第十四夜 星と踊る
会場から離れたバルコニーに出たガトーは、周りを確認してベネトナシュの手を離した。 ここは会場からは見えないので、見つかる心配もない。
「すまない、勝手な真似をしたな」
「いいえ、むしろ助けていただきありがとうございます。 それよりも……」
ベネトナシュはガトーを見る。 白と紺色のきっちりとした礼装だ。 薄紫色の長い髪はいつも通り一つに結んであるが、アルデバラン家の象徴でもある青の髪飾りで束ねている様だった。
「お似合いです。 夜会にはいつも?」
「俺も普段はこういう場に出ない。 今回はシアのこともあるからな」
「ふふ、妹想いなのですね」
「まあ、血が繋がっている家族だ。 気に留めない方がおかしいだろう。 本当は極力、公の場に出たくないんだ」
そういうのが先か後か、会場から数人の令嬢の声が聞こえてくる。
「ガラハッド様がいらしたっていうのは本当?!」
「ガラハッド様〜! いったいどちらにいらっしゃるの……?」
それを聞いて、ガトーはやれやれとため息を吐いた。
「人気者ですのね」
「これだから嫌なんだよ。 以前屋敷に戻ったら、ヴィルハーツから婚約者にどうだ、なんて言って知り合いの令嬢を寄越されて災難だった」
「あの、ガトー様はお幾つでいらっしゃるのですか?」
「来月で二十一だ」
「ああ……良い時期ですものね」
それにアルデバラン家の息子だ、優良物件だろう。 令嬢達が必死になって探すのもよくわかる。 それに対して、ガトーが鬱陶しさを感じるのも分かってしまうので、なんだか面白くなってくる。
ガトーはバルコニーの柵に腰掛けて、夜空を見上げた。 つられるように、ベネトナシュも空を見る。
「お前も婚約者探しに忙しいだろう」
「まあ、そうですわね。 でも私はガトー様のように人気ではありませんので」
「……さっきの男、スタレイン家だったか。 アイツはどうなんだ」
「フューリー様ですか? さあ……。 お会いしたのは今日が初めてですわ」
「……そうか」
「断っても無理矢理踊らされそうな気がしますし……。 あまり好ましくは思いませんでしたね」
それを聞くと、ガトーはなぜかホッとした様な表情をして、柵から降りた。
「アルファルドからも聞いた。 今日の夜会でシアや殿下に危険が及ぶかも知れないと」
だから重い腰を上げて来たんだ。 とガトーは気怠そうに言った。 優しい兄だ。
「でももうダンスが終わりますわ。 次が最後の曲の様ですし。 残るは少しばかりの歓談と、殿下の婚約者の発表では?」
「……いや、それが狙いなのかもしれない。 殿下は婚約者を選ぶ。 つまり、殿下の隣にシアが並ぶはずだ」
その言葉にベネトナシュは息を飲む。
「どんな手を使うのかは知らんが、殿下の目の前で失態を見せるシアを……敵は見たいんじゃないか?」
「っ……! ガトー様、会場に戻りましょう」
「ああ、だが……」
ガトーは、未だにしつこく自分を探している令嬢達を見てうんざりした。 だが、意を決したように会場の中へ。
「いた! ガトー様!」
令嬢達が駆けつけてくる。 ガトーはそれには目を合わせず、くるりと後ろを振り向く。
直ぐ後ろにいたベネトナシュに跪き、彼女に手を差し出す。
「星のように麗しきベネトナシュ嬢よ、どうか私とこの最後のワルツを踊っていただけないでしょうか?」
「……えっ?!」
突然のことで理解ができない。 先程も言ったが、婚約者のいない女性を踊りに誘うのは、噂が立つ。
ベネトナシュとしても、いつも夜会ではダンスの誘いは断り続けて来た。
だが、今ここで断れば、ガトーはこの令嬢達とのダンスパートナーを巡る戦いに巻き込まれる。 シアや殿下に何かがあった時、それじゃ対処ができない。
