もう喉の奥がぎゅうぎゅうですよぉ……。
「ねぇねぇミアちゃん、ここのルール、読んだ?」
「はい。ピュアさんも見たんですね。」
時刻は18時を回り夕暮れ時、今は皆さんとご夕飯を頂いているところです。
席はお昼の時と同じ、一番手前に私とアケチコさんが向かい合い、私の右隣にはミアさん、その更に右隣にアウルさん。
アケチコさんの方には、まだ名前も知らない無口なネコさんのカップルがいます。
そして相変わらず一番奥は空席で、手つかずのお料理だけが奇妙に沈黙を守っています。
「ほほう、お二人も読まれましたか。」
「えぇ、流石にちょっと不気味よね。部屋から出るななんて、一体何なのかしら……。」
「ま、まぁ、お部屋から出なければどうという事じゃない、と思いますし……。」
そして話題はやはり、あの奇妙なルールの事でした。
どうやらピュアさんもアウルさんも例のご利用案内を読まれたらしく、あまり弾んで欲しくはない話題でその夜の団欒は持ちきりとなりました。
そんな私達の会話を聞きながら、アケチコさんは静かに指をカタカタと動かし続けています。
「けど夜の8時に缶詰めになるんじゃ、温泉もゆっくり入れないわよね~……。はぁ……。
ま、無料で泊まらせて貰ってる以上、何も文句なんて言えないけどさ~。ひっく。」
日頃のストレスが溜まっているのでしょうか?
ピュアさんは肩肘を立てて頬杖を突き、グラスの赤ワインをチビっと飲みました。
その顔はほんのり赤くほぐれ、既に良い感じに酔っ払っているように見えます。
その背中では、ふわふわの白い羽がパタパタと動いていてなんだか可愛いです。
「いやはや、この後何が起こるのか……。不安でもあり、楽しみでもありますなぁ。ほっほう。」
と、アウルさん。どこまで本気かは解りませんが、そう言って陽気に笑います。
「貴様のように平和ボケしたヤツから死ぬんだ、鳥頭め。」
あ。
「ちょっと、勝手に会話に入って来ないでよッ! このバカ探偵ッ!」
あー。
「ふん、このやりまんビッチが。さっさとあの歯茎の執事に毒殺されろ。」
あ~……。
「ムキーーー!!! あーもーアンタここで殺すわーーー!!!」
「ふん、死ねバーカ。」
「なによー!!」
あ~ぁ、またも痴話喧嘩が始まってしまいました。
最近思うんですけど、アケチコさんの存在そのものがもう事件じゃないですか?
アケチコさんの爆弾発言に顔を真っ赤にしたピュアさんがテーブルをバシバシと叩いて酒臭い息を撒き散らかします。
そんなお二人を見て早速アウルさんが仲裁に入りました。
「こらこらお二人とも、食事中はお静かにと――」
「ご馳走様ですにゃん。」
「私も。お先に失礼しますにゃん。」
あらら……。
先ほど同様、ネコさんのカップルが不機嫌そうに席を立ち、そのまま出て行ってしまいました……。
見ればお二人のお皿にはお食事がまだ残っています。
決して私のせいではないのに、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになってきましたよ……。
ただでさえこの後の事を考えると食欲がなくなるというのに、もう喉の奥がぎゅうぎゅうですよぉ……。
「ほほう、また一言も話さずに行ってしまいましたなぁ。」
「あのカップル、なんか凄い感じ悪いわよね。食事まで残して、一体なんなのかしら。ひっく。」
「それは、お食事中にあんだけ騒いでたらウンザリしますって……。」
「ふん、ますます怪しいやつらだ。」
「アケチコさんはもう喋らないで。」
「ふん。」
アケチコさんは子供みたいに鼻を鳴らして不機嫌そうに顔を背けました。
なんですかその反応? 思わず語気がきつくなってしまいましたが、私べつに間違ってませんよね?
それにちっとも反省した様子もなくて、なんだかとっても嫌な感じです。
なんでしょう、ここに来てから私、アケチコさんの事どんどん嫌いになってる気がします。
「ところで誰か、ここの主人って会った? 私まだ顔も見てないんだけど。ひっくぅ。」
「やっぱそうですよね、私とアケチコさんもまだです。アウルさんは?」
「ほほう、私もまだお目に掛かっておりませんなぁ。はて、するとまだ、どなたもお会いしてないと……。」
「一体どんなヒトなんでしょうか?」
屋敷の主人――どうやら未だにどなたも顔を見ていないようです。
今だって晩御飯の席にも現れませんし、一体どこで何をされているのでしょう……。
「こんな辺境にお屋敷を構えるお金持ち、きっと変人に決まってるわよ。ひっぐぅっ。」
あらら……。ピュアさん、完全に出来上がってますね。
酔いつぶれてクテクテに溶けてしまってます。
もう起きていられないのか、いよいよテーブルに突っ伏して、まるで掛布団のように背中の羽根も覆いかぶさる状態となりました。
言うてまだグラスの半分も飲んでませんけど……。
「こらこらピュアさん、どこで誰が聞いているか解りませんぞ。」
「だって未だに顔も見せないのよ? 絶対変なヒトよ。うぃっくぅ。」
その後も賑やかな晩餐は続きました。
まぁ主に喋っていたのはピュアさんですが――
「それでねアケチコ。ハッキリ言ってアンタみたいな童貞陰キャはダメよ! だメッ! ひっぐ!」
ピュアさんがアケチコさんへの中傷を交えつつ結婚相手の条件や理想の男性像を熱心に語ると、次第にその話題は元カレの話に――
「男なんてッ! 男なんてね! みんな死んじゃえばいいのよぉ! わぅうッ!」
わんわんと涙ながらに男性へのトラウマとヘイトをぶちまけ、アウルさんがそれを「よしよし」と真摯に宥めました。
もうどうにも止まらない泣き上戸のピュアさんでしたが、ヒト世界のマシンガンという殺戮兵器のようにガツガツと喋りたいだけ喋り続けると、今度は子猫みたいに眠ってしまいました。
「ㇲピー……。」
「ね、寝ちゃいましたね……。」
「ですなぁ……。」
「ㇲピー……。」
「それじゃぁ私はピュアさんをお部屋に送り届けてまいりますので、これで。」
その後アウルさんは当然のようにピュアさんをお姫様抱っこして部屋を出て行きました。
色々と心配ではありますが、アウルさんが付いているのなら一先ずは大丈夫でしょう。
それにしてもピュアさん、色々と危ういヒトですね……。
「そういえばハグキさんがいませんけど、どこに行ったんでしょうか?」
「さぁな。だがあのバカ女は今日が命日だろう。」
「もうアケチコさん……。そういうの本当に止めてくださいったら。」
口の減らない名探偵を窘めつつ、けれど正直不安でいっぱいでした。
姿を見せない主人。
怪しい執事のハグキさん。
脱衣所での出来事。
不気味なお屋敷のルール。
いるかもしれない「なにか」
忽然と消えたお皿の上の料理。
様々な憶測に、更に謎は深まり――
「って、あれ? アケチコさん、またですよ……。」
「あぁ、解っている。」
テーブル奥の空席、主の方の為に置かれたお皿の料理がまたしても――
「ミ……ミステリー……。」
「ィイーッヒッヒィー。」
そしてそんな不気味な出来事の連続で動揺を隠せない私たちを、ハグキさんが扉の陰から覗き見てニタァと怪しく笑っていまいた。
もう捕まえても良いですか? 良いですよね?