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精神科救急外来

「可愛い子が入ったねえ」


 救急隊員たちに両脇を抱えられながら絶叫する患者を見たときの、笈川の第一声だ。

 三十代半ばの男性医師で、いつもどこか笑っているように見える。

「先生、のん気なこと言ってないで。それと、この方男性ですよ」

 小暮が呆れ顔で救急処置室に入っていく。眼鏡の奥で生真面目そうな大きな目が輝いていた。笈川はあせる様子もなく、両手を白衣のポケットに突っ込んだまま、あくびをしながら小暮に続く。

 夜の一時過ぎだ。当直でなければ、とっくにエアコンを効かせた寝室で熟睡しているはずの時間である。後頭部を掻きながら、のんびりと呟いた。

「まあ、むさい男よりゃ良いか」

 男性患者は細く女性的な四肢をしていたが、あまりに暴れるため、ヘルメットをかぶった男性救急隊員が二人がかりで押さえつけねばならないほどだった。

 白い処置室には様々な機材が並んでいる。三台の滑車付きベッドがその中央にあり、抑制帯と呼ばれる帯状の拘束具が備え付けられていた。三人の女性看護師と研修医の小暮が男をベッドに押さえつけ、なんとか抑制帯を装着させようとしている。

「離せ、死ね、裁きを受けろ! 離せえええええええええええ」

「おうおう、元気良いねえ。元気な子は好きだよ」

「先生、いいから早く手伝ってくださいよっ!」

 男に怪我はない。この大阪府精神科医療センターは通常の救急病院ではなく、日本でも数少ない精神科救急の外来を持つ病院だ。

「酒はやってないな」

 笈川は拘束された男のにおいをかぎながら、近くにいた救急隊員に目を向けた。

「腕に注射跡もなかったし、薬でもなさそうです。なにしろ暴れるんで、見落としがあるかもしれませんが」

「飲んだりスニったりって可能性もあるからなあ」

 スニッフとは、鼻から掃除機のように薬を吸引することを言う。効き目は注射器による摂取よりは劣るが、経口摂取に比べれば効果的だ。

「で、身元も何にも分かんないの? 状況は?」

「それが、テレビ局にいきなり押しかけて叫び始めたらしいんですよ。しかもその内容が、自治隊非難」

 自治隊とは、この大阪府に置かれた自衛隊のようなものである。前任の大阪府知事が強力かつ強引に地方自治を進めたことで、大阪府は、日本国の中に浮かぶ独立国のような存在となった。日本政府では成し得ないであろう画期的な条例が制定され、見る間に活気付いて、若者たちはこぞって大阪に流れ込んだ。

 しかし、その結果起こったのは異常なまでの治安悪化だった。

 麻薬。銃器。殺人。大阪はアメリカのスラム街のような様相を呈し、悲鳴や銃声を耳にすることは日常茶飯事となった。そこで結成されたのが、大阪専用の特殊治安部隊『自治隊』である。

「レジスタンスかな?」

 小暮が口を挟んだ。

「彼らはバカじゃありません、単身でテレビ局ジャックなんてことはしないでしょう。やるなら、勝てる見込みのあることをします」

 にべもなく却下されて、小暮は肩を落とした。

 レジスタンスとはその名の通り抵抗組織のことで、ここでは大阪府、とりわけ自治隊に強く反発した武装勢力をさしている。一部の右翼団体、噂では日本政府からも隠密裏に援助を受けているようだが、反乱の成功例はない。肉体的・精神的には、所詮『ただの一般市民どまり』だった。

「よくその場で自治隊に射殺されなかったな」

 笈川は目を患者に向けたまま、救急隊員との会話を再開させる。

「テレビ局ですからね、自治隊に踏み込まれて、銃やら何やらで大切な機材を壊されたくなかったんでしょう。その点、救急隊を呼べば穏便にカタが付きますから。自治隊非難は揉み消されて、お咎めも無しです」

「大阪じゃ精神病者も健常者も一緒くたに裁かれるからな」

「実際、誰だって好き好んで自治隊なんかに接触しようとしませんよ。あれならヤクザの方がましですね、彼らには心がありますから。……おっと」

 思わず救急隊員は部屋を見回した。条例の中で、自治隊批難は重罪と定められている。その場にいた全員、未だに叫びながら体を揺する患者も含め、誰も彼を咎める者はなかった。

 自治隊は、最悪だった大阪の治安を急速に回復させた。しかし一方では、その過激なまでの手法と強い権力で、多くの府民はもちろん、日本政府からも反感を買っていた。

「おしゃべりはこの辺にしましょう。彼は六宮俊太郎、財布の中に大阪大学の学生証を持っていました。ただ、期限は七年前に切れてます。今のところ手がかりはそれくらいですね。――それじゃ、オレたちはこれで」

「うん、ご苦労さん」

「みなさん、今の……自治隊なんかに密告したりしないでくださいよ」

「そんな面倒くさいことするかよ」

 笈川が苦笑すると、救急隊員は安心したように去っていった。小暮はどうしていいのか分からないようで、ぎこちない様子で男に話しかけている。

「あ、あの、お名前ですけど、教えてもらえませんか」

「死ね、一秒も目を離すことなく私を監視し続ける悪魔の手先め」

「あの、じゃあお仕事は何を……」

「死ね死ね死ねえええええあああああああああああああ」

 めいっぱい伸びた抑制帯が、ぎちぎちと不安げに軋んだ。小暮は丸い目を更に丸くしながら、唇をぎゅっと結んでいる。さっきまで血色の良かった顔はすっかり青ざめていた。

「六宮さんね、さっき学生証見せてもらったよ。阪大卒かあ、頭良いんだねえ」

 笈川は小暮の肩を叩くと、入れ替わるように六宮に話しかけた。

「六宮さん、スマホ持ってないよね。独り暮らしかな? ご家族に連絡して来て貰いたいんだけど」

「自治なんて建前だ、地獄だ! 死ね、悪魔が統一している、造物主を殺せ!」

「自治隊が嫌だったんだ? で、テレビ局で何か喋ろうと思ったのか」

 六宮の表情が、わずかに緩んだ。

「そう……そうです、神託がありました。このまま放っておけば大阪は、日本は悪魔に飲まれると」

「悪魔ってのは、自治隊のこと?」

「自治なんかじゃない、独裁だ、あいつらはすでに盲目の神との契りを終えている! このままじゃ潰されるぞ! 潰される! 潰れるうううううううううううう」

 再び、六宮の抑制帯が軋んだ。笈川はいつも通りの柔和な表情のまま、看護師に右手を差し出す。

「ハロマンス10、ロヒプノール0.2」

共に精神科でよく使われる薬だ。落ち着かせ、眠らせることが出来る。

「あの、いきなり注射しちゃっても大丈夫ですか? 飲んでくれるか聞いた方が……」

 小暮が言うと、笈川は顎を掻いた。

「それで"ハイ飲みます"なんて答えると思うか? 早いところブチ込まなきゃ、このカワイコちゃんは治療する前にパクられるよ」

 言いながら、六宮の腕に針を刺す。

「うあああ、やめろ、毒だ、毒があああああ!」

「すぐに眠くなるからな。そしたら、外に声が漏れない良いところに連れてってやるから」

「先生、なんとなく言い方がやらしいです」

「そりゃお前の心がやらしい証拠だよ」

「……他の先生と当直したかったです」

「残念なことだ。おまえじゃなくて、そんなことを言われたオレが」

 結局六宮は、閉鎖病棟に運ばれていった。

 ロヒプノールで眠った彼を、笈川はいつになく思案げな表情で見ていた。


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