柴田景子の乱入。そして逃亡。
『偉そうに、わたしに説教なんて出来る立場なの? あんた』
『偉くはないけど・・・・・・おまえには言えるよ。―――うん、言わなくちゃダメなんだよな、おれはっ』
無理に強がる僕がいた。あの当時の清水優子の現す行動には、付き合いきれない部分が大半であった。危なげに差し出す好奇心は少女の域を超えるまでに迫っていたほどだ。自暴自棄と呼ぶには、いささか早々の感も否めなかったけれど。
『言わなくちゃって―――、変な使命感に浸らないでよっ。だいたい・・・・・・保護者でもないくせにさ、関係ないでしょう、あんたにはっ』
しかし、勢いの割には僕から目線を逸らしながらの彼女の弁だった。
『その保護者を無視ってたのは誰だよっ―――いい加減にしてほしいよな。表面では良い子ぶってさ、裏では完全に非行に走ってたろ、おまえっ!』
優勢を感じ取った僕は、いやらしくも清水優子の過去に迫ろうとしていた。
『今さら何よ―――。ふん、誰だって背伸びする年頃じゃない。あんたみたい―――』
『はいストップ―――ッ! ちょっと、あのさ・・・・・・繰り返すけど、おまえらってそういう会話の仲だったっけえ?』
堪らず中島が、絶妙のタイミングで僕たちの対立の仲裁に割り込んでくれた。
このままの勢いであったならば、先ほど企てた二人の密談計画はおじゃん。いや、それどころか遠藤の話題が沸騰するのは必至。そうなれば清水優子の暴動も必然。三年前の失態、プラス、僕をも交えてのクーデター騒動にさえ発展することになるだろう。
『つまり、学校外の付き合いさ。教室ではもちろん―――』
『卒業してからでしょっ。適当なこと言わないでっ!!』
『あいすみません・・・・・・』
『卒業してからってのも―――、どうしたって怪しいよなあ?』
完全に疑いの眼で、中島が僕たちの表情を窺いはじめた。
『ま、まあまあ・・・・・・、過ぎし日のおれ達の関係なんてどうでもいいじゃんかさあ。それよか、再会を祝ってもう一度乾杯しようぜえっ。 なっ、なっ!』
苦し紛れという言葉が、実感できた瞬間でもあった。いつものように黙って白けていればいいものを、どうしてだろう、この場に限っては妙にお喋りな僕が居た。きっと清水優子との関係を迫られるなんて、決してあり得ないことだった。今にしてみれば、その勘ぐりさえ、嬉しくも思えていたからだ。
『だーかーらーっ。怪しいんだってえ―――っ。おまえらさあ、絶対っ、怪しくねえ?』
目が据わっている。そして口元も少々おぼつかないでいる。中島良太は単に酔いに任せて絡んできているようにしか見えなかった。僕たちの隠し事なんてたいして興味などないくせに、きっと、この場を乗り上げるための材料でしかないのだ。
『さすが中島くんよね。探偵みたいに鼻が利くところなんて、昔っから変わってないみたいだわ』
その筋の扱いには、さすがに慣れているのだろう。清水優子が最高の褒め言葉を差し出した。
『―――だろう。そうに決まってんじゃんかあ。おまえらの隠し事なんてえ、すでにお見通しってわけだ。なっ!』
それに気をよくして、中島が身を乗り出しての上機嫌。典型的な酔っ払い親父を披露するのだ。
『わかった、白状するわ・・・・・・。中島くん、あなたの言うとおり、あたしたちはそういう仲だったの。言い出せなくてごめんね』
『清水っ、お、おまえっ!』
『古屋くんもういいよ。昔のこと隠してたってどうしようもないじゃない。時効よ、とっくに時効―――』
観念するように吐き出した彼女は、ちらっと僕に向けてアイ・コンタクトを送ってきた。薄笑いを浮かべる彼女の口元は、ちゃっかりとへの字に歪められていた。
意図的な彼女の調子合わせに、相変わらず歯車のかみ合わない僕であった。
『あ、ああ・・・・・・っ』
ようやく話の展開が理解できた僕は、それに便乗するように神妙に応えるのであった。
