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竜の落胤 第二節

 サネトが、馬の如き四足二腕の異形の魔人、「疾走するもの」に勢いよく飛び掛かる。その体躯と名前からも、その魔人の速度は極めて速いことが伺える。しかしその魔人の走行に、サネトは追いついたのだ。

(速い、速いが、前の青い奴ほどじゃねえ)

 サネトの心中では、以前戦った「勝利するもの」の姿が過っていた。限界を超えた最高速度ですら追いつけぬ迅速の魔人と比べ、この魔人は、その速度そのものは比較的遅いと見ていた。

 サネトの読みは正しい。魔人の音なき弓矢と、密林を自由に滑走するこの身のこなし、それが、この魔人の速さを本来のもの以上に感じさせていた正体であった。

 故に最高速度のサネトであれば、直線では追いつけぬほどではない。

 そして魔人の膂力は、身体の大きさも相まって確かに強い。だがそれもやはり、最初の魔人、「高貴なるもの」と比べれば、劣るもの。

 体幹を崩しにかかるサネトの奇襲に対して、魔人は抵抗しようとしたが、その勢いのまま地面に倒れ込んだ。

 だが細い四つの脚を巧みに動かして、即座に魔人は立ち上がる。その様は、馬というよりもさながら蜘蛛を思わせた。そして体勢を整えたと同時に矢を三発、やはり音も無く放った。

 だが射角と発射の瞬間さえ捉えられれば、サネトの強化された反射神経であれば躱すのは容易い。その返礼と言わんばかりに、サネトは改良した魔導の銃を二発魔人に撃ち込む。その二発の弾丸は、的確に魔人の顎を捉え、その箇所から深紅の鎧が砕ける。

 あと二発、三発は追加で撃ち込めたはずだったが、サネトは敢えてそこで攻撃を止めた。それは魔人に、目の前のサネトを攻撃させるための余裕を与えるためだった。一気に相手の勢いを削り取るような猛攻は、むしろ魔人に周囲への警戒心を生み出させてしまう。だからこそ、この嘲るような反撃で、サネトだけに意識を集中させることが、目的だった。

 魔人はまんまと、サネトの計略に気づかないまま、再び弓をサネトに向けて放とうとする。動きが速いことは確認済み、だからこそ集中して、魔人はサネトの動きを先に読んで矢を放とうとした。その判断は、狩人としての経験有する者としては、確かに最適解だった。だが今のこの魔人に必要なのは、自身のまた別の半身、獣としての、そう「狩られるもの」としての本能を蘇らせることだった。

 魔人が弓を放とうとした瞬間、その馬型の大きな下半身へ、勢いよく頑強な塊が打ち付けられる。その破壊力は、サネトの突進、銃弾の比ではなく、魔人の鎧が大きく砕ける。先ほどのように吹き飛ばされるが、姿勢を整えることができず、大木に魔人の体が叩きつけられる。

「ばっちりだったぞ、リャージャ」

「当然」

 サネトの視線の先には、巨大な腕甲を自慢するように振り回すリャージャと、その背後いるヨベクの姿があった。

「しかし、やっぱ多少は頑丈だね」

「そうだな」

 リャージャは一撃で仕留めるつもりで、今の奇襲を放った。だが、魔人は未だ継戦可能のようで、ゆっくりと立ち上がっていた。

「さて、どう来るかね。獣か、狩人か」

 魔人の立ち振る舞いは、今までと変わらない。しかしどこかその纏う雰囲気には、殺意のようなモノが滲み出ていた。

 だがそれほどの殺気に対して、魔人の行った攻撃はさほど鋭いものではなかった。平凡な弓矢の射撃、それも矢避けの障壁を張るヨベクに向けたもの。当然、矢は、ヨベクを独りでに避けていく。牽制の一撃であることは火を見るより明らか、サネトたちは次の一手に気を張り詰めた。

