7 ネニュファールの髪留め
可愛らしいパーマのかかった老婆の店員が一人いて、奥に裁断している若い茶髪の少女もいた。更に奥に試着室らしいカーテンで仕切られた個室がある。その試着室に、ネニュファールが連れて行かれた。
五分後には淑女らしくきれいなエメラルドグリーンのプリーツスカートのワンピースを着ていた。 胸元にはレースと黒いリボンがあり上品な印象だった。
「それにしても香水のつけ過ぎじゃないかしら?」
「それは色々と事情がありまして。それでおいくら払えば?」
「諸々で千二百ペドルでいいですよ」
「わかりました。パース」
ルナナはピンクと黒の可愛い箱を出した。
「領収書もいただきたいのですが」
「ええ、名前は?」
「すた……、いや、こちらで書きます」
ルナナは箱から金貨を入れた麻袋を取り出した。
それを測りで計測する店員。
「少し多いですが?」
「チップとしてとっといてください」
ルナナは軽くほほえみながら、領収書をもらう。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
「さあ、宿屋まで行って汗を流そうじゃないか」
「いや混浴なわけないじゃないですか!」
イセリは腕を組みながら言葉を放った。
「そういう意味で言ったのではないよ」
そうして宿屋に着く。
ローリはすぐに着替えを持って男湯へ向かった。
すでにラウレスクが露天風呂に入っていた。
「いい湯だ」
ラウレスクは気を抜いているのか、耳がフェレットに変わっている。
ローリも体と頭を洗った後、露天風呂につかった。熱すぎず寒すぎず、疲れを癒やす、良い湯船だった。風呂から出た後、ラウレスクの誘いで牛乳を一緒に飲む事になった。
(卵ほどではないが牛乳はあまり好まないが、父上の機嫌を損ねたくない)
ローリは瓶の牛乳を一気に飲み干した。
そのローリを遠くから熱っぽい目で見てくる少女がいた。
ネニュファールは髪がさらさらで長くて、前髪は自分で切ったのかぱっつんだった。
ローリはネニュファールが長い髪がまどろっこしくて見ていられず、箱から取れる有限な願い石をネニュファールに使おうと思った。ちょうど二個目が取れたところだった。
「パース」
ルービックキューブに見える箱を出して、更にその箱から願い石を二つ取り出した。両手に持って願いを言った。
「右手に持つ願い石を、凝縮させ銀貨のような僕が想像した髪留めに変えておくれ」と、左手に持つ願い石に軽くキスをした。
光が瞬いた。
ローリの右手にはレースのついた銀貨の(どこにも見たことのない)髪留めがあった。
ネニュファールはローリの手招きに気づくと、ローリに駆け寄った。
「ネニュファール、今日は、いや、いままで生きていてくれてありがとう。これ、記念にあげるよ。この願い石、僕が必要になる時が来るかもしれないが、君の危険が迫った時にも使ってほしい」
ローリは銀貨の髪留めを手渡す。
「ありがとうございますわ」
ネニュファールは驚いたように固まっている。
「僕がつけてあげようか?」
「お願いしますわ」
「パース」
ローリは消した箱を再び出して、ヘアブラシを取り出した。
「さあ、後ろを向いてくれたまえ」
ローリはネニュファールの髪にヘアブラシを通す。さらさらした髪は簡単にまとまって斜め縛りになった。こめかみの髪は少し残している。
「ありがとうございますわ」
「僕はできることなら、君を姫にしたい」
「わあ、感無量ですわ」
「しかし、僕には許嫁がいるんだ、……どうしようもない、でも、貴族には戻してあげるよ」
「ローリの側にいるだけで結構ですわ」
ネニュファールがそういった、突如ネニュファールは突き飛ばされた。
「王子様か、ローレライ様とお呼びなさい」
ルナナは般若のような顔でネニュファールを睨んだ。
「はい、わかりましたわ」
「それから、その口調も」
ルナナが怒っている最中にローリが真ん中に来て仲裁に入った。
「ネニュファールはきっと何年も一人で暮らしてきたのだよ、暴力は僕が許さない」
「一年と三ヶ月位ですわ」
「ま、メイドになる試験までしごきにしごくからいいですよ」
「なるべく態度ではなく、言葉で感情を示してくれたまえ」
「はい、かしこまりました」
「ネニュファールも牛乳飲むかい?」
「はい」
ローリは売店まで買いに行き、牛乳を買ってきた。
ネニュファールは不思議そうにそれを眺めていた。ローリが牛乳ビンの蓋を開けてやると優しい匂いがした。
ネニュファールは一気に飲み干した。
そして、馬も人も休憩できたので、王都リコヨーテまで馬車の馬と人ののせた馬がひた走った。砂漠まで来たが、まだ少し掛かりそうだった。
流した汗が三度やってくるようだ。
そして、ようやく到着する。
ローリは熱中症にかかったかのようにゼイゼイと息していた。。
「皆で星条旗よ永遠なれを弾くぞ」
「わ、わたくしも弾きますわ。ウォレット・ストリングス」
ネニュファールが馬車から出てくると、ニッケルハルパを出現させた。
ラウレスクや仲間の人達も地面に足をつけた。
