ぷろろーぐ
「決められた婚約者企画」参加作品
「……おまっ、ジャムの……!!」
……みんな、私をバカだと、罵ればいいんじゃないかと思う。
私はテーブルの下で両手を握りしめて、身体をこわばらせたままうつむいていた。
顔が、あげられない。
あげたくない。見たくない。なぜ、こんな事に……。
泣ける物なら泣いてしまいたい。
うつむいて見つめる斜め下の床には、特段にらみつけたくなるような物は何もない。
「……ジャム?」
母の訝しげな呟きが耳に届く。
ジャム。はい、ジャムです。
ジャムなんて知らない、ジャムなんて知らないってば!! と、心から叫ぶことが出来れば、どれほどよかっただろう。
私は聞こえなかったふりを決め込んで、身体をかちんこちんに固めたまま、斜め下の床を睨み続けた。
「乃愛? ジャムって、何かあなた、心当たりがあるの?」
頷きたくない。でも、嘘つくのって、勇気、いるんだよね……。となると、出来る事なんて限られている。
私は目をそらしたまま、固まった笑みを浮かべたまま床を睨み続けた。
「失礼しました」
そんな母子の攻防に口を挟んできたのが、爆弾を落とした目の前の男だ。いつぞやとは違って、ずいぶんとがらがよろしくなっていらっしゃる。
「そちらのお嬢さんに見覚えがあったので、思わず口を突いて出ました」
すみませんとさわやかに笑って、首の後ろを掻いているが(たぶん……うつむいている私の目の端に映るのは肩から下だけだ)誰だお前、別人だろう。
「あの、もしかして、娘があなたに何かご迷惑を……?」
「いえ、たいしたことではないんです。僕の不注意で、そちらのお嬢さんと街角でぶつかったことがありまして。……その節は、失礼しました」
は? なんだこの嘘つきはーーー!!!! あなた、あの時、ものすごい柄悪く罵ってきたじゃないの!!
怒鳴りつけたい衝動を必死に抑えて、口元が無意識にぷるぷると震える。
だがしかし、あなたが自分が悪いというのなら許してやろう。許してやろうじゃないか。
「それで、ジャム、というのは……」
ママ!! それをどうして蒸し返すの……!!
「いえ、その時に、お嬢さんが咥えていたパンのジャムがシャツに……」
暴くなぁぁぁぁぁ!!!!!
やっぱりあんた、悪意の塊じゃんーーー!!
思わず顔を上げると、私の視線に気付いたヤツが、にこりと笑顔を向けてきた。
「たいしたことではないので、どうぞ、お気になさらず」
根に持ちすぎだろ、おまえぇぇぇぇぇ!!!!!
事の起こりは昨日の朝。
目覚めると、遅刻ギリギリだった。
飛び起きて準備をし、パンにジャムを塗り、でも時間がない、食べる時間がない!!