 だがごしゃりと、分厚いガラスが一気に割れたような音が、リャージャの背後から響いた。サネトとリャージャが音の方を確かめると、そこには先ほど難なく矢を避けていたヨベクが、内部の機械部分を腹部から撒き散らしていた。最初、サネトとリャージャは、「疾走するもの」の矢がいつの間にか放たれていて、そしてヨベクの障壁を貫通したのだと錯覚していた。だがどうにも機械部品がはじけ飛ぶ方向が、奇妙だった。矢を前から受けたなら、内部部品はヨベクの後ろに散らばるはず。だがヨベクの内臓にも似た精密部品は全て、ヨベクの前方に零れ落ちていた。

 二人がヨベクの後ろに何者かがいることに気づいたのは、ヨベクが地に力なく臥せった後だった。

「な、魔獣!?」

 サネトがその存在を魔獣と判断したのは、その存在が黒い体躯に四つ足で歩いていたから。「疾走するもの」とは異なり、人体に相当する部分も見つからず、殆ど黒豹のような見た目だった。だが、その存在は、その後ろ足を器用に伸ばすと、上体を起こしていく。

「魔人……なのか」

 猫背のように丸かった背は真っ直ぐに伸び、後足は脚に、前足は腕の形状へ変形していく。まるで最初から人の姿をしていたかのように、その獣は、魔人となった。

 リャージャの背後に、黒豹の魔人、サネトの前方に「疾走するもの」、本来生命を能動的に襲うはずの無い、しかも群れることなど前例にない魔人が、殺意をむき出しに二人を取り囲む。

「サネト!馬は任せる!」

 リャージャが黒豹の魔人にそう言いながら飛び掛かる。咄嗟にリャージャは、魔人を二手に分かれて狩るという判断を下した。それ自体は間違いではない。黒豹も音も無くヨベクの背後に近づいていた。二体とも奇襲に優れた魔人である以上、二人で一気に一体を叩くよりも、お互いに一人を監視した方が正しい戦い方だ。

 仕方のないことではある。今目の前の魔人は初めて目にし、それも事前の情報も仕入れていなかった。ネーパットがなんと名付けたかさえ知らないのだ。

 リャージャは咄嗟に後ろの黒豹の方が、自分に分がある相手だと認識した。勿論距離的に近い相手を選んだだけでもある。だが速さは、実は「疾走するもの」より、目の前の黒豹の魔人の方が優れていた。そして不幸にも、その速さはサネトには反応できても、リャージャには難しいものだった。

 魔人はリャージャの背後にいつの間にか回り込み、そしてその爪を振るう。リャージャは必死に体を捩るが、結局その爪がリャージャの背を深々と切り裂いた。

「リャージャ!ちくしょう!」

 サネトがリャージャの援護に回ろうとするが、それを目の前の「疾走するもの」の放った矢によって阻止される。

 ヨベクもリャージャも、大きな傷を負いながらも、何とか立ち上がろうとする。だが上手く力が入らないようで、中々立ち上がってこない。しかも黒豹の魔人は、横たわるリャージャに対して無慈悲にも止めを刺さんと、腕を振り上げていた。

「どうする、どうする、どうする」

 サネトが瞬時に状況を判断しようとするが、高速思考においても、良い答えには中々たどり着けない。

 しかし、そんな中奇妙な現象が現れ始めた。リャージャの周囲の草花が、風も吹いていないのにあらぶり始めたのだ。

 その変化に、サネトは気付いていたが、黒豹の魔人は気付いていないのか、それとも気にしていないのか、その爪をそのまま振るおうとしていた。

 だがその爪は、リャージャの肌を貫くことはなかった。がきんと、まるで金属にでも衝突したかのような音が響く。

 そして戸惑う魔人の目の前で、ゆっくりとリャージャが立ち上がると、その右拳を振るい、魔人を地面に叩きつけた。

「リャージャ!?まさか、竜因の暴走か?」

 サネトは目の前のリャージャの変化が、噂に聞いていた竜因の暴走状態であると察したが、リャージャの目は冷酷ではあるものの、暴走のような狂乱状態にはなかった。

 だがリャージャはサネトの声に答えない。

 そのまま大地に叩きつけた魔人を、リャージャが拾い上げると、次は左拳を振るって魔人を弾き飛ばした。それに見かねた「疾走するもの」が矢を放つが、音の無い矢はやはりリャージャの肌を貫かない。リャージャはその場で「疾走するもの」の姿を見つめる。するとその睨んだ眼が、青い光を放ち始めた。その青い光は、何らかの魔術的な力であることは明らかだったが、サネトの目からは特に何も起きているようには見えなかった。それは魔人にとっても同様で、攻撃がいつ来てもいいように、体勢を深く沈めて、すぐに動きだせるようにしていた。

