48 百貨店に行きました
「今から百貨店に行ってもいいですか」
「いいよ」
ふたりは手をつないで百貨店に行った。
先ほどのホラー顔の敦子を見たはずなのに、後ずさりもせずにこうやって手までつないでくれる玉山に心の中で感謝した。
敦子は紳士服コーナーに向かった。
手をつないでいる玉山もおのずと紳士服コーナーに行くことになった。
敦子はネクタイ売り場まで来ると、玉山にいった。
「いつもごちそうしていただいているのでお礼がしたいんです。ほんとは私がネクタイを選んでプレゼントしたかったんですけど、好みがわからないので一緒に選んで下さい」
家族以外の男性に贈り物などしたことのない敦子は、恥ずかしくてつい早口で言ってしまった。
玉山はといえばはじめぽかんとしていたが、すごくうれしそうな表情になり敦子をじっと見た。
「いいの?ほんとにもらって。けどうれしいなあ」
あまりに嬉しそうに言うので、敦子はホストに貢ぐ女の人の気持ちが今ならわかる気がした。
あの顔を見てしまうと、ネクタイの一本といわず二本でも三本でもあげたくなってしまった。
そうして二人で選ぶことになった。
敦子はまず目についた無難なストライプのネクタイを手に持った。
「これどうでしょう」
玉山がそれを見て受け取って、鏡の前で見ようとした時だった。
「どうかな」
「お決まりでしょうか」
玉山の声とこちらにやってきた店員さんの声が被った。
店員さんは後ろからやってくると、鏡に映る玉山の顔と玉山が手に持っているネクタイを見ようとして固まった。
目がこれ以上ないほど見開かれて、鏡の中の玉山を凝視している。
しばらくしてやっとこちらの世界に戻ってきたようだった。
「それもお似合いですが、ちょっといくつか持ってまいりますね」
そういうが早いか店員さんは、ダッシュしてほかのネクタイを取りに行った。
思わず敦子と玉山がふたり、声も出せずお互い顔を見合っている間に店員さんは戻ってきた。
息を切らして何本ものネクタイを手に抱えている。
玉山からさっと敦子が選んだネクタイを取り上げると、ショーケースの隅に置いて自分が選んだネクタイを次々に玉山に進めてきた。
玉山がひとつひとつ鏡で見ていくと、店員さんはうんうんとうなづいて玉山にじりじりと接近していった。
「どう?」
玉山が接近してくる店員さんを避けるように、敦子のほうに寄ってきて聞いてきた。
すると敦子が返事をするより早く、店員さんが言った。
「では他のも見てまいりますね。ちょっと待っててくださいますか」
鼻息も荒く店員さんはまたダッシュしていってしまった。
敦子がその様子をぼ~と見ていると、ちょっと離れたところで同じようにネクタイを見ているカップルがいた。
男の人がネクタイを選んでいると、その男の人が手に取ろうとしていたネクタイを、店員さんがさっとつかみこちらに猛ダッシュしてくるのが見えた。
まるで今にも鼻から煙が出てきそうなほどすごい顔をして、こちらに向かってきている。
敦子はまだ先ほどネクタイをとられたその人を見ていた。
その男の人は奪われたネクタイの事でむっとしたのか、こちらをにらんできた。
しかし鏡に映る玉山の姿がちょうど見えたのか、急に意気消沈して黙って前を向きなおり、手じかにあったネクタイを選んで、ひとり自分に当てて鏡に映る姿を見ていた。
その背中が妙に寂しそうだった。
その連れの女性はといえば、なぜかこちらに来ていて、ネクタイを当てた玉山の鏡に映る姿をうっとりと眺めている。
そのあとも店員さんは、縦横無尽にネクタイをいろいろな場所から選んできては玉山に見せていた。
その間にいつの間にか玉山の姿を見ている人の数が多くなり、まるで実演販売を見るような人ごみになってきた。
それと同時に敦子はどんどん隅に追いやられ、いつの間にか端っこに突っ立ていた。
遠くでは、一人でぽつんとネクタイを選んでいる男の人たちが何人もいた。
その中の幾人かは、こちらの様子が気になるのかちらちらと見ている人もいる。
きっと連れの女性たちは、この実演販売の輪の中にいるのだろう。
皆が玉山がネクタイを自分の胸に当てる姿を見ては、ため息をついたりなぜか拍手する人までいた。
一応皆自分の感想を玉山に示そうとでも思っているのかもしれない。
玉山の隣にはまるで貢物を差し出す家来のようにかしずいて、ネクタイをショーケースに並べている店員さんの姿があった。
いつの間にか玉山の前のショーケースの上には、店員さんが持ってきたネクタイであふれていた。
その隅に敦子が選んだネクタイがぽつんと置かれていて、今にも落ちそうになっている。
敦子はまるで自分のようだと思った。
敦子は、その落ちそうなネクタイをつかんだ。
そのとき玉山の声がした。
「すみません。これにします」
玉山は笑顔で輪の中から抜け出て、敦子のほうに来て、敦子が持っていたネクタイを手に取った。
玉山の声で実演販売は終了した。
皆惚けたように笑顔の玉山を見ている。
「ありがとう。これにさせてもらうよ」
その一言で敦子は、先ほどの切ない気持ちが吹き飛ぶのを感じた。
敦子は、店員さんにネクタイを渡して会計をした。
店員さんはまだ興奮冷めやらぬ様子で、鼻息荒く会計をしていたがそこはプロらしくきちんと包装された箱を入れた紙バッグを渡してくれた。
「どうぞ。お幸せに」
なぜか店員さんの目にはうっすらと涙がにじんでいて、何か大きな仕事をやり終えたかのような充実感が顔いっぱいにあふれていた。
敦子と玉山は熱い店員さんに見送られて歩き出したが、敦子は先ほどのぽつんといた人たちが気になって後ろを振り返った。
するとそこにはいつの間にか男性の元へ戻った連れの女性たちが、皆敦子が選んだ似たようなストライプ柄のネクタイをもって男性の胸に当てていた。
そしてなぜか残念そうに首を振っている姿が目に入ったのであった。
少し歩いたところで敦子が先ほどのネクタイの入った紙バッグを玉山に差し出した。
「いつもありがとうございます」
思わず差し出すときに照れてしまった。
すると玉山も照れながら受け取ってくれた。
「ありがとう。会社に行くときつけさせてもらうよ。なんだか仕事がはかどりそうだ」
玉山がすごくうれしそうに言ったので、敦子は気を失いそうになってしまった。
びっくりした玉山が慌てて敦子の腕をつかんできた。
ちょうどその場所には、目の前に大きな鏡があって敦子自身が映っていた。
気を失いそうになる時、まるでホラーのような白目をむいた自分が映った。
敦子はその姿を見て、いやおうにも目が覚めたのだった。




