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アビーロードを聴きながら  作者: GUN
8/11

清水優子との密談

―――『おい古屋、何ぼけっとしてんだよお? 遠藤って生意気な奴がいただろうよ。覚えてんだろ?』

『ああ、何となくだけれど……ね』

 木村の強引な突込みに、やはり僕は曖昧に返した。今になっても彼との交友関係を置き去りにしたかったのだろうか。僕自身、いたたまれない思いでいっぱいだった。


『おっと、清水が戻ってきたぜ。やばいやばい―――。今のは無しということでよろしくっ!』

 そつなく中島がそう言いながら、僕のグラスにビールを勢いよく注いだ。勢い溢れ出る泡に慌てて口を添える僕だった。

『古屋くん、お水ちょうだい』

 席に着くなり、清水優子が空のグラスを僕の鼻先に押し当ててきた。

『やっぱ呑み過ぎたんだろっ。いい加減にしろよ、おまえさ』

『この程度で酔うわけがないでしょ。何年わたしと付き合ってんのよ。古屋くん』

『あのね、おれたち会社の同僚じゃないんだから。飲み会の時のおまえなんて全然知らないから。そうだろ?』

 そう返したものの、彼女の言い分にはまったく違和感がなかった。こうした宴の席に同席するなんてことも、せいぜい数年に一回くらいのものだ。けれど常に一緒に酔っぱらったつもりになってしまう感覚がとても不思議に思えていた。やはり同級生の存在とは、ある種の感慨深いものがあった。


『ねえ、あの時のブランデーの味、覚えてる?』

『あ、あの時って……?』

 こっそりと僕に耳打ちするように、清水優子が悪戯っぽく囁いた。あたかも二人だけの秘密話に及ぶかのように、意味深に語り掛けてくるのだ。

『やだ、あの時よお』

 不意に彼女からの香水の香りが、僕の左頬を甘く通り抜ける。接近する彼女の吐息は、わずか数センチの距離で浮遊していた。

 あの頃、彼女に向けた淡い思い出が捨て切れていなかったように、やはり僕はときめいていた。しかしながら油断は大敵と言う。今こそ冷静になれ。清水優子は酔っているのだ。しかも、この場はそういう場なのだから。


『あいつの部屋で盗み飲みしたでしょ。あのブランデーよ』

『あいつの部屋―――っ?』

 正直、ぴんとこなかった。だって、あいつとかブランデーとか、いつのことを何のことを言ってるのか、僕には全く心当たりなんてなかった。それ以上に、突飛過ぎる彼女の耳打ち作戦に戸惑うので精一杯だった。

『ふーん。どうやら、お忘れみたいだわね』

『だ、誰のこと? いつのことさ、清水っ?』

『―――いいの、勘違い。きっと、わたしの勘違いよ』

 ぎこちなく間を空けて、彼女は急に冷めたような口調で僕との会話を諦めた。僕の反応の鈍さに消沈したような気配が、とっさに読み取れた。

 清水優子はすぐにグラスを持ち上げると、一気に水を飲み干した。どこかしら怒ったようにも見える彼女の横顔が、ぼんやりととても懐かしく思えた。


『あ―――っ!?』

 その瞬間だった。僕の過去の記憶をめくるように、脳内の側頭葉が超高速でスキャンを始めたのだ。めくられた無数の記憶のほんのわずか一片には、清水優子らしき影がスライドしていた。まだ若く、あどけなさを満面に蓄えていた彼女の素顔は、確かにあのときの十五歳の少女だった。


『清水っ、そ、それって―――っ』

 薄暗い部屋の中、テーブルに置かれたブランデー。すぐ横には彼と僕。そして、ふてくされたような彼女の横顔が断片的に映し出されていた。

 完全に消去したはずの記憶が、皮肉にもこの場所で蘇ってしまった。

『し―――っ。大きな声出さないで』

『あっ、ご、ごめん……』

『こっちから切り出しておいて悪いんだけど。あとでいい、古屋くん』

 清水優子にしてもおおっぴらにしたくなかったのだろう。軽はずみな自分の言葉に釘をさすように、神妙な趣に変わっていた。

『その方が……おれも都合がいいと思うけど』

 二人にしか通じない記憶の再生にこの場はふさわしくない。彼女同様、僕も即座に判断したのだ。


 三年前のクラス会で起きたと聴かされた清水優子の失態。それをほのめかす木村と中島の大袈裟な会話の意図が、今になってようやく僕は理解できたようだ。

 懐かしさで溢れる同窓の場は、時に記憶のすれ違いをも容認してくれる。それぞれの思いが交錯する中で、安易に真実を歪めたりもするはず。その場に居合わせた清水優子の耳に迫っただろう、思い出話のやりとり中に、恐らくは“奴―――”の計った愚かな痕跡が、無責任に注入されていたに違いなかった。

 

 彼女の荒れる原因となった“奴―――”の存在。そう、消去したはずの遠藤光一に関する記憶のすべてが、みごとに修復された瞬間だった。

 けれど、どうして彼女はこの場で僕に耳打ちしたのだろうか? 彼女にとっても再生を逃れたい記憶でもあったはずだ。

 いったい―――どうして?


