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露木さんのスキンシップが、多くなった。
何でもないときに頭を撫でられる。話してる途中、笑いながらほっぺを指の甲ですりすりしてくる。話をするとき、近い。
そして、前みたいな意地悪を言うことがすごく減って、とても優しくなった。何でもないことによく笑って、優しく触れられて、ちょっと落ち込むと頭を抱き寄せるようにして撫でてくれながら慰められた。
それはなんだかくすぐったくて、ドキドキする。
でも、その意図を考えて、ふと不安になる。
親子共々迷惑って、何のことだろう。あの人の言う事なんて気にしたらばからしい。って思うのに、幸せだなって思う瞬間、ふと頭を過ぎる。
露木さんとパパは、仕事のつながりで、業務提携があって、だから私が婚約者になってつながりを強くしている。
露木さんは、私をどう思ってるんだろう。今は、もう、嫌われてはないと思う。大事にされているなって、分かる。でも、なんで大事にされているんだろう。パパとの仕事を潤滑にするため?
迷惑って、何を指してたんだろう。
「ねぇ、結婚って、しなきゃいけないのかな」
「急になんだ?」
「だって、ほら、私、まだ学生だし、成人もしてないし、あんまり実感もないって言うか!」
何となくむっとされたのが分かって、慌てて言い訳をする。
「自覚は追々で良い。今は俺のそばにいればそれで良いから」
苦笑されて、撫でられて、それは子供扱いにしか見えなくて、この人の意図を探ってしまう。
元々は、お互い望まない婚約だった。私は、最近、悪くないなって思い始めてるようになってた。一緒に暮らし始めて、三ヶ月は経ってる。自覚するには、十分な時間があった。
私は、露木さんが好きだ。
だけど、私には露木さんの気持ちが分からない。政略結婚で、気持ちなんてないと分かってる人に、告白する勇気もない。言わなくても一緒にいられる。言ってしまえば、一方通行の気持ちを思い知らされ、惨めな時間を過ごすことになるような気がして。
それに、野崎さんの言葉もある。真に受けたらだめって思うけど、何の意味もなく、あんな意味深なことを言うとは思えない。
露木さんが、パパとのことで何か気を使って私の対応している部分は間違いなくあるだろう。向けてくれる優しさだって、その一環かもしれない。
疑いだしたら、きりがなかった。
「乃愛」
悩んでいたら、露木さんが私を呼んだ。
最近、私のことを名前で呼ぶことが増えている。イケメンが鋭利な顔立ちに柔らかな笑みを浮かべて名前を呼ぶのだから、破壊力半端ない。
顔を上げると、そんなのに出くわすわけだから、思わずぼけっと見入ってしまうのは、最近たまにある。
露木さんが笑みを深くして、小さく唇を動かした。
か、わ、い、い……?
そう言っているように見えて、唇に見入ってしまう。
そして、唇がだんだん近づいてきて。
「乃愛」
もう一回名前を呼ばれて、顔面いっぱいの露木さんの顔が、近すぎてぼやけて、それから、キスされた。
急に降ってきた触れるだけの優しいキスは、一瞬で私を熱くさせ、そしてどん底に突き落とした。
私の事なんて、好きでもないくせに。
それが、真っ先に頭に浮かんだことば。
好きだなんて言われたことがない。なのにキスされた。
「なん、で?」
「……なんとなく?」
呆然とつぶやけば、苦笑気味に返される。
それは、婚約者だから、結婚するから……ただ、そばにいたから。せいぜいその程度の理由なのだろう。そんな理由でいとも簡単に「なんとなく」程度で奪われたことが、悔しくて、腹が立って、そしてほんの少しだけ悲しい気がした。
「……ひどい!!」
一刻も早く露木さんから離れたくて突き飛ばす。立ち上がってそのまま二三歩下がると、悔しくて涙がにじんできた。
「俺が嫌か……泣くぐらい?」
違うでしょ、そうじゃないでしょ!
この苛立ちをぶつけたいのに、なんと言ったら良いのか分からない。私のこと好きでもない人に、それを訴える惨めさなんか味わいたくない。
ちがう、もう既にこの人にこんな扱いしかされてない自分は、じゅうぶんに惨めだ。くやしい、くやしい、くやしい。
納得がいかないのか難しい顔をして私を見据えてくる露木さんを、言葉にならないままにらみつける。
でも、そんなんじゃ私の苛立ちばかりまして、やりきれずに背を向ける。
「乃愛!」
うるさい、うるさい、うるさい!!
私はもっと怒っていいはずなのに、負けて逃げ出しているような気分を味わいながら、露木さんの声を振り切って自室に駆け込んだ。
「何してるんだ」
「帰る」
「どこに。……家は、ここだろ」
居場所にして良いのかなって思った。少しずつ、そうなっていけばいいなって。でも、踏みにじられた気分だった。
無視して、黙々と家を出る準備をする。
「どこへ行くつもりだ?」
「……どこだって良いでしょ!」
「よくない。だめだ。ここにいろ。こんな時間に外に出るのは危ないから」
バッグに服を詰める手を止められて、ボロボロと涙がこぼれる。
「……泣くなよ……」
露木さんの指先が私の頬に触れて、途方に暮れた声がして、それから指先は離れていった。
「なんなんだよ、そんなに嫌なのかよ……」
小さな呟きが漏れ聞こえて、バッグがそのまま奪い取られる。
「勝手に出て行くなよ」
私は返事をしなかった。露木さんは返事も待たずに出て行った。
ぐずぐすと泣きながら、手元に落ちた服をベッドの縁に叩き付けた。ぱすっと情けない音がして、だらっと下に落ちる。
なんでこんなに悲しいか分からない。なんでこんなに許せないのか、分からない。
ぐずぐずと泣きながら布団に潜る。
どうしたら良いのか、分からなかった。
その日、露木さんはリビングで仕事をして、そのままそこで寝たらしい。
最低限の荷物を持って、早朝に、そっと部屋を抜け出ると、リビングで寝ている露木さんが見えた。
四時前という時間、外はまだ薄暗いけれど真っ暗と言うほどではない。
私は、実家に向かっていた。特に何か目的があったわけじゃない。ただ、話を聞きたかった。話を聞いて欲しかった。どういうことなのか訳が分からなくなっていたから。
恩って何なのか。ほんとに結婚しないといけないのか。露木さんがどういうつもりで引き受けたのか……。
両親が応えられることばかりではないかもしれない。でも、ちゃんと話をしたかった。
帰り着いたのは、朝の七時前。バスが動き始めるまでコンビニと公園で時間を潰した。六時頃に露木さんから電話がかかってきて、慌てて電源を落とした。
その時間に気付かれたって事は、やっぱり気にしていて、私の様子を気にかけていたのだろう。
そのことが、ほんの少しだけ、うれしいと思った。
でも、会いたくないし、話したくもない。まともに会話できる気がしなかった。