『いいかいてめえらっ、おとなしくお縄を頂戴しろおぉーーっっっ!』
まったく核心を外れて、中島が自らオチをつけるのだった。宵の席の、まるで馬鹿げた茶番のエンディングのようでもあった。
『―――盛り上がってる最中に、大変申し訳ないんだけれど・・・・・・。あのさ、中島にお客さんみたいだぜ』
『ああん―――客だってえ?』
中島の滑稽さを横目に、呆れ顔の木村雄一が白々しく割って入ってきた。そうして何やら含みをもたせながら、木村は俯きながら大きく苦笑するのだった。
『B組の景子がさっきから大声でおまえを呼んでるぞ。ほれ見ろっ。あっちの席だぜ』
『景子―――って??』
『忘れたのか? おまえ告られたろっ、卒業式の後でさ。体育館の裏手に無理やり引っ張られてたじゃんかよ!』
『げげっ、まさかっ! あ、あの柴田景子かあ―――っ』
“あの”と、前置きをするほどのつわものが存在していたのだ。B組の景子っていえば、我が校を代表するほどの巨漢の持ち主だった。性格もその身体つきに合わせてか、大らかでさばさばとしたものだった。実家が肉屋であったからか、毎度の食事も栄養満点の献立だったように聴いていた。直接的にはお目にかかってはいないけれど、彼女の弁当には牛ステーキ肉で溢れていたということも、当時、話題になっていたほどだ。
『そうか、おまえは随分と会っていないもんな。大丈夫だって。あいつ、今や牙も肉も取れちまってるから』
『そんな訳ねえだろうがっ! お、おれ、トイレ行ってくるわっ。木村っ、上手く誤魔化しといてくれよお』
慌てる中島の様子を眼前に、僕は興味津々に構えていた。
木村の言うとおり、あれは確かに卒業式の日だった。式も終わり、それぞれが教室でのお別れ会へと向かう途中のことだった。体育館につながる外廊下を悲鳴をあげながら逃げ惑う中島の姿が目撃されたのだ。見ると、中島の制服のボタンは全て剥ぎ取られ、まるで追いはぎにでも出会ったような様だった。しかも、中島のあとを追いかける景子の形相といったら、それは凄まじいの一言につきた。
中島の今の慌てようを見せ付けられると。その忌まわしい記憶は、奴の中にあっても風化されずにいたようだ。
『手遅れなんだって。もうこっちに向かってるよ、あいつ』
ニヤニヤしながら、待ってましたと言わんばかりに、木村がそれを楽しんでいるようだった。
『へえー。景子とそんな仲だったんだ、中島くん』
『あいやっ、一方的にだな・・・・・・その』
その事件を周知する清水優子にしても、悪戯っぽく言い寄る始末。
『でも、時効よね―――時効』
そして白々しく諭すように、彼女は笑いを抑えてながら言った。きっと、さっきまで絡んでいた中島に対する仕返しにも見えていた。
『中島くんっ、お久し振り。やーだ、相変わらずの人気者ね』
『あ、うん・・・・・・。元気だったか? 柴田』
背中越しに決して目を合わすことなく、中島がやたらとグラスを揺すり始めるのだった。グラスに注がれているのはワインではなく、明らかにビールのはずなのに。余程、景子との青春の思い出には、触れたくなかったのだろう。
『ホントに景子なの? どうしたのそんなに痩せちゃってさあっ。まるで面影ないじゃないのよお』
『うん・・・・・・学生の時病気しちゃってさ、半年入院してたんだ。へへへっ、お陰さまであの頃の半分になっちゃった』
“牙も肉も取れている―――”と、木村の言った意味が理解できた。我が校きっての巨漢であったはずの景子の面影は、どこにも見当たらなかった。しかも、そこに佇む景子の容姿はというと、清水優子に負けないくらいの美貌を携えていた。、
『半分って・・・・・・?』
僕たちの反応を聴くや、恐る恐る中島がゆっくりと身体を反転させるのだった。
『―――っ! ど、どうしたんだよっ柴田―――っっっ!?』
景子の変わり果てた容姿を確認するや、中島が堰を切ったように叫んだ。驚きを超えた、それは驚愕の域にも達していたと思えるほどの反応だった。
