第7話 『憧れの人』
ティアと父親の関係は、一方的なものだったと少女は認識している。普遍的な親子と同じように、年頃のティアは、父親を遠ざけた。
それは、遺伝子に刻まれた行動だったと切り捨てるのは簡単だが、心の中にあったのは、憧れと寂しさだった。
娘は父の背中を見続け、同時に振り向いてくれない寂しさを感じていた。
「ユウキ……」
ティアに、朝食という名の拷問を科した優紀は「少し運動してくる」と言い残し、森の中へ歩みを進めた。
わずかな時間をおいて、傷ついた体を引きずるように、ティアも前進する。
しばらくすると、黒髪の少女が、武器の素振りをしているのを見つけた。
「強い」
それは、本人にしか見えない幻影を相手に、戦っているのだとティアは知っていた。
自分の世界に入り込み、周りのすべてが視界から消えているはずで、ティアが遠くから見ているのに、気づいている様子はない。
回転しながら武器を弾き、着地と同時に、急な方向転換をする。
舞うように、という表現があるが、理を極めた武は、何をしているか分からなくても美しかった。
剣士が多いからこそ、名を馳せた男がいた。多くの剣士を相手に、ただ一人で勝てる人間など、普通であるはずがない。
しかし、その男が使う武器には、いくつか弱点があった。間合いが短い事や、致命的な一撃に繋がりにくいなどの要素はあるが、最大の弱点は、速度が出にくいことだった。
鈍器なので、振ろうとすれば空気の抵抗を受け、剣や短剣に比べ、速度が乗りにくい。刃物を扱う達人は、斬ろうとする空気に対し垂直に振ることで、音速に迫る一撃が出せる。間合いが長い武器であるほど、それは威力となって無視できないものとなる。
「……なんで私は、同じ武器を使っちゃ駄目なの?」
優紀は前世で、ティアに同じ武器を使わせなかった。厳密に言うなら、剣以外の戦いを教えずにいたため、独学では思うように扱えず諦めた。
教えてもらえない理由を、ティアが尋ねた際は「向いてないから」と、突き放すように言われた。代わりに、剣や短剣、ナイフを勧められ、ティアはその通りに、剣と短剣の技術を高めた。
人間は、自分に無い資質に対して、嫉妬を覚える生き物である。相手によりそれは憧れとなるが、正負の違いこそあれ、本質は変わらない。
「強くなりたい」
襲撃者から奪った短剣を抜き、構える。殺意はなく、足音も消しながら、風を切らぬよう注意して、それでも早く移動して突く。
「甘い」
背後を取ったのに、優紀は半身をずらして突撃を躱す。突きに合わせ武器を擦るように当てながら、カチリと音がする。背後からの完璧な奇襲にも関わらず、右手の十手によって、短剣が掴まれてしまう。
「なんで、分かるの!?」
勢いのせいで、腕が伸ばされる状態になったティアの腕に沿うよう、胴体へと接近する。左手は武器を持ったまま、顎先を守るよう添えられ、掴んだ短剣を解放して自由になった右手で、ティアの脇を軽く叩く。
当て身に続いて、左手が武器ごとティアの服を掴み、手前から地面へ引き倒される。
「殺気は抑えても、意志が乗ったら気付く者もいる」
この世界では、視線に魔力が乗ると信じられている。魔法攻撃を感じる以外にも、視線に対して敏感な者達がいるのだ。
「挑むとして、もう少し体重を戻そう。今のままだと、簡単に組み伏せられる――というか、安静にしてろ、バカ」
地面に倒され、ティアはうめき声をあげる。苦しげなのに、武器を打ち合うことが、二人にとって意思疎通の形だった。
「なんで、私じゃダメなの? その技、その動き。どうして、教えてくれなかったの?」
「……」
「苦しかったのも、辛かったのも、どうでもいい。だけど、どうして! 私に……教えてくれなかったの?」
抱き起されたティアは、その胸にしがみつく。力の無い拳で、膨らみのある胸を叩く。何度も、何度も。
「なんで私に、継いでくれなかったの?」
思わず、こぼれ落ちた本音だった。
「……女の身で、この技の会得は難しい」
「ユウキだって、今は女でしょ」
「体の重さ、筋力、精神性、体格。この技の修行は、女には向かない。もう会得したのなら、別として」
「なら、体を鍛えたり……身体強化だって……」
ティアが見るのは、どこまでも父親の影で、憧れと嫉妬が混じったものだった。優紀も心当たりは少なからずあり、生前から無口で多くは語らない性格だった。
親子はもっと、心を開いて話すべきだったと、すれ違ってしまった心の距離を今さらのように思う。
だから、何も言えない。本音を明らかにして、話し合ったことなど久しく無かったから。
そして優紀が「素直に剣を握りなさい」と、この場で言える雰囲気ではなかった。
「いいよ。教える」
「ほんとうに?」
どこか疑わしい視線を向けるティア。
「でも、条件がある。お互いに短剣・片手剣を使って、私に勝てるようになること。長剣やナイフでもいいけど、異なる間合いの武器に慣れなさい」
初めての助言。しかし、それはひとつの武技を鍛えることとは反対の言葉。
優紀は、剣を扱えない訳ではなかった。今の戦闘スタイルに落ち着く前は、剣や短剣を主流に使い、その経験が、教えるのに必要な事だと考えていた。
「……わかった」
渋々だが、先ほどより落ち着いた少女は、自分で立ち上がり、いつの間にか落とした短剣を鞘に収める。
それから数日、ティアは安静にしていた。
まずい塩味のスープという地獄を耐え、干し肉を柔らかくなるまで煮たスープ(ぎりぎり食べられる)を二日間、干し肉を焼いたもの(微妙な味)を一日、その後に動物を狩り新鮮な肉を焼いたもの(美味しい)を食べながら、回復へ向かっていった。