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アビーロードを聴きながら  作者: GUN
11/11

本当の友情とは

―――“ねえ、あの時のブランデーの味、覚えてる?”


 思わず清水優子の問い掛けに、僕は正面から答えを探し出そうとしていた。あの時のブランデーの味と、彼を見捨てた僕の本当の理由を探そうと―――。


『どうしたんだ古屋? おまえ、そんなキャラだったけ』

 早速、中島が突込みを入れてきた。やはりお決まりのように僕の素行に口をはさむのが、当時からの奴の常套手段であった。

あの頃の中島の繰り出す一言一言には、相当に嫌気を覚えていた。知ったかぶりの態度はもちろんのこと、ありもしない僕の失態を想像にまかせて可笑しく囃したてる無神経さに、僕の自尊はいつも埃まみれの教室の床を徘徊するばかりだった。

『ああっと、忘れてたぜ―――。どうでもいいけどさ、お前らのとった別行動の意味を教えろよ。いい歳してこそこそしてんじゃねえぞおっ!』

 思い出したように中島が、僕と清水優子の顔をまじまじと直視した。まるで裏切り行為を詰るかのように僕たちを視た。中島のその言葉に続いて、木村と景子までもが、疑心暗鬼の眼差しで構えていた。

 いよいよ判決が下される時を待つのだった。


『―――ねえ、遠藤光一っていたでしょ。覚えてるわよねあなたたち?』

 その時、清水が迷うことなく本題を口にした。

『ああ……奴だろ』

 穏やかに中島が、清水から目線を外しながらぼそっと応えた。きっと、三年前の清水の乱心の経緯に、少なからず二の足を踏んでいるようだった。

『何でだろう。ねえ、どうして……』

 景子がぽつり声をつまらせながら、彼のことを悼んでいた。

『知ってるのか奴のこと。古屋?』

『知っているどころか、親友だったさ。ほんの半年だったけど……』

 木村の問いに、僕はすべてを応えるつもりで言った。彼のことを親友として受け入れることにも、抵抗はなかった。だってそれが事実だったからだ。隠していた彼との親交を口にするにつれ、僕の記憶は鮮明に蘇っていった。

 彼とのほんの些細な会話にしたって、再生可能なくらい確かに僕の少年期の記憶が再生されていくのだ。



―――『どうして君は仲間から外れているの? 君のほうからだよね、敢えて交わろうとしていないように見えるけど』

 前触れもなく彼が訊いてきた。それは彼の家に寄りつくようになって、一か月が過ぎた頃だった。夏休みを前に本格的な暑さがこの部屋の窓にへばりつくほどの勢いでギラギラとした季節の到来だった。

いつもは洋楽の話題で過ごすはずの夕刻が、今日だけは様子が違っていた。

『…………』

 彼からの問い掛けに、僕は閉口したままだった。

元来、煩わしい人付き合いに積極的になれない僕は、自己都合の学校生活を送ろうと決め込んでいた。いじめの問題は確かにあったけれど。そこまで重大ともいえなかったし、むしろ憎むほどの仕打ちを受けているとの実感もなかった。

『やっぱり応えたくないんだね。そうさ、そんなの大きなお世話ってこと。古屋くん、ごめんね』

 不思議と潔く引き下がった彼は、相変わらずジョンのレコード・ジャケットを撫でながら、流れ出す歌声に深く感銘していた。普段の彼の性分からすると、けたたましいくらいの反論が沸き起こってもいいくらいだった。

 しかし彼は、僕の一瞬の沈黙を察してくれたのか、隙を見せるように誤魔化してくれていた。

 この頃になると、彼の部屋にあるレコード盤は一通り聴かせてもらっていた。それほどこの部屋に通い詰めていたということになるのだ。つまり、学校帰りの恒例行事と言ってもよかった。


『ジョンの母親はね、まだ幼かった彼を残して父親以外の男と出て行くことを選んだんだ。だからジョンは母親の愛情を知らない。―――ううん、そうじゃない……敢えて知らされていないんだ』

 思い出したように、彼が喋りはじめた。 

 ジョン・レノンの孤独を代弁するかのごとく、彼は憤りを隠せない様子で、まるで自分のことのように語り始めたのだ。親の都合により幼くして伯母に預けられたジョンの境遇を、きっと彼自身の身の上に重ね合わせていたに違いない。