『そんなに驚かないでほしいな・・・・・・。あたしだって普通の女子のつもりよ』
『だ、だって、なあ・・・・・・』
まるで目が点、状態―――の、放心状態はなはだしい中島の弁であった。正直、僕だって面食らっていた。景子の変化というか見事なまでの変貌には、ドッキリ・テレビの演出なのか? とも思い込んでしまったほどだ。そしてテーブルを囲む誰もが景子の存在に釘付けになっていた。時が止まった瞬間だった。
『あんた、ちょっと席譲りなさいよっ。景子、ここに座ったら』
『お、おれえ?』
『そう、レディーファストでしょ?』
清水優子に強要されて、しぶしぶ僕は景子に席を譲ることにした。まあ、立食パーティーだと割り切ればそれも苦にはならないだろう。しかも、会場内きっての美女二人を迎えられるなんて、得点満載の申し分ない同窓会だと考えることにした。
当の中島はというと、ちゃっかりと景子の横で大好きなビールをどういう訳かちゅびちょびと味わっていた。不意の景子の乱入のおかげで、紳士的なC組の男子の集いとなっていた。
『景子ってさ、もちろん既婚者よね?』
談笑の最中に、清水優子がさりげなく恵子に語りかけた。
『中学生の娘が居るわ。っていってもシングル・マザーなんだ、わたし』
『・・・・・・そうなの。それぞれ訳ありってことよね』
景子も同じくして、離婚経験者の一人であったようだ。
清水優子の投げかけた言葉には、特別な作為なんてなかったはず。あるとすれば、自身の結婚観のメンテナンスを模索しているということ。断言はできないけれど、景子にかけた何気ない一言が、それらしく聴こえていたからだ。
『おまえと一緒にすんじゃねえよ。景子だっていい迷惑だろう』
『あんたは黙ってなさいっ!』
『――――――っ!』
黙っていればいいものを、僕の厄介な幼児性はことごとく空を切るばかりだった。
『それじゃあ、清水も自立の道を選んだんだ。そーうなんだ。うふふ・・・。なんだか心強いな、わたし』
景子にしても、同士を見つけたようにテンションを上げていた。
『そんな立派なもんじゃないって。たまたま溢れただけみたいだぜ』
『なんでこういうことにしか反応しないのよおっ!。あんたってホント、どういう神経してんの―――ったく』
『ごめん・・・・・・なさい』
でしゃばることの嫌いな僕のはずが、やはり同窓会という独特の雰囲気に惑わされていたようだ。会社組織内で埋もれてしまった自分の存在価値も、この場であれば思う存分威力を発揮することが可能なのだ。そう、僕の中のギャップが暴走を許可したのだ。
『もしかして、古屋くん? あなた古屋くんでしょ?』
『気がつくのが遅いって。いったいどういう神経してんだよ―――ったく』
ほら見ろ、すぐに僕の存在を認める新たな第三者が現れるのだ。多少、タイムラグはあるとしてもだな……。
『だって、あの頃の君って随分と小さかったよね』
『おまえが大きすぎたんだよっ。久し振りに会ったんだ。ちょっとは気の利いたこといえないのか?』
怖いものなんてなかった。それどころか臨戦態勢にスイッチが入りっぱなしの状態だった。当初の予定通り、今日一日ばかりは、あの頃の古屋克己少年を遂行するのみ。
『ぷっっ―――っ! あのさ、古屋のこと覚えてるなんてさあ、はははっっ……っ、結構、マニアックなんだなあ、景子ってっ!』
まったくなにが可笑しいのやら、木村が唐突に吹き出すように言った。さも図ったかのように、僕のことを見下げるように、あからさまにだった。―――いいんだ。マニアックだなんて木村のふざけた形容にも、今の僕は寛容でいられるのだ。
『だって古屋くんいつも俯いてたでしょ。その印象が強くてさ、守ってあげたいな―――なんて』
『おいおい、じゃあ、中島のことはどうだったんだ? あれは思いつきの行動だったっていうのか、おまえ?』
