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雪路の遺し物

作者: 如月このは

 きっと、今にして思えばどれも予兆だった。

 いつもなら、既読されればすぐに返ってくるメッセージアプリの返信がなかったのも。いつも一緒にやっている、互いにフレンド登録しているゲームアプリの最終ログインが、一日以上前になっていたのも。

 どれもこれも、おかしいことだったのに。あんなことになるまで、あたしは気付かなかった。

 

 クラスメイトが行方不明になった。

 その情報が出回ったのは、よくある平日の夜。友人に彼の両親から遊びに来ていないかと問われ、その友人がメッセージアプリのグループで情報を回した。

 彼を放課後以降見掛けた人はいなくて、家出だろうかと次の日の朝まで教室で話題になっていた。

 

 たぶん、あたしが最後の目撃者だった。性別の違いはあったけど、彼とは友達として親しく付き合っていたから。

 

 その日は、何もかもを覆い尽くすかのように雪が降った。冬とはいえまだ始まったばかりで、ここしばらくは雨だったから何か違和感があった。

 やがて、彼はみつかった。もう何も語らない脱け殻として。そのはずだった。

 

愛美あみ。愛美ってば」

「え……?」

 

 彼の遺体がみつかったと聞かされたのは、今日の帰りのホームルームでのことだった。信じられないと現実を受け入れられないまま帰宅して、制服のままベッドに座り込んで。

 その時、もう聞けなくなったはずの彼の声が聴こえた。

 

「嘘……。なんで、いるの?」

 

 口をついて先に出たのは疑問だったけれど、その姿が見られて嬉しい気持ちがないわけではなかった。

 例え彼が、ふわふわと天井近くを浮遊していようとも。

 

「いや。なんでって言われても、おれもわかんないんだけどさ。これなんか、幽霊? みたいな状態っぽい」

「だよね……。浮いてるし」

 

 オカルト系は苦手だけど、見知った相手なら話は別だ。これまで通りに、言葉がこぼれた。

 

「えー、じゃあまず聞いておくけど、どうしたの?」

「さあ……。死んだ時のこともよく思い出せないし、何か未練でもあるのかもな」

「未練」

 

 この年頃によくありがちなことで、彼はたまに「死にたい」、いや、他人行儀に自分のことを「死ねばいいのに」なんて言っていた。だけどそれは実行力はないはずのもので、彼が特に深く自己嫌悪に陥った時の決まり文句みたいなものだった。

 元から性格が後ろ向きで自己評価は最低、しかも思い詰めると自虐のセリフが止まらないという、一風変わった奴だった。

 あたしはいつもそれに付き合っていた。だから、よく知っている。

 

 彼は最近、就職活動に行き詰まっていた。まだ高校生。とはいえ下に兄弟がいるからと、進学は視野に入れていなかった。ただ、やりたい仕事というものもなかった。

 担任教師が提案したのは、地方公務員。一年生から勉強を始めていても珍しくないこの職種で、彼は三年から勉強を始め見事一次試験に合格した。

 人と接するのは苦手だという言葉通りなのか、二次試験の面接には落ちてしまったが、あたしは充分頑張っていたと思う。

 

「未練って、好きなものとか?」

「んー。楽しみなものはあったけど、今となってはあきらめられるものばっかだなー」

 

 こんな状態になっても、やっぱり他人事なんだ。相変わらずで、だけど安心することはできなかった。あんまり良くない傾向のはずだ。

 

「ねえ夏月かづき、真剣に考えてよ」

「別に、思ったより困った状況じゃないんだよなー。そのうち消えるんじゃないか? 迷惑ならほら、地縛霊ってわけでもないんだし、どっか行くけど」

 

 何か、悔しい。あたしばっかり必死になって、バカみたい。

 

「あっそ、行けばいいじゃん。夏月には他に、あたしより仲良い友達だっているんだし」

「そうだな。夜なんか特に邪魔だろうし、じゃあまたな!」

 

 何がまたな、だよ。そんな、全然変わってないとか困るんだけど。死んだ、なんてやっぱり嘘なんでしょって思っちゃうじゃん。またあんたがいなくなったら、今度こそどんな顔したらいいかわかんないよ。

 声にならなかった言葉は全部、涙になって落ちていった。

 