「良かろう」
ラウレスクは十人ほどの演奏を認めて、自身も吹いた。
♪
ドラゴンの口が開いた。
ネニュファールは目を見開いていた。
「まあ、王子様、これは一体?」
「初めて見るのだと驚いても仕方ないね。リコヨーテにようこそ、ネニュファール」
ローリが話している横で、ラウレスク、ほか三名は馬車を箱にしまおうとしていた。
「リコヨーテで生まれたのだろう?」
「わたくしらは行商人でして、物心ついてからはラインコット家に入ったことがないのですの、ですが、リコヨーテで生まれたのは確かですわ」
「ネニュファール、まさか君は!」
「そうですわ。わたくしには、半月の血が流れています」
「何になれる?」
「ミミズクですわ」
「ミミズクう?」
ルコは意表を突くネニュファールの言葉に喪神しかける。
「なにか問題でも?」
「ないけれど、それならそうと言ってくれれば馬車の席があいたのに」
「ずっと月影でいるのはかなり体力いるからなあ、それは致し方ない」
「ここにいる皆、半月ですの?」
「はっはっは。そうだよ」
「ヒヒーン」
馬の鳴き声が聞こえた直後に、ラウレスクとローリが乗っていた馬が人に変わった。長身で肌の色は黒い男性だ。さっきまでオッドアイだったが今は両目とも瞳も黒い。オールバックで少し見た目が怖い。タンクトップにジーンズといった軽装だ。
「俺はドーリー、馬の半月です。乗り心地最高だったでしょう? 王子」
「君はよく体力あったなあ。揺らさないでのせてくれてありがとう」
「それだけが取り柄みたいなものです」
ドーリーは鼻の下をこする。
「それでね、僕も半月なんだ」
「だと思いましたわ、苗字からみてフェレットでしょう」
「ほう、……言い当てられたのは初めてだよ。さては君、動物好きだね?」
「動物大好きですわ。箱の中に図鑑を沢山持ってますわ」
「君のなりたい仕事は動物に関わる仕事かい?」
「仕事? それは……王子様と一緒にいられる仕事です」
「はっはっは、そうかい?」
「はい」
「お主達、無駄話しないで早く来るんだ」
ラウレスクに一喝される。
ドラゴンの口に馬と御者を先に入らせていた。馬車自体は執事の一人の箱の中に入れたようだ。
緩やかな階段を下ると支柱が何本も見えた。
「ケータイはこのリコヨーテでは使えない」
「地下ですものね」
「ネニュファール、口調を正しなさい、今度王子にお嬢様口調で話したら縛り首よ。街の人に聞かれたらと思うと私」
「はい、以後気をつけます」
「そんなに怒って言わずとも、優しい言葉で諭したまえ」
「しかし王子、甘やかすのもどうかと」
「べ、別に甘やかしてなんかいないよ」
児童養護施設に着くとネニュファールを、乳児院に着くととルフランを引き渡した。
「ところで、ローレライ、話がある」
ラウレスクは馬を引き連れながらローリの名を呼んだ。
「はい、何でしょう?」
「今日の夜の十時に吾輩の寝室に来い」
「はい」
ローリはなにかラウレスクの機嫌を損ねる事をしたのかと考えあぐねる。
城に渡る船に乗った。馬も一緒だ。ただ、何往復かしなければならないようだ。
「大変そうだな」
ローリは部屋でそう呟いた。匂いで後何頭来るのかが分かるからだ。
次にネニュファールのことを思い出した。りんとした態度が儚げで可愛かった。ネニュファールのことを思うと、胸が苦しくなった。
(いつ遊びに行こうか)
ローリは児童養護施設に忍び込む気満々でいた。
「ローレライ」
ルコがローリに話しかけた。
(また何か僕を嫌な目に合わせるつもりだろうな)
ローリは嫌々ながらも振り向いた。
ルコはフリルと宝石の付いた白いワンピースを大切そうに持っていた。
「今日はこれね」
「母上、僕は男なのですよ」
「あなたに似合うと思って! さあさあ脱いで、着せてあげるわ」
「やめてください」
「あら、そうしたら、今日あったピンク頭の子、元のところへ捨ててこようかしら」
「それは卑怯です。あの子は関係がない」
「じゃあ着るわよね」
「わかりましたよ、一人で着替えられます」
ローリは根負けした。ワンピースを受け取る。そそくさと隣の部屋に向かおうとすると、ルコに腕を掴まれた。
「なんでしょう?」
「さっき、あなた、自分のこと男だと言っておきながらこそこそ隣の部屋で着替えるのは、ナンセンスじゃない?」
「僕の裸がみたいのですか?」
「そうね、新しく仕立てる服で似合いそうなものも選べるものね」
「わかりました」
「あ、パンツまで脱がなくていいわよ」
「当たり前ですよ」
ローリはマントを外すと、一気に脱ぐ。
「あら、腹筋が薄っすらと割れてるわね」
「あんまり見ないでください」
「ふっふっふ」
ルコはおかしそうに笑う。
ローリは下を脱ぐ。そして手渡されたワンピースを着る。
「やっぱり似合うわ〜! 可愛い〜写真撮らせて」
「嫌です」
「あら反抗的な態度取ると、周りが不幸になっても知らないわよ」
「一枚だけですよ」
「パース」
ルコは箱を出すと、一眼レフカメラを取り出した。
「お化粧してもいいかしら?