僕の話題に飽き足らずに、木村の矛先は早々に中島へと向けられた。それも当然のことだ。景子と中島に及ぶ話の方が旬に決まってるし、とても興味深い。僕のことなんて所詮、おまけみたいなものなのだ。でも大丈夫。今日の僕はひたすら寛容でいられるのだ。
『木村よお、そんな言い方って失礼だろっ。おれのことはともかく―――』
『もちろん計画的犯行よ。中島くんの他にも四人居たけどね』
失礼だったのは安直すぎる景子の自白であった。それも淡々と言い放つ様は、実に景子らしさをにじませていた。容姿の変化と根っからの性格は、やはり比例することはないようだ。
『はあん―――っ?、よ、四人ってえ?』
『中島くんがあんなに騒ぐもんだから、あとの計画は流れちゃったけど』
『やっぱりそうだろっ? そうに決まってんじゃんっ!。なあ景子さ、中島よりおれの方が目立ってたろ? でっ、最終的にはおれを狙ってたんだろ?』
『残念―――。木村は対象外だったよ』
『あ、あちゃあ……』
撃沈された木村の情けなさそうな顔と大袈裟な素振りは、その場に居た級友を大爆笑の渦に巻き込んだ。即興で馬鹿を演じていた木村のサービス精神の旺盛さには、敬服せざるを得なかった。
そうやって、しばらくは景子の話題で盛り上がっていたけれど、やっぱり遠藤光一の記憶はふっ切れそうになかった。このあとの清水優子との密会にも興味はあったけれど、それに甘えられる事態ではないことを覚悟する必要性があるのだ。単に、遠藤の思い出話で収まるはずもないことは、お互い解りきっていたからだ。
仲間だった彼を、あの時、どうして疎遠にしてしまったのか。どうして止められなかったのだろうか。当時の、仕方なくやり過ごしてしまった会話を取り戻すために、すべてを再記録する準備を始めなければならない。きっと彼女はそのつもりなのだろうし、彼の素顔を知る人物は、僕以外に居なかった。それも事実だった。
『そろそろお開きみたいよ。どうする?』
清水優子がこの後の段取りを示唆するように、僕に耳打ちするのだった。会場の喧騒を鎮めるべく、間もなく閉会の挨拶が始まろうとしていた。ステージ上に招かれた、現役教頭の石本とやらが、妙に知ったかぶりに僕たちの行く末を按じてくれていた。
他校からの転勤で、たまたま我が母校の教頭の椅子に就いたに過ぎない。しかも、そのよそ者たるや、もっともらしく与えられた言葉で、僕たち同窓生の支持を得ようとしていたことは明白。
有難いはずのお言葉を無視しながら、僕は清水優子の袖を引っ張った。
『どさくさに紛れて出ようぜ。本通り交番の前で待ってるから』
『あ、うんっ』
すかさず僕は、トイレに行く振りをしながら、そそくさと会場を後にした。正面玄関に辿り着くまでの数十秒が、やけに長く感じられた。まるで逃亡者のように心境は穏やかではいられなかった。
それにしても、かなりの量を呑んだにしては足取りは堅かった。交番までの距離は一キロ足らず、十分も歩けば着くはず。
『―――何時?』
交差点で停止中の僕は、とっさに腕時計を持ち上げた。針は午後七時二十分を指していた。八月の太陽は既に就寝時間。街はうっすらと灯りを施し、お盆休みの土曜日らしく、大勢の学生らしき人たちで賑わっていた。
『この後って、どうしよう……』
交番の赤いランプが近づくにつれ、僕は大きく迷い始めた。そもそも女性との外出も、とんと縁がなかったし、街中のデートスポットにも足を踏み入れることもなかった。けれど、清水優子が到着するまでに気の利いた場所を確保しなければならない。
さてと―――。
意を決して、清水優子を待つことにした。よくよく考えれば彼女と密接な関係が始まる訳でもない。あくまでも同級生止まりの関係なのだ。それよりも何も、遠藤光一に関する供述を揃えることの方が、僕には苦痛に思えた。
一体、彼女の目的とは何なんだろうか? 今更、彼の存在を蒸し返して何のメリットがあるのだろう。