 相変わらず仕事を優先する彼の両親は、最愛のはずの息子の成長をも、他の者に委ねてしまっていた。だから親代わりに彼の面倒を見てくれたのは、他でもない幸っちゃんこと、堀田幸枝さんであった。

 

彼が9歳の誕生日を迎えようとする頃、やはり彼の両親は忙しく出張の準備に追われていた。

『幸枝さーん。悪いけど光一のことしばらくお願いね。わたしは名古屋で、この人は、えっと……』

『俺はイスタンブールだよ。前から言ってたじゃないか。亭主の居所くらい、知らないでどうするんだ』

 翻訳家の母親と、外交官の父親。ともに多忙な毎日を送っていた。互いに超仕事人間を自負するような、そんな立派なキャリアの持ち主であった。だから、幼い頃から彼の世話は幸っちゃんがすべてを司っていたわけだ。

『だって、あなたの出先なんてころころ変わるんだもの。覚えていられるほど暇じゃないんですから。わたくしも』

 国内大手の車両部品製造会社や製薬会社を中心に、某商社等から声の掛かる母親の翻訳家としての力量は並外れたものだったらしい。しかもオファーがあれば何処にでも出向かうというサービスぶり。勿論、交通費や宿泊費は先方持ち。当時はインターネットなんて特殊技術はまだ確立されていない時代だったから、在宅ながらの業務遂行とはいかなかったようだ。家庭の都合を後回しにしてまで、先方の要望する場所へ通う。それが彼の母親の信条でもあった。まさしく仕事人間ゆえの、堂々たる姿勢であった。


『あのう……。光一坊ちゃんのお誕生日のことなんですけど……』

 仕事依存症の両親の会話の隙を窺うように、堪らず幸っちゃんが本題に入った。

『あら、そうだったわよね。―――大丈夫よ、それまでには帰れると思うわ。ねえ、あなた?』

思い出したかのように母親が、やっと愛息子の記念日に反応していた。

『俺は無理だからな。それも前から言ってるだろ? あっちの大使との折り合いがつかないんだよ。こりゃ相当な持久戦になるかもな』

 簡単に、しかもあっさりと応える父親らしからぬ弁だった。結局、大切な記念日への父親の欠席が確定的となったようだ。もはや海外でのテロが勃発しない限り、父親が国内に残る可能性はないのだろう。

『まあ、可愛い一人息子の誕生日も祝えないっていうの? それでも父親なのかしらあなた?』

 忙しくバッグに荷物を収めながら、母親が冷めたような口調で、さも相方を諭すように口を開いた。

『白々しいこと言っちゃってさあ。今に始まったことじゃないだろ? そう言うおまえさんだって、去年あれほど念を押してたのにさあ、まさかのドタキャンときたもんだ。もう、わんわん泣いて大変だったんだぞ、光一のやつ』

 返す言葉の裏側には、父親の責任逃れの一端が垣間見えていた。息子の誕生日はどうしたって二の次。そう言わんばかりの無責任な対応にしか見えなかった。

『あれは仕方なかったのよお。だって、先方さんの都合が優先されてたんだもの。わたしだって心で泣いてたわ。息子の誕生日に母親がいないなんて、そんなこと恥かしくて誰にも言えやしないわ』

 そう言って嘆く母親の言葉には、ある種身勝手な巧みさが際立っていた。と同時に大人のずるさを見たような気がした。しかし、仕事の都合を散々並べてどんなに言い訳をしようが、息子への思いは遮断されていたことには違いないのだ。


 何のために仕事に就き、どのような家庭生活を望むのか。それぞれの価値観でその選択肢も無数にあるだろうけれど、せめて両親不在の食卓を省みるくらいの配慮はなかったものだろうか。

家庭生活円満の基盤を以てこそ和楽への道が開けるのだ。いくら仕事に没頭しようが、家庭を子育てを疎かにする親の行為には、どんな正当性も感じられなかった。

『仕方ないわねえ……。それじゃ誕生日プレゼントを奮発してよ。いい、あなた?』

『もちろん、そのつもりだよ。はははっ、ぶったまげるだろうよ、光一』

『まさか、動物のはく製なんてことないでしょうね? そんなのこりごりだわ』

 母親のうんざり感で思い出した。そう言えばこの家のリビングのいたる所には、数々の野生動物の何かしらが飾られているのだ。鹿の頭だったり、象牙だったり。国内では珍しい小動物の置物までもが点在していた。挙げ句、虎一頭と思しき皮を剥いだと思われる敷物が足元にふわりと横たわっているのだ。やはりあれは父上の仕業だと、今、はっきりと認識させられた。


