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アビーロードを聴きながら  作者: GUN
6/11

幸っちゃんという人物

『ははっ、まずいこと言っちゃった……みたいだね』


 彼にしても、さすがに違和感を感じていたのだろう。他人に話すべき内容ではないことに、すぐに気付いたようだ。

『古屋くん、今のは無しにしといてくれないかな』

 あっけらかんと僕に内緒話を預けて、彼はまた進み始めた。彼の生い立ちの中で、両親の存在とは一体―――?

『もうすぐだよ。ほら、あの古びた建物さ』

 一転、ひょうひょうと彼の指さす方向には、大きな屋敷がどんと構えられていた。見るからに重厚そうな、まるで映画の中にでも出て来そうなそれだった。

『晩御飯、食べて帰るかい?』

 またも不意に、彼が僕に誘いを掛けてきた。あたかも当然のようにだ。

『いやっ、そこまでは』

 もちろん僕は拒否反応を示した。彼の家に呼ばれたとしても、長居をするつもりなんてこれっぽっちもなかったからだ。

『今晩はね、きっとオムライスさ。すごく美味しいんだ。幸っちゃんの作る料理は天下一品だからね』

 それでも彼は、どうにも晩御飯の献立に執着しているようだった。

『幸っちゃん……て?』

 それにもまして、幸っちゃんという人物のことが気に掛かっていた。それは母親を呼ぶ言い方なのだろうかと……?

『うちの家政婦だよ。ううん―――? もう一人の、母親ってとこかな?』

『母親……って??』

 家政婦なんて存在も現実的でない僕にとっては、彼の言う“もう一人の母親”との言い回しにしても、いささか疑問を抱かざるを得なかった。

『食べて帰りなよ、古屋くん』

『あっ、う、うん』

 大屋敷に、家政婦の幸っちゃん。僕の生活水準を遥かに超えた異世界の入口に、つい、興味本位だけが前のめりになっていた。


『そうだっ!ついでに泊まって帰ればいいよ。そうそう、どうせ明日は祝日だし。ねえ、そうしないかい?』

『それは無理だよっ! だ、だって家の人にも迷惑じゃないか。急にそんなことって迷惑にきまってる。絶対っ!』

 誘惑に駆られる僕の意識はともかくとして、せめて彼の勢いだけは阻止しておきたかった。余りにも自由すぎる彼の発言が、中学生に身を置く僕の範疇を逸脱しそうだったからだ。親の許可なくして友人宅に外泊だなんて、そんな自由は認められているはずもなかった。


『大丈夫さ。今晩も両親は帰って来やしないよ。迷惑なんて思うはずもない』

『旅行にでも行ってるのか……? 二人でさ』

『お互い仕事だと思う。きっとね』

『徹夜残業ってわけ?』

『多分、海外に高飛びしてるさ。この時期、珍しくもないからね』

『海外で残業かあ……』

 僕の父親の定番の残業は認識していた。晩御飯の支度の最中に母親がよくぼやいていたからだ。家族揃っての食卓なんて、平日は皆無だった。

『そんなことどうでもいいから、さあ、入って』

 大きな玄関扉に手を掛けると、彼は僕のカバンを強引に引っ張った。

『ただいまっ! 幸っちゃん、お客さんだよ。ねえ、居るんだろ?』

 開かれた扉の先には、豪華なシャンデリアが天井に居座っていた。それにしても余りにも広すぎる空間に、僕の住処がとてもみすぼらしく思えてしまった。


『入りなよ古谷くん。遠慮なんていいから』

『お邪魔します……』

 何故か身をすぼめて僕はご丁寧にお辞儀をしていた。よそ様のお宅に入るのに、こんなに緊張することなんて経験したことがなかった。

『ねえ幸っちゃんっ。お客さんだってば、ほら、早く出ておいでよ』

 靴を脱ぎ棄てると、彼は大声で幸っちゃんを呼ぶのだった。

『は――い、少々……』 

 奥の方で声が聴こえたかと思うと、パタパタとスリッパの音が近づいて来た。

『あら光一さん、お帰りになったの。それはお疲れ様ですね―――』

 初老で白髪の女性が姿を見せた。その人が幸っちゃんのようだった。とても上品そうで、顔立ちの良さは若かりし頃の美形を想像させるくらいに、妖艶だった。

『幸っちゃん、古屋くんだよっ。僕の親友の古屋―――ええっと……?』

 さすがに僕の下の名前までは把握し切れていないようだった。転校から一か月も経っていないから、それも仕方のないことだった。

『古屋…克己です。よろしく』

『そうそう――古屋克己くんだよ。よろしくねっ!』 

 照れ笑いを交えながら、彼はまた強引に僕のカバンを引っ張るのだった。

『そーう。光一さんのお友達なのね。ようこそおいでくださいました。わたし、堀田幸枝と申します。どうぞよろしくね』

『幸っちゃんさあ、今晩、泊まって帰るから古屋くん。部屋を用意しといてね』

『えっ、あっ……』

 断る言葉が出てこなかった。この屋敷に足を踏み入れたが最後、お伽の国に迷い込んだかのような錯覚さえあった。それは実に興味深い体験でもあった。


『そうですか。それじゃあ二階のあの部屋にしましょうね。少し狭いですけど』

 幸っちゃんはすぐに僕の泊まる部屋を特定した。きっと彼の連れて来る客には慣れているのだろう。

『晩御飯って、オムライスだよね。幸っちゃん?』

『えっ、今晩もですか、光一さん?』

 そうだった。幸っちゃんのオムライスは天下一品なのだと、帰り道に彼が自慢していたことを思い出した。

『古屋くんに食べさせてあげたいんだ。幸っちゃんの自慢のオムライスをさっ! ああっ、それから古屋くんの家に電話するのを忘れないでね。今晩、うちに泊まるからってさ。いいね幸っちゃん』

