come together
『掃除してないけど、さあ入って』
招き入れられた彼の部屋は、豪邸の名にふさわしく天井の高さなんて圧巻ものだった。
『すんげえな、ここ・・・・・・』
それ以上に驚いたのは、部屋中の壁の半分がレコードジャケットで埋め尽くされていることだった。
壁面にピン止めされている派手な模様のジャケット。まるで60年代の洋楽すべてがこの部屋に集約されているようだった。
『他人に見せられるほどの代物じゃないけどさ』
『レコード盤ばかりだ。しかも、全部あっちものだろ?』
『へえ、結構、物知りなんだ古屋くんって』
『ま、まあね』
僕の収集する邦楽の類とは明らかに異なる画を見ると、そう答えるのが自然の成り行きだとも思った。
『じゃあ、ビートルズって聴いてるよね?』
『父さんが好きだったみたいだけど・・・・・・おれは―――』
確かに父の持つカセットテープの中に、ビートルズのものの幾つかがあった。車の中で流れていた音楽も、ビートルズサウンドが主だったような気がする。
『そうなんだっ。それで気が合うわけだ僕たちっ!』
『そ、そうなのかな・・・・・・』
僕のすぐ前に顔を置いた彼は、小さく曖昧な僕の声を聴き分けることなく、大きくはしゃぐのだった。けれどそれはあくまでも父の興味の範囲であって、決して僕もそれに従うわけではなかった。たまたま父の聴いていた洋楽の一部でしかない。正直、その程度のことなのだから。
しかし彼の寄せる僕への期待感は、妙に快感を与えてくれていたのは事実だった。
『じゃあ、メンバーの中で誰がお気に入りなのかな?』
『誰がって―――特には』
『そうなんだ。人物じゃなくて、楽曲そのものに惚れ込んだんだね。つまり古谷くんは純真なる彼らのファンってことだ』
『あ、うん・・・・・・つまり、そういうことになるのかなあ』
『さすがビートルズ。誰からも愛されていたんだね。今日から僕たち同志だね、古屋くんっ!』
彼の勢いに押されて、僕もにわかにビートルズ信者に名を連ねることとなるのだ。ここにきてノーと言えない日本人気質が暴露された瞬間でもあった。僕に親近感を抱いただろう彼の喜び様は、他の友人たちの比ではなかったからだ。そんな彼の期待を裏切りることに、僕は強く罪悪感さえ覚えていた。
“The Beatles “彼らは四人編成のグループだということはおぼろげに記憶していた。世界的に有名だっていうことも、僕らの年齢にしてみれば当たり前に認識出来ていたし、ラジオから流れる情報も少なくもなかったはずだ。
『このジャケット、最高にカッコいいんだ。ほら、君ももちろん知ってるだろ?』
『知らないわけ・・・・・・ないじゃん。家にもあるわけだし・・・・・・』
後に引けない僕の自尊が、想像を掻き立ててくれていた。我が家の壁にも同様にジャケットはピン止めされているはずだ。
『ほら、ジョンのポジションが最高にいいだろっ! 先頭を歩いているなんて、さすがリーダー的存在が光ってるじゃないかっ。ねえ、そう思わないかい?』
『あ、ああ・・・・・っ。白い洋服なんて、いかにもって感じで、おれは好きだね・・・・・・ジョンが・・・・・・さ』
横断歩道を歩く四人の写真。その先頭を歩く人物、それがジョン・レノンだった。
『なんだ、やっぱりジョンのことが好きなんだよね古谷くんも。そりゃそうに決まってるさ。ビートルズを語るうえではジョン抜きでは始まらないからね。だってジョンの作り上げた詞を読むといつも感じるんだよ。彼の自由で大らかな発想と、実に茶目っ気な言い回しには、ハイ・センスなんて形容は当てはまりっこないんだ。なんて言えばいいんだろう。独創的で―――』
もはや彼のお喋りを止められる術なんて見当たりもしなかった。放っておけば恐らくは朝まで喋り続けるだろう勢いだった。
『―――彼の幼少期にはね、孤独感に溢れていたらしいんだ。だって、親の都合で一緒に暮らせなかったんだよ。寂しいに決まってるさ。それで、反抗的な少年期を送ることになるんだ。どうしても両親の愛情にしがみつきたい一心で―――』
『―――久し振りに聴いてみたいよなあ・・・・・・』
とにかく彼を制止したい一心で、思うがままに切り出した僕だった。
『おっと、そうだよねっ。ごめんね気がつかなくて。すぐかけるから、待っててっ!』
実に僕の会心の一撃だったようだ。
彼はすぐさま椅子に立てかけられているレコードを手にすると、丁寧に中身を取り出した。彼の手にしたアルバムこそ、余りにも有名で全世界の同志を魅了した、“Abbey Road ”だった。
『さあ、ジョンが始まるよっ!』
“ジョンが始まる―――”という言葉の意味が、僕には正確に理解できていなかった。
だって、ジョンはあくまでビートルズの一員であるわけで、アビーロードはジョンのソロ・アルバムであるはずもなかった。
でも、彼のずいぶんと無邪気な一面を目の当たりに見せられると、そんなことどうでもいいように思えた。
レコードプレーヤーに慎重に盤を置いた彼は、ゆっくりと針を乗せた。チリチリとレコードの溝を走る独特のノイズが、二人の会話を止めた。
“Shoot me! Shoot me! Shoot me!