やむなくパンを持ったまま家を出た。
朝っぱらからパンかじりながら小走りするなんて、あまりにもみっともないが、でもでも、朝食べてないとどうしても私は頭も身体も働かないのだ。おなかがすいたとか言うよりも、頭がぼーっとして思考力が足らず身体も異常なほど重くて、まともな活動が出来なくなる。
だから、仕方がない。
そんな言い訳を頭の片隅に、私はパンをかじりながら先を進む。そこの曲がり角の先に自販機があるから、そこでコーヒーでも買って……。
パンを咥えて両手を空けると、バックの中を探って財布を取り出したその時。
どすん。
自販機脇から急に人が出てきてぶち当たった。
「……んぐっ」
顔にパンが押し込まれた。と同時に私がおなかの前に持っていたバッグが相手のみぞおちにぼふっとぶち込まれた。
ぐほっと頭の上でうめき声が聞こえた。
きゃぁと声をあげたかったけど、口の中いっぱいのパンに阻まれて、代わりに「ふごぉ!」っていう変な音が喉と鼻から漏れて、私のヒットポイントはかなりやばいことになっている。
慌てて口からパンを取り出し「ご、ごめんなさ……」と言いかけたところで、「……てめぇ……」というガラの悪い低い声が頭の上から。
「ふざけんなよ。くっそ、服にジャム付いてんじゃねぇか!」
え。なにこの人。
びっくりして呆然と相手の顔を見る。
「パン咥えて公道歩くとか、バカじゃねぇの?! これから仕事行くのにこんなん付けられたら迷惑なんだよ!」
「ご、ごめんなさい……」
「謝って済む問題じゃねぇよ。くそっ、染みついて色が目立つっ」
イライラした様子で、その人は服を指でぬぐった。私は慌ててバッグからハンカチを取り出し彼の胸元に手を伸ばした。
「いらねぇよ!」
吐き捨てるような声と共に払いのけられて呆然とする。
ぐっと涙がこみ上げる。
確かに、私が悪かった。
確かに私はジャムパン食べてたし、よそ見してたし、注意してなかった。でも、走ってたわけじゃないし、邪魔にはなったかもしれないけど、そっちが気をつけていたら衝突は防げたはずだ。
私も悪い。だが、そっちで一方的に被害者面すんな!
こういうときって、結局ぶつかったらお互い様でしょ?
謝るのはやめて、目の前のいらだった様子で服をこする男を見るとにらみつける。
ふざけんなはこっちの台詞だ! 何で私だけが怒られてるの! 悔しくて、でもどう言ったら良いか分からなくて、唇をかみしめて男をにらみつける。
「んだよ。見てんじゃねぇよ。……あんたもその顔、どうにかすれば? ジャム、べったりついてんぞ」
馬鹿にしたように笑われ、苛立ちと、腹立たしさと、恥ずかしさで顔に血がのぼる。涙で視界がにじむ。持っていたハンカチで顔を隠すようにおおい、それから怒鳴った。
「懐のちっさい男だな!!」
そう捨て台詞を吐くと、思いっきり走って逃げた。
そんな悲劇の出来事を思い出しながら、この世から消え去りたい衝動と対面する。
もうなんだよ、あの捨て台詞。もうちょっと、こう、かっこよくて、相手の心をえぐるような言葉はなかったのかと。あの捨て台詞は、自分が恥ずかしいだけじゃないか。恥の上塗り!!
でも、もう二度と会うことはないと思ったのに! 思ったのに!!
再会は、最悪だった。まさかの、無理矢理連れてこられた見合いの席。目の前の見合いの相手が、まさかのあの時の男。
私が相手の顔を見て固まったのと同時に、彼もまた思わず立ち上がって……冒頭の台詞だ。
見合いの後は、さんざんだった。いや、見合いと言うより、あれは、婚約者としての顔合わせと言った方が正しい。
母にはこってりと絞られた。
あの暴露の後の母の固まった笑顔が怖かった。笑顔で謝罪し、机の下で私の握り拳を、ぎゅううううっと握ってきたその力強さが怖かった。
帰ってきてからは悪夢だ。延々と、ねちねちと、だからあれほど歩きながらものを食べるなと!! すぐにあなたは!! と、同じ事を何度も何度も責められ続けた。
あの人の態度もひどかったと、小さく訴えてみたりもしたけれど、そりゃ怒ってあたりまえでしょと、とりつく島もない。そうなんだけど、そうなんだけど、その通りなんだけど! すごく納得いかない。
とにかく、もうこれ以上責めないで、私、十分に後悔してるから……。
母のお小言に、ぼそぼそと「はい」「ごめんなさい」と、呟きながら、あのいやみったらしいヤツの笑顔を思いだして、私もまた心の中で延々とヤツをなじり続けてやった。
北澤乃愛十九歳、大学1年。このたび、露木祐馬二十七歳、父の経営する会社の取引先社長と婚約することと、相成りました。
ふざけんなぁぁぁぁぁ!!