 夫婦間の笑い話で済まされようとしたその時だった。部屋に居たはずの彼が無言でリビングに姿を現したのだ。まるで下階の騒動に苦情を言いたげな、そんな面持ちだった。

『あら、どうしたの光一?』

『…………』

『そうそう、パパがね素敵な誕生日プレゼントを買ってきてくれるって。楽しみねえ』

『…………』

『どうした光一。欲しい物があるんなら言ってみろ。叶えてやるぞ』

 子供の目先の機嫌を窺うかのように、父親も母親も物で解決しようとしているようにしか見えなかった。それは長くから二人に沁みついた子育ての最たる悪習慣であっただろう。


『来年……ここを離れるの? 次はどこの国?』

 ぽつりと感情を押し殺しながら言い漏らす彼。その口調には、正直、不安を吐き出さずにはいられなかっただろう葛藤が密かに浮かび上がっていた。まだ9歳にも満たない年齢の彼にとって、父親の都合でしかない移住に常に得体の知れない困惑がつきまとっていたことは明白だった。

『まだ正式には決まっちゃいないさ。しかし―――、おそらくは中央アジア方面だろうなあ、きっと』

 相当もったいぶってはいるが、父親のほのめかす赴任先には、特別な高揚感さえ感じられていた。

『ウズベキスタン辺りは、古代歴史街道や世界遺産に埋もれているからなあ』

 憧れの地に思いをはせるかのように、父親は憧憬の眼差しを宙に投げ出していた。

『あなたの……、遠く学生時代の美しい思い出の場所だったわよねえ。けど、よくもまあ放浪の旅なんて出来たものね。怖いったらありゃしない』

 夫の若き頃の昔話を回想しながら、母親が呆れたように言った。

『冒険は人生の最大の港なりってね。本能がそう叫ぶんだなあ』

『まったく気ままでいいわよねえ。けど、生活密着型のわたしには、到底理解が出来ませんけど』

 さらに呆れるように、母親が続け様に言い及んだ。しかし現在の夫にしても、学生時代さながら、放浪の旅を続けているかのような移住の職に身をおいていた。


『僕だけ、ここに残っていい?』

 言葉の合間を縫って、静かに彼が冒険の糸口を探ろうとしていた。

『は、はあん? 残るっていったって、つまりお前一人で生活するってことになるんだぞ。そんな無茶言うんじゃない』

 息子の単なる我が儘だと、父親は軽く受け止めていた。

『そうよ、光一の歳で独り暮らしなんて早すぎるし、親のわたしたちの責任だってあるのよ。だいたい幼い子供を一人残してだなんて、親として肩身が狭いわよお』

『一人じゃない。幸っちゃんがいる』

 ぽつり言い放った彼は、やはり父親の目を見れないままにうつむいたままだった。強く握られた小さな拳は、光一少年の覚悟を物語っていた。

『馬鹿言ってるんじゃないっ!』

 そう言って父親は、煙草をくわえながら卓上ライターに手を伸ばした。親に対する子供の謀反に少なからず苛立ちを隠せないでいた。

『あのな光一。確かに俺たちはお前の期待通りの親ではないかも知れない。かと言って幸枝さんに親代わりなんて頼めるものか。そんな甘えた―――』


“バン―――ッ!!”

 瞬間、父親の声を遮り、テーブルを激しく叩きつける音が部屋中に響き渡った。光一少年の小さな拳が分厚いテーブルに突き刺さったかと思えるくらいの勢いだった。

『幸っちゃんが親代わりじゃないか……。僕のおしゃべりの相手は、幸っちゃんしかいない。幸っちゃんしかいないんだ……』

 ぽたぽたと大粒の涙をこぼしながら、彼は幸っちゃんの顔を愛おしく見つめるのだった。幸っちゃんはすぐに顔を背け、困り果てた様子で佇んでいた。きっと彼の言葉を不憫に思いながら心で泣いているんだと、僕にはそう思えた。

