ナースステーション
涙を拭き、鏡の前で笑顔の練習をしてから、小暮はナースステーションに向かった。壁時計は二時を指している。今日はあまり忙しくないらしく、多少なら雑談も受け付けてもらえそうだった。
「あの、山村さん」
山村はデスクワークに集中していたようで、小暮が後ろから声をかけると、びっくりしたように振り返った。
「あら、小暮君。笈川先生と一緒じゃないの?」
「今から行きます。その前に、山村さんに訊きたい事があって」
「どうしたの、そんな真っ赤な目して」
彼女は笑いじわを作り、屈託なく笑った。五十近いにもかかわらず、少女のような可愛らしさがある。
「いやこれは、あの、目が痒くってこすりすぎちゃって。それより六宮さんのことなんですけど……運ばれてきたときのこと、覚えてます?」
「ああ、あなたも私も当直だったわよね。すごく暴れて、それで笈川先生が注射を……だからかしらねえ……」
笈川が失明したことを思い出したようで、表情が翳る。
「救急隊員さんのこと、覚えてますか? あの、自治隊に逮捕されちゃった人」
「あの人も可哀想よね。院内じゃ自治隊の悪口なんて、隠れてみんな言ってるわよ。嫌なものを嫌って言うことくらい、人間に許された罪のないことよ」
「あの日の当直メンバーの中で、あの救急隊員さんと面識のある人がいたかどうかって分かりますか?」
「面識くらいあるわよ、ああやってときどき来るんだもの。ただ、名前は覚えてないんだけど……ああ、笈川先生なら知ってるはずだわ、知りたいなら訊いてみて」
「笈川先生が?」
「だってお知り合いなんでしょ? よく行ってる飲み屋の常連同士だとかで。彼は先生よりもだいぶ若いみたいだけど」
小暮は苦々しい表情をした。山村の話は、予想はしていたものの、望まない答えだったのだ。
「最後にもうひとつ、良いですか。あの日の当直メンバーで、他にあの救急隊員さんと親しかった方はいましたか」
「訊いてみないと分からないけど、多分いないと思うわよ。だって、みんな気にかけたことすらないもの。小暮君だってそうでしょ? 私たちがお喋りしてても、患者さんたちのお話はよくするけれど、救急隊員のお話は出ないわねえ」
「……そうですか。ありがとうございました」
軽く頭を下げ、足早にナースステーションを後にする。陰鬱と言う言葉がぴったりの顔だ。
山村は首をかしげながらも、再びデスクワークに戻った。