給食堂じゃねえぞ!」
だがサネトの方へ詰め寄ってきた店員も、不思議な振動を感じ、口を塞いだ。
サネトとリャージャは、そのまま扉を開き、外に出る。だが街には奇妙な光景は見当たらない。その振動には既に通りにいる人々も気付き、更には家の中からも多くの人が様子を見に外に出ていた。
サネトは、見晴らしのいい場所へ行くため、酒場の屋上へと、軽い身のこなしで飛び乗り、遠方を見つめる。
すると僅かに、砂漠の地平線のあたりに土煙が舞っているのが目に入る。
「どう、サネト、なんか見えた?」
リャージャが屋上のサネトに聞こえるように声を張り上げる。彼は、屋根から顔を出し、下にいるリャージャに、剣呑な面持ちでこう告げた。
「リャージャ、武器を取ってきた方が良い。俺のも頼む」
彼の鬼気迫る顔つきに、さしものリャージャも素直に受け入れ、宿の方へ急いだ。
サネトは、再び視線を土煙の方へ向ける。するとこんな僅かな時間で、その砂塵が大きくなっていることに気づいた。そしてそれは彼の予感が正しいことを示してもいた。
サネトは急いで屋根から飛び降りると、酒場の中に顔だけ出す。
「狩人がいるなら出て来い。仕事だぞ」
それだけ言って、サネトは再び屋根に戻る。やはり砂煙は更に近づいている。そして近づいたことで、今までは、開けた砂漠で比較対象が無く、その規模が掴みづらかった、その噴煙の大きさを理解することもできた。
それは明らかに巨大だった。先日目にした、魔獣が遊泳する中で見せた土煙さえも、それに比べれば見劣りするほど。
「サネト!」
下からの呼びかけに反応すると、彼の前に腰帯が飛んでくる。彼は突然飛んできたものの、それを軽く受け取り、下にいたリャージャを見る。小柄なリャージャではあったが、明らかに人間が持つには遥かに大きい大砲を、リャージャは軽々と片手で持っていた。
「リャージャ、大物だ。多分、あの虫よりも」
「へー、それは、やりがいがあるね」
リャージャは怖気づくどころか、やる気に満ちた挑発的な表情を見せる。
「緊急討伐とはいえ、事が事だ。一応この街にいる連中とは協力するし、報酬は思ったより少ないだろうな」
「私はいいよ。金のために仕事してるわけじゃないし」
もうすでに、砂煙は、見晴らしのいい高地からじゃなく、大通りからも見えるほどになっていた。サネトの誘いを受けた酒場の狩人たちも、その様子を見て、急いで武器を取りに行った。
「この街、防護設備はあったよね?」
「けど、あんま信用にならんな、あの規模相手じゃ。俺が何とか誘導する。リャージャは隙を見ていくらでもぶち込んでくれ」
サネトは一丁銃を取って、急いで街の外まで駆けていった。小さな街とはいえ、中心地から一瞬で街はずれまで飛んでいく速さは、周囲の狩人さえ驚くほどである。
リャージャも身の丈よりも遥かに巨大な大砲を持ちながら、小走りでサネトの後を追う。
「こりゃ、とんでもねえな」
街はずれ、防衛装置の障壁の外側で、その迫りくる砂煙を近くで目にしたサネトは、その煙の主を目にした。
先日戦った虫のように、身体の上部を時々地表に見せながら、再び潜るという動き方を見せてはいたが、地表に見える体の部位は、また異なる形状だった。特に印象的なのは、背びれのような形状をしたものが、背に生えているという点であった。
「鮫かぁ?せめて海に出ろよ」
サネトは腰帯からもう一丁の拳銃を取り出すと、その二丁を以前の短剣とは異なる形状に組み合わせる。すると今度は、両手で扱う小銃へと変化する。
「さあ追い込み漁だ」
サネトが小銃を、未だ遠距離にいる魔獣らしき影に二、三発撃ち込む。それは的確に、地表から見え隠れする背鰭のあたりを打ち抜く。弾丸が命中する度に、地面の下から奇妙な音が響き渡る。サネトは小銃で的確に射撃しながら、少しずつ街から離れていく。すると魔獣は今まで背中程度しか見せていなかった体を大きく飛び出す。そこで目に入ったのは、サネトの推測通り、鮫のような鋭い牙を並べた魚の姿であった。
