2話
びっくりするほど安全運転で病院に着いた。本当に人は見かけによらない。
病室の前に着いたけど、やっぱりノープランだったのでどうしようか悩む。
数秒悩んだ末に、ちょこっとだけドアを開けて覗いてみた。
「……く、来るんじゃなかった」
病室にいたのは、もちろん佐藤さんだ。でも、身体が半分になっているなんて聞いていない。
受付さんが言い淀んでいたのはこれだと嫌でも気づく。なんだかもう驚きすぎて一周回って冷静になった、と思う。
「お邪魔しまーす……」
佐藤さんは寝ているというか意識がない。他には誰もいないみたい。
周りを見回しながら近づく。何か関係資料がないだろうかと探すわたしは浅ましいかな?
そんなことを考えていたせいだろうか。急に真っ黒な霧が佐藤さんから吹き出してきた。
なにも見えない。強い向かい風が吹き付けてきて、気を抜くと飛ばされてしまいそうだ。
「水島さん!どこにいるんですか!」
呼びかけても声は聞こえない。風にじっと耐えていると、だんだん声のようなものが聞こえてきた。
これは、怨嗟の声だ。明確な言葉じゃないのに、しっかりと伝わってきてしまう。なんで、なんで。何故こんな目に。憎い憎いと聞こえてくる。
こんなのを聞き続けていたらおかしくなってしまう。思わず一歩退こうとして、わたしは風に飛ばされてしまった
「お。やっと起きたか。……吸うか?」
わけがわからない。ここどこ?あ、病院の入り口近くですか。あと、わたしたばこ吸わないです。
「じゃあ飲むか?」
缶コーヒーを渡された。ご丁寧に開けてあるし頂こう。なんかたばこ臭いけど、喉がからからでそれでも美味しく感じた。
起きてみて、膝枕されていたことに気づく。
「あれ?わたし、どうしたんでしたっけ。病室にいたはずなんだけど」
なにこれ。乙女ゲーのイベントか何か?ちょっと特殊だなあ。
「あんた、病室で倒れたんだよ」
いつの間に倒れたのかな。さっぱり覚えてない。疑問が顔に出ていたのか、彼は答える必要性を感じたらしい。
「佐藤に近づいた途端倒れたんだ。まあわからなくもない。俺もあそこに行くと嫌な気になるしな」
ええ……なにそれ。もっと早く言ってください。でも助けてくれたのかな。
「えっと、それは助けてくれてありがとうございます。それで今まで膝枕してくれてたんですか」
そんなところだな、と言って水島さんが立ち上がる。回した肩がいい音してた。顔は怖いけど割といい人だ。東京も捨てたもんじゃないみたいです。
空を見ると結構いい感じに暗くなっている。
「じゃあ、すみませんけど牟田川出版まで送ってくれますか」
いい加減帰って報告しないと行けない。
「なんで閉まってるのぉ!?」
送ってくれた水島さんはそのまま車を車庫に入れて帰ると言っていた。つまり一人である。
職場の入り口はきっちり閉まっていた。スマホを見ると18時を過ぎたくらい。ちょっとホワイトすぎやしませんかっ!
「こんなことってあるの……」
裏口に回ってみてもやっぱり閉まっていた。こんな時、どうしたらいいのかわからないわ。
「おいお前、何をしている」
後ろから低い声が聞こえてきた。
「あ、えと。わたしここの社員です」
振り向くと、ちょっと神経質そうな感じの男性が立っていた。
「お前みたいな奴知らないぞ」
ん?出版社の人?
「本当です。今日からここで働いているんです。名刺もあります!」
必死に無実を訴えたら、信じて貰えたみたい。名刺が強かったのかな?
「なるほど、営業部か。新しい大村の玩具が来たんだな」
どういうことですかそれ。
「玩具じゃないです、十二原と言います。これからよろしくお願いします」
お辞儀すると、挨拶を返してくれた。この人笑わないな。
「編集の早見だ。よろしく頼む」
あっ。偉い人の名前じゃないですかやだー。
しかも宗教家の部長だ。別に何を信じていてもいいんだけどね。なんとなく話し合わなそう。
「ここの奴らはいつも帰る時間こんなだぞ」
ええ……それ本当ですか。木下先輩がすごく有能なのかなぁ。
「じゃあ、うろうろしてても仕方ないしわたしも帰りますね。お先に失礼します」
一つお辞儀して帰ることにした。
なんとなく帰る道の暗さがこわい。川田くんは結局帰っちゃったんだね。冷たいイケメンだった。
コンビニによって飲み物とか買って帰ろう。落ち着いたら自炊しなきゃねー。
お風呂入ってご飯食べて。結構早めに帰って来られたからノートPCを開く。
作りかけの歌を開いてぼーっと眺める。なんだか頭がちゃんと働いてくれない。
「……もう寝よう」
こういう時は寝ちゃったほうがいい。
布団を敷いて潜り込む。ベッド買いたいなあ。しばらくゴロゴロしてたけど眠れない。目覚し時計を見たら21:13だった。それは眠れなくても仕方がない。
ようやくうとうてしてきた時、鍵が開く音がした。一瞬で目が覚める。
うそっ。泥棒!?近くにあった目覚まし時計をにぎりしめて、部屋の明かりをつける。いきなり明るくなると泥棒は逃げるって聞いたし!
