第十五夜 輝きは消えない
ベネトナシュは壇上にいる陛下とレグルスを見た。
いよいよ運命の時だ。
騒がしかった会場も一気に静かになって、レグルスが一歩前へ出る。
「今日、私はここで婚約者を選ぶ。 そのためにこうしてアウローラの乙女達が夜会に参加してくれたこと、心より感謝している。 ……私は、自分の気持ちに従い、身分など関係なく婚約者を選んだ。 だからどうか、皆も全てを捨てたまっさらな心で祝福していただきたい」
レグルスの声が会場に響いた。 彼は少し間を開けて、自ら壇上を降りて令嬢達の前へ。 ざわざわと令嬢達が騒ぎだす。 誰にでも希望があるのだ。 もしも王妃になれるならばと、誰もが一度は夢見ることだろう。
レグルスは歩みを止めることなく、そして間違うことなく、シアの元へ。
「シア・ジェフシー。 どうか、これからずっと私のそばにいてくれないだろうか?」
「で、殿下……? そんな、これは……」
レグルスが差し出した手を、シアは信じられないという目で見た。 口元をおさえて、嬉し涙を溢す。
「これは、夢……でしょうか?」
「現実だよ、シア。 私はずっと、君が好きだった」
「殿下……! シアも……! 私もずっと、殿下のことをお慕いしておりました!」
シアがレグルスの手に自分の手を乗せた。
会場は祝福の声で包まれる。 ここに、未来の王妃が誕生した瞬間だった。 皆、思っていることは様々だろう。 だが、今この場では異議を申し立てることはできない。
ベネトナシュは二人を心から祝福しつつ、目線を周囲へ向けた。 異変がないか知る必要がある。 何か少しでも不審な動きをする者がいたら、拘束する。 シアとレグルスがやっと手に入れた幸せを、誰にも邪魔させない。
しかし、やはりなんの異変も無かった。 警戒しているうちに、殿下とシアにワイングラスが運ばれてくる。 祝杯のワインだろう。 二人はまだ未成年なので中身は酒ではないが、形だけでもこういうのは大事だ。
この祝杯が終われば、夜会はお開きになるだろう。
アルファルドやガトーが警戒していたようなことが起きなくて良かったと、ベネトナシュが人知れずため息を吐こうとした時だった。
レグルスとシアが持っているワイングラスに、違和感を感じた。
(……!?)
思わず、ベネトナシュはアルファルドとガトーの方を見た。 ガトーと目が合ったが、今はそれを望んでいるわけではない。 ガトーが手にしているワイングラスを見て、一気に現実に引き戻されて、笑顔を消し去る。
「殿下ッ、シア!! 飲んではいけません!!」
違和感に全て気づいた。 だが周りは気づいていない。 この祝福のムードに染められていて、誰もこの『一目見ればわかる違い』に気づけてないのだ!
ベネトナシュは咄嗟に駆け出して、レグルスが今にも口を付けそうだったワイングラスを手で叩き落とした。
ワイングラスは『音を立てて割れてしまった』。
そう、割れたのだ。
レグルスも、その音を聞いてハッとする。 彼はシアのワイングラスを奪って彼女に飲ませないようにした。
「ベネトナシュ嬢! 殿下になんて無礼な……!」
どこかの令嬢がそう言い咎めて来るが、ベネトナシュは聞く耳も持たずに声を張り上げた。
「アウローラでは夜会の際、銀食器を使う。 これはこの星都の常識です」
ベネトナシュの言葉に、会場にいた貴族たちが言葉を詰まらせた。 銀食器は滅多に割れない。 落としたくらいでは、せいぜい派手な音がする程度だ。
そう、祝福ムードの中で殿下とシアに渡されたワイングラスは、ガラス製だったのだ。
王族に仕える給仕が、食器を間違えることなど絶対にあり得ない。 それこそ、日頃から王族は銀食器を使用するのだから、城の食器棚どこを探しても、ガラスや陶器の食器は見当たるはずがないのだ。
ベネトナシュも城で食事をする機会が多いのでよく知っている。 本当に城では銀食器以外見たことがないのだから。
「すぐに、このワインを調べろ」
「はっ!」
レグルスは騎士に命じると、シアを守るように後ろへ下がらせた。 ベネトナシュは先程割れたガラス製のワイングラスへ近づいた。 見た目だけで毒が入っているのかどうかは分からないが、恐らく銀食器が触れればすぐに変色するだろう。