『とにかくお前の主張は受けるわけにはいかんぞ。まだ9歳だし、ママの言うように親としての義務を放棄するなんて言語道断。時期尚早ってもんだ。いいな』

 光一少年の覚悟を打ち砕くに充分な父親の結論だった。親としての義務なんて自己都合に酔いしれた詭弁。その鈍くこもった響きが、幼い彼の心の中で悪性の腫瘍のように住み着くのだった。


 その夜、光一少年は寝付けないでいた。辞書で引いた時期尚早の四文字に漠然とするばかりで、確固たる進路を描けないでいる。幼い彼の心中は、ただただ悶々とするばかりであった。


『大人はずるい生き物だと決まってるんだ。自分勝手に人の心を推し量る。そして決め込んでしまうのさ』

 自分の親を非難するかのように、また、大人という生き物全般を否定するかのような彼の弁だった。そして、こうも言った

『僕は大人になりたくない。ましてや自己都合で人の自由を奪う大人なんかになってたまるものか』

 きつく結ばれた彼の目線は窓の外の風景に投げられていた。言いようのない彼の孤独感と、それに直結されたような強い葛藤に、僕は何も言えるはずもなくじっと彼の横顔を捉えていた。西の空に傾きかける太陽から放たれる黄金の光の束が、部屋中を包み込んでいた。

 その眩さに、“アビーロード”のジャケットの中の4人が、今にも歩き出そうとしているようだった。

 

親の束縛から逃れられずに、彼は海外を流浪するようにいくつもの国境を越えた。目の当たりにする人種の違いや風景に、常に驚かずにはいられなかった。

 まだ幼い光一少年の好奇心は、どこの国へ行っても変わらず旺盛だった。見も知らぬ土地を一人でやたら歩き回ったりした。天気の悪い日には部屋にこもりその国の歴史や文化に囚われる日々を繰り返した。言葉の違いに戸惑いながらも、その好奇心はとどまることなく発揮されていた。

 海外での生活はやはり家政婦が彼の面倒を見てくれていた。贅沢にも数名の家政婦に囲まれた国もあった。言葉の壁はあったにしても、優しく接してくれることに感謝さえ覚えた。けれど、やはり幸っちゃんがよかった。親代わりに沢山のお喋りに付き合ってくれる幸っちゃんが光一少年は恋しくて仕方なかった。

 両親は共に忙しく、家を空ける仕事中心の生活に終始していた。

 あの日、光一少年の心に深く住み着いた腫瘍は、したたかに息を潜めていた。時期尚早という四文字の薬が、悪性のはずのその腫瘍を掴んで離さなかったのだ。


『夏休みの計画なんてあるの、古屋くん?』

『特にはないな』

『デートの予定もかい』

『またまた、知ってるくせに。おれは女子には興味がないんだ。それよか光一のほうこそ宛てがあるんじゃないのか?』

 この頃には、僕は彼のことを光一と呼んでいた。でも相変わらず彼は僕のことを古屋くんと呼ぶのだった。その呼び方に違和感を持ってはいたが、強要するべきことでもなかったし、いつか自然とそうなるのだろうと思うしかなかった。けれど、どこか寂しさは否めなかった。

『うん、あるよ』

『ほんとうにか?』

『だってもてるんだもの、僕』

 淡々と彼が応える。そうとうな自身さえ感じる。嫌味なくらいにそういう男なのだ、遠藤光一って男は。

『で、相手って誰?』

 興味津々に僕は訊いた。ジョンと洋楽の話ばかりで成り立っていた二人の関係だったから、なお更、女子の話に食いつかないわけがなかった。さっき女子に興味がないと言い放った僕の嘘が、彼の相手となる人物を執拗に探っていた。

『清水優子さ』

 思わず衝撃が走った。ま、―――まさかっ!?

『清水って―――っ! あ、あのっ?』

正直、耳を覆いたくなるほどの衝撃だった。まさか、まさか、まさか……。あの清水優子の名前が出てくるなんて、ほとんど悪夢としか思えなかった。

『だって他にいないだろ』

『…………』

 放心状態という現実。を、ただ受け入れるしかなかった。と同時に、彼に向けられる疑念がくるくると頭上を旋回する。どうにも居心地が定まらないでいた。

彼の正直さには以前から好感を抱く僕だったのだが、今回ばかりはその正直さに敵意を抱いてしまうほどだった。

『横取りしちゃったのかなあ。君の―――』

『そ、そんなわけないじゃんかっ。だ、誰が清水なんて……』

 彼は気づいていたようだ。僕が清水優子に密かに憧れを抱いていたことを、すでに見透かされていたのだ。

『可愛いよね彼女って』

当たり前のようで、けれどどこか含みを持ちながら彼が言った。

可愛いのはすでに承知の上。僕だって太鼓判を押すほどの美貌なのだ。しかし、彼の表情は何故かしら無表情を保っていた。

 あえてそう言う彼の思惑がつかめなかった。何を思ってそう言ったのだろうか。僕には残念ながら汲み取ることができなかった。ましてや、そんな余裕なんて持てるはずもなかった。