『ねえ―――、二次会って行くの、古屋くん?』

 都合の悪い密談を断つかのように、唐突に彼女が訊いてきた。

『あっ、う、うん……まだ、決めてないけど、どうして?』

『抜け出さない?』

『抜け出すって、二人でかあ―――っ!?』

『声、大きいってばっ』

『あいすみません……』

 二次会への流れなんてまるで考えていなかった。だから彼女の思惑に対しても相変わらず要領を得ない僕だった。それにしても、つい興奮して取り乱してしまったようだ。それというのも、まるで僕だけを誘う彼女の言葉には、驚き以上に嬉しさが込み上げていたからだった。

 情けなくも、さっきまで遠藤光一に関わる記憶に負い目を感じていた僕の真実とやらは、いとも簡単に宙を舞っていたのだ。


『おいおい―――。またまた密談かよおっ! お前ら二人って、さっきから相当怪しくねえかあっ?』

 酔いの進んだ中島が、更に調子よく身を乗り出して、僕たちの“私語”を、たしなめるように絡んできた。

『だって、昔から仲良かったもんねえ。そうよね、古屋くーん?』

『ああ、まあね・・・・・』

 清水優子の繰り出す臨機応変とは程遠く、僕の口からやっと出たのは、まったく要領の得ない生返事だった。

『けど、何で清水があ? そもそも古屋と絡むことなんてなかっただろ?』

 中島の指摘するように、当時の彼女と僕の間に交友関係があったなんて、クラス内では誰も知るはずもなかったのだ。所詮、アイドルに集る末端のいちファンでしかないように、それほど清水優子という存在は彼方にあったのだ。


『卒業してからよ。ほら、男子って結構変わったりするでしょ? 高校からもてはじめるなんて、意外とあるものよ』

『そーんな一般論には当てはまらないだろ、こいつはさあ? だってえー古屋だよ。あの存在感ゼロの、古屋克己だよおーっ!』

 お気楽に酔いに任せながら、中島良太がこれ見よがしに囃し立てるのだった。

 けれど、それも仕方のない事実だった。中島の言うように、教室内での僕の存在感は極めて低かったからだ。と言うよりも、むしろ僕の望んでいた環境でもあったのだ。疎ましい対人関係を回避するように、気の合う少数の友人とだけの域に留まっていたかったのは本当だった。


『相変わらず酷い言われようね。古屋くんったら、そんなんでいいの?』

『だって、中島の言う通りだし……それも、まあ、おれの個性でもあったわけだから』

『自慢になってないでしょう―――っ。だから馬鹿にされるのよっ。―――ったく、あんたってねえ、進歩がないっていうか、その歳になっても成長の欠片も見当たらないのねっ!』

『そ、そんな言い方ってないだろ、おまえだってさあ・・・・・・』

 いくら自分の過去をリセットしたつもりでも、あの頃の僕を知る級友の前では裸同然の僕だった。

 やっぱり来なければよかったのにと、今さらながらそう思った。

 この会場の中での僕の階級は、あの頃と同じでしかないと分かり切っていた。その事実を、目の前の彼らはお節介にも忠実に再現してくれていたのだ。

『あたしがどうかしたの? 文句があるのならはっきりと言えばいいじゃないの、ねえ古屋くん』

『あのさ……その、上から目線の言い方って何とかなんないのか? 女だったらさ、男を立てる配慮くらいあってもいいだろ?』

 勝気でもって男勝りで、他人への配慮なんてお構いなしの超お嬢様。当時の彼女を一言で表すとすれば、ざっと、こんなイメージになるのだろうか。


 そんな我侭の塊で生きているような清水優子。きっと普通の男子では付き合い切れない人種で、誰が好んでこんな女にって、内心、僕はいつも思っていたほどだ。ああっとっ!・・・・・・彼女の最高のルックスは、さて置いてだけれど。

 そんな彼女の存在が高嶺の花のままで済むのなら、そのほうが気楽でよかったとも思っていた。しかし、運命の歯車は大きく進路を変えてしまう。清水優子と僕の関係も、信じられないほどに密接することになる。

 その原因はこともあろうに、奴に―――、あの遠藤光一の存在に起因するのだった。

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