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 ドアをノックする音がした。

 露木さんは私が部屋に入ってから声をかけてきたことはない。なのに、なんでこんな時に来るのだろう。

 布団にくるまって聞こえないふりをする。

 でも、気になって、耳を澄ませば、もう一度こんこんと音がした。

「乃愛」

 扉の向こうで露木さんの声がする。布団にくるまっているせいで、はっきりとは聞こえない。でも、確かに私の名前を呼んだ。「おい」でも「お前」でもなくて「乃愛」って。

 何なの。ほんとになんなの、あのおっさん。

 くるまってる布団の端っこをぎゅっと握りしめて、知らない、知らないと心の中で呟きながら露木さんが立ち去るのを待つ。

「……はいるぞ」

 え、と思った後、ガチャッとドアを開ける音がした。

「……乃愛? どうした、具合悪いのか?」

 訝しむような声色が、足音と一緒に近づいてくる。

 頭からすっぽりとかぶっている布団に、小さな圧迫感が加わる。

 布団の上から、撫でるように触られているのだと分かった。

「なあ……なんか、あったのか? もしかして、誰かから、何か、聞いた?」

 聞いたよ。あんたの元カノから、聞きたくもないこと聞かされた。

 帰りが遅い日って、ほんとに仕事してるの? ご飯いらない日って、ほんとに仕事関係? 私に見えないところで元カノと会ってるんじゃないの? 私のこと馬鹿にして笑ってるんじゃないの?

 もう、嫌だ。みんな私のこといらないって言う。みんな、みんな、キライ。キライ。

「乃愛、何があったんだ?」

 何かあったこと前提で話をされてる。言ってしまいたい。でも言いたくない。どうやって言うっていうの。だって、私は望まれた婚約者じゃない。何を言う権利があるの。私だって露木さんなんか好きじゃない。嫉妬してるみたいに思われるのも嫌だ。

「……なんにもない……」

「そんなわけねぇだろ。ほら、ちゃんと言え」

 くぐもった私の声は、それでもちゃんと聞こえたみたいで、布団の上からぽんぽんと促すように叩かれる。

 布団の中で縮こまったまま、時間だけが過ぎてゆく。露木さんはベッドの脇に立ったまま動かない。いつまでそうしているつもりなんだろう。ねぇ、ちょっとは私のこと、ほんとに心配してくれてる?

 ずっと布団にくるまっているのは苦しい。じっとしているのも大変。露木さんだって退屈だろう。だから、仕方なく、声をかけてあげることにした。ほんとは、しゃべってあげたくなかったけど。

「……露木さん、何で私と婚約なんて受け入れたの?」

「は?」

 ……ちょっと、唐突すぎただろうか。

「なんでって、……北澤さんとの仕事を円滑に進めるためだって、説明したはずだろ?」

「恋人と、別れてまで、それ、大事なこと?」

「恋人なんていなかったし」

「嘘つき」

「嘘じゃねぇし。なに? お前の中でどんなドラマが展開されてるの? それどんな昼ドラ?」

「……露木さんの恋人って人が、返してもらうって、来たんだけど」

 これでも言い訳するつもりか。

「はぁ? 誰だ、その頭のおかしい妄言したヤツは」

 妄言? 元カノのこと、そこまで言っちゃう? どんだけ立場守りたいの? それとも露木さんの方が正しい……?

「野崎さんって、すっごくきれいな人だったけど」

「……取引先にいる女だな。一度付き合ったことはあるが数ヶ月で別れたな。一年以上前の話だ。会う度にしつこくつきまとわれていたのは認める」

 へ?

 思わず布団をめくって身体を起こして叫んだ。

「は?! あの人、自分はここによく来ていたって、部屋に上がろうとしてたよ!」

「まさかあげたのか?!」

「あげないよ! 知らない人の言葉を100%真に受けるほどバカじゃないし!」

「……女、こっえーな……。ちなみに、そいつをこの家に上げたことはない」

 露木さんがげんなりした顔で溜息をついている。

 認識が一気に覆されて、ちょっと頭が働かない。えーと、つまり。

 あの美女平然と嘘ついてたの? 恋人なのに家に連れてきたこともないの?

