第十夜 夜会当日 〜煌星は想う〜
いよいよ夜会当日。
ベネトナシュは爽やかな朝を、目一杯楽しんでいた。 メイド達の朝の洗濯に混じって、大きな白いシーツを手でゴシゴシと洗う。
「お嬢様、なにもお嬢様が自ら洗わなくてもよろしいですのに」
「そんなこと言わないで。 こんなに天気の良い日だもの、こういう日くらいお手伝いさせて、ね?」
ベネトナシュのワガママに、メイド達は弱かった。 ベネトナシュは浪費癖もないし、メイドをいびる事もしない。 ワガママなど滅多に言わないので、こういうお願いは「仕方がないですね……」と言って良く聞き入れられていた。 当然、終わった後は手荒れがしない様に念入りにメイドや従者のコルが手入れをしてくれる。
ベネトナシュ自身、このメイドの手伝いはもはや日課の様なものだった。 こうやって一緒に何かをすると楽しいし、自分が知らない世間の流行を聞けて面白いのだ。
「それにしても、お嬢様はお優しくて女神様の様なお方です。 以前働いていたお屋敷のご令嬢は、メイドに厳しく当たったり、罵倒する事が普通でしたので……」
「そんな令嬢がいるの? とんでもないわね」
ベネトナシュが思わずそう口にすると、皆揃って頷く。 アルスハイル家のメイドと執事は、自ら辞めることは殆どなく、不当な理由で解雇される事など全くなかった。 あるのは、高齢になった者が引退する事と、結婚や怪我などで働けなくなった者が屋敷を去る事くらいだ。
給料も良いし令嬢や夫人、当主の人当たりも良いことから、アルスハイル家に仕えたいと言う者は多かった。 だが、それゆえにメイド長と家令の教育は他の屋敷とは桁違いに厳しい。
「ベネトナシュ様は珍しいのですよ。 一般的にご令嬢は、平民に見向きもしません。 何か不満があれば即座に解雇されるものです」
「まあ、一体誰が身の回りの世話をしているというのかしら……。 それにそんなに頻繁に解雇にしたり罵倒したりしていたら、繋がりが広いメイドや執事達の間で広まってしまうでしょう? 自ら自分達の首を絞めているとわからないのかしら」
「令嬢というものは、何も知らない甘やかされた存在だと皆が思われているのかもしれませんね。 最近流行りのロマンス小説でも、ヒロインを虐める悪役令嬢は皆、高飛車で高慢ですから」
メイド達の間でも、ロマンス小説は根強い人気を誇っていた。 ベネトナシュも前世でプレイした乙女ゲームのことを思い出す。 たしかに、あの悪役令嬢はすぐにメイドを使えないクズだの罵倒していた。 しかも平民だからと言ってヒロインのことも虐める。
「うーん、平民だからって虐めて良いものではないわ。 平民も貴族も、それ以前に一人の同じ人間なんだから」
水を絞り終わったシーツを六人で端を持って広げる。 結構な力仕事だが、これが楽しい。
「それとも、心からお慕いしていた誰かを取られたら、あんな風になってしまうのかしら……」
「まあ、遂にお嬢様も恋心を抱くお方が?」
「ふふ、残念ながらまだよくわからないの。 一度お母様に、恋とは何か聞いてみるべきかしら……」
ベネトナシュが苦笑いをしながら言うと、メイド達は皆少し寂しそうな、そんな顔をした。
アルスハイル家のメイドは皆、ベネトナシュの事を誇りに思っている。 幼い頃から、アウローラの星詠みの後継者としてたゆまぬ努力をし、次期当主と成るべく様々な教育を受けた。 幼少期から外で遊ぶ事も殆どなく、同い年の友人はアルファルドとカストルだけだ。
ベネトナシュは「勉強をせず外で遊びたい」とわがままを言うことなど一度たりともなかった。 それどころか、唯一の休みの日にはメイド達と混ざってシーツを洗ったり、紅茶を上手に淹れる勉強をしたり。
珍しく出掛けると思えば、騎士団に赴いて剣技を習いに行ったり……。
そう、とにかく休まないのだ。
それなのに、いっさいメイドに不平不満を溢すわけでも暴力を振るうわけでもない。 メイドの一人一人を気遣い、屋敷内ですれ違えば笑顔で話しかけてくれる。
そんな心優しいベネトナシュの事は、満場一致でこの屋敷のメイド、執事にとっての誇りであり宝であり、命を捧げて支えるお嬢様だ。
なので、ベネトナシュが婚約者問題で頭を悩ませている事に、メイド達は色々と複雑な思いを抱えている。
こんなに素晴らしいお嬢様であるのに、婚約者様がおられないとは! という気持ちと。
何もかもに優れた心優しい女神のようなお嬢様に相応しい婚約者を、我々が厳しく見極める! という気持ちである。
「あらベネトナシュ、今日は夜会でしょう? お手伝いもほどほどにしておきなさいね?」
と、皆で仲良くシーツを広げている様子を見てか、屋敷からエータがやってきた。
「お母様、おはようございます。 お洗濯が終わったら準備に入ります」
「そう? でもこんな時でもいつも通りなのが、貴女の良いところね。 洗濯後の肌の保湿はしっかりとね! 皆様、どうかベネトナシュをよろしくね」
女主人であるエータがそういうと、メイド達は一斉に口を揃えて「はい、奥様」と頭を下げた。
エータもメイド達には優しい。 時には厳しい声も掛けるが、それは立場的に必要な事だ。 暇な時はメイド達を集めて小さなお茶会だったり、一緒に刺繍をするのだから、仲が悪いなどあり得ない。
すると一人のメイドが閃いたように、あっと声を上げる。 そしてベネトナシュとエータを交互に見る。
「お嬢様、恋の事を知りたいのならば……。 奥様と旦那様の馴れ初めをお聞きになってみては?」
「まあベネトナシュ! 貴女も遂に……?! ふふふ、いいわ! たくさん聞かせてあげましょう! お茶をしながら話したいところですけれど、洗濯の方が大事ね。 母も一緒に手伝いながらお話しするわ!」
エータがドレスの袖を捲って、張り切ってシーツを取る。 洗い終わったシーツを広げて、シワを伸ばして、ロープに吊るす作業を行いながら、エータは夫のサリルとの馴れ初めを思い出すように話し始めた。
「貴女のお父様、サリル様とは家同士が決めた婚約だったわ。 初めてお会いしたのは六歳だったかしら。 小さな頃からあの方はうるさくて、今とあまり変わらない距離感だったわね」
「ということは、今のお父様をそのまま小さくしたのが、幼い頃のお父様……?」
「そうよ、うるさいったらないでしょう?
