八十八夜とお茶と師範と その二
それから数日後、閑古鳥の鳴く店に、一人の女性が訪れた。
珍しい。マスターはそう思った。何せ、初めて来るという客自体が少なくなってきている。婦人科関連はまた別だが。そういう人でもたいていが誰かしら一緒に来る。
看板があるとはいえ、小さいため見逃すという。
「いらっしゃいませ」
「おすすめの八十八夜のお茶をいただけるかしら」
「かしこまりました」
風変わりな注文は、慣れている。
先日関東地方にある某茶園から入荷したばかりの茶葉を使う。
本日は煎茶。それゆえ、温度は七十度程度。湯呑にお湯を注ぎ、そこから急須に移す。湯呑を温めるという効果と、茶に注ぐ湯の温度を下げる効果を持つ。
少し蒸らして湯呑へ。
「お待たせいたしました」
「素敵な香りですね」
やはり、とマスターは思った。あえて難解な注文をしてきたのだと。
「どちらの茶葉かしら」
農園の名前と茶葉の銘柄を答えた。別に隠しているものではない。
「てっきり隠していらっしゃるのだと思っておりましたわ」
「隠すのは作ってくださる方にも、飲んでくださる方にも失礼ですので」
「さすが『探求者の茶師』」
久しぶりに言われた異名だった。
「ずっと探しておりましたのよ。まさか鷹司の方と嫁から聞けるとは思っておりませんでしたの」
女性は柔らかく微笑むが、目は笑っていない。
「どこかで、お会いいたしましたか?」
「いいえ。お会いしたのは初めてですわ」
なのになぜなじられる。マスターは頭を抱えたかった。
「一線を退いて店を開くというのは、夫の実家から聞いておりましたの。場所は不明。何人の茶人があなたの店をお探しだと思って?」
「……お名前を、伺っても?」
普段は聞かないことを聞いてしまった。
「名乗るのを忘れておりましたわ。わたくし、白岡 静縁と申します。
先日は嫁がこちらにお世話になったとか。ずっとお礼を申し上げたいと思っておりましたの」
白岡 静縁。煎茶の流派、白岡流の家元だ。珍しく女系継承の家柄でもある。
「茶に興味のない息子が、お茶好きの女性を見初めたと知ってどれくらい嬉しかったか。わたくしの代で流派が終わるかもしれない、と覚悟しておりましたが」
マスターの記憶では、女系継承とはいえ男性軽視ではなかったはずである。女児になかなか恵まれないときは、男性が継いでいた時もあったはずだ。
「あら、探求者の茶師でも知らないことがおありなのね。
女性継承以外にも流派を継ぐ条件がありますのよ。茶を好きでなければだめなんですのよ」
楽しそうに静縁が言った。