とはいえ、殿下の手にしていたものを叩き落とすなど、とんでもない無礼を働いてしまった。 跪いて許しを乞おうと思った時だった。
「殿下の礼装を汚すなんて、恥知らずですわ!」
先ほどもベネトナシュを咎めた令嬢が、声も高々にそういった。 ベネトナシュは声のした方向を見る。
彼女はキャサリン。 警邏師団を束ねる伯爵家の令嬢だ。
「アウローラの星詠みともあろうお方が、本当に無礼ですこと! 身の程を弁えるべきですわ」
「……確かにそうですわね。 今すぐに殿下に謝りましょう」
「謝る? そんなもので済まされるものと思っていまして? この国の象徴でもある王族に無礼を働きましたのよ?! 罪人も同然ですわ! さ、連れて行きなさい!」
キャサリンの命令で、警邏師団の者達がベネトナシュの腕を乱暴に掴む。 ベネトナシュは突然の痛みに思わず顔を顰めた。 辺りからは悲鳴が上がる。
「キャサリン、やめなさい。 私は先程のベネトナシュ嬢の行いを無礼だとは全く思わない」
「いいえ殿下。 何事にも例外はありません! このイルス家が誇る警邏師団の手によって、ベネトナシュに礼儀というものを叩き込んでやりますわ」
ベネトナシュはキャサリンの様子が変だと思った。 いつもはこんなふうに強気の令嬢などではない。 キャサリンは大人しく、気品に溢れている令嬢だ。 ベネトナシュとも共にお茶をする仲だった。
ベネトナシュは騒ぎ立てるキャサリンの声に紛れて、自分を取り押さえている警邏師団の男性にこっそりと声をかける。
「もし、キャサリン様の様子に気づいていますか?」
「はい、ベネトナシュ様……。 実は先程まで、具合を悪くされていたのですが、急に立ち上がってこちらに……」
「……何か飲まれたり食べたりされていました?」
「殿下達が飲もうとしていた物と同じデザインのワイングラスを給仕から渡され、それを飲んでおられました……!」
「……!? まさか!」
あの飲み物に混ざっていたものは、他人を意のままに操ることができる魔法薬だろう。
キャサリンはなおも騒ぎ立てている。 ベネトナシュが警邏師団の男性に目配せをして、腕を拘束していた力を緩めてもらった時だった。
「キャーーッ!」
シアの悲鳴が上がった。 ベネトナシュは弾かれたようにそちらを見る。
「や、やめてください! 来ないで!」
そこにはいつかのアカデミーで見た、黒装束の男がシアに刃物を突きつけていた。 皆がキャサリンに気を取られている隙を付いたのだろう。 キャサリンはフッと糸が切れたかのように意識を失って倒れてしまう。
騒然とする会場。 ベネトナシュは警邏師団の手を自分で振り解いて、銀で出来た短い杖を創り出す。
短いと言えども、純銀で出来た杖は重い。 先程掴まれた腕に激痛が走って顔を顰める。
だが、なんとか杖の先をシアへ向けた。 そして《プロテクション》の魔法を唱える。
「《プロテクション》だと!? くそっ、また貴様かァァァア!!」
男は喉が裂けそうなほどの怒号と共に、ベネトナシュへ襲いかかって来る。
ベネトナシュがキッと前を見据えた時だった。
男が持っていた大きなナイフが振り下ろされる。
「チッ……、予想通りに動いてくれて最高に気分が悪い」
いつまで経っても痛みはやって来ず、聞き慣れた声がすぐ近くから聞こえた。 恐る恐る目を開くと。
先程までワイングラスを持って、アルファルドの隣にいたはずのガトーが、いつのまにかベネトナシュを庇うように立っていた。 というより現に庇っていて、頰から赤い血がポタポタ垂れていた。 男の攻撃からベネトナシュを庇ってくれたのだ。
ベネトナシュが慌ててガトーの頰を拭おうとハンカチを取り出すと、ガトーはベネトナシュに向かって吼える。
「動くな! 俺の後ろにいろ!」
「で、でも……!」
「死にたいのか!」
「っ」
巨大な杖を創り出したガトーは、男と向き合う。 彼の杖はアルファルドと同じ大きさだが、金で出来ていて、複雑な紋様が柄に刻まれていた。 青白く輝く結晶が先に浮いていて、その周りを幾重もの魔法陣と金の装飾が取り囲んでいた。