わたくしも最初はうんざりすることばかりで、アカデミーに通うまでは嫌な婚約だと思ったわ。 でも、アカデミーに通うようになって少し経った頃かしら。 あの頃は魔物が活発で、アカデミーに大きな魔物が紛れ込んだの。 大騒ぎになって、何人か襲われて負傷者が出たわ。
わたくしは逃げ遅れてしまって……、魔物に追われて『ああもうここで死ぬんだ』って思ったの。
そんな時に助けてくれたのが、サリル様だったわ」
エータはまるでその時に戻ったかのように、恋する乙女のように瞳を輝かせている。 ベネトナシュは母のその姿を見て、綺麗だなと思った。
「サリル様は昔から剣の扱いが飛び抜けて上手だったの。 もちろん、あの頃から魔力を使う魔法は扱えなかったわ。 それでも剣術は見事なものだし、あの時初めてわたくしの前で星の力を使って、星の魔法を見せてくださった。
美しいと思ったし、とても素敵な方だと改めて思いました。 いつも通りのあのうるさくて眩しい笑顔で助けて下さったサリル様に、わたくしはあの時からずっと恋をしています。 もちろん今も。 ベネトナシュ、貴女にもきっとそんな方が現れるわ。 必ずね」
「お話をしている間のお母様、すごくお綺麗でした。 キラキラしていて、素敵」
「そうね、恋ってねベネトナシュ、とても不思議なものなのよ。 その方の事を想うと、ドキドキもするけど力も湧いてくる。 勇気だって出てくるし、話していると心が温かくなれる。 なんでも出来そうな、そんな気がしてくる……。 なんだか魔法みたいでしょう?」
ドキドキしてきて、勇気が出てくる。
話していると心が温かく……?
ベネトナシュはそんな人物が思い当たるだろうかと、考える。 真っ先に出てきたのが、シアだった。 だがシアは女性で、彼女はレグルスに想いを寄せている。
やはり居ないな……。 と思った瞬間、昨日の出来事が思い浮かんだ。
美しい薔薇が咲き誇る庭で、自分に向かって跪く彼。 薄紫色の美しい髪と、いつものあの少し無愛想な澄ました顔。 話すと自然と心が温かくなる魔法使い。
「ち、違う! 絶対違うわ!」
「お嬢様、顔が真っ赤ですよ……? も、もしかして!」
「なに?! ベネトナシュ、貴女やっぱり!」
「違うわ! 絶対違うに決まっています! そんな、はずは……」
とうに洗濯は終わっていた。 ベネトナシュは真っ赤になった熱い頬を両手で隠すように覆って、何も言えなくなってしまう。
エータは初々しい娘の姿を見て嬉しそうに微笑んだ後、表情を引き締めて母親として伝える。
「ベネトナシュ、もし心に想っている方がいらっしゃるのだったらすぐにわたくしかお父様に言いなさい。 今年の冬まで待つと言う約束ですけれど、もしかすると早まる可能性が出てきたの」
「えっ?」
「スタレイン家を知っているかしら。 他国との貿易を行なっている伯爵家なのだけど、長男のフューリー様が熱心に貴女へ婚約の申し入れをしているの」
「……しり、ませんでした」
「……ベネトナシュ」
エータは娘を抱きしめた。
「貴女はいつも我慢ばかりしていて、わたくしもサリル様も気にしているの。 だからせめて、婚約者の事は貴女の自由にさせてあげたい。 でもね、跡継ぎ事もあるのよベネトナシュ。 貴女は子を産まなければいけないの、絶対に。 十六歳の、まだ結婚していない令嬢は少ないの。 周りからも当然異質な目で見られてしまうわ。 だからその周りが早く早くと言い立てているのよ。
お願いベネトナシュ。 貴女の精一杯のわがままを、どうか早めに言ってちょうだいね。 今までずっと我慢してきたんだもの。 どんなわがままだってわたくし達は聞き入れます。 だから……。 貴女が今想っている、その大好きな方と良い方向へいけるように、わたくしは願っているわ」
「お母様……」
母を抱きしめて、ベネトナシュは瞳を閉じる。
自分の想う人。 それが本当に彼なのか。
まだわからない、それともわかりたくないだけ?
ベネトナシュは彼のことを想い、一人悩むのだった。
10話です、よろしくお願いします