 だが、攻撃はもう起きていた。突如魔人の胸部が、けたたましい爆音を上げながら弾け飛んだ。

「今のはリャージャの攻撃?白竜って『凍結』の力じゃなかったのか?」

 サネトの驚きも無理はない。はっきりと攻撃の軌道が見えたわけではなかったものの、少なくとも今の攻撃は熱や炎に属するものだった。

 リャージャは突然の爆発で大きく傷つき、地面にへたり込む。そして追い打ちと言わんばかりにリャージャの目が再び蒼白く光る。

 だが不意に、その両眼から光が消え、リャージャは突如意識を失った。

「力を使いすぎたか?」

 サネトは、二人の魔人を睨む。片や強烈な拳を二発受け、全身の鎧にひびが入った黒豹の魔人、片や強烈な爆発を受け、深い傷を負った半人半馬の魔人。

 リャージャのお陰で、単に魔人を二体相手するよりは簡単になったものの、分が悪いのは変わらない。

「さて、折角リャージャの作った好機だ。無駄にはできねえな」

 だがサネトの目は闘志に燃えていた。敗色濃厚の死闘は必至、だが友の命を懸けた戦いに報いなければならない。

 「疾走するもの」が矢をサネトに向けて放つ。だが深い傷のせいか、今までの一射とは異なり、その矢は空気を切る音を鳴らしながら進んでいく。躱すのも見切るのも今までよりは楽、しかしそれと同時に、黒豹の魔人もサネトに近づいていく。

 二方向からの同時襲撃、どちらも未だ迅速。だがサネトは器用に銃弾でまず矢を弾き落としてから、そのまま黒豹の魔人の攻撃を半身で躱す。黒豹魔人に肘を振り降ろそうとするが、魔人は突然獣の形態から人の形態に切り替え、その肘を受け止める。だがこの状況はサネトの狙い通りだった。黒豹の魔人と接近戦にもつれ込む、そうすれば、「疾走するもの」の矢に対してこの黒豹を盾に使える。

 サネトは黒豹に対して、拳や魔力の刃、銃弾を撃ち込む。致命傷を与えるには程遠い牽制の攻撃、だが、それはいずれも目の前の魔人をサネトから距離を取らせぬための作戦だった。サネトは巧みな身のこなしで、「疾走するもの」との射線上に、黒豹の魔人を追いやる。

 だが手負いとはいえ、徐々に状況は黒豹の魔人へと有利に傾いていた。その魔人の腕力は、僅かであるがサネトを上回り、徐々に彼と魔人の間の距離が開き始めた。

「やべぇ」

 そう呟いた瞬間、彼の頬を矢が掠める。勿論魔人「疾走するもの」がその狙撃術において極めて高い技術を有しているのもあるが、狙いが可能なほどに、射線が開き始めていたということも意味していた。その後に二発、更に三発、サネトを狙った矢は、黒豹を躱しながら、彼を的確に射ぬかんとしていた。

 サネトは魔人二体をできる限り直線に並べ、射線を切ろうとするが、二体とも連携を取り始めたのか、どちらも敢えて仲間の魔人とは違う方向に動いていた。サネトが「疾走するもの」の射線に、黒豹の魔人を配置するには、大げさに動く必要があり、それに固執すれば、黒豹の魔人に不利をとり、反対にその射線を無視しようとすれば、的確に矢が飛び、サネトへの致命傷を狙ってくる。