「ですから、やめてください」
「何よ〜、ちょっと位、いいじゃない」
「僕のほっぺたをつつかないでください」
ローリは頬に指を当てるルコに嫌な顔をした。
「じゃあ撮るから笑って?」
ルコに言われてローリはぎこちなく笑う。
「あ、笑わないほうが可愛いわね」
「いい加減にしてください」
「わかった、最後の一枚!」
「はあ」
ローリはキリッとした表情を作る。
パシャ
ルコにローリは斜め上から撮られた。
「あー眼福だわ」
「もう脱ぎますから」
ローリは早着替えをする。
「またコレクションが増えたわ」
「絶対に誰にも見せないでください」
「ふっふっふ」
「その笑いをやめていただきたいのですが」
ローリはワンピースを突き返すと急ぎ足で部屋を出ると、寝室に逃げるように入った。
(大丈夫、あの子を守れる)
ローリは思案した。
気がつけば夕飯の時間になっていた。
伊勢海老の姿造りがメインで貝の焼き物、大根とちくわの煮物や、卵を使わずに作ったかぼちゃなどの揚げ物が食卓に並んだ。
「いただきます」
板前特製のディナーは美味しかった。
「ごちそうさまでした」
ローリは、挨拶もそこそこに、最近は日本にだいぶ寄せてきている気がした。十時になる五分前、 ラウレスクの寝室の前に来ていた。
扉をノックする。
「おお、ローレライ、入りなさい」
「失礼します」
ローリは借りてきた猫のように縮こまりながら部屋に入った。
「そうかしこまらんでいい」
「それで、話とは?」
次にラウレスクが話したことは以下のとおりだった。
最近この城下町に吸血鬼が出る。時間帯はちょうどこの時間帯だ。ローレライ、なるべく町へ行かないように。建物の中に潜んでいるかもしれない。太陽光が苦手で、もし浴びると焼け死んでしまうだろうとお抱えの博士が言っていた。十分気をつけてくれ。
「吸血鬼!?」
「だが、今日新しく知り合ったピンクの髪の子に会いたいだろう?」
その後、ラウレスクはローリに分身をつくる魔法曲を教えた。
「死んだものにこの魔法曲は使えないのが難点だがな。あと二四時間で消えてしまうぞ」
「はい、ありがとうございます」
「それから、家族を裏切らないことと、……吾輩やルコより先に死ぬなよ?」
「はい、守ります」
「行っていいぞ」
「失礼しました」
ローリは肩の力を抜いて、部屋から出た。
(僕の外出を許可してくれたってことなのかな? でも外にどうやって出れば)
「ローレライ! 明日、乳児院行って診断書を出してもらわないといけないのよ、でも明日あたし忙しくて溜まってた書類に目を通して、判を押さないとだから、ローレライ代わりに行ってきてくれる? もちろん護衛はつけるわ」
「時間は?」
「そうね、一四時から一六時までの間ね。王子のあなただからこそ頼めるの、あたしと国王の子じゃないことを言ってくるのよ。わかった?」
「わかりました」
「あら、聞き分けがいいわね。なにか企んでないかしら?」
「いえいえ、何か買ってきてほしいものなどありますか?」
「食料品から生活必需品まで使用人が買うから平気よ」
「嗜好品もですか?」
「当たり前でしょ。そんなに私から好かれたいの?」
「では持っているお金でパンなど買ってきて、食べてきても構いませんか?」
「仕方ないわね、いいわよ」
「ありがとうございます」
(矢継ぎ早に外に出れるチャンスがまわってきたな)
ローリは含み笑いでごまかすと、ルコから離れた。洗面台のところで歯を磨き、顔を洗う。そして明日の計画を立てた。