 翌日、夏月は何もなかったようにまたあたしの前に現れた。

 

「他の人、おれのこと見えもしなかったよ。愛美だけなんだな」

「学校にでもついてくるつもり?」

「どうしよっかなー。授業聞いててもつまんないしな。てきとーに時間でも潰しとく」

 

 そんなことを言いつつ彼は、何度か教室の窓の外にふよふよと浮いていた。

 寂しそうにするでもなく、けれどいつもの無表情がなんだか馴染んでいないように見えた。

 

 放課後、白に染まった道を歩いていると彼が並んだ。

 

「わざわざあたしの近くにいる意味ないでしょ」

「いや。愛美の近くだと、何か思い出せそうな気がしてくる」

「例えば?」

 

 彼が帰らなかったあの日、学校で最後に彼といたのはあたしだ。

 

 新しい志望先を探すのをせっつかれていて、やりたいこともないからと、手続きは遅くなるばかりだった。

 公務員試験の合格発表は遅い。試験は二回あるし、そこから発表までの期間が長い。よって、失敗すれば大幅に出遅れる。

 彼は就職クラス。まわりは彼以外全員、専門学校への進学か就職が決まっていた。マイペースだが、人一倍他人が気になる奴だ、その焦りもあったのだろう。

 

 久々に、あたしは夏月の自虐を聞いていた。それはもう絶好調で、できればもう大丈夫だと言えるくらいまでいて、落ち着くのを待つべきだったのだ。今だけでなく、その時だってそう思った。

 それを逃すとなかなか帰れないバスの時間が迫っていた。夏月は何度か大丈夫かと聞いた。

 いらない心配をかけるのも良くない。後ろ髪を引かれる思いで、あたしは学校を出た。

 

 その日、夏月は……。

 

「車で迎えに来てもらう気になれなくて、歩いて帰った。おれの家さ、山の方だろ? 道の端踏み外したら、落ちるようなとこもあるの愛美も知ってるよな」

 

 夏月とは、小学校からの付き合い。通いにくいという理由もあって、彼は地元の高校に進学したのだった。田舎だし、珍しくないことだ。

 

「あの日ってさ、このままここにいたら凍死できるんじゃないかってくらい冷えてたな」

「実際、次の日雪降ったしね」

「歩き疲れて座り込んで……。それで……」

 

 その後のことは、思い出せないらしい。もしかしたら、無理に思い出すべきじゃないのかもしれない。

 そう。今まだここに、夏月がいてくれることを想えば……。

 

 思い出せないなら、まだここにいればいい。焦らなくていいから、ゆっくりでいいから。

 お願いだから、またいなくならないで。

 

「おれなんかが死んだことより、大事なことのはずなんだよ。それだけはわかる」

 

 いつもの後ろ向きから言ってるんじゃなかった。夏月の顔は真剣で、冗談なんかじゃなかった。その言葉に、はっとさせられた。

 

「思い出せるなら、あたしの近くにいさせてあげてもいいよ」

 

 さっきの、口に出さなくてよかった。あたしの都合で、夏月を振り回せない。彼は優しくて、いつも自分より他人を優先するような人だから。

 

「サンキュ」

 

 お互い軽く言ったのはきっと、言葉だけでも相手を縛らないためだ。

 

 雪路を一緒に歩いて帰るのだって、たまにあった放課後と変わらない。お互い好きなものになると話が止まらないけれど、他の形の『好き』も尊重できるから対立することも少ない。

 異性の友人とのそんな距離感は、危ういけれど居心地が良かった。

 

「……ああ、思い出した」

 

 不意に彼がそう言ったのも話の流れのようでいて、いつもと違う雰囲気をはらんでいた。

 

「……何だった?」

「愛美から、メッセージが来たんだよ」

 

 そう。あの、返信のなかったメッセージ。

 「明日、本貸してくれない?」。彼がおすすめの本があると言ったから、朝の読書の時間に読もうと思って。

 

「愛美が明日みらいの話をするからさ、おれもちゃんと明日に行かなきゃと思って」

 

 明日に。だってあたしの明日には、ちゃんと夏月がいるはずだったから。

 