 こちらからの攻撃は殆ど通用しないのに、サネト自身の肉体は痛々しい生傷が増えていく。あれからリャージャの与えた痛撃以上のものを、サネトは魔人に与えられていなかった。だがサネトの表情には、僅かに呼吸の乱れこそあったものの、戦意に低下は見られなかった。

 彼の中で、絶望的な戦いではあれど、僅かに見える一筋の光明があったのだ。弱々しい勝ち筋、頼りにならない作戦、裏目の多い大博打、彼の心中を読める者なら、サネトのその「光明」のことを、そう形容してもおかしくはない。それほどまでに彼の縋る希望は、極めて曖昧なものだった。

 そんなことは、サネト自身にもわかっていた。だがそれでも彼は、それが必ず起きると信じていた。長年の経験で培われた勘か、それとも死を前に現実から目を逸らす妄想か、どちらにせよ今のサネトにとって、その一筋の光に頼ることは何も「愚策」ではなかったのだ。

 だがそんな偶然を待っている間にも、サネトの身体はどんどん傷つく。当然、身体が傷つくほど、その僅かな望みも薄れていく。

 手痛い一撃、サネトの右肩に、魔人の爪が掠める。深手ではないが義手の付け根の僅かに残った生身の部分を傷つけられたことで、これまでなんともなく使えていた義手に、わずかな異物感を抱いてしまったのだ。その違和感は、サネトの身のこなしを鈍らせる。従って一手、二手と、サネトは魔人との手合わせにおいて、初めて最善手を取ることができなかった。矢を胸に一発受け、そして爪が腹部を大きくえぐりとった。致命傷ではないが、確実にこの戦いの結末を決定づけた瞬間だった。


 だが、そんな魔人の勝利が確定したかのような瞬間、サネトが待ち望んだ光景が訪れた。


 黒豹の魔人の身体に、「疾走するもの」の矢が突き刺さったのだ。

 それを見た瞬間、サネトはすぐさま攻勢に出た。薄れゆく意識と、消耗しきった体を酷使して、その奇跡的な瞬間を確実に我が物にせんとした。

 そう、サネトが待っていた「一筋の光明」とは、「疾走するもの」の「誤射」である。

 「疾走するもの」の射撃は正確無比である。射撃を得意とするサネトでさえ、その精密な一射には、驚きを隠せないほどだった。だが、それでもサネトにはある疑問があった。


 もし大きく傷ついた状態であれば、魔人であろうとその射撃には「ブレ」が生じるのではないか?


 射撃とは単に腕で構えて、目で狙うだけの作業ではない。それこそ体幹の調整や、呼吸の整理、意識の集中など、むしろ全身を使って行うのが射撃である。である以上、例え痛覚が無く、疲労も無い魔人であっても、身体が大きくひび割れてしまえば、その性能は落ちてしかるべきなのではないか。彼の予測は、事実、「疾走するもの」が「音の無い矢」を、リャージャに攻撃されて以降打てなくなったことからも、その蓋然性は高くなっていた。

 そして何より、この二体の魔人の類まれな連携は、それらの間にある絆ではなく、むしろ個としての性能の高さが生み出すものであることにも、サネトは気付いていた。魔人とは、それそのものが、完成した個であり、集団を要さない。それはサネトの知識としても実感としても正しいものであった。であれば、やはり目の前の二体の魔人の連携は、どれほど美しく、息が揃っていようとも、「付け焼刃」であることに変わりはないのだ。


 ならば、そこには乱れがある。サネトのこの二つの直感から演繹された仮説、それが「疾走するものは、いずれ黒豹の魔人を誤射する」というものだった。

 この仮説は、結果的に正しいものであった。サネトは魔力の刃を生み出しながら、誤射が生じさせた黒豹の魔人の隙を突く。狙うはリャージャが大きく傷つけた魔人の懐。皮のようにしなやかに見えて、鋼鉄の如き硬度を誇るその鎧が、ガラスのようにひび割れたその一点である。

 サネトの剣は、深々と黒豹の身体を貫く。魔人の核は貫いたが、魔人はすぐには霧散せず、その体を一瞬だけ保った。その僅かな瞬間に、魔人は最後の一撃とばかりに、今も血を流し続けるサネトの腹部の傷を、その爪で更に抉った。

