67 一歩前進です
敦子と玉山のふたりは、動物園を出て急いで車に乗り込んだ。敦子は、先ほどの衝撃でまだ手や足ががくがく震えていた。
敦子の震える手に玉山の大きな手が重なった。思わず玉山を見れば、敦子を握る手に少しだけ力が入った。
玉山の顔色も先ほどの出来事のせいかそれほど良くなかったが、それでも敦子の気持ちを少しでも落ち着かせようとしてくれている。
そんな玉山を見ているだけで、敦子の心も先ほどよりだいぶ落ち着いてきた。手や足の震えもいつの間にか収まっていた。
「さっきはすごかったね。あの動物たち」
玉山はわざと何でもないかのように笑顔で言おうとしたようだが、少し表情が硬かった。
「ほんとですね。びっくりしました」
敦子も軽く言ったつもりだったが、少し顔がこわばっているのが自分でもわかった。
「ここをまず出ようか。それから考えよう」
そういって玉山は車を出した。
だいぶ走ったところで、コーヒーチェーン店が目に入りそこに入ることにした。
ふたりが店に入ると、幾人もの人たちがこちらに視線を向けたが、今の二人にはそんなことは全然目に入らなかった。
ふたりともコーヒーを注文する。
「どうしてあんなことが起こったんだろうね」
コーヒーを飲みながらつぶやくように玉山が言った。
「そうですね。今まで動物にあんな反応されたことなかったので、正直びっくりしました」
「僕もなかったよ。でもなんか理由があるはずなんだ」
玉山は何か考えるように言った。
敦子は、この前実家に帰った時林の知り合いの郷土史家からもらったノートの話をした。それと実家から出てきた巻物の話も。
そして巻物に書かれている人物を撮った画像を玉山に見せた。
「これ竜也さんに似てません?」
そういって玉山に画像を見せると、玉山は食い入るように見ていた。
「ほんとに似ている。自分で言うのもなんだけど」
それからノートも見せた。
玉山はノートを受け取り、一ページずつゆっくりと読んでいった。
そしてすべて読んでしまうと、ノートを敦子に返しながら言った。
「この最後の方のページにある『ふたりに』って誰なんだろうね」
そういいながらもなんとなく玉山は誰かを想像したようだった。
敦子もなんとなく想像していることがあった。
いつの間にか時間はお昼になっていた。ずいぶん話し込んでしまったようだ。
そこでコーヒー店でお昼として軽く食事も注文した。
敦子も玉山も、考え事をしながら食べたせいか会話がなかった。
食べ終わるとそのコーヒー店を出た。
車に乗り込みアパートに戻ることにする。
運転しながら玉山が言った。
「今日夕食あっちゃんちでごちそうになってもいい?」
「いいですよ。じゃあ買い物してくるので、時間は6時ごろでもいいですか」
「ありがとう。じゃあ僕はちょっとそれまで出かけてくる」
「はい。待ってますね」
車がアパートにつき、ふたりはそこで別れた。
敦子は急いで買い物に出かけた。まだ時間は2時前なのでじゅうぶんに間に合う。
いつも行くスーパーに行って買い物をしていると、今日は試食売り場におばちゃんがいた。
遠くからでも敦子がわかったようで声をかけてきた。
「あらっ、今日はご主人と一緒じゃないの?」
今日もずいぶん残念そうだった。
「はい」
敦子が返事するためにそばに行くと、試食売り場のおばちゃんはなぜか敦子の顔をよ~く見てきた。
あまりに敦子の顔を見ているので、敦子が何か言おうとするとおばちゃんが言ってきた。
「ちょっと見ない間にきれいになっちゃって。やっぱりあんなかっこいいご主人と一緒にいるときれいになるのねえ~。幸せが体全体ににじんでるみたい」
おばちゃんは、自分でいい表現だといわんばかりに何度も言ってきた。
敦子は、それを聞いてふと思い出した。
最近自分に起きていることを。
急に真剣な顔つきになった敦子を励ますかのようにおばちゃんは言った。
「幸せになるのよ」
敦子は、その言葉を聞いてノートの言葉をふと思い出した。
おばちゃんが売っていたソーセージを一つかごに入れて敦子は買い物を続けた。
部屋に戻り、急いで料理に取り掛かった。
すべてが終えたのは、ちょうど6時前だった。
かたずけを終えた時チャイムが鳴った。
玉山だった。
部屋に通すと玉山は、箱を敦子に渡してきた。
「これっ、今日のデザートに」
渡されたのは、この前も食べたあのシュークリームだった。
「ありがとうございます」
敦子は、玉山を座らせて皿を並べていった。
お昼が軽かったせいか敦子はお腹が空いていたが、玉山はどうだろうかと思っていると玉山が言った。
「お腹が空いているから、楽しみだよ」
ふたりで食事をした。
玉山も自分で言っていた通りお腹が空いていたらしく、今日はご飯もおかずもお代わりをした。
いつものようにふたりで片づけをして、敦子はデザートお皿とコーヒーを用意した。
箱から出したシュークリームは中にずっしりとクリームが入っているようだ。
ふたりデザートを食べ終わり、敦子がコーヒーを飲んでいると、急に玉山が改まった表情をした。
「あっちゃん、今度の土曜日あっちゃんの実家近くの滝とあっちゃんの家にある巻物を見せてほしいんだ。いいかな。それとついでじゃないけど、あっちゃんのご両親に挨拶させていただきたいと思ってる」
玉山はそういうと今度は顔を真っ赤にさせて敦子を見つめてきた。
「あっちゃん、僕と付き合ってください」
敦子は、不意にそういわれて飲んでいたコーヒーを玉山に吹きだしそうになってしまった。
「げっほっ げっほっ」
敦子はコーヒーを吹き出すのを我慢したせいでむせてしまった。
「あっちゃん大丈夫?」
玉山が敦子のほうに急いで駆け寄ってきてやさしく背中をさすってくれた。
敦子はもう一度ゆっくりコーヒーを飲んた。
少したつとむせはおさまり玉山は元の席に戻っていった。
「ごめん、急に言って驚いたよね」
「いえ、すみません。こちらこそ、こんな時にむせて」
敦子もさきほどの玉山の発言を思い出して、顔から火が出るほど赤くなってしまった。
それとは反対に、玉山は敦子がむせて驚いたせいか顔色は元に戻っている。
「で、どうかな」
「こちらこそよろしくお願いします」
敦子は玉山に了解の返事を出したが、恥ずかしさのあまりどんどん声が小さくなってしまった。
「よかったぁ。うれしいよ!」
玉山は敦子の言葉を聞いて、はじけたようなうれしさを隠しきれない様子でいってきた。
その顔と声で敦子は余計赤くなってしまったのだった。
ただそのあと冷静に戻った玉山が、実家に戻った時の林の話やこの前ビルの前で会った男の人の事を尋問のように詳しく聞きだし、敦子は真っ赤な顔から今度は真っ青な顔になるのであった。
玉山は敦子から、林に恋人ができたことやあの男の人の名前も知らないことを敦子から聞いて、やっと笑顔に戻った。
「自分では今まで気づかなかったけど、どうやら僕はすごく嫉妬深いのかもしれない」
玉山が真顔で言った言葉に、敦子はうれしい反面先ほどの尋問を思い出し少しだけ怖くなったのであった。
あとふたりで敦子の実家に行くことも決まった。
「明日は会社に出ることにするよ。来週土日には絶対休みを取るからね!」
玉山は嬉しそうにそういった。
そうして敦子は、玉山と今度の土曜日に実家に行くことになり、玉山が帰った後も敦子は両親に何て言おうかとずっと考えていたのであった。