「誰よ!」
…………川田くん。なんで靴脱ごうとしてるの?
「いきなり大声だされたら驚くじゃないですか」
遠慮なく入ってきてソファに座る川田くん。誰よ。この人を残念仕様に育て上げたのは。
「驚くのはこっちだよ!?なんで不法侵入してるの?おかしくない?」
わたしの方が常識に則ってるていう自信はある。
「いやほらだって。心配だったから?」
なんで疑問符ついてんの。
「来るなら連絡してよ。連絡先交換したじゃない」
連絡しても不法侵入したらアウトだけどね?
「そうだ!川口くんが行っちゃってから色々あったんだから!」
とりあえず全部話した。もう、自分で処理しきれないんだもん。
「拳銃?みせてください」
そう。その事まで話してしまった。
「うわ……これ本物ですよ?見つかったら逮捕されますね」
やっぱりBB弾とかじゃなかったか……どうしよう。
そう言えば、あの場で返せばよかったのでは……?
「とりあえずシャワー貸してください」
えっ。
「な、なんで?」
この野郎。かわいくきょとんとしてもダメだから!
「だってシャワーは浴びるものでしょう?」
どうしよう。わたしの理解力がストライキを決行している。今日一日酷使して悪いけどもう少し働いてほしい。
ここはどこなのかな?マヌケ時空?それじゃあしかたないな、あははははー。
川口くんがシャワー浴びている間、そんな思考しか出てこなかった。
わたしがぼーっとしている間に川口くんがお風呂から出てきた。
「ねえ。なんでわたしの布団に入ろうとしてるの?」
きょとんとしてもだめなんだよ?
「だって、もう寝ないといけない時間ですよ?」
「ハウス。」
わたしはあらかじめ毛布を置いたソファを指さした。
いつの間にか眠っていたらしい。布団に入ってすぐだったと思う。
周囲は霧に包まれていて何も見えない。わたしはパジャマのままで、裸足で立っている。
キョロキョロと見回していると目の前が開けてきて、静山さんが佇んでいるのが見えてきた。
緑の猫がいたらよかったのに。
あれ?おかしいな。なんでわたしは新幹線で見た夢のことなんて考えられたんだろう。夢の中なのに珍しすぎる。
まあ、こういう夢もあるのかな。実は目が覚めてるみたいな、変な感じ。
「ねえ、唯智子さん。私達、仲良くなれると思うの」
静山さんがわたしに近づいてきて、頬に触れた。夢だからかな?あまり怖い気がしない。
「あなたに全てを伝えたいわ。だから私の額に触れて頂戴」
なぜ額?まあ、夢だし考えても仕方がないかな?
「全てですか。静山さん、いくら夢でもわたしの脳は耐え切れますか?」
静山さんは困ったように、眉毛をハの字にしている。
「今まで耐え切った人はいないけれど、貴方なら大丈夫だと思うわ?」
それってダメなフラグじゃない?
「静山さん。わたしはわたしのままでいたいので、それはできません。ごめんなさい」
静山さんの手に触れる。夢の中くらい人っぽかったらよかったのに、やっぱり瑞々しい果物の様な肌触り。
彼女の手がゆっくりと離れていく。
「残念ね……」
静山さんの身体ごとどんどん遠ざかっていって、周りが明るくなっていく。なんだか穏やかな気持ちになって、わたしは目を閉じた。
ぱちりと音がしそうな勢いで目が覚めた。目だけで見回すとまだ薄暗くて、ここは現実なんだと思えた。
心臓が痛いくらいバクバクしている。夢の中のわたしはなんであんなに落ち着いていたんだろう?
自分が自分じゃなくなるかもしれなかったのに。夢だけど、あの額に触れていたらきっと起きた時には狂っていたと思う。何故かわからないけど確信している。
かけ布団をぎゅっと握ってその感覚を耐えていると、鍵が開く音がした。ソファを見ると川田くんがいない。
「川田くん!どこに行くの!?」
お願いだからおいて行かないで!