 思わずサネトの口から苦悶が漏れると同時に、漸く黒豹の魔人は体を失い、霧散した。

「だが、これで、一対一!」

 サネトが、傷ついた内臓から逆流した血を口から吐き散らしながら、残った「疾走するもの」に向かい合う。「疾走するもの」は、硬い装甲に覆われ、生物のように表情など有していなかったが、しかしまるで何か戸惑っているような、それでいて感心しているかのような、雰囲気を醸し出していた。明らかに「疾走するもの」に有利な状況、にもかかわらず魔人はすぐには手を出そうとしなかった。

 そんな魔人の様子に、ひょっとするとまだ何か隠し玉でもあるのかと、疑うサネトだったが、しかし彼のそんな不安は、突然耳に届いた「声」によって払拭された。

「素晴らしい、戦士だ」

 それは、今までサネトが聞いたことも無い声だった。一体どこから聞こえてきたのか、慌てて辺りを見渡すが、それらしい生命の反応はない。

「汝、名は?」

 再び聞こえてきたのは、先程と同じ声。意識を尖らせていたからか、今度はその声がした方向まではっきりとわかった。その方に目をやると、そこにいたのは、今まで対峙してきたあの赤い鎧の半人半馬の魔人。

「まさか、お前が、喋ってるのか?」

「然り。それで、名は?これほど偉大な戦士の名を知らぬまま、命を取るのは惜しい」

「……サネトだ」

「そうか、よき名だ。覚えておこう」

 魔人はそう言って、再び弓を構える。サネトも、それを合図に自身の手に持っていた剣を中段で構えて、戦闘態勢を取った。

「行くぞ」

 もう魔人は声を発さなかった。だがサネトの合図に応えるように、魔人はすぐさま矢を三発放つ。精度も間隔も完璧な射撃、まるでたった一発の誤射で形勢が覆ったことに対する反省かのように、その矢の軌道は極めて正確だった。サネトは剣形態で二発まで捌いたが、最後の一発は体を捻って回避した。だがそれも完璧ではなかったようで、その穂先はサネトの頬を掠めていった。

 そして続けて四発、矢を放つ。今回は元より剣術に覚えのない自分では、剣で捌くのは難しいとサネトは判断し、小回りの利く銃形態に変化させたうえで、その射撃を躱すのに専念した。二発は自力で避け、続く一発は銃で撃ち落とし、最後の一発は、身体を掠めるのを理解したうえで、身を大きく沈めながら、前進しつつ躱す。彼の背中を最後の一射が深く抉ったが、サネトは前進を辞めない。魔人との距離は徐々に近づくが、距離を詰めるたびに、「疾走するもの」の的確な弾幕によって、後ろに下がらされる。思ったように距離は詰められなかったが、しかしその駆け引きはサネト側に僅かに分があった。魔人の射撃の性能はこれまでにないほど正確、だが同時にサネトの集中力も、修羅場を超えて、頂点に達しつつあった。身体は限界を超えた速度で動き、そして思考はその高速の世界を、なお遅く感じるほどに驚くべき速度で回転していた。

 サネト本人は気付いていなかったが、彼の身体強化は、三重を超えて、四重に達しつつあった。彼が限界を突破できたのは、義手の改良のおかげか、それとも友の奮闘に応えるためか、あるいは沈黙を破った魔人が見せた敬意のためか。いずれにせよ、今のサネトは、彼の生涯において、最も速い、未踏の境地に達していたのだ。その成長に対して、魔人も必死に食らいつこうとするが、しかし徐々にサネトの速さは、魔人の予測や反応速度、射撃技術を上回りつつあった。

 そして、サネトが完全に四重加速を我が物にしたときに、魔人の弾幕の壁は機能しなくなってしまった。サネトは一瞬で魔人に距離を詰めると、その持っていた双銃を剣に変化させながら、魔人の右腕に斬りかかる。今まで苦しめられていた、「疾走するもの」の弓は、魔人の身体から離れていく。だが更にサネトはその剣を魔人の胸に続けざまに突き立てる。魔人の体が徐々に形を失っていき、煙を上げていく。そして切り落とした腕と弓が、地面に落ちるころには、「疾走するもの」の身体は、完全に消滅していた。

