わたしの愛馬は凶暴です~ウマ娘の婚活事情。名馬を手に入れた没落貴族令嬢は、姉と共に舞踏会に向かう。狙うは王国最強のイケメン騎士。恋愛ダービーに勝利して、結婚を勝ち取るのはどっち?~
「スカーレット。あなたが馬だったらよかったのに」
姉の嫌味も、一向に気にならない。なぜなら、スカーレットも同意見だったからだ。姉の言う通り、かなうなら馬として生まれてきたかった。貴族社会のしがらみから逃れて、自由に野山を駆け巡ることができればどんなにすばらしいだろうか。
北方に広大な所領を有するシャダイ男爵家の次女スカーレットは、馬が好きだった。愛していると言っていい。素直で従順。世話をすれば、その分必ず答えてくれる。走るためだけに作られた、一切の無駄を省かれたそのたたずまいは、この世で最も美しく、気高い生き物だ。
落ちぶれ男爵家のウマ娘といえば、近郷では知らぬ者はいないほどに有名であった。年頃の貴族の娘がおめかしをするでもなく、馬の世話をし毎日のように遠乗りに出かける姿は領内でも変わり者で知られていた。
「お父様も妹なんて拵える暇があったならば、馬の一頭も買ってくれればよいのに。馬の世話しかできない役立たずなんて、男爵家の面汚しだわ」
日々、馬とたわむれる妹に向かって、姉のアグネスはことあるごとにそういってなじるのであった。馬は財産であり、どれだけ多くの馬を抱えているかでその家の財力を示す指標である。かつて、隆盛を極めた男爵家の栄華も今は昔。今の男爵家には葦毛の牝馬、一頭を養うのが精いっぱいであった。
「せめてあと一頭、馬があれば。二頭あれば馬車を仕立てることができるもの。そうすれば、馬車にのってお城の舞踏会に行けるのに」
貴族の娘たちにとって、お城の舞踏会に行くのは夢であり目標であった。独身貴族たちが集う舞踏会は、男女の出会いの場でもある。すでに嫁き遅れと呼ばれる年齢にさしかかったアグネスは、一刻も早く社交界にデビューしようと焦燥をにじませていた。
「舞踏会に行くことさえできれば、かならずや理想の殿方の心を射止めて見せるのに。地位と財のある殿方を婿として迎え、このシャダイ男爵家もかつての栄華を取り戻すことができるのに。それなのに、ああ! 憎むべきはこの貧乏暮らし。なぜこの家にはこうもお金がないのかしら?」
「我が家の家計を苦しめている主な要因は、お姉さまの浪費癖です」
身勝手な想像を膨らます姉に対して、スカーレットはこう切り返すのが常であった。
「馬が欲しいのならば、もう少し節制なさればよろしいのではなくて。お姉さま? “馬に乗れなければ牛に乗れ”というではありませんか。宝石だのドレスだの、無駄遣いをやめれば、もう一頭馬を買うくらい、なんてことないのに」
「まあ、なんてことをいうの! スカーレット。“衣馬軽肥”というでしょう。貴人には貴人としてふさわしい装いというものが必要なの。あなたのようにみすぼらしい乗馬服姿でうろついていては、男爵家の沽券にかかわるわ」
そもそも、舞踏会に行けないのだから見せる相手もいやしないだろうに。まさしく“馬を買わずに鞍を買う”ようなものである。かくして姉は男爵家の貯えを無駄に食いつぶしてゆくのであった。
生まれたときから毎日のように喧嘩を繰り返この姉妹は、文字通り“馬が合わない”のであった。
§
貧乏と姉の嫌味に耐え忍ぶ生活の中。スカーレットにとって唯一の楽しみといえば、年に一度行われる馬市だった。“天高く馬肥ゆる秋”。酷暑を超え、空気が冷え込むと馬にとって最もすごしやすい季節になる。毎年秋になると、国内のあちこちで馬市が立つ。その国その国の軍事力は、馬によって決まるといってよい。戦争になれば、質の良い馬を、より多くそろえた国が勝利する。そのため、護国の象徴たる貴族たちは、競って良馬を求め馬市に集うのである。
もちろん、男爵家に新しく馬を購入する余裕はないのだが、馬を見ているだけでもスカーレットは幸せだった。馬と一口に言っても、さまざまである。大地を思わせる力強さをしめした茶褐色の鹿毛。新雪のごとき澄み切った白い毛並みの葦毛。やわらかな日差しを受けて輝く栗毛。様々な表情を見せる馬たちは、眺めているだけで心が和やかになる。
