第1章 2話 -勅命-
時は三日前に遡る。
普段は静穏な城内の空気が、その日だけやけに張り詰めていたのは、やはりここ最近で一番注目の集まる行事が執り行われたことが理由だった。とある少年の、王との謁見。
「――お目にかかれて光栄です、陛下」
少年が跪くと、立会い係として傍に控えていた周囲の兵士や魔導師は、一層緊張を強めて、それぞれの武器を構えて彼に目を向けた。少年はそれに一切臆することなく、レッドカーペットの上で沈黙を保って、王の言葉を待っていた。
「よく来たね、待っていたよ」
王と女王は隣り合って座り、目の前で跪く小さな少年を見て、二人揃って微笑んだ。少年はまだその顔を上げず、じっと留まったままでいる。
「それにしても、まあ、こんなに可愛らしい子が、この国の魔術師最強候補ですって?」
「ああ、そうさ。アテナ、彼を見くびってはいけない。力と容姿は必ずしも一致はしないからね」
王の窘めに王女が微笑むと、同時に、その二人の後ろからぬらりと長髪が顔を出す。
「へえ、お前が次期賢帝候補なあ…」
その声を聞いて正面は一層深く頭を垂れた。王は声の主の方に目を向けると、ワサワサとその首元を触る。それに反応して、長髪は少し高めに喉を鳴らした。
「ルカ。そんなに威圧しちゃあいけない」
「いえ、王様。少し興味が湧いただけです」
ルカと呼ばれた者は、反論しながらも喉のあたりをさすられて、またクゥと喉を鳴らす。
「お顔をお上げよ、おチビさん」
王に促され、タクトはゆっくりと前を向いた。そうして人生で初めて、自国の王の顔を間近で拝謁した。
やはりこの国の元首を名乗るだけあり、その男には表情と振る舞いから気品と威厳と寛大さが見てとれた。だが、予想に反してその身体には皺がほとんどなく、どれほどに年長者として見積もっても三十台前半といったところだった。
穏やかな笑みを讃えた王の腕の先へと、なぞるように辿って視線を動かすと、その先にいたのは、大きな毛玉だった。二足歩行の、狼だ。銀色の毛は、撫でつけられることによって見事な波を作っている。タクトはその光景に声を失ったが、王の御前で狼狽えることも出来ず、しばし表情を保つことだけに必死だった。
「波長が乱れてるね。怖がらなくていい。ルカは獣人だけど、この国の現魔法帝だ。よその蛮族たちとは違って、知性と勇気を持ち合わせてる立派なケモノさ」
見透かしたように王が告げると、その言葉にルカがむきになって割り込む。
「待ってください。ケモノとは何ですか」
「間違っているかい?」
うぐぐと言葉を返せずにいるルカに、王は畳み掛けるように首元撫でのコンボを決める。ルカはとろんとした表情になって油断したところで、つい気が抜けたことを自覚したようでハッとした顔で王座の後ろへササと戻っていった。
このとき、微々たる揺れではあったが、タクトはルカを見た際に、立てた方の足を震えさせてしまった。それに気がついて堪えきれなかったのか、溢れ出るように少年の後方から笑い声が飛んできた。
「くっ、あはッ、やっぱ慣れてないよなあ」
少年の後ろまで控えていた兵隊や魔導師の中から、その靴音を鳴らしてやってきたのは、とある執事だった。
後ろからポンと頭を叩かれて、少年はがくんと倒れ込んでしまう。慌ててもう一度体制を立て直そうとして、彼はまた足がもつれて転げてしまった。
「王様ぁ、コイツ、生まれは庶民階級だそうで。さっきマナーを教え込んでたんですが、やっぱ貴族の振る舞いとかダメっぽそうです。多少の粗相は許してやってください」
「わかった。ルゥ、ありがとう」
「いーえ、世話係なんで」
ルゥは一礼して一歩下がる。タクトに何かあれば、一応支えてはくれるつもりらしい。その振る舞いは、話し方とは相異なって立派に執事らしいといえよう。タクトは慌てて体制を戻すと、跪く体制に戻って、王を再び見やる。その紅は改めて決意を含んだ。
「いい目だね、さっきの転げた様子とはまた違う……。今日来てもらった甲斐があるってものだね」
王はそう笑うと、視線を窓の方へと向けた。
「君は来たる五年後に控える厄災のことを知っているかな」
「――はい」
「だよね。君が産まれたちょうどその日、かの厄災は星読みによって予言された。私たちは、その厄災が発生するという未来が予告されたのと、君がこの国で生まれたのは、何かの縁があると思ってるんだ」
タクトは黙ったまま、前を見据えている。王は視線を窓から少年に移し、まっすぐな眼差しで口を開いた。
「私の国を君に託したい。五年後には、君を特別部隊に配備し、この国の全権を握ってもらう。私たちにはできないことだ。君には素質がある。お願いできるかい?」
少年は一瞬苦虫を噛み潰したような顔をしたが、それを呑み込んで、すっと瞼を閉じると、ゆっくりと息を吐き出した。
「タクト=ルートヴィヒ、ここに、全力を以って勅命を全うすることを誓います」