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今日は久しぶりに両親が二人して帰ってきていた。しかもまだ夕方なのに。自室にいると、ママが手招きした。
なんであんなにこそこそしながら呼んでるんだろう。
疑問に思いながらついて行くと、書斎でパパが何かでかい声で独り言を言っていた。
「乃愛には会いに来ないつもりかね」
パパ何してんの。疲れすぎじゃないだろうか。
『いえ、もう、彼女は、僕の顔なんて見たくないだろうと思いますよ』
苦笑気味の聞き覚えのある声が、パパの独り言に応えた。
電話だ、スピーカー機能使って話してたんだ。相手は……露木さんだ。
『僕はきついことをたくさん言ったので。……でも、北澤さんがお嬢さんと仲直りできたのなら、よかったです』
寂しげに笑う声がした。
「おかしいね、娘は、君に嫌われたと、泣いていたんだが……」
何を……!! と、私がパパをとめるまもなく、ママに口をふさがれた。
「んぐっ」
『いえ、嫌われているのは、僕の方だと思うんで、それはないと……あの日、僕はもう少し彼女に気持ちを整理する時間を、あげるべきだったのに。それをせずに頭ごなしに気持ちを否定したんですから……』
「その話は娘から聞いている。君に言われるまで気付かなかったと、謝ってくれたよ。あの子が私たちを許してくれたのは、君のおかげだ。……本当に、君には世話になりっぱなしだな」
『いえ、僕がしたことは、たいしたことじゃ……』
「……わざと、なんだろう? 私たちの所にあの子を返すために、わざときついことを言っただろう」
え、と息を飲んだ。パパがこっちにちらりと目を向けて、にこりと笑った。
電話の向こうで言葉を詰まらせていた露木さんが、ごまかすように応える。
『……買いかぶりすぎですよ』
「君は、奥ゆかしいね」
『……ははっ、なんですか、それは』
何となく、パパの言ったことで正しいんだろうと思った。きっと露木さんは、パパの言うように私と両親を仲直りさせるために、わざと私が露木さんの所から逃げたくなるような態度をとったんだ。そう思うと納得がいった。
あの状況で私に厳しいことを言うだなんて、言われてみれば露木さんらしくなかった。
なのにあんなことを言ったから、ずっと怒っていたんだと思っていた。淡々とした声も、表情の動かない顔も。冷たい視線に突き放されているんだと思った。
でも、そうじゃないとしたら。あの態度の意味は、露木さんの優しさだったりするのかな。嫌われていたわけでも、怒ったわけでも、ないのかな。
なんか、喉元が苦しい。まぶたが熱い。パパとママに泣きそうなのバレたくなくて、ぐっとこらえた。
「婚約は、破棄するかい?」
唐突にそういったパパの声は、とても静かだった。
思いがけない問いかけに、胸が貫かれたように痛くなった。
何言ってるの。パパ、だって、露木さんとはもう少し婚約したままでいるって……まだ、助けが必要だって……。
分かってる、いつまでも頼ったらいけないことぐらい。でも、でも……。
迷惑だと分かっているのに、解消するのは嫌だと叫びそうになった。
『……もう少しだけ、名目だけでも、彼女の婚約者でいさせてもらえませんか? もう、近くで守ることは出来なくても、少しぐらい、大切な子を守るかっこいい婚約者のフリをさせて下さい』
厳しい顔をしていたパパは、静かに提案を拒否した露木さんの言葉で、ふっと表情を和らげた。
「……うちの娘は、可愛いだろう」
『そうですね、ずっと、家にいて欲しいぐらい、可愛いです』
二人で笑いながら冗談でも言い合うような応酬。なのになぜか、それが本心のように聞こえた。
私の願望なのかもしれない。父に合わせているだけかもしれない。でも、電話の向こうの露木さんを想像すれば、優しく目元を和らげほっとするような笑みを浮かべている姿しか思いつかない。
「うちの娘は本当に可愛くてな。だから嫁にはやらんと思っていたんだが、君になら、任せられる」
『……彼女が、頷いてくれるわけが、ないですよ……僕は、嫌われてしまいましたから』
「乃愛が、君を嫌うもんか。家で話すときは、ずっと君の話題だ」
ちょ……!! だからパパ、何を……!!
またもや爆弾を落とされて、がたりと身体を揺らせば、叫ぶ寸前またママに口を押さえつけられる。
シーって口元に人差し指を立ててにっこり笑ってるけど、その迫力が怖いです、ままん。
『はは。どうせ、僕の悪口でしょう? ずっと嫌味ばかりぶつけてたんで。嫌われたのは、半分は北澤さんのせいですからね』
「だから、嫌ってないと言うに。乃愛の口から、君を褒める言葉以外は、聞いたことがないよ。どれだけ世話になったか、どれだけ優しくしてくれたか、最後にあった日のことは、感謝の言葉しか聞いたことがない」
だからパパ、やめて……!!!
「んぐっ」
ママの手は、力強かった。
『……そん、な……ま、待ってください、そんなわけがない……!! だって、俺は……!!』
露木さんの声が、震えていた。ひどく驚いた様子で叫ぶ声に、彼の動揺の訳が分からず、私は抵抗も忘れて、二人の会話に耳を澄ませた。
『俺は、乃愛を傷つけました。傷つくと分かっていて、あえて傷つける言葉を選びました。……感謝、なんて……』
「……もう一度、乃愛と、やり直すかい?」
『いや、でも、待ってください、本当に、彼女は……?』
「君の元に戻りたいかと聞けば、君に嫌われているから無理だと、しょげている。なあ、露木君、君はあの子が、欲しいかい?」
少しの沈黙があった。
それは、私にとって、とても長い沈黙だった。
そして、絞り出すような声が書斎に響く。
『……許して、もらえるのなら……』
「じゃあ、今夜乃愛に会いに……あ、すまない、今、乃愛が飛び出していった。じゃあ、今夜は乃愛を頼むよ」
『は、はぁ?! ちょ…!! 北澤さん、まっ……え?! さっきの話、乃愛に聞かれて……?! まさか?!』
「うん、その、まさかだねぇ」
『なにしてんですかー!!』
後ろで露木さんの叫び声が聞こえる。パパがめっちゃ笑っている。うん、パパ、意外といたずら好きなんだよね。罪のない嫌がらせ、大好きだよね。愛はあるけど。悪い結果にはならないけど。精神的ダメージ、半端ないけど!
私もおかしくてたまらなくなって、声をあげて笑いながら帰る準備をする。
ざまーみろ! 何も知らされずにはめられる気持ち、ちょっとはこれで思い知ったか!!
私は荷物をまとめて、両親のいる書斎に駆け込んだ。
そして満面の笑顔で手を振る。
「パパ、ママ、ごめんね! ありがとう! 私、露木さんトコに、帰る!」
「「帰る」ね。あの子のうちは、ここだったと思うんだがなぁ……」
「乃愛の帰る家は、もう露木さんちになっちゃったのね」