Here come old flattop. He come grooving up slowly
He got ju-ju eyeballs. He`s one holy roller
He got hair down to his knee
Got to be joker he just do what he please
―――Come together right now over me
―――Come together right now over me “
『ひゃっほう―――っ! ねっ、最高だろ。いいだろ。もーう、どうしよう』
明らかにビートルズ馬鹿が存在していた。両手で頭を抱え、狂うように悶絶するのだった。彼は完全に自分の世界に浸っていた。
けれど一曲目が終わるとすぐに、彼は何故かプレーヤの針を外したのだった。続いて嫌な予感が僕を襲った。
『Come Togetherってさ、ジョン自身も最高にお気に入りの曲だったんだ。日本で発売された当時はさ、歌詞の翻訳なんて不可能ってくらい言われたんだよ。それもそうさ、あのころのジョンなんて末期のがん患者同然さ。意味不明で直感でしかない言葉遊びに興じたような詞だもの。僕が読んだって訳が分かんないよ。確か1969年頃だったかな』
停止していた彼の自慢がまた発進された。さしずめ、嫌な予感的中といったところだ。
『この曲はね、実に四部構成になってるんだよね。一部目はジョージのことを、二部目はポール。そして三部目にジョンがくるって寸法さ。そして残るラストにリンゴ。それぞれのメンバーに宛てたメセージ的、歌詞なんだ』
すらすらと解説をする彼の、このグループに関する知識は相当に半端ではないらしい。保有するレコードの数もそうだし、書棚に並べられた本の量だって圧巻ものだった。まさにビートルズ漬けの生活と言っても過言ではなかった。
『さて、ここで問題でーす。アビーロードってどこの国にあるのかお答えください。古屋克己くんっ!』
『え、ええ―――っ?』
『勿論、応えられるはずだよね。熱狂的ファンの君だったらさ?』
つまらない自尊で話を合わせたことが、やはり仇になってしまった。しかも熱狂的とまで格上げされては、引っ込みがつくはずもなかった。
『知らないはずが……ないじゃん。勘弁しろよ遠藤っ―――』
とっさにハッタリ勝負に出た僕だった。じんわりと脇の下が汗ばんでいくのを感じた。どうでもいい見栄の塊りが、僕の心臓の鼓動を高回転させるのだ。
『―――そうだよねえ。そんな当たり前のことなんて訊く方が野暮ってもんだよね。あっはっは。やんなっちゃうな、ホント』
『頼むよ、遠藤さあ……』
ひきつった苦笑いで、僕はその場をやり過ごすしかなかった。しかも今後の展開にドギマギしながら、部屋に置かれた時計の針を凝視した。
『事実上、最後のアルバムだったからね。思い入れも強かったんだと思うよ、彼らもさ』
『……』
これ以上のコメントは得策ではないようだ。いいや、それどころじゃなかった。頭の中は真っ白で、しかも言語機能も停止状態に陥っていた。さっきから時計の針の進む速度の遅さに、苛立ちは頂点に達していた。
“コンコン―――”
『――――――っ!』
たかが扉をノックする音に、僕の心肺は停止する寸前だった。それほどまで重圧を感じていたのだろうか。
『分かってるよ幸っちゃん。すぐ行くから』
『光一さん、スープの冷めないうちにどうぞ。それから、古屋さんのお母様に連絡もしておきませんとね。ご心配でしょうから』
『そんなの分かってるってっ!』
話の腰を折られたようで、彼は少し不機嫌そうに扉の向こうの幸っちゃんに冷たく返すのだった。しかし、僕にとっては恵の幸っちゃんだった。
『オムライスが待ってるから、行こうか』
そそくさとレコード盤を終いながら、彼は仕方のないように僕の方を見るのだった。まったくこの家での彼の様子はまさに駄々をこねる子供のようだった。あの教室で見せる彼の大人びた態度は、おそらくは虚勢。対人関係になにかしらフィルターをかけているのだろうとも思わせるのだった。
度重なる転校の影響なのだろうか。しかも、文化も生活習慣も異なる異国の地で、彼の情緒は安定を許されなかったのだろう。不意にそんなことを考える僕がいた。
『―――うん、そんなわけで遠藤くんの家に泊まるから……う、嘘じゃないって、本当だってっ!』
受話器の向こうの母の疑惑にも頷ける気がした。母にしても、見も知らぬ同級生の遠藤って聴かされても、そこに信憑性などあるはずがなかった。
『わたしが代わりましょう。古屋さんいいですか?』
幸ちゃんが気を利かせて電話を交代してくれた。さすがに年の功というのだろう。遠藤くんの母親と称して、なんなく母を説得していた。
ようやく食卓についた僕の目の前には、特大オムライスの他に野菜サラダ、湯気の立ったスープに、そして数種類の果物が並べられていた。我が家に食卓では到底ありつけない豪華メニューに、僕は目を疑いたくなるほどだった。
驚きついでに言っておこう。さっきまで不機嫌だった彼はというと、さっそくオムライスにスプーンをくぐらせていた。それはそれは、とても無邪気な子供のように。