『三人で一緒にってどうかな』

『三人……って?』

 矢継ぎ早に、一方的に話をまとめようとする彼。しかし、その思惑についていけない僕。そうなのだ。つまりは僕を交えてのデートっていう意味だった。

『その方が健全だと思うけど』

『ああっ、そうかも』

 健全と申し出た彼の意向に、苦し紛れだけれど素直に従う僕だった。けれど、それは確かに賢明な選択だったと思う。何故ならば中学生同士の一対一の交際範囲は、当時、思うほど広くはなかったからだ。それこそ近所をふらつく姿を同級生に目撃されようなら、翌日から噂の標的にされることは必至。あたかも三流週刊誌の記者のごとく、心無い執拗な取材が待ち受けることとなる。最悪の場合、教室の黒板に祝福の落書きさえ容赦なく書き込まれるのだ。


『男女関係でも後進国を名乗っているとすれば、どうすればいいと思う古屋くん?』

『それより光一さっ。どうやって口説いたんだ、あいつを?』

 気になって仕方なかった。どういうきっかけで清水優子とそんな関係になったのか。そのことを突き止めたい一心で、柄にもなくでしゃばるのだった。後進国だか何だか知らないけど、彼の能書きなんてこの際どうでもよかった。

『やだなあ古屋くん。口説いただなんて言い方はスマートとは言えないよ。紳士的に言うと友好の証しってことかな』

 またまた彼の欧米文化的発想が無意味にばら撒かれていた。そんな余裕なんてどうでもいいから、とっとと、彼女との成り行きを吐き出せ―――っ! と内心、僕はそう叫びたかった。

『通ってる小学校が一緒だったからね。とは言っても、ほんの一年間だった。まだ三年生くらいだったから、お互いに忘れてしまってたと思ってたんだ。だから―――』

 僕たちの通う中学校は、三つの小学校に通う卒業生徒から成り立っていた。北、南、西のそれぞれの小学校を学区内に擁していたからだ。彼は観音北、僕は南観音小学校。だから中学に上がるまでは、まったく面識もない赤の他人だったわけだ。清水優子の存在にしても必然的に中学校生活で知ることとなる。

 そんな清水優子との出会いを、彼は日記帳を読み上げるかのように確かに、そして克明に僕に伝えてくれた。彼女の育ちの良さからにじみ出る聡明さや、幼くも眩いくらいの美貌。次第に彼女へと向けられていく憧れに寄りそう恋ごごろまでが、鮮明に映し出されていた。

彼が父親の転勤に躊躇し、反発するまでのいきさつが、その理由が分かったような気がした。大好きな彼女と離れて生活することは、彼にとっては致命的なことだったのかもしれない。光一少年にとって清水優子とは、それほど大切な存在だったのだ。


『彼女との再会はね、最高に嬉しかったんだ』

 そう言いながら、まるで恋人との再会を果たしたかのように、彼の頬は徐々に赤く染まっていった。

 あの日、国内に留まることを断念せざるを得なかった光一少年にとってみれば、彼女との再会は遥か遠い旅路の帰着点のようでもあった。

『な、なんだあ、そんな関係だったんだ。はは……それを早く言ってくれよ』

 安堵の溜め息さえ出そうだった。

清水優子と彼との繋がりをあれこれと詮索していた僕の嫉妬心は、どうやら蕾のままでいられたようだ。二人の関係が小学校のころからの顔見知りであるのならば、何ら不思議のない交友の証しにさえ思えた。

ついさっきまで置かれていた窮地から、まったく平穏の境地を授けてくれたかのように僕の心中は活性化していたのだ。

『でもさ―――』

 ―――? 何故か低く萎れたような彼の声だった。さっきまで黄昏ていたはずの彼の抱く純愛は、まるで影をひそめるように沈み込んでいたのだ。

『ずいぶんと変わってしまったようだ―――。あの頃の彼女とはまるで別人さ』

 “別人―――?”