しかし、今まで断って来た誘いを、ここでベネトナシュが受ければ、それはつまり……。
頭の中でぐるぐると考えが回る。 視界の奥で、レグルスがこちらをみて微笑んでいた。 そして何かを伝えている。
『好きなようにすべきだ』
ベネトナシュはハッとした。 そして母の言葉と気持ちを思い出す。 しっかりとガトーを見つめて、柔らかく微笑む。 自分よりもひと回り大きな手のひらに、自分の手をソッと乗せる。
「……喜んで」
ベネトナシュの答えに、ガトーは最初少しだけ目を見開いていた。 だが直ぐにその表情は変わる。
ガトーのその笑みは今までとは違う、優しくて柔らかい笑みだった。 微笑みながら彼は立ち上がり、ベネトナシュの腰に手を添える。
二人の踊る姿を見た者は、その神秘的な風景に思わずため息をついた。
ベネトナシュは夜会に出ることこそ少ないものの、ダンスは上手かった。 幼少期の頃からダンスのレッスンは厳しくされていたし、今でも週に三回はダンスレッスンを行う。 動きに合わせてドレスの裾がふわりと揺れて、金の刺繍が煌めく。 ベネトナシュはチラリと相手を見上げる。 ガトーもこちらを見ていたようで、目が合ってしまった。
「すまないな、受けてくれて助かったよ」
「いえ。 本当に大変ですわね、人気者は」
「何度も突き放しているんだがいつもこうだ。 困ったものだ」
「……私、アルファルドとカストル以外の殿方と踊るのはこれが初めてです」
「なっ……?!」
ベネトナシュの言葉に驚いたガトーが少し体勢を崩した。 それに引っ張られたベネトナシュが倒れそうになったので、ガトーは慌ててベネトナシュの細い腰をグイと抱き寄せて、なんとか倒れずにすんだ。
「申し訳ありません! 驚かせて……!」
「いや、構わない。 それよりも怪我は、足を挫いたりはしていないか?」
「……」
「ベネトナシュ?」
ベネトナシュは、ガトーがすぐに自分を気遣ってくれる事にときめいていた。 そして、母の言っていた事と、メイドの言っていたことがようやく理解できた。
この夜会で彼を見て、胸がギュッと締め付けられるような感覚だった。 あの時、彼が助けてくれた、それから今までずっと、ドキドキと胸がうるさかった。 顔はいつもより熱いし、赤くなっているに違いない。
でも、これが心地よいとも感じる。
(私、ガトー様のことが好きなんだわ)
ベネトナシュは涙を流しそうになりながらも、自分の気持ちにようやく正直になれた。
最後のワルツの演奏が終わる。 ベネトナシュはダンスを終えて、ガトーを見上げた。
「ガトー様。 私、今日こうやって貴方とダンスを踊れたこと、絶対に忘れません。 とても、とても幸せなひとときでした」
「そう、か……」
「もしもガトー様がお許しになるのならば、またもう一度だけ、夜会で踊っていただけませんか?」
女から誘うのは、下品ではないかとベネトナシュは思いもしたが、言葉は止まらなかった。 もしここで自分の感情を隠して生きて、待っている間に他の男が来てしまったら? それこそガトーだって人気だ。 今日の夜会で嫌というほどよくわかった。
だから、ここに大勢の貴族が居ようとも、父と母に許しを得てなくても、直接聞きたかった。
「もう一度?」
ガトーはそう口にした。 ベネトナシュはびくりとしてしまい、思わず頭を下げようとする。
「俺としては、もう一度だけとも言わず、何回でも踊っていただきたいくらいだ」
「……! あ、あの……!」
「伝わるだろう?」
「は、い……!」
嬉しくて泣き出しそうになる感情を抑えて、ベネトナシュは精一杯微笑んだ。 これで全てが終わったわけではない。 まだ家を通して話もしてないし、そもそもアルデバラン家が次男の婿入りを許すのかどうかも分かっていない。 だが、お互いがお互いのことを想い合っていた。 それがわかっただけでもベネトナシュは嬉しかったのだ。