 高揚するように忙しく彼が幸っちゃんを煽っていた。

『はいはい、そうしておきます』

 慣れたようにそう返すと、幸っちゃんは僕を二階の部屋にまで案内してくれた。立派な螺旋階段を上って行くと、大きな絵画が数点、壁に掛けられている。どれも見覚えのある著名な画家のものばかりだった。


『光一さんがお友達を連れて帰るなんて、ほんと久しぶりかしらね。あんなにはしゃぐことって滅多にないことですもの……』

 幸っちゃんの漏らす言葉の信憑性に、改めて僕は彼の交友関係の希薄さを垣間見た気がした。海外生活を漫遊していると決めつけていた彼の実態は、反面、孤独と背中合わせでもあったのだ。

『仲良くしていただいて感謝します。それに、光一さんの無理矢理にお付き合いくださったのね。古屋克己さん?』

 僕のことを子供扱いもせずに、幸っちゃんは大きく礼を済ませると、すぐに目的の部屋の前で立ち止まった。それはまるでホテルのように、幾つかの扉を過ごした廊下の一番奥の部屋だった。

『掃除が行き届いてませんので、少々、我慢してくださいね。古屋さん』

 前置きをしながら、幸っちゃんの握る扉のノブが、重々しく静かに回された。そして両手で押された扉は、部屋の中に吸い込まれるように自然と引き込まれて行った。

『日当たりは良好ですよ。朝なんて眩しいくらいですもの』

 西日を逃れた部屋の中は、意外にシンプルに纏まっていた。それでも大きなベッドの迫力には、やはり圧巻させられるのだ。背の低いアンティーク風の家具が並ぶ様は、まさに欧風の洒落たホテルを彷彿させるのだった。

『そうそう、お家に電話しておきましょうね。古屋さん、お電話番号いいかしら?』

『あっ、―――いいです。僕が電話します。直接、母さんに』

 とりあえず、母親の持ち出す剣幕が気になってしょうがなかった。たとえ彼の好意だったにしても、よそ様のお宅に世話になるのには、ある程度の順序立てが不可欠に違いなかった。


『それは賢明な判断です。親の心、何とかって言いますものねえ。やはり親にしても心配なものです。ここは是非、あなたにお任せしたいと思います』

『はい、ありがとうございます』

『あなたのお母様の顔が見えるようです。ちゃんとお育てになってらっしゃるのね。礼儀正しい挨拶と受け答えが、それを感じさせますもの』

 幸っちゃんの褒め言葉に、正直、僕は赤面したかった。我が家の子供への躾なんて、単なる親の気分次第の叱咤でしかなかった。それでも身についた礼儀のひとつが幸いしていたと思った。それはというと、母親の得意の外面の良さに起因していたのだろう。、

『母から散々言われてましたから。挨拶だけはちゃんと―――』

『古屋く――ん、僕の部屋に来ないかいっ? ねえっ!』

 幸っちゃんとの会話を裂くように、階下から声が上がった。

『あ、う、うん―――っ』

 その声に不意打ちをくらったかのように、ぎこちなく僕が返した。もちろんその声の主は彼以外であるはずもない。しかし、いつもの彼のそれとは余りにも違った趣だった。はしゃぐように、急かすかのように、まるで駄々をこねるような彼の声色を耳にするなんて、教室では決して味わえない希少な出来事だった。


『ほらほら、光一さんの自慢話が始まるようですよ。夕食までには時間もありますから、ちゃんとお付き合いくださいね。古屋さん』

 そう言われても、彼の自慢話なんて今さら珍しいことでもなく、僕にとってはある意味苦痛にさえ感じていた。彼の発する言葉の8割以上は、自慢話で構成されていたと断言してもいいくらいだ。

『下りてきなよ古屋くん。ねえ、聴こえてるの?』

『はいはい、今すぐ向かいますから。さあさ、お急ぎになってね古屋さん』

 それでも幸っちゃんに急かされるように、僕は彼の部屋へと移動した。慌てながら螺旋階段を下る途中で、予定通り彼の姿が視界に入った。


『Welcome to my art gallery!!』

 大袈裟に両手を広げた彼は、満面の笑顔で僕を歓迎するように佇んでいた。

『御飯の支度が整いましたらお呼びしますからね。どうぞごゆっくり』

『手を抜いたりしたら承知しないからね、幸っちゃん』

『まあ、手厳しいこと』


 まだ要領の掴めない僕の脇をするりと抜ける幸っちゃんの横顔は、うっすらと嬉しそうに眉を上げていた。

『おいでよ古屋くん』

 僕のシャツの袖を引っ張りながら、彼の自慢話のお膳立てが確かに進行されて行くのだった。

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