「え?いやぁ。朝ごはん食べようと思って。大丈夫ですか?なんかうなされてましたけど」
うなされていたら起こしてください。って無理かな。普通は起こさないよね、多分。
「朝ごはんはわたしも行く。だから待ってて!」
なんだか一人になりたくなくて、急いで出勤スタイルを整えた。
朝のカフェは丁度空いていた。いいタイミングだったみたい。
「でね?夢でトマト夫人に会って、額に触って?とか言われたの。どんな夢なんだって話よね」
話してから思ったけど、なんで彼氏でもないのにこんなこと話してるんだろう。あー。彼氏欲しいなぁ。不気味な物事にも対応してくれるとなおいいです。
でも話しているうちに怖くなくなってきたから良しとする。
「トマト夫人?」
あ。いきなり言ったらわかんないか。
「静山さん。感触がトマトだから」
サラダのトマトを避ける。なんかしばらくトマトが食べられない気がする。
「なるほど。うまいですね」
お腹空いてると思ったけど、朝ご飯はなんだかあまりお腹に入らない。
「先輩は夢見人なんですね。トマト夫人もそのせいだと思います」
なにそれ。妄想すごいってこと?ほっといてください。
「さて。先輩は先に出勤してください」
え。なんで?
「え。なんで?」
ノータイムで声に出てた。
「……。一緒に出勤したらいい噂になると思うので」
呆れないでよ!本当にわかんなかったよごめんね!
「あ……ごめん。じゃあまたあとでね!」
自分の分の代金を置いて逃げる。あまりにも恥ずかしい。
「おはようございます!」
木下先輩が笑顔を返してくれた。今日も一日がんばれる気がする。
自席に荷物を置いて、深呼吸。よし。部長に報告しに行こう!
「十二原です。失礼します」
木下先輩がいるって教えてくれてしまったので、行かないわけにはいかない。さくっと報告してさくっと席に戻ろうそうしよう。
許可を得て部屋に入る。
「駒場東大前の洋館について報告致します」
トマト的な事と動く木については頭オカシイと思われたくないので、念のため伏せて話すことにした。知ってる気もするけど、わかんないし。
「ほう。アレに好かれたのか?何ごともなく帰って来ているところからして度胸があり、肝も座っている。いいじゃないか、気に入ったよ」
ひぃ。肩組まないでくださいニヤニヤしないでください!
「この仕事を終わらせたらお前を優遇してやろう。給料も上がるぞ。良かったな?」
ポマードと少しキツめの香水っぽい匂いが気持ち悪い。指先がいやらしい手つきで首筋を撫でてきて、怖気立って思わず震えてしまった。あまりの気持ち悪さに身動きがとれない。
「あ、あの」
止めてください。そう言おうと顔を上げようとして気づいた。袖机の引き出しのあたりから、黒く細い棒のようなものが複数あるのが見える。ピンが刺してある身体は光を反射して紫にも黒にも見えた。
それは何かを求めるように、何かを求めるように蠢いていて、生きているという事を嫌でも理解させた。
ガタン!大村部長が袖机を強く蹴り上げる。
「すまんな。大人しくしておけと命じてはいるんだが」
留まっていられたのはそこまでだった。わたしはそこから逃げ出した。誰かが叫び声を上げている。
わたしはいつの間にか、どこかよくわからない路地で蹲って泣いていた。喉が痛い。
上を見上げると日がだいぶ高くなっていて、季節のせいか肌寒い。
何これ恥ずかしすぎる。ハンカチはあるけど化粧道具がないから直せないな。化粧落ちてないといいんだけど。
「戻らなくちゃ……」
出来ることなら北海道に帰りたい。でも全部職場に置いてきたから戻らないと何も出来ない。
立ち上がって、自分でもわかるくらいトボトボと歩く。
道がわからないから人に聞かなくちゃいけなくて、それが更に気分を落ち込ませた。
静かに部署のドアを開く。誰も気づきませんように……。
「あら。どうしたの?大丈夫?」
うっ。早速気付かれた。席が出入り口向いてるもん、仕方ないね。
「あなた、大きな声を上げて出ていったけど。何があったの?セクハラされた?」
木下先輩が心配そうにわたしを見る。もしかして女神様なんじゃないかな?
「セクハラもされましたけど、その」
多分誤魔化したほうがいいよね。
「ゴキブリがいたんです。初めて見て、その。怖くて」
彼女は納得したみたい。
「あー。そっか。北海道にはいないんだっけ」
たまに出るらしいよ?見たことないけど。
「はい。すみませんでした」
いいのよと言ってくれる先輩はやっぱり女神様です。
「そうね。お化粧直して外回り行ってらっしゃい。その方がいいわ。ゆっくり行ってきていいからね」
女神のウインク頂きました!