二人の元に、シアがドレスの裾を摘んで、駆け寄ってくる。
「お兄様、ベネトナシュお姉様!」
「シア! 夜会は楽しんでいる?」
「はい! シアは、シアは幸せでいっぱいです! お兄様とベネトナシュお姉様がこうやって、自分の気持ちを伝え合えたのが何よりの、幸せでございます!」
シアはガトーとベネトナシュに抱きついた。 ガトーは妹の頭をぽんぽんと軽く撫でて、シアをベネトナシュへ預ける。
「そろそろ夜会も終盤だ。 令嬢達は待ち構えているんじゃないか?」
「たしかに……」
夜会と言っても長く開催されているわけではない。 ダンスが四回ほど終われば、後は散り散りだ。
皆が帰ってしまう前に、殿下からの婚約者の発表があるだろう。 令嬢達も、会場の前の方にいる。 ベネトナシュはシアをそちらへ誘導した方がよさそうだ。
「シア、あちらにいきましょうか」
「はい、お姉様」
二人は手を繋いで、行ってしまった。
ガトーはそれを見送ると、人混みを縫うように移動してアルファルドとカストルの元へ向かう。
アルファルドは会場の隅にいた。 彼もガトーに気づいたようで、ワイングラスを差し出してくる。
「お疲れ様、素晴らしいダンスだったよ」
「どうも。 それで、状況は」
受け取ったワインを一気に飲み干して、ガトーは会場を見渡しながら聞く。 アルファルドに変わって、カストルが口を開いた。
「特に変わった動きはないよ。 不気味なくらいに普通なままだ」
「このままただの杞憂で終わってくれればいいのだが……。 カストル、入城する際に検査は行ったのか?」
「うん、全員ね。 怪しい物とか杖を持ち込んでいないかの検査をして、全員何も持ち込んでいない。 僕たちは杖の所持を許可されたけど、僕たち以外は何かができる状態ではないよ」
「……何もできないと思って動きを止めたか? だったらそれで構わないんだが」
どうも胸騒ぎがする。 ガトーだけでなく、アルファルドもカストルもそう思っていた。
ガトーは空になったワイングラスをテーブルに置いて、新しいグラスを給仕から受け取る。
アウローラでの夜会に使われるワイングラスは全て銀製のものだった。 以前、現国王のワインに毒が盛られたことがあった。 国王は迅速な処置で大事には至らなかったものの、それ以来は毒をすぐに発見できるように銀製の食器を使うようになっていた。
これはアウローラにいる全員が知っている、夜会の常識だった。
「結構早いスピードで飲みますね」
「……酒が好きでな」
「ヴィルハーツが言ってたよ、弟のガラハッドは酒好きでいくら飲んでも酔わないと」
「あいつは本当になんでも言いふらすな……」
先程は勢いよく飲み干してしまったワインを、今度はゆっくりと味わうように飲む。
アルファルドはそんなガトーの姿を見て、フフと笑う。
「飲み過ぎは身体に毒というよ、ガラハッド殿。 これからベネの側に居るのだから、身体に差し支えのないように」
「安心してくれ、毎日浴びるほど飲んでるわけじゃない。 こういう夜会の時しか飲まない」
それと、とガトーは付け加える。
「祝い酒くらい飲んでもいいだろう」
「ははは! それもそうだね。 僕とアルファルドはまだワインは飲めないけど、乾杯でもしようか? オレンジジュースでいい?」
「乾杯なら全てが終わってから、だな」
「と言うと?」
「始まった」
ガトーが気を引き締めるように前を見る。
そこには、壇上に上がる国王陛下とレグルス殿下の姿があった。
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