流石は金の階級を授かる宮廷魔法師だと言ったところだろうか。 唯一無二の杖だ。 計り知れないほどの魔力を、杖自体にも有している。
「お前、俺の妹に手を出そうとしたな」
「妹だと?!」
ガトーはちらりとシアを見る。 顔を真っ青にしてレグルスに支えられている妹は、ガトーを見て力なく頷いた。
「彼女、シア・ジェフシーの本当の名はシア・アルデバラン。 俺の妹であり、ニコル卿の娘だ」
その言葉に周囲がざわついた。 同時に、男が息を飲むのがわかった。 辺境伯の令嬢を、この手で殺めようとしたのだ。 その罰がどんなものか、検討もつくだろう。
「そして、今お前は誰にその刃を向けた」
低く、地獄を這うかの様な声でガトーが男を睨みつける。 男が小さく悲鳴をあげて、一歩身を退いた。
「ベネトナシュにまで手を出した。 彼女は俺にとって」
力強く杖を握るガトー。
「大切な人だ」
ガトーの足元に魔法陣が広がる。 それは一瞬だけだったが、すぐに男を拘束するかの様に黒い手が現れて、男はその場に縫い付けられる様に拘束された。
「償いは牢屋ですることだな。 もっとも……、辺境伯の令嬢と星詠みの令嬢に刃を向けたんだ。 償いすらさせてもらえないか」
杖を消し去り、ガトーは冷たい視線を男に向けた。
「騎士団、こいつを拘束してヴィルハーツの元へ連れて行け」
「はっ!」
タイを緩めながら、ガトーは安堵のため息を吐いた。 近くのソファに腰掛けると、アルファルドが駆けつけた。
「ありがとう、ガラハッド」
「そっちもご苦労だったな。 ワインに仕込んで、騒ぎの中で犯行に及ぶとは思わなかった」
「全くだ、ほんと肝を冷やしたよ」
会場はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。 ベネトナシュの元にも、従者であるコルが駆けつけてくれる。
「お嬢様、大丈夫ですか?!」
「コル……。 大丈夫よ、ありがとう」
「本当ですか?」
大丈夫、と答えた主人に、コルはにっこりと微笑んだ。
そして、コルは手にしていた小さなナイフをベネトナシュへ突き刺した。
「っ、あ……?」
「大丈夫じゃ、ダメなんですよ。 お嬢様」
コルはナイフを引き抜いて、もう一度ベネトナシュの腹部へ突き刺す。 美しいドレスが血で濡れて、ベネトナシュは形の良い唇を血で汚すことしか出来なかった。 グラリと視界が歪んで、床に倒れ込んでしまう。
だが、硬い大理石の床に、ベネトナシュが頭を叩きつけてしまう前に、ガトーはすぐに彼女のもとへ。 なんとか、彼女の身体を抱き止める。
「しっかりしろ、ベネトナシュ!」
「ガトー、さま……。 わた、し……」
床に赤い血が広がってゆく。 ガトーはベネトナシュを強く抱きしめて、コルを睨んだ。
「あはははっ!! あはっ、あははははははっ! 騙されていたことに、ずっと気づかないなんて、馬鹿なお嬢様! ほんと、誰にでもただ優しいだけの、何にも危機感のない、馬鹿な令嬢ですねぇ! 死ね! 死んでしまえ! あの方の幸せのために、お前は死ね! ギャハハハハッ!」
「もういい、喋るな」
ガトーは、駆け寄ってきたアルファルドにベネトナシュを預けて、硬質なヒールの音を響かせながらコルの元へ。
当然コルは血塗れのナイフを構えるが、ガトーは杖を出すこともせずに魔法を即座に発動させ、コルの腹部に衝撃波を叩き込む。
金の階級を持つ魔法使いに勝てるはずもない。 コルはなす術もなく吹き飛ばされ、豪華絢爛な柱に叩きつけられた。
彼は無表情のまま近づき、コルの前髪を力づくで掴む。
「貴様は兄貴に任せるまでもない。 俺がやる」
「い、いたい、いたいっ!!」
痛みに悶えるコルを無視して、彼はそのままコルを引き摺りながら会場を出て行った。
「すぐにベネトナシュ嬢の救護にあたれ! 絶対に救え!」
「お姉さま、おねえさま……! いやです、ぜったい、絶対にシアのお側にいるって、やくそくしました……!」
ベネトナシュは薄れる意識の中、ただただ思った。
「いた、い……な」
十五話です、よろしくお願いします。