「なんでまた」

「何か押しの強さが気持ち悪くて、ちょっとな……」

「美人なのに」

「美人だけどな」

 しみじみと頷かれた。

「どーせ美人じゃないよ!!」

「俺は何も言ってない!」

 叫び返されて、目が合う。

 露木さんが、ははっと笑って、肩の力を抜いた。

「なんだ、そんなことか」

 ほっとした笑顔を浮かべて、頭をがしがしと撫でてきた。

「嫌な思いをさせたな。悪かった」

「別に、露木さんが悪いわけじゃ、ないし」

 あの美人が言ってたのが嘘なら、露木さんは悪くない。

「心配かけて、ごめんなさい」

「ほんとにな。お前がおとなしいと、つまんねーだろ」

 ぽんぽんと頭を叩かれて、何とも言えない気分になる。

「うっとうしいって、ほんとは思ってたんじゃないの?」

「いや、寂しかったぞ。キャンキャン吠えてた犬がおとなしくなったら、びっくりするぐらい家の中が静かになったからな」

「犬じゃないし! 吠えてないし!!」

「それ、それ。お前はそのくらいでちょうど良いな」

 ケラケラと笑いながら頭を撫でてくる手を、ぺしっと払いのける。

「ねる! おやすみなさい!!」

 布団を頭までかぶっても、まだそこで笑っているのが聞こえてくる。

 むーかーつーくー!!

「……おやすみ」

 しばらくして、布団の上からぽんぽんと撫でられ、それから部屋を出て行く音がした。

 むかつく、むかつく、むかつく!!

 心の中で罵りながら、何となく、顔が笑ってしまった。


 朝食をテーブルに並べてるときに露木さんが起きてきた。

「おはようございます」

「はよ」

 すごく久しぶりに、憂鬱さなんかなく声をかけると、露木さんが眠そうなまま優しそうな顔して笑った。

 少しずつ、会話が増えた。

 少しずつ、どうでも良いようなことまで話すことが増えていった。

 自分のことも話したし、露木さんの話も聞いた。好きな物とか、苦手なこととか、好き勝手言い合っても、何か楽しいと思う時間が増えた。

 相変わらず仕事は持ち帰ってるみたいだけど、私と話す時間を、わざわざとってくれてるみたいで、帰ってきてから十時までは、リビングで二人で過ごすようになった。

 露木さんと一緒にいるのは、結構楽しい。なんだかんだと、優しい人かもしれないと、ちょっとは思うようになった。

 結婚するのも、意外と良いかもしれない、なんて。

 毎日、毎日、なんだかすごく楽しくなって、露木さんと過ごすのがあたりまえになって、婚約者って事と、いつか結婚って事とをたまに考えるようになって、ふと、思った。

 露木さんは私のこと、本当はどう思ってるんだろう。



「げ。露木さんのストーカー」

 美女な野崎のお姉さんがまたマンションの入り口付近にいるのを見つけて、思わず口を突いて出た。直後振り返られて、ちょっと歪んだ笑顔を向けられて、やばい、聞こえてた、と逃げたくなる。

 いや、逃げよう。素直に逃げよう。くるりと方向転換して、元来た道を戻ってゆく。早足だ。めっちゃ早足で立ち去る。

「北澤さん? 待って下さる?」

 よく通る、きれいな声がした。

 こっわー!!

 涙目で足を止めて、おそるおそる振り返る。美人さんが、にこにこの笑顔で歩み寄ってきていた。

「こんにちは、お久しぶりね」

「こ、こんにちは……」

 すっごく可愛いのに、何かすごく怖い。

「ねぇ、祐馬は優しいでしょう?」

「えぇ~~っと」

 思わず笑顔になってごまかそうとしてしまう自分が憎い。ていうか、どうして私、立ち止まったし。面と向かい合って普通に話してる状態から、急遽逃走できる人って、どのくらいいるかな。少なくとも私は話し終わらせるまで逃げる勇気がない。いや、でもやっぱり、ここは逃げた方が……。足と身体が、全力で逃げの体勢だけど、走り去るまでは行かない。

「祐馬も大変よね。ご恩のある北澤さんだからって、こんな子供と婚約だなんて。小さな事を恩に着せて親子共々祐馬に迷惑をかけるなんて、ほんと、常識を疑うわ」

「はは……何のことだか……」

「やだ、そんなことも教えてもらってないの? ふふ。じゃあ、あなたもその程度の、お飾りの婚約者なのね。安心したわ。祐馬、あなたと結婚するつもりなんて、ないわよ」

 相変わらず美人な野崎さんは、相変わらず可愛い笑顔でにっこりと、空恐ろしく笑って、言いたいことはいったとばかりに去って行った。

「……こっわー……」

 呆然とつぶやいて、私は、また、露木さんに言えないおもりを胸の中に落とした。


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