鮫は、サネトを視界に捉えると、泳ぐ軌道を僅かに逸らす。それは明らかにサネトを追う方向だった。
「よし上手く行ったな、これで、どうするか」
街の随分外で、軌道を逸らすことに成功したが、しかし一方で未だ援軍は来ない。このまま一人で誘導し続けるには、かなりの火力が必要だったが、今の彼の装備ではできることが限られていた。
サネトは次の手を考えつつ、兎に角狙撃を続けた。一発当たる度に、その鮫は狂暴に体を捩らせ、速度を増していた。
サネトはふと後ろを見る。するとそこには、小さな岩が砂から突き出しているのが目に入った。サネトはそれを見て、あることを思い付き、行動に移した。彼はその目に入った岩に飛び乗ると、足を止め、小銃を撃ち続けた。
この岩場は、この周囲が、砂が浅く、岩盤がすぐにあることを意味している。従って巨大な体躯を持つ鮫の魔獣では、いずれこのまま真っ直ぐ泳ぎ続ければ座礁してしまうことは明らかである。
サネトの予測は正しい。サネトの周囲は、その魔獣が泳ぐのに十分な砂の深さがない。
だが誤算は、彼が魔獣の全貌を目にしないまま、この策に打って出てしまったことである。
突如魔獣が、身体を大きく跳ね上げる。最初、サネトは砂海の浅瀬に出てしまったことで、苦肉の策で飛び上がったのだと思った。もしそうならこれを避ければ、魔獣は丘に乗り上げた魚同然。足止めだけでなく、討伐を有効に進めることができる。
だが全貌を初めて目にして、サネトは驚愕した。確かにその魔獣は、頭から胴体部分までは鮫同然。尾ひれと、一対の大きな胸びれ。だがその下半身には、魚のような尾ひれこそあったものの、驚くことにトカゲのような逞しい二本の脚が生えていたのだ。その逞しい両脚で、魔獣は砂に降り立ち、その足を使ってサネトのいる岩場まで駆けてきた。
サネトは目を丸くしながらも、岩場から間一髪で飛び降り、魔獣の強襲を躱した。
「てめぇ、魚じゃねえのかこの野郎!」
苛立ちながらも、弱点と思わしき鰓のような器官へ、的確に小銃の狙撃を浴びせる。だが魔獣らしく、それはあくまで元の生命のそれを再現しただけに過ぎず、呼吸機能のような役割を果たす、重要な部位ではなかった。致命的な傷害を与えることは敵わず、魔獣は脚で器用に方向を変えて、サネトに再び突撃をする。
「えー、こりゃ困ったな」
だがその時、魔獣の側部に突如、数発の巨大な爆炎が発生し、それで魔獣はよろめき、足が止まる。
「サネト、大丈夫?」
リャージャが大砲を構えながら、サネトの元へ駆け寄ってくる。
「大丈夫だ、だがこりゃ」
リャージャの放った砲火は、魔獣の足取りを阻むことはできたものの、外皮には目立った傷はなかった。
「これだけ頑丈なら、力を使うしか無さそうだね」
「ああ、頼めるか?」
リャージャは無言で頷き、二人は魔獣を仕留める準備をする。しかし魔獣は何故か、突然二人に背を向け、全く異なる方向へ走り出した。
魔獣は彼らではなく、街の方に向かって走り始めたのだ。鮫の狙いは、街の障壁の外側に、魔獣を狩らんと十人ほど並んでいた狩人たちであった。彼らは街の近くから離れようとせず、自慢の兵器を使って、魔獣を迎え撃とうとする。
「馬鹿野郎。素人どもか?」
「サネト、行け!」
リャージャの強い言葉を聞いて、サネトは加速魔術を発動。高速移動で、魔獣に追いつく。
側面から射撃を行うが、魔獣はサネトに一切反応しないまま、ただひたすら街の前の狩人たちにむかって走っていた。
「おいおい、どうすんだよ、これ」
サネトは自分の装備を改めて確認するものの、手にしている銃以上の威力の兵器は無い。後ろからリャージャも追いかけてはいるが、魔獣の脚は速く、また大砲を撃とうにも背後にある街が心配で撃てなかった。
勢い勇んで現れた狩人たちだったが、彼らは自分が撃つ兵器が魔獣に通用するどころか、動きを緩めることさえできていないことに驚きを隠せず、怯えて後ろに下がり始めていた。