多くの“野次馬”に交じって馬市を散策していると、やがてスカーレットは一頭の馬に目を止めた。闇よりなお深い黒をたたえる青鹿毛。つややかな毛並み。額から縫うように描かれた白い模様は、さながら夜空を伝う一条の流星であった。
「まあ、なんて素敵なお馬かしら!」
一目見て、スカーレットはその馬を気に入ってしまった。もっとよく見ようと近づくと、背後から馬商人が引き留めた。
「そいつに近づいちゃ危ないよ。お嬢さん」
「まあ、なんで? こんな素敵なお馬ですのに、もっとよく見せてくださいな」
「見てくれに騙されちゃあいけないよ。その馬はおそろしく気性が荒いんだ。何しろ生まれてすぐ、おっ母さんの腹の中から自分を取り上げた牧童を嚙み殺そうとしたってんだから、その凶暴さは推して知るべしさ」
「まさか、それ本当なの?」
「本当だともさ。幸い、まだ歯が生えそろってなかったんで、牧童は死なずに済んだがね。それ以来、こいつは近づく人間は男だろうが女だろうが、見境なく噛みつこうとしやがる。“嚙む馬は終いまで噛む”というが、いちど噛み癖がついちまうと、一生治らねぇのさ。おかげで、手綱も鞍も取り付けられねえ。なんとかここまで連れてきたんだが、買い手なんかつきやしねえ。乗馬としては使い物にならねぇんで、いっそ肉屋に売りつけようとでも思っているところよ」
「そんな、お肉屋さんに売るなんて! そんなかわいそうなことをしては駄目よ」
「そんなにこの馬が気に入ったって言うのなら、お嬢さんにくれてやるよ。どうせ売り手なんか見つかりゃしねぇんだ。持って行ってくれるっていうんならこっちとしても御の字さ」
「本当!? ありがとう! おじさん」
「どういたしまして、お嬢さん。ただし、今ここでお嬢さんがこいつに乗って帰ってくれるっていうのが条件だがね。馬運車で運ぶなんてしたら、車ごとひっくり返されちまうからね。お嬢さんの家がどこにあるか知らないが、馬小屋まで運ぶなんて、御免被るぜ」
「大丈夫。わたし、馬の扱いにはなれているの。“蹴る馬も乗り手次第”というじゃない。かならず乗りこなして見せるわ」
馬商人に礼を言うと、スカーレットは馬に駆け寄った。先ほどの馬商人の話を聞いていなかったかのように、無造作に手を伸ばし馬に触れようとする。すわ噛みつこうとするかと思いきや、馬はされるがままスカーレットの手に身をゆだねたのであった。
「さあお馬さん。今日からあなたは私のものよ」
そういって首をなでてやると、黒い馬は気持ちよさそうに目を細め、スカーレットに頭をこすりつけてきた。幼子のように甘えるその姿に、馬商人は仰天する。
「ややっ! こいつはどういうこった!? “人食い馬にも合口”というが、まさにこのことだ。こいつはお嬢さんのことを気に入っちまったようだぞ」
頭を下げたところを見計らって、スカーレットはひらりと馬の背に乗った。裸馬の背にまたがって鬣をつかむと、馬の脇腹に蹴りをいれると、馬は駆け出した。
「はいよーっ!」
“鞍上人なく、鞍下馬なし”。見事な馬さばきを見せると、スカーレットを乗せた馬は砂埃を立てて走り去ってしまった。
「まったく、たいしたお嬢さんだよ! まんまと馬一頭、もってかれちまった。ありゃあとんでもない“じゃじゃ馬”だ」
§
馬を連れて屋敷に戻ると、スカーレットは早速、姉のアグネスに報告した。
「お姉さま! 馬を手に入れてきました」
「なんですって。スカーレット?」
「念願の二頭目の馬ですよ。これで馬車を仕立てることができます。お城の舞踏会に行けますよ」
「どれ、みせてごらんなさい。まあなんて醜い馬かしら」
喜ぶものと思いきや、偏屈物の姉は一目見るなりスカーレットの連れてきた馬にケチをつけ始めた。
「よりにもよってなんで青鹿毛なんてもらってきたのよ。うちの馬は葦毛なのよ。左右で色違いの馬でお城にいったら、きっと笑われてしまうわ」
ぶちぶちと文句を言いながら近づくと、アグネスは馬の口を覗き込んだ。
「およしになって、お姉さま。“もらい物の馬の口をのぞくな”というじゃありませんか。貴族のすることではありません」