「立ち上がって、帰ろうとして……。……凍った道で足を踏み外した。落ちた先に石でもあったみたいで、おれは頭を打ったんだ。だんだんぼやける視界で、雪が降るのを見てた。積もったら、みつけてもらえないな……って」

「うん……」

「死にたくなかった……っ!」

 

 声を震わせる彼に、何かしてあげたかった。恋人じゃないからとか、つまらない一線なんか飛び越えて、小さな生き物にするように、包み込んで暖かさを分けられればいいのに。

 だけどそれは不可能なことだった。夏月には、触れられないのだ。どんなに姿も心もそのままでも、あたしは生きていて、夏月は死んでしまっているから。

 せめて、繋がるように手を伸ばす。空気の感触しかしないそこを握る。

 

「愛美?」

「本、借りに行くよ」

 

 濡れた瞳を向ける彼に、まっすぐそう言った。あたしの『明日』と夏月の『明日』だった日を繋げるために。

 

 親に頼んで夏月の家に連れて行ってもらって、玄関のチャイムを鳴らした。小学校から同級生なだけあって、あたしのことは彼の親も知っていたから、案外あっさり通してくれた。

 

「どれ?」

 

 彼の親に気づかれないよう、小声で問いかける。

 

「これだ」

 

 何故だか同じく小声の彼が示したのは、一冊のファイルだった。不思議に思いながらも表情には出さず、あたしは彼の家を後にした。

 

 自分の部屋のベッドの上で、あたしはそれを膝に乗せた。

 

「何? これ。本じゃないの?」

「本が未練じゃない。あれは……口実。まあ、見てみろよ」

「……うん」

 

 めくると、ファイリングできるよう穴を開けた原稿用紙があたしを迎えた。手書きの文字に埋め尽くされたそれは、どうやら小説だ。作者は夏月の名前になっている。

 もともと本を読むペースがあまり速くないあたしは、一時間以上かけてその短い物語を読み終えた。

 

 一人の高校生の、恋物語だった。

 カヅキという名の少年は、幼馴染みの少女アミのことを、時が経つにつれ友人からそれ以上の存在に意識するようになっていった。

 ある冬の日、カヅキはアミを呼び出す。最後の行はカヅキの告白で終わっていて、アミの返事はなかった。

 

「この続き、ないの?」

「アミの返事、おれにはわかんなくてさ。愛美、教えてくれよ」

 

 前半は紙を、後半はあたしを見て夏月は言った。

 

「どういう――」

 

 最後まで、声は言葉にならなかった。触れられない夏月の唇が、あたしのそれに重なる位置にあったから。

 

「ほんとにキスしたわけじゃないから、ノーカンな」

 

 そう、実体のない彼が笑って言う。

 

「おれ、愛美のこと好きだったよ。……いや、現在形だな。好きだよ」

「夏月……」

「返事、聞かせてくれよ。知りたいんだ。もう手遅れになるのは嫌だから」

 

 寂しげに微笑んだ表情は儚くて、身体も向こう側が透けて見えそうなほど存在感が消えつつあった。

 今言わないと、夏月がいなくなっちゃう。

 

「……好き。幽霊になんてなっても、また会えて良かったって思うくらい好き。好き」

 

 なんで今まで言えなかったんだろう。気づけなかったんだろう。こんなことになってしまうまで。

 

「好き。好きだよ、夏月……っ!」

「良かった。ありがとう、愛美」

 

 これ以上はないってくらい幸せそうに笑った夏月の姿が、そのまますうっと消えた。後には何も残さずに。

 いや、この完結した物語と、あたしが気づいてしまった気持ちだけを遺して。

 

「夏月のばかぁ……っ!」

 

 その時、声だけが届いた。

 

『愛美、生きて。おれがいけなかった世界で。おれのことなんか、忘れてもいいから』

 

 本当に、夏月はずるい。

 だからあたし、追いかけたりなんかしないよ。あなたの想い出を、大事にしまって生きていく。

 いつか、奥に隠れてしまっても、霞んでしまっても。それがあなたの望んだことならば。忘れることだけはしないけれど。

 いつかの遠い未来で、あなたのためだけに生きることができなくなっても。

 

 明日を、あたしは彼が望んだ未来のために生きていく。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ちょっと不思議な感じ つづきが楽しみです。
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