「馬鹿!下がるな!」
サネトの叫びにも耳を傾けず、狩人たちは後ろに退いていく。
狩人たちが街の中に撤退すると同時に魔獣が牙をむいて街の中へ飛び込むが、突然現れた目に見えぬ壁に阻まれる。それはこの街の唯一の防衛装置であったが、その障壁はすぐさま魔獣の重量に負けて、既に頼りなく撓み始めている。
「サネト、撹乱。障壁が残ってるうちに仕留めてしまおう」
「了解」
リャージャが追い付き、障壁を食い破ろうとする魔獣の背後で、次の一手の算段をしていた。リャージャは手に持っていた大砲を、中央で二つに分割する。するとその大砲は、リャージャの両腕に纏わりつき、徐々に巨大な腕甲へと変形していった。
そして同時にサネトも双銃を短剣へと変形させると、彼はリャージャと共に魔獣へと走っていった。
魔獣は、未だ障壁へ攻撃を続け、もうすぐ破るという寸前、突如体に走った痛みで悶える。サネトが魔獣の背の上を、短刀を突き立てながら、尾から背びれまで駆けのぼっていた。勿論それ自体は決して大した傷ではないし、そもそも魔獣自体に痛覚は存在しない。とはいえ魔獣は獣を模倣する存在。獣の本能のせいで、身体に傷を付けられれば反応は隠せない。何とか背の上にのるサネトを払おうとするが、身体を捩っても、背びれにしがみつく彼を引き剥がせず、また胸びれも、通常の魚類よりも長いとはいっても、背に届くほどのものでもない。従ってその魔獣にできるのは、せいぜい体を暴れさせる程度。だがサネトも、この背の上では有効打を与えることはできない。
サネトの役目は、主に遅延と撹乱。彼の思惑通り魔獣は、障壁への攻撃を辞めて、いつの間にか少しずつ街から後ずさっていく。
そして、リャージャの役割は、この魔獣を確実に仕留めること。先ほどの火砲の手ごたえから、生半可な一撃は、有効打にさえならぬことを理解している以上、一撃一撃に全力を込めなければ、徒労に終わる。
魔獣が背中に張り付くサネトに意識を集中させている中で、リャージャは自身の装甲を纏う右腕に魔力を込める。莫大な魔力の動きに、流石に魔獣も気付き、自身の懐にいつの間にか潜り込んでいたリャージャを認知するものの、時すでに遅し。
リャージャが魔力を込めた一撃は、まるで隕石が地表に堕ちたような衝撃音を轟かせながら、先日戦った虫型の魔獣よりも更に一回り以上大きい、その鮫の身体を浮かせ、吹き飛ばした。
リャージャが殴りつけた魔獣の左側腹部は、歪に凹み、魔獣はあまりの衝撃に声を荒げ大地をのたうち回る。だが当然攻防はこれだけで終わらない。間髪入れず、今度はサネトが魔力の刃を、魔獣の左目に突き立てる。更に彼はすぐにそこから離れ、今度は左の胸びれの根元に短剣をあてがうと、少しずつ鋸を引くような動作で胸びれを徐々に魔獣の身体から切り裂こうとする。流石に魔獣もそれを許さず、身体を跳ねさせ姿勢を戻すが、再び迫りくる流星の如きリャージャの拳が、再び魔獣の硬い鱗を砕き、その衝撃を体の裡にまで伝えた。
魔獣はここにきて、「自己保存」の本能を思い出し、慌てて逃走しようとする。身体を砂の中に入れ、泳いで去ろうとした。だが先ほど傷つけられた胸びれは、思ったように動かず、速度がでない。
今の魔獣の遊泳速度であれば、速度でサネトよりも劣るリャージャであっても追いつく程度は難なくできた。まして、進行方向に既に先回りし、正面から的確に狙撃をしてくるサネトがいたのだから、なおのことである。
結局、魔獣がリャージャの凶拳から逃れることはできなかった。砂から露になる背びれ目掛け、砂中の鮫へとリャージャが凄まじい勢いで襲い掛かる。漁師の銛のような的確さと素早さでありながら、まるで魚雷のような破壊力を秘めたリャージャの一撃に、魔獣はなす術はない。その破壊力は、身体の内部にある心臓さえ破壊し、魔獣は灰となって砂漠の塵と化したのであった。