「あの、ありがとうございます!」
ぺこりとお辞儀して、先輩が首の後ろを掻いていることに気付いた。
「首、どうしたんですか?」
恥ずかしがる女神様かわいいです。
「さっき刺されちゃったらしくて……この時期ってまだ蚊がいるのよね。困っちゃうわ」
なるほどー。
お化粧直して荷物を持って外に出た。外回りと言っても、まだ道も分からないし把握することに費やそう。穴場的なお店とか見つけたい。
可愛いアクセサリのお店とか見つけながら歩いていると不動産のお店をみつけた。早めに探さないといけないし入ってみよう。
結果から言うと、いいところは見つからなかった。アドバイスはもらったし、こんど日暮里で探してみよっと。
「こうしてると昨日のことが嘘みたい」
全部が悪夢だったんじゃないかなって考えてしまう。
思いたいだけなのは自分でもわかってるけど。
休日に使いたいピアスを発見して買ったりしながら歩く。
そうしているうちに、教会っぽいところに辿り着いた。
東京についてからの悩みを解決してもらえないかな、なんて考えながら見ていると後ろから声をかけられた。
「は、早見部長……」
大きめの宝石がついたペンダントを目の前に掲げながらこっちを見ている。なんだか目が明後日の方を向いていて、とても怖い。
「ふむ、十二原か。ダウジングしていたら君に当たったようだ」
わたしは水でも金脈でもないですよ?
「こんなところでどうしたんだね?大村にセクハラでもされたか?」
そこまで有名なのになんでクビにならないの?
「セクハラもされましたけど、ちょっとあの部署にゴキブリが出てですね。外回りにでたら教会を見つけてちょっと眺めてました」
あれ?サボってるみたいな話になってしまった。おかしいな?
「虫?なるほど……それなら良い物をやろう」
とりあえず怒られなさそうだからいいか。強力なスプレーでもくれるのかな?アレに対応できるなら歓迎です。自分じゃやりたくないけど。
しかし、早見部長がくれたのは一冊の分厚い本だった。六法全書じゃなさそうだけど。
「これはなんの本ですか?」
タイトル見たら英語ですらなかった。読めない。
「必ず役に立つ。持っているといい」
そのまま教会に入って行ってしまった。このままじゃわたしの肩こりを強くすることしかできませんよ?
「……帰ろ」
もう夕方だし、また閉まっちゃう前に帰ろう。
なんとなく本の写真を撮って川田くんに送る。
“早見部長からプレゼント貰っちゃった☆
全然読めないから家のインテリアにしようと思いますw”
送信したら秒で返信が来て怖い!!“それ読ませてください”って。えっ。これわかるの?
しかし職場に戻ると川田くんはいなくて、木下先輩が出迎えてくれた。
「あ、十二原さん。ちょうどよかったわ。部長、今日はもう帰ってこないわよ」
今日一番の朗報です!やっぱり女神様は違う。
「あ。じゃあ帰りにどこか行きませんか?と言ってもまだここら辺全然わからないんで、オススメを教えて欲しいんです」
女神様から快諾を頂いた。女子会だー!川田くんは明日でもいいよね。だっていないし。
電車に乗って神田まで来た。木下先輩がお気に入りのお店ってどんなのかな?楽しみ。
神田に降りてから気づいたけど、木下先輩、結構歩く足が早い。
あたりが暗くなってきたから、逸れると迷子になりそうです。
「木下先輩、ちょっと待ってください」
ものすごい勢いで歩かれて、躓きそうになった。
振り向いた彼女の顔つきがおかしい。息は荒いし、なんだか……なんだか怖い。
「あの、ちょっとATMよってもいいですか?」
「あら、今日は奢るわよ?あなたまだ歓迎会してないもの。そのかわりだから気にしないで?」
目がギラギラと輝いていて、舌なめずりした口が艶かしく感じる。
これはヤバイ。“神田にいるけど、首が痒いって言う先輩といて生命の危険を感じる”って速攻でメッセージを送る。気付いてくれますように!
「もう大丈夫?さ、行きましょ。オススメなのよ?」
一狩りされそうな気がする。上手に焼けましたー的な。それでも断れなくて、とうとうお店についてしまった。
なかに入るとハーブの匂いがする。なんか漢方薬っぽいのもあるんだけど、女子会するようなお店にはとても見えない。
「美味しい紅茶があるのよ?ぜひ飲んでみてほしくて誘ったの」
それ、変な薬は入ってませんか?って言いたいけど言えないな!
「あの、お手洗いお借りしていいですか?」
店員さんに、更に奥へ通された。逃げられない。
先輩、中国語がお得意なんですね?後ろから聞こえてくる会話がさっぱり理解できないです。