「やった、ぞ、リャー、ジャ」

 だが、サネトもまた、突然降りかかる疲労によって、一瞬で意識を失い、力なく地面に倒れ込んだ。彼の身体を中心に、地面には大きく傷ついた腹部から血の川が流れていく。その出血量は極めて致命的なものであった。緊急時の救命機能を備えた義手も、先程の戦いで大きく魔力を失ったせいか、腹部の止血を十全に行うことができていなかった。

 



(まさか、魔人が手を取り合うとはね。このネーパットをもってしても予測できなんだ。あるいは、知恵の回る奴が背後にいるか……)

 ネーパットが暗闇の中で一人思索にふけっていると、彼女の目の前の液晶が光を明滅させた。それは通信の着信を示す合図であった。

 ネーパットは発信元を確認すると、その通信に応答した。

「ご苦労。魔人は倒せたようだね」

「はい、ですが、サネト様とリャージャ様は、どちらも大きく傷を負っています」

「ふむ、ヨベク、お前は動けないのか?」

 通信相手は、サネトとリャージャに同行していたヨベクだった。

「はい。不意をつかれ、大きく損傷しました。自己修復機能で、何とか通信だけは回復させましたが、まだ動くことはできないかと」

「お前が動けるようになるまでに、サネトとリャージャの命が持つ可能性は?」

「ほぼゼロかと」

 淡々とヨベクが報告をする。それを聞いて、ネーパットは僅かに思案した後、こう続けた。

「……仕方あるまい。ヨベク、お前に<ヌシュト>の術式契約を貸与する。その力を以て、自己修復を終えたのち、サネトとリャージャの処置をしろ。ある程度容態が回復したら、宿に戻って、そのまま二人の回復に努めろ。以上」

 そう言って、ネーパットは通信を切ると、両手を独特の形で構え始める。すると、彼女の両腕が緑の光を数秒放った。

(やれやれ、あまり今のヨベクに力を貸したくはないが、今回ばかりは私の不手際だからな、そうも言ってられんだろう)

 ネーパットはどこか遠くを眺めながら、椅子に深く体を預けた。




 一方その頃、未だ身体の大部分を失い、動けないままのヨベクに、奇妙な変化が訪れていた。突如、その体に緑の光の模様が現れたのだ。

「契約貸与を確認。義体と真体の調和を開始、術式理解。三四三番、<ヌシュト>確認。術式の導入開始。完了まで、三、二、一。契約貸与完了」

 いつにもまして、機械的な音声をヨベクが発すると、その壊れた体がまるで時間を巻き戻したかのように元に戻っていく。そして数秒もしない間に、以前と同様の人間の似姿に戻っていた。

「性能回復。これよりサネト様とリャージャ様への医療行為を行います」

 そう誰かに報告するかのように呟くと、ヨベクはまずはリャージャを、そしてその後サネトをそれぞれの腕で拾い上げ、比較的平らな地面に仰向けで横たわせた。

「治療開始。行為に含まれるのは以下の通り。骨格再現、内臓復元、機能回復、皮膚再生。患者の意識は回復していないため、意思確認は行わず、人命優先で治療行為を行います」

 ヨベクがそれぞれの掌を二人の身体に向けると、今度は赤い光をその腕から発し始める。

 その光が患部を照らすと、徐々に二人の損傷した肉体が回復していく。十数秒も経つと、傷口は完全に塞がっていたが、ヨベクはまだ魔力による治療行為を続けていた。

 それから更に三十秒、青ざめていたサネトとリャージャの表情も、徐々に赤みが戻っていき、呼吸の乱れも整っていく。

「一命はとりとめました。魔人の心臓を回収後、今からお二人を宿に連れ戻します」

 そう報告した後、ヨベクは魔人の心臓を懐にしまい、二人を両脇に抱えて、死闘の戦場を後にした。


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