「だまらっしゃい! スカーレット。我が家に老いぼれ馬を養う余裕はないのよ。歯並びを見れば、馬の年齢がわかるというもの。さあお前、口を開けて見せてごらん」
そういって唇をめくろうと伸ばしたアグネスの手を、すかさず馬はがぶりと噛みついた。
「きゃあっ! なんてことをするの、この駄馬!!」
「やめなさい、そんなの食べたらばっちいわ。あとでニンジンを上げるから、離してあげて」
そういって、スカーレットが命じると、馬は素直にアグネスの腕を嚙むのをやめた。
「なんてしつけのなっていない馬なの!」
「お姉さまが悪いのよ。馬は賢い生き物ですもの。言葉はわからずとも、侮辱されていることに気が付いたのでしょう」
「わたしはこんな馬に乗ってお城に行くなんてまっぴらごめんよ。馬車から突き落とされたらたまらないわ」
「お姉さまがそういうなら仕方ありませんわ。“馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない”お城には私一人で行きます」
「あなたが行ってどうなるというの! 仕方がないわね。わたしもお城について行ってあげます」
さんざん文句をつけながらも、結局お城に行きたいらしい。かくして妹の“尻馬”に乗って、姉妹は舞踏会へと向かうのであった。
§
秋口から春にかけて、貴族社会は社交の季節に入る。農閑期の暇な時期、貴族たちは領地を離れ、王城に集う。この社交シーズンになると、お城では夜ごと舞踏会が開催される。貴族たちにとっては交流の場であり、特に独身男性にとっては未来の伴侶を探す、見合いの場でもあった。
「まったく、くだらん!」
その日、舞踏会には王国最強の騎士として知られるデムーロ卿の姿があった。デムーロ家は代々王家に仕える名門である。デムーロ卿は眉目秀麗な若者であったが、武芸一筋の無骨ものであり、こういった軽佻浮薄な社交の席は苦手であった。舞踏会だというにもかかわらず、ご婦人たちの誘いから逃げ出すと、バルコニーから着飾った貴族たちの姿を苦々し気な瞳で見つめていた。
「“生き馬の目を抜く”この戦国の世。舞踏会などにうつつを抜かすなど、退廃の極みだ。じつにくだらん」
「そうおっしゃいますな、若様」
若きデムーロ卿の傍らには、年老いた家令が控えていた。長年にわたり“犬馬の心”でデムーロ家を支えてきた忠臣は、血気盛んな若殿をやんわりといさめる。
「社交も騎士の務めでございます。若様もよい年ごろ。存分に戦働きをするためにも、細君を娶って、お世継ぎをもうけていただきとうございます」
「そうは言ってもな、爺。碌な娘がおらんではないか。どの娘も、見てくれだけは立派だが、肝心の中身の方が伴っていない。たとえばほら、あの馬車を見るがいい」
そういうと、バルコニーから一台の馬車を指さした。おそらくは姉妹なのだろう。門前に到着したばかりの馬車から、よく似た二人の女性が下りてくるのが見える。
「左右で馬の色が違うではないか。ドレスだけはよいものを着ているようだが、まともに馬もそろえることもできんと見える。いったいどこの貧乏貴族だ?」
「あれは、シャダイ男爵家の御姉妹のようですな。おや? 若、あの馬をご覧ください」
「葦毛の牝馬がどうかしたか?」
「いいえ。青鹿毛の牡馬の方をご覧ください。間違いありません。あれは『日曜の静寂号』の血統に連なる馬とお見受けいたします」
「なんだと? あの伝説の名馬か!?」
「はい、若様。気性が激しく、乗り手がおらず、血統が途絶えたと聞いておりましたが、まだ残っていたとは」
“千里の馬も伯楽は常に合わず”。馬丁から始め、使用人頭にまで上り詰めた老執事は、名馬の素性を一目で見抜いた。
「私も長らく騎士家にお仕えしておりましたが、あれほどの名馬、見たことがありません。それを“馬車馬のように働かせる”なんて。貧乏貴族なんてとんでもない。余程財のある家とお見受けします」
「それほどの名馬ならば、ぜひ当家のものにしたいものだ。爺、どうすればよい?」