突如、裏返したように彼が意外とも思える発言に及んだ。それと相まって彼の表情からは、落胆の色が隠せないように見とれた。

 そもそも昔の彼女を知らない僕にとっては、不思議としか聴こえない突然の彼の呟きだった。

『あの頃とは別人』と言い放った彼の思惑には、やはりどうにも納得のできない僕だった。

 現に彼女はクラスの人気者で、持ち前の才女ぶりを発揮する一方、思いやりに長けた最高にカッコイイ女子だった。だから僕も憧れを抱いているわけで、突如、彼の見せる残念さにはまったくもって理解不能だった。

『あいつの何が不満なんだよ。好きだったんだろ? おれには分んないな、おまえの考えてることってさ』

 彼と清水優子との関係が小学校の幼馴染だったと知った瞬間、僕にはある種の余裕を背負うことができていた。だから彼に向かう言葉の勢いもそれなりに調子に乗っていたようだ。

『君には分からないさ……。そう―――分かりっこない』

 しかし、余りにも他人行儀のように彼の口から洩れ出す覇気のない音声に、僕はつい苛立ってしまうのだった。

『……あのさ。勝手に話を持ち出したのはおまえの方だよな』

 デートの予定がなんて、触れなくてもいい話題を提供したのは間違いなく彼だった。

『なんでそんな終わり方になるんだよ。おまえから切り出したんだよな、そんな無責任でいいのか』

 たまらず口を付いて出た僕の言葉には、信じられないくらいの攻撃性がともなっていた。つつましく吐き出したつもりだったけれど、僕の本心はやはり彼への嫉妬心に揺さぶられていたのだと思う。

『残念だけど、君にはどうしたって理解できっこない。ごめんね古屋くん』

 そう言って申し訳なさそうに小声で応える彼。しかし、それでも彼は自我を通すことに懸命だった。

 いくら僕が相手だからって、軽く流されることには我慢の限界ってものがあった。

『そんな言い方ってないだろっ? あいつの何が変わったっていうんだよ。まずはそれを説明しろよっ!』

 今までの僕であれば、多少の違和感があったとしても必ず同調していたと思う。決して対立を好まない優柔不断の性格が僕の持ち味でもあったし、筋金入りとまで自覚していたほどだ。けれど今回は違う。彼との関係には今までにない特別なものを感じている。何があっても対等でいられると、そう信じられるからだ。

『…………』

 めずらしく彼が閉口していた。常に歯に衣を着せぬもの言いが彼の持ち味だったはずなのに、今はただじっと思慮しているように黙りこくったままなのだ。

『だからあ、分かるように説明しろってえ。なんだよ急にさあ……遠藤っ』

 仮に、僕が彼に与えたダメージがあるとすれば、おそらくは当たり前として口にした彼への“反逆”だったのだろう。

 今までの僕は彼の前では従順な友人を演じていた。彼の語る多くの持論に意図的に頷いて見せたりもしていた。それは彼の機嫌を損なうことにとても抵抗を感じていたからだった。友人付き合いが苦手な僕にとってみれば、これほど親近感を感じた人物は初めてといっていいほど新鮮な出来事で、僕のつたない人生観を一掃するほどに感化されていた。

 彼のことを友人かと訊かれれば、すぐさまYESと答えられる。けれど無二の親友として彼を受け入れた場合、僕の演じる従順なんて、まさに無慈悲な行動に値するのだろう。

 僕は脱皮したかったのだ。本音をぶつけられる友を探し求めていた自分の欲求に、ようやく気付いたからだった。彼の、遠藤光一の存在がその答えだった。

『ごめん。僕自身の問題だから、古屋くんに押しつけるべき話でもないようだ。忘れていいよ僕の独り言だと思ってさ』

 そう言って他人行儀に訂正する彼の言葉に、僕は強く不信感を抱く羽目になるのだ。

 やっとお互いの領域に踏み込めたはずの“親友”という関係に、瞬く間に深い溝ができてしまったようで言いようもなく寂しさを感じた。何でも共有できる仲だと、喋り合える仲になったのだと信じていたからこそ、その反動は大きく僕にのしかかっていた。

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