「あれほどの名馬。譲れと言われて素直に譲るはずもございますまい。“人を射んと欲せば先ず馬を射よ”と申します。逆もまた真なり。幸い、男爵家には娘が二人いるだけと聞き及んでいます」
「つまり、シャダイ男爵家の娘を妻に娶ればよいのだな?」
「左様。首尾よく縁談をまとめることができれば、持参金として馬もついてくるという道理でございます」
「そいつはいいな! “老いたる馬は道を忘れず”。爺の言うことに間違いあるまい。早速、あの娘に求婚してくるとしよう」
言うが早いか、“駆馬に鞭”。デムーロはバルコニーを駆け下りた。
§
北方にあるシャダイ男爵領から、姉妹を乗せた馬車はようやく城についた。
「ほら、早くなさいな」
先に馬車を降りると、アグネスはスカーレットを振り向いた。
「せっかく貸してあげたドレスを汚さないで頂戴」
「だったら急かさないでくださいまし。お姉さま」
舞踏会用のドレスに悪戦苦闘しながら、スカーレットは馬車を降りる。乗馬服と違い、裾の広がったスカートは勝手が違う。
「なんて歩きづらいのかしら、このドレス。本当にこんな服を着て踊れるのかしら?」
「まったく、いい年をしてドレスも着こなせないなんて、それでも貴族の娘なの。“馬子にも衣装”とは言うものの、着飾ったところで馬子は馬子。せっかくのドレスも、あなたが着ては台無しだわ」
お得意の嫌味を言うと、アグネスは高笑いを浮かべた。
城の門前で人目もはばからず喧嘩を始める姉妹の元に、一人の騎士が駆け寄った。デムーロ家の若殿は、一目散に姉妹の元に駆け寄ると、前置きなしにアグネスに求婚した。
「お嬢さん、私と結婚してください!」
「は?」
“馬鹿正直”も過ぎればただの馬鹿。元々、武芸一辺倒の騎士であったデムーロは、女の扱い方など知らずに生きてきた。当然のことだが、このぶしつけなプロポーズは、アグネスの不興を買った。
「まあ、なんて無礼な人! 卑しくも男爵家の娘がどこの“馬の骨”とも知れない男のプロポーズなんて誰が受け入れるものですか」
「そうですか。それでは仕方がありません。では、そちらのお嬢さんはどうですか?」
あっさりとあきらめると、デムーロ卿は隣にいたスカーレットに向き直った。
「私としては、結婚してくださるのなら御姉妹のどちらでもかまいません。さあ、私と結婚しましょう、お嬢さん」
「はい」
おそらくこれ以上ないほどに最低のプロポーズだったが、スカーレットは二つ返事で受諾してしまった。
「なんてこと、スカーレット! こんな男のプロポーズを受けるなんて、正気だとは思えないわ」
「だってお姉さま。“馬には乗ってみよ人には添うてみよ”というではありませんか。これもなにかのご縁ですもの。きっと良い人に違いありません」
「そんなことあるものるものですか。きっと我が家の財産をだまし取ろうとたくらんでいるに違いありません。そのうち“馬脚を現す”に違いないわ」
「こんな立派な騎士様に、たくらみなんてあるはずないわ。お姉さま。そもそも我が家にはだまし取られるような財産なんてないじゃないですか。持っているものと言えば、この二頭の馬ぐらい。いったい、どんなたくらみがあるというの?」
恋は盲目。姉の忠告も“馬の耳に念仏”である。降ってわいた縁談に、スカーレットはすっかり乗り気であった。これには姉のアグネスも大いに慌てた。よりにもよって男爵家の長女が、妹のウマ娘に先を越されるなんて、あってはならぬことであった。
「妹の分際で、姉を差し置いて結婚するだなんて許せるものですか。お父様に言って、この婚礼を破談にしてやるんだから! さあ、すぐに帰りますよ」
早速、領地に帰ろうと馬車に近づいたその時、青鹿毛の馬が動いた。ひひんと、一声いななくと、後ろ足でぱかんとアグネスを蹴り飛ばす。
「あーれーっ!」
悲鳴をたなびかせて、アグネスは地平線の彼方へと消えていった。
まさしく“人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまえ”である。
読